取材一

ぼくは清水の小さなコミュニティーFMに出演したことはあるが、テレビ取材は本を出版してからだった。同級生のさくらももこ原作『ちびまるこちゃん』の登場人物『はまじ』は実在して、地元の清水に住んでいる。噂は地元のラジオ局の耳に入っていた。同級生だった女性がそのラジオ局のアナウンサーだったのもある。そんなことでコミュニティーFM局から出演依頼がきた。これが初めて公の場に出た時で、三十歳頃だった。その局で週に一度、はまじコーナーが出来てレギュラーとなった。だんだん友人や知人らに知られ、冷やかされたりもした。ノーギャラだったが人生のチャレンジということで、それを三年ほど続けた。

初日は収録であったが、とても緊張した。そういう初心の心は大事で、今でも忘れられない。

その後、『ぼく、はまじ』(彩図社)の本を出版してから東京渋谷でサイン会があった。ぼくがサイン会をするというのも凄い。終わったあと、フジテレビ系で朝から放送の『めざましテレビ』の取材を受けてくれとのこと。初めは、

「えー」

と、嫌そうにいった。全国に自分の顔が流れるからだ。だけど視聴者は、はまじが実在していたんだとなり、どんな顔か見てみたいのが心情だ。出版社もテレビ取材に出てもらえれば、ダダで宣伝になり本が売れると思うだろう。ここは世に出たことで取材を受けた。

話しはちびまるこに沿った感じでインタビューを受けた。全国に流れるので慎重に答えた。当然緊張しながらだ。そしてぼくが持参してきた小学校の卒業アルバムを借りていった。ぼく学校時代の僕を放送で載せようとしている。フジテレビの取材クルーは三、四人いた。サイン会の初めからいて、時折その模様をカメラに収めている。結局取材陣はインタビューまで三時間は待っていた。

忍耐力が必要な仕事と感じた。インタビュー時間は二十分ほどと短く、待っていたのにこれだけでいいのかと、後ろ髪を引かれた。初めは嫌がっていたのになんとも妙な感じだった。テレビ局の心理戦とも感じられる。

翌日の朝七時三十分頃起き『めざましテレビ』を観た。四十分頃、はまじのサイン会の模様やインタビューがとうとう流れた。しかしわずか二分位の放送。

いろんな話題があったためか、取材陣は待っていたのに採用の場面は少なく、まるでぼくの本作りと同じとも感じていた。こんなものか。自分で自分の放送を観ているのも変な感じであり、画面は変な顔だった。これが初テレビ取材の感想だ。友人、知人の反応は本を出したときほど、驚きはなかったが朝からなので少しビックリした人はいたらしい。  

その後、またテレビの取材があった。日曜日の夜七時テレビ朝日系から放送される爆笑問題が司会の『決定! これが日本のベスト三十』という番組で、今度『日本のアニメベスト百』を特番でやることになった。今やちびまるこは日本の代表的アニメで当然ベスト百に入るはず。そこで、ちびまるこの登場人物で実在し、本も出版したはまじを取材したいと出版社経由でぼくへ依頼がきた。

今回の番組関係者は、ぼくを含め漫画に出る巴川など、清水の町も取材したいということで、いいですよと返事をした。取材は三日後の日曜日になった。

二〇〇三年の夏は涼しかった。八月も終わる日曜日、この日はとても暑い。

本当の八月下旬だ。午前十時に清水駅で待ち合わせた。番組関係者は一人で新幹線と在来線を乗り継いで清水駅に来るといっていた。

ぼくが僕は清水駅で待ちぼうけをしている。十分が過ぎても二十分が過ぎても彼はやってこない。どうしたのかと思っていたら携帯が鳴った。彼は、

「浜崎さんですか、申し訳ないです。新幹線で寝てしまい静岡駅を過ぎてしまいました」

と、すまなそうにいった。番組を製作する人は日頃、仕事で寝てないことを知っていたから、笑っていいよといった。ということは浜松で折り返しだ。昼頃になる。中途半端に時間が空いてしまったが家に帰り、ワープロを打ち出した。さすがに家にいると暑い。昼近くになり、母の作ったソーメンを食べ、清水駅に車で向かった。

