サイン会

二〇〇二年二月に本を出版したことで初めてサイン会を東京、渋谷の書店で行った。

昨夜の酒が残っていて二日酔いであるが、朝早く新幹線に乗り東京に向かった。初のサイン会とあって、車中では緊張感があった。どんな年代の人達が来てくれるのか、人自体来てくれるのだろうかと、二日酔いと考えたことで頭の中は一杯になった。

豊島区南大塚の出版社に午前十時ころ着き、会社の人達にあいさつをしてからテレビを探した。理由はテレビ東京『ハローモーニング』を観たいからだ。

これは当時のモーニング娘。の番組で、東京では日曜午前十一時ころに最新の番組が放送されていた。ちなみに静岡では一カ月以上遅れで夜中の二時に放送している。モー娘。ファンとしては、ほっとけなかった。社内を探しているとテレビはないと言われがっかりした。

午後一時時からサイン会。十二時ころ出版社を編集者と出て、一時前に渋谷の大きな本屋『ブックファースト』に着いた。

いきなり入り口に『浜崎憲孝氏のサイン会』と張り紙がはってあった。中に入ったら店内放送もしていてぼくは緊張してきた。

自分の本を探すとすぐにあり、女性が立ち読みをしている。ちょうど『はじめに』のところを読んでいた。少し恥ずかしかった。

二階の事務所であいさつをして少し待機した。一時になり、

「では、地下までお願いします」

と店のマネージャーに言われ、ぼくと出版社の人と不安ありで向かった。

地下に着いたらビックリ、人の列が長々あった。デカデカと『ぼく、はまじ著 浜崎憲孝氏サイン会』と看板もあって足が震えた。自分はタレントや作家でもないのに人々が集まってくれて胸がいっぱいになっていた。

そしてサイン会が始まった。一人目は男性。買ってくれた本の白紙のところに日付、相手名、ぼくのサインと絵を書いた。なぜ絵かは、ぼくがはまじの絵を書けば面白いとなり描いた。ヘタな絵だったが人々は好感触で笑ったので、さくらと違うのにと思い意外だった。

一人一人サインしてると男性や女性もいて、六歳の子供からおばあちゃんまでも来ていた。どこから来たのか聞いてみると、都内や千葉、埼玉、神奈川などの関東近辺や静岡出身の方。驚いたのは深夜バスで京都から来てくれた人や広島からの人には大感謝で、

「どうも有り難うございました」

と深々お辞儀をした。自分なんかたいした人間ではないのに、わざわざ来てくれた。

それからまた驚く。友人のタカオがカミさんと来ていた。サインの列ではなかったが、まわりで声を掛けてきた。どうサイン会を知ったのか、なぞだったが来ていた。東京でタカオを見たとき一瞬、清水にいるような錯覚でとてもありがたかった。

自分では最初サイン会の開催が嫌で、編集者に文句を言っていた。人が来ないと思っていたり、本は売れないとネガティブに感じていた。しかし行ってみると大勢の人が来てくれてまさに仰天した。

結果的には開催してよかった。

サイン会は三時間位行われ、八十冊ほど書いた。一人ずつ書くのが遅くて列に並んでいた最終の人は、待っている間中にすべて読んでしまい、大変申し訳なかった。

サイン会も終わりペンを持っていた手には汗がにじんでいた。来てくれた人や本を買ってくれた人、人は人に支えられて生きていることを実感した。

その後、初のテレビの取材を受け、編集者とご飯を食べ出版社へ帰った。

出版社に着くと石坂浩二似の社長が出迎えてくれた。社長の友人がサイン会にいたらしく、『はまじは酒臭かったぞ!』と言ったらしい。それだとサイン会に来た人は、みんな酒臭いと感じていただろうな。

七時ごろまで雑談をして帰った。帰りの新幹線はちょうどひかりがあって九時過ぎには清水に着いた。この時、ひかりの速さに驚いた。そして懲りずに少し焼酎を飲んで寝た。

それから半月後、清水にあるエスパルスドリームプラザから電話があり、『ちびまるこちゃんランド』の前でサイン会をやってほしいと言われた。

たぶん依頼がくるだろうと思っていた。理由はドリームプラザには全国にひとつしかない、ちびまるこちゃんランドがあるからだ。

まさに地元でのサイン会は、はっきり言って嫌である。『あいつがはまじか』、『あいつ、職安によくいるぞ』や『図書館によくいるな、よく自転車に乗っているな』など顔がバレるからだ。

