予言

僕は驚く未来の予言を知った。近い未来に大異変が起こる予言である。それは後ほど話したい。このような話しは割りと一歩引かれるが、我慢して読んで欲しい。

僕が予言に興味ありだしたのは中学一年頃だった。有名なノストラダムスの大予言で一九九九年の夏に人類滅亡説が気になったことからだ。ノストラダムスが聖書を解読したら、このような意味になったらしい。その予言で僕は何歳で死ぬのか計算したら三十四歳で死ぬことになっていた。なぜか僕は予言を信じて生きようと、その時思ってしまった。

十代や二十代にその予言は頭にあったが、まだ先だと思い危機感がない。僕はその頃、無意識にいろんな体験はしていたため良かったと思う。二十代終わり頃から友人に『あと五年』などと、年賀状に書きだしていた。その頃だと何かしら『あと四年だからこれもやろう』や『どうせもうすぐ滅亡するから、あんなこともやろう』と、自分や友人に語りかけていた。

そして年月が経ち、とうとう三十四歳の八月になった。死ぬときは全員同じだと楽観的に思っていた。日が経つのは早く、八月下旬になっても地震や大洪水、核爆弾や宇宙人襲来などは一切なく、ただ暑い毎日だった。そして九月になっても平穏無事な日々。良いことだが、なぜか裏切られた感じになる。友人にはバカにされていた。

そして一九九九年は何もなく二〇〇〇年に年は変わった。この頃、騒がられたコンピューターの誤作動二〇〇〇年問題も無事に起こらず、呆気ない年越しとなった。友人カニエイと二〇〇〇年になる瞬間、近くにあったコンビニの明かりを見ていると消えなかった。

瞬時カニエイにバカにされた。密かに二〇〇〇年問題も起こるだろうと、信じていたのだ。 

僕は何かと予言を信じる男になっていた。しかし宗教は信じない。一度捕まったが福永法源氏の本を図書館で読んだら良いことが書いてあった。それに予言もノストラダムスと同じで、彼のこともだんだん信じだしてきた。しかも本部的なのが富士市にあり、カニエイと数時間探したらあった。見た目は豪華で『天声門』など金が掛かっている大きな門がある。中は広い敷地に凄く豪華な建物がある。どう見ても異様な感じがした。まるで宗教の本部のようだ。やはり僕はためらい入れなかった。

今から考えたら宗教だった。それに『天行力手帳』というグッズが二万円するのは高いなとも思っていた。見た目はただの手帳である。あの時、『天声村』の門をくぐらず正解だったと、つくづく思った。

結局、ノストラダムス大予言の人類滅亡説は信じていたがはずれたのだ。しかし人類滅亡が起こらないお陰で僕は本を二冊も出せたのだ。神様に感謝である。人類滅亡の何か天災が起こっていたらそこはやはり、地球が地獄絵図だったであろう。起こらなくて良かったことだ。

予言の天災が来なくて安心してた二〇〇三年、図書館で経営コンサルタントの船井幸雄さんや、世界権力の裏を述べる中丸薫さんの本を読んでいた。そしたら、その方々の本に驚くべきことが述べられていた。それは二〇一二年十二月二十二日に天変地異が起こりえる可能性がある、ということだ。

あまり詳しくはわからないが、一万一千年周期でフォトン・ベルトという光子の帯びに、その日地球が突入するらしい。突入すると地球の磁場、重力の変化や電磁気の崩壊などが起こるらしいのだ。一説では極移動(北極と南極が入れかわる)ポールシフトが起こるとも言われてる。ポールシフトは昔、恐竜が絶滅したような氷河期が起きえる感じだ。

船井さんの本を読んだ後、本当か? と思ったが、中丸さんの本にも書いてあったので本当だと思った。そして極めつけになる知識も発見した。それは古代にマヤ文明があった。そのマヤの予言で人類の終わりは二〇一二年十二月二十二日とあった。これを図書館で発見したとき、フォトン・ベルトと日にちまで同じで鳥肌が立っていた。僕はもう信じるしかないとなる。この文は二〇〇四年に書いた。そのときあと約九年で滅亡だ。

自分は四十七の歳だ。この日を知ったため、また日々を有意義に過ごすことにした。

予言ではないが僕は夢をよく見る。映画の『インデペンデンスディ』ではないが、UFOが僕の住んでる地域を攻撃してくる夢をたまに見た。みんな逃げ回るがビームでやられている。だが、不思議なことに僕は上手く隠れ助かる。さすが主役だ。この夢を見た後、こんな日がいつか来るのかなと、よく思う。宇宙の星には地球の人間以外に多大な知的生命が住んでいるのを本を読んで知った。そのため、いつか夢見たことが実際に起こるかと心にあるためなのだ。あまりの人類欲の生き方や、環境破壊に宇宙の人々は怒り、地球は生きているのだもっと大切にしろと、人類浄化に宇宙船がやって来るかもしれない。もしかしたら僕の正夢となるのか。



その後二〇一一年三月には東北に最大の地震が来たことで、より信ぴょう性が高まった。

 その日、タクシードライバーの仕事は夜勤だった。テレビでは日本中に大津波警報が出ていた。もしかしたら深夜に大地震で静岡も津波で飲まれるではないかと、ハンドルを握りなから思っていた。解除されたときはため息が混じっていた。生きててよかったと。

だが来年もこんな思いをするのではないかと。

二〇一二年十二月二十二日を迎えた。

 なにも起きなかった。

 僕はそれもだまされたと思ったとき、これって人類を遊んでいるだれだれのいたずらではないか、と。

二〇一三年からは予言をまったく信じなくなった。あおって人々に恐怖心を植えつけているのではないかと、予言等を疑い出してきた。

いまも東南海地震、東北地震と注意はしているが、人類滅亡系は信じなくなった。

小学校からの長かった洗脳が解け、現在は二〇一九年十二月下旬である。もし危機的なことが起きても、冷静な行動をとるようにしている。なぜなら来世があることを信じているからだ。これってまた新たな洗脳されたのかもしれない。


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