駅に着くと番組関係者の彼はいた。機材を持っていたので一発でわかった。

彼は名刺をよこし、番組製作会社の者と名乗った。三十歳前の少し疲れた表情の青年だった。

早速、クーラーの効いた車へ乗せ、ちびまるこで実在するぼく以外の人のアポをとれるか彼は聞いてきた。つまり丸尾君のモデル、たまちゃん、野口さん、花輪君のモデルなど。

僕は難しいといった。ぼくんなそれなりに仕事や家庭を持って地位もある人もいるからだ。てっきり暇な自分と、清水の名物位の取材と思っていたから気落ちする。学校時代の名簿を持ってなく、電話番号までわからないため、清水駅から近い丸尾の家に直接行った。ぼくくが交渉にいったが母が出で来て息子はたまたま今日仕事で、帰りが遅いとのこと。これで丸尾はダメだ。

ちょうど丸尾家の真横が一回か二回、まるこに出演した花屋の徳ちゃんの家だ。彼にどうするか聞いたら、抑えとして取材できるか聞いてみようとなった。

徳ちゃんはあっさり夕方ならいいよとなった。徳ちゃんは仕事中だったので製作会社の彼も少し微笑んでいた。

さくらの生家もすぐ近く、そこへ案内した。だれも住んでいないし家のシャッターも下りている。撮影しても意味がなくやめる。もし撮影したなら、さくらの許可も必要となるのも理由のひとつだった。

番組製作の彼はもうちょっと、あらかじめ撮影の許可をとって置くことが重要である。そして漫画に出てくる一通りの実在物、花輪のモデル家や入江商店街、入江小学校、追分ようかん、巴川、元みつやなどを車で案内をして仕切り直しになった。ぼくの家で作戦会議で、自分まで製作会社の人のようになった。

家に着くと冷茶を飲み、喉を潤わせる。ぼくし落ち着いたのか、彼は構想を練って帳面に僕が答えていることを少しずつ書いていた。

そして彼はぼくが部屋で趣味のベースを弾いている模様をカメラに収めた。どうも主は僕ぼくようだ。ただの案内人ではなくなった。次に追分ようかんに行ったら閉まっていてあきらめた。

そして入江小学校の裏門でぼくのコメント撮影をした。このときコンニャクのモノマネをさせられる。 まるこ漫画ではまじのコンニャクは、くねくねするだけだが、当時やった実際のコンニャクは一瞬にして地面に崩れ落ちるコンニャクだ。当時テレビで物まね王座決定戦のをパクっていた。それを小学校のクラスで何回もやっていた。      

 ぼくは実際のコンニャクをやったら、彼がテレビ的にまるこ漫画のコンニャクでお願いしますと言われ、不満だったがまるこ漫画のコンニャクをやってしまった。かなり恥ずかしい。テレビ放送で流れたらそっちの勝ちということだろう。

その後、入江小のモグラ山付近で正式な『はまじ』のインタビューを撮った。彼は一人なのでカメラ、レポーター、日照などすべて一人でやっているので、少し気の毒に思った。ときおり僕ぼく自らアシスタントもこなした。彼は暑くてきついのに文句をいわず、仕事をこなし感心するばかりだった。世の中こんな青年もいるんだと。

そしてぼくが車を運転しているところを撮ったり、巴川や入江商店街などを撮影。最後に花屋の徳ちゃんとなる。本当はたまちゃんのを撮りたかったらしいが、日本にはいないためあきらめるしかなかった、製作会社の働き者の彼は、少々気落ち気味だった。

 そして淡々とした徳ちゃんインタビューも終わり、本日の撮影は終了。映画でもないのにだ。働き者の彼は三脚のケースを入江商店街に忘れたことに気がつき、盗む奴はいないと思うが急いで向かった。やはり商店街の電柱のところにあって、彼の顔に安堵感と仕事の緊張から解放された顔になっていた。

辺りの日も暮れ、時間は夜七時になる。働き者の彼は夕飯を御馳走してくれるとのことで、入江商店街のおいしいソバ屋はどうだとぼくが誘ったらいいですよとなり、そこで夕飯である。夕飯が僕へのギぼくランティーだった。

彼と定食を食べながら、ロケでの裏話を聞けておもろかった。例えばロケでテンション高くおもしろく放映されていても、実際はダラダラやっているらしい。ぼくはヘェーとなる。ロケが楽しそうに観えても、タレントらはダラダラかーと気落ちした。ではなぜ番組がおもしろくなるかというと、編集のセンスによるらしい。おもしろい箇所を見逃さず、上手に繋げることで番組は盛り上がって行くようだ。収録などの撮りはまだおもしろくなるが、生番組になると入念な打ち合わせやリハーサルがあり盛り上がらせるという。生はそれだけ大変だと彼は言った。また僕はヘェーばかりだった。