ドリームプラザでイベントをやる場合、必ず新聞に掲載する。そうなると友人知人が来た場合、冷やかされる。主催者側からすれば人が集まらないと意味がないため新聞に載せるわけだが。

打ち合わせの時、サイン会のための本を百冊頼んでしまったからぜひお願いします、と言われ困った。ぼくは新聞に掲載しなければやりましょう、と出たがそれだと人が集まらなく意味がないと言われ、意見は通らず掲載することになった。

当日、新聞にサイン会のことが載っていた。友人、知人が来ないことを祈ってドリームプラザに自転車で向かった。途中、百冊用意すると言っていたが、なぜそんなに頼んだか疑問だった。東京で八十冊、買ってくれた。清水で百冊はどうしても無理ではないか。

ドリームプラザに着いたら、緊張のせいで腹が痛くなりトイレに行った。大をしていたら館内放送が流れた。

「三階、ちびまるこちゃんランド前の広場におきまして、『ぼく、はまじ』著者、浜崎憲孝氏のサイン会を午後一時から行います。ぜひご来場下さい」

ぼくは大が長びいていた。今回は出版社の人は来ない。自分だけで助手なしで行わなければならない。

トイレを終わらせ、どの位人がいるのか客人側に行ったら、『はまじ、はまじ』と声を掛けられた。顔は知られてないのにだれと思ったら、中学の友人ピピコだ。彼は結婚していてカミさんと子供らでいた。ピピコはぼくが本を出版したことを知らず、たまたまドリームプラザに来たら館内放送で知って来てみたという。彼は驚きながら本を一冊買ってくれた。まず一冊売れた。

そして主催者側へ向かうとすぐ始まった。なんと司会がいた。最初は司会の人と少し雑談をしてからサイン会が始まった。物珍しさから司会とのトークではかなりの人がいて、写真を結構撮られた。

サイン会になると一挙にいなくなった。本のところに行った人はそんなにいなかった。

その広場ではレジで本を買うと五メートル先に、はまじがいてサインという方式だ。

結局、二十人が本を買ってくれた。東京より少ないが、やっぱりありがたい。

だが二回目もある。

二回目も女性司会とのトークから始まる。館内放送ありで、この時点はたくさんの人達。サイン会が始まると、やはり減った。でも仕方がない。これは自分の結果だ。

その時本はもう買い手がいなくなったのかと思うようになり、ネガティブになった。二回目は十人が買ってくれた。

まだ本が多数残っている。ぼくは思わず三回目もやりましょう。と言ってしまった。主催の人は当然、OKでやることになった。

そしてまたトークから始めた。この時、後輩の知人がいてそれに目がいき、しゃべりづらかった。しかも一、二回目より集まりが少なかった。サイン会になったら案の定、ポツリポツリと少なかったが、来たばかで通りすがりの人達が、実物はまじにちょっと驚いて買ってくれた。

なんとか十一冊売れた。結局、四十一冊分へサインしたことになる。東京のサイン会より半分だけど、物が売れない時代に買ってくれた人達には大感謝しています。ありがとうございました。

サイン会の翌日、一人の男が家に来た。前日の会場にいた通信高校時代の後輩だった。

彼はサイン会の時、本を買わず携帯電話のカタログにサインをしてくれと言うので仕方なくカタログへ書いていた。

後輩はぼくの本を持って来ていた。サインをくれと。                

「なんだ、買ってくれたんだ」

と言ったら、わざわざドリームプラザまで行き買って来たらしい。なぜドリームプラザまで行って買ったのかと聞くと、ドリームプラザにしか売ってないと思ったらしい。ぼくは近所の本屋に売っていることを後輩に伝え、ありがたくサインをした。結局、四十二冊売れたことになる。

東京と清水で行ったサイン会は対照的だった。東京はまだやる気ありで行ったが、清水は嫌々な気持ちでいた。そのことが神様に伝わり、結果に表れたのだろう。

ちなみにサインをした本はいたずら書きのようなことで、古本屋は買い取ってくれないのだと、出版社の社長が言っていた。


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