取材五

 入江小学校時代の同級生で、床屋を営んでいるラムーからメールが来た。ラムーとはブログを通じて三十年振りの再会となるクラスメートだ。ちなみに中学時代は、ぼくと同じ吹奏楽部でフルートを吹き三年間を共にした。

 内容は、理容仲間から静岡第一テレビの番組ディレクターが床屋へお客さんとして来るようで、それではまじのことを伝え、ラムーからぼくへ伝わった。

ディレクターさんとの電話のやりとりは、大晦日にオンエヤーする今年の十大ニュースということだった。さくらさんのことを取り入れたい取材の依頼だった。

自分はこの前、フジテレビの取材を受けたばかりなので、断ることは出来なかった。

 第一テレビの看板アナウンサー徳増ないるさんと、清水を回ったり、入江小学校にも行ったりという内容だった。入江小に入るのは懐かくいい体験となる。当然ノーギャラだが、ちょっと楽しみだった。

 当日、朝九時すぎに登呂遺跡駐車場前に行くと、すでに一台のワンボックスが停まっている。ディレクターさんが出て来て、どうぞと。ないるさん、カメラマン、音声さんにあいさつをして乗り込む。

 ないるさんの隣だ。緊張は隠せない。

この日はこんな流れだ。

まずエスパルスドリームプラザのちびまる子ちゃんランド。

次にアポなしで追分ようかんへ。食事を挟み入江小学校。

最後はまるちゃんマンホールのJR清水駅でのコメントでおしまい。ほぼ丸一日だろうなとわかった。

ただ徳増ないるさんは、夕方ニュースのメインキャスターなので、そちらへの出演もあるようだ。時間に追われるため、ないる稼業はとても大変だと改めて知らされる。報道の現場は緊張極まる生放送だ。芯の強い女性でなければ勤まらない。そこはさすがアナウンサー歴二十年だ。ないるさんの生まれる前、両親はエジプトのカイロへ留学していて、ナイル川のほとりで知り合ったため、生まれた子の名が「ないる」と命名されたようだ。前から変わった名だと思っていたので、なかなかロマンチックではあーりませんか。

 エスパルスドリームプラザ三階のちびまる子ちゃんランドへ、クルーたちと向かった。途中でぼくのみ別の部屋へ入った。二〇一九年一月から、まる子ちゃんランドでもさくらさん追悼の「ありがとうの会」を行う予定の部屋だ。まだ祭壇にはなっていないので、まるちゃんのアニメがたくさん隅に置いてあった。よく考えたら、普通は顔写真なのに、葬儀までアニメ顔だった。そこまでして顔を隠すのはなんだろうか。

 ぼくは急いでまるちゃんランド内へ入った。教室セットでの撮影がある。そこで自己紹介をした。いつもの足元から顔へカメラが移る。この場面をなんというのか、業界用語がありそうだ。

 さくらのことで店長のIさんも取材されている。まるちゃんランドは、地元より全国から多くのファンがやって来る。その店長なので企画などの責任が重そうだ。さくらのことを「先生」と呼ぶし、個人的にもまる子が好きらしい。そんな箇所へ勤めているのなら天職ではないか。そろそろリニューアルしたいとも聞いた。同じセットなのに毎回来ている人もいて、申し訳ないといっていた。とても律儀な店長のIさん。先生のことを思うと……、目頭を熱くしている場面を会話の中でわかった。本当にさくらのことを好きなんだと思い知らされた。

 まる子ランドを終えて、アポなしでの追分ようかんへ向かった。

 着くと、まずぼくがADとなり交渉しに行く。いつも女性店員がいて、奥さんは店頭にまずいない。呼び出してもらった。

 おかっぱヘヤーをさらに短くした髪、エプロン姿で現れた。

 この前の青山葬儀で会わなかったことを聞いたりして、今日来た理由を第一テレビの取材といった。すると、また急に、というではないか。いつも急なのがぼくのスタイルだから、というと、今日はインタビューを出来ないとのこと。どうもメイクがどうのこうのといっている。そんなの関係ないのに。いつもは気軽に答えてくれるのに、もしやお年を気にしているのか。ということで、店内の撮影はいいとのことで、ないるさんと追分ようかんを手に取ってはと、ようかんを食べたときの思いを収録した。

 そして昼飯だ。ノーギャラ男としては、ここが気持ちと思われる。金田食堂へ行くという。正直、ランチをやっているけど高く感じたが、第一テレビさんのおごりだから頬が緩む。

飲み屋に近い金田食堂で、クルーのみなさんは天丼を頼む中、ぼくだけ千三百円もするフライ盛り合わせ定食だった。

 食事中は、ないるさんの年齢が男の厄年だったので、つい厄年の話しをした。例えば、ぼくへ二千万円の請求が埼玉県保証協会から書面で来たことを。実父の親せきだが、自分は会ったこともないことなどを話し、食事中を盛り上げた。食べるより話しばかりで、一番食べるのが遅かった。だけどフライ盛り合わせランチ、これは正直美味しかった。エビフライ、とんかつ、アジフライ、なんだかわからないフライと千三百円の価値があることを知らされた。カキフライは嫌いなのでなくてよかった。

 ディレクターさんは、店の取材をしたかったようだ。

だがお昼のランチタイム。どう考えても忙しいので無理だろうと思っていたらその通りだった。

 次は入江小学校。ぼくはここが一番楽しかった。

 なぜなら生徒との触れ合いが出来る。いままでの取材の中ではない。以前、講演会を行ったところは小学校が多く、その時は触れ合いが出来たので楽しかった。それがこの日も出来る。