本作りもそうだなと思った。おもしろい文章をいかに読んでる側に文で盛り上げ伝えるかだ。だけど生番組のように、生本は売られていない。常に本は編集作業が行われるからだ。自分で文を書き自分で編集し、次はプロの編集者に本としての編集になる。

働き者の彼もこれから東京に帰って、テレビ朝日に泊まりで編集作業をするといった。もうヘェーばかりだ。まだやるとは超働き者ではないか。ただただ大変だねーとしか言えなかった。もう彼に早く帰ってセンスよく編集して、布団で寝たほうがいいよ、とだんだん気の毒になった。早々に清水駅へ送り、彼はお礼をいっていたが、ぼくも楽しかったよ、といって彼を送った。帰りの新幹線はいくら寝ても終点は東京だ。寝過ごさないなと働き者の彼へ思いながら、ぼくは五分で家に着き焼酎で一杯やった。     

 ぼくは働き者の彼とは一日一緒にいたせいか、信頼関係ができてしまい、今でも連絡を自分から取りあっている。このような青年を見ていると自分にも励みが出来てくる。

そして一カ月後の九よう下旬、爆笑問題が司会の『決定! これが日本のアニメベスト百』が放送された。普段は一時間番組だが、この時期番組改編でゴールデンは二時間放送されている。爆笑問題の番組も特番で二時間になった。『ちびまるこちゃん』はベスト百では上位と思っていたので最初は観ていなかった。ぼくはさすがにこの年になるとアニメは宮崎駿の映画か、たまに『ちびまるこちゃん』位しか観ない。

数十分がたち、ちびまるこのアニメがテレビ画面に現れた。ここだと思いチャンネルをパチパチ換えるのをやめた。そしてぼくの顔がアップで出た。クイズみたく『この人はまるこ漫画のだれでしょう』となった。

ぼくの部屋でベースを弾いてるシーンや、入江小学校でインタビューされているシーンだけだ。わずか一分弱。結構撮ったのにそれだけになる。コンニャクはいいとして、徳ちゃんのインタビューや入江商店街などがカットされた。

 働き者の彼ならもっと長い放送の編集をしたと思うが、他の人が時間枠に収まるようにと短くなったのかもしれない。本当は僕だけではなく、たまちゃん、花ぼくん、野口さん、かよちゃん、丸尾くんらの映像が欲しかったのだろう。

 それならどの局もやっていないし、視聴率がいいのではないのか。

この番組はアニメだから大人は観てないと思ったら結構観ていた。僕らの年だと大体は結婚をして子供がいる。その子供らは小学生や中学生になっている。そして当然アニメを観るわけで、親もつられて観たのだろう。

そんな感じでテレビ出てたね、と知人にバレた。出たことでちょっと嫌だったこともあった。僕は週末ほぼ水泳ぼく行くのだが、水泳に行くと水泳仲間の岩さんと中学一年の息子ナユに会う。彼らは僕ぼく正体を知らない。ラジオやテレビの取材は別として、自分ではまじだと名のらなかった。知る人は知人らに言われて広まった。だが、ナユは漫画番組がとても好きで当然そのアニメベスト百となれば観ていたのだろう。それでぼくの場面になったらビックリして父さんの岩さんをテレビの前に呼びつけたらしい。そして『浜崎さんは、はまじだったんだー』となってバレた。水泳に行ったら、岩さんよりナユのほうがかなり驚いていた。岩さんとナユには悪かったが、ぼくが本を出したことも当然知らなく、今回本を出したことでまた驚かれてしまうかも。今まで通りになればいいのだけど。

そして、またまたテレビの取材があった。平成十五年の十一月中旬、ツタヤのレンタルビデオコーナーにいたら彩図社から携帯に電話があった。日本テレビが取材したいらしいとなった。折り返し日本テレビ『ザ・ワイド』のディレクターさんから電話があり『さくらももこさんが再婚しましたので、コメントをいただきたいと思いましたて』となりぼくは、

「うそーっ」

なぜ驚いたかというと、担当編集者のオカルト好きな石井健資さんは、さくらと仲よしで当然再婚のことを前々から知っているはずである。それと前日の日曜日にさくらの親戚のおばさんと、元さくら家で荷物を二階に上げるのを手伝ったが、なにもそのような話題にもならなかった。親戚のおばさんは毎日さくらの母と電話で話している。だからビックリだ。さくらに黙っててと言われたのだろうか。多分そうだ。