 まず職員室に行き、ごあいさつ。教頭先生が出て来てなんだかんだと自己紹介。ケンタと同じ清水東高校で、教頭先生は一つ下だという。抜群に偏差値の高い清水東高校卒業なら超エリートだ。

元大洋ホエールズの山下大輔さん、村上泌尿器科の先生、ホルン先輩のSさん、丸尾くんなど輩出している。

 入江小では三年四組が課外授業となり、そのすきにクラスを借りて撮影をするようだ。

ないるさん、課外授業に出かける三年四組の生徒となにやら話していた。遠目で見ていたが、はまじは? の声が聞こえた。なに? ばらしていないでしょうね。

 今回は、はまじ、が来ていることは内緒で、あとから知らせる設定だ。

 四組に向かう時、まだ休み時間なのか廊下に生徒がたくさんいたので、思わずジャグリングをしてしまった。実は生徒の前で披露しようとし、バッグへボールを忍ばせていた。

 とても喜ばれた。警備員のジャグリングと称して行った。テレビだから警備する人だとして生徒へいった。絶対変なおじさんだったはず。私服で警備とジャグリングなどあり得ないからだ。

 チャイムが鳴ると他のクラスは授業となる。ぼくらの時代のように静かではなく、あちらこちらの教室から生徒の騒ぐ声がする。

あり得ない。戸川先生なら平手でたたくだろう。これでは統制が利かないのではないか。ぼくが教師ならどうだろう。やはり統制をしたい方だ。でも平手たたきははやらない。その生徒の気持ちがわかるので、話し合いにする。昔は先生が王だ。家庭でも先生のいうことを聞きなさい、と釘をさす。いまではどうだろうか。もう逆のような気もする。

 生徒のいないクラスで、ないるさんとの会話を撮影し終わった。

 窓からグラウンドを見ると、体育の授業で生徒たちがドッジボールをしている。懐かしい。ドッジボールはぼくも好きだった。小学五、六年時代がよかったなー。もう戻れない。さくらもいなくなってしまった。ありがとうの会のとき、担任だった浜田先生から昔の八ミリ撮影のDVDをもらった。それを見て、やっぱあの時代がよかったなと。さくらも木登りをしていた。みんな無邪気だ。受験もなく仕事も関係ない。戻りたくても、もう戻れない。それなので、今の瞬間をとても大事にしてほしいことを生徒へ伝えようと思ってしまった。

 三年四組の生徒が帰って来た。はまじ、と声が聞こえた。バレている雰囲気。ぼくは廊下にいると、ディレクターさんが、とても渋い顔をしている。

 どうしたのか聞くと、やはり担任が生徒へ話したらしく、ぼくが出る前にわかってしまった。これはやりづらいのではないか。台本が狂ったのだし。ぼくはそんなのは気にしない。そしてないるさんが呼ぶので登場する。

「……さて、この方はだれかわかります?」

 生徒が一斉に、

「はまじ~、はまじ~……」

 ぼくは笑ってしまった。

 生徒との雰囲気が明るくなり、これでもいいだろう。

そしてぼくは当時の話しをしてしまった。プールの脱走、登校拒否、先生からの平手打ちなどなど。生徒がシーンとしてしまう。あまりにも信じれない話しに戸惑っているのか、リアクションの声がなかった。そして先ほどのことを生徒に伝えて勝手に話話しを締めていた。どんなんかなー。

 帰りは教頭先生が見送ってくれ、入江小学校を終えた。そして最後は清水駅のまる子マンホールで、ないるさんと少し会話し撮影はおしまい。

 その時、彼女がそわそわしている。夕方の県内ニュースのメインキャスターだ。本日も出ないとならない。ディレクターさんの指示で、ないるさんはJR清水駅から電車で帰った。静岡駅からタクシーの方が会社へ早く着くらしい。電車では「あ、徳増ないる」とバレないのかな。

帰りの車中は無言でブログの記事を打っていた。同時にぼくも取材をしていた。

そしてスーパービッグの前で降ろしてもらう。クルーたちへあいさつをしてぼくは終えた。そのとき粗品をもらう。スーパーで中をチェックすると四色ボールペン、メモ帳、A4クリアファイルのみだった。まさに粗品だ。 

 買い物を終えて自宅へ帰るとどっと疲れが出た。ないるさんはまだオンエアー仕事がある。よく頑張っている。そしてお茶割りを飲みながら彼女をチェックした。背を正し厳しい表情で事件の内容を伝えていた。さすがプロだ。丸一日の疲れを見せない。というか、それくらいでは疲れないのかもしれなかった。

 そういえばディレクターさんへ、さくらの色紙と入江小の卒業アルバムを貸した。あれから数週間たつがどうなったのか。まさかグッディのように、大晦日の生放送へ出すのだろうか。汚れない程度に県内の方々へ見せた方がいいけど。

 店など経営していないので、ぼくが持つより、全国のみなさんへ見てもらう方がいいと、ちびまる子ちゃんランドへ渡した。さくらの遺品なので大切にしないとならない。ぼくの家から会社が近いから、いつでもいいと思われているのかもしれない。持ってきたら、再度まるちゃんランドへ持っていくので、待っていてくれ。


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