話しを戻すぼく、電話でのコメントかと思ったら、清水で僕を取材したいといった。それも今日。テレビの衆は早いと聞いていたが本当に早い。特にワイドショー番組だからか。

そして、この本のこともあり『いいですよ』となり三回目のテレビ取材を受けることになった。

三時間後、アパート前の公園で待っていたら今風の洒落たワンボックス車が公園前へとまった。これだと呼びとめた。車内からゾロゾロ人が降りてきた。

 経費削減でテレビ朝日のように一人で来るのかと思っていたら、クルーで来た。早速カメラマンは用意している。まさに都合よく家前の公園でインタビューするつもりだ。子供も遊んでいて嫌だったが、機材を出したためここにしたため きれいな女性レポーターさんと若い真面目そうなディレクターさんらと少々打ち合わせをしてインタビューが始まった。『僕、はまじ』(彩図社)の本を出す。このようなときは自分ではまじと名のった。

アパート前の公園に、テレビの取材陣が来たのはこれが初めてだろう。インタビューが始まったらやはり子供らが不思議と見ていた。ぼくも逆なら興味があるので確実に見る。

取材陣の車には日本テレビと書いてないのはよかった。近辺の人達は夕方から始まるローカル番組の『まるごとワイド』の中継と思ったかもしれない。デぼくレクターにレポーター、カメラマン、カメラマン助手と音声さんに僕で全部で六人になる。

インタビューか終わったら、ディレクターさんが名物か名産を取材したいらしく、即答で場所も近いし『追分ようかん』といった。この本作りでぼくが取材していたし、なんたってさくらの絵も飾ってある。それにそこのようかんはとてもうまいし店側も好都合のはずだ。

五分後着いたが閉まっていた。『あれっおかしいな』と。看板を見たら、月曜は本店が休みになっていた。本店でないとさくらの絵の映像が撮れない。

ディレクターさんは看板を見て、他店に連絡をとっていた。そしてどうにか本店の御主人をつかまえ、取材の了承をとった。御主人は市役所の帰りで戻り次第、店を開けてくれるらしい。

五分後、御主人が戻って来た。早速、店を開けのれんを出しあっという間にいつもの追分ようかん本店になった。夕方になり日が落ちている。技術さんは小さな照明を出し、ぼくとレポーターが入るシーンから撮影した。そして店内に入るとさくらへ祝いの言葉や、店のことなどレポーターがどんどんインタビューしていた。ぼくはただうなずくだけだった。

そして追分ようかんの取材は二十分ほどで終了。帰り際に御主人はなんと一個八百円の追分ようかんを ぼくと取材陣全員にくれた。取材陣もぼくも大喜びしてみんなでお礼をいい、追分ようかん本店を後にした。                             

 次に丸尾くんのモデルに聞いたさくらが通っていたとされる、さくら幼稚園を取材してみたらと、ぼくが提案したら決まって三分後着いた。ディレクターさんが早速交渉している。僕らは車中から様子をうかがった。するとOKのサイン。と同時にみんな一斉に車から降り、技術さんらはカメラやマイクの用意をした。レポーターさんとディレクターさんとぼくは、園長さんのところで質問をしたらなんと、『さくらさんはうちではないよ』というではないか。

「えーっ、丸尾くんはさくら幼稚園ですよね」

とぼくが言うと、

「そうですけど、さくらさんは違いますよ」

と園長先生。すでにカメラマンは、さくら幼稚園もも組を撮っている。ぼくが丸尾を取材したときたしかにさくら幼稚園のもも組で『さくらももこ』だとぼくにいったはずだ。ぼくもまさにズバリその通りだなと思っていた。だがどうも違うらしい。カメラマンは一応、撮っていた。

 後日、丸尾くんのモデルに電話をかけて聞いたら、やはり勘違いをしていたらしい。さくらと同じ名字で、別のさくらと勘違いだったといった。ぼくもさくら幼稚園に行き気がついてよかった。この本に丸尾くんとの会話が収録してあり、さくら幼稚園に行っていなかったら、あわや誤報を報告するとこだった。

ちなみにさくらは〈めぐみ幼稚園〉である。

 というわけで早々引き上げ、仕切り直しでスカイラークに行き、夕飯と打ち合わせとなる。ということはぼくへのギャランティーだ。ハンバーグ定食を頼む。

取材陣もカレーやビビンバなどいろいろ頼んでいた。

夕飯中に若いディレクターさんは、実在する登場人物のコメントが欲しいのでアポとりたいからと電話番号を聞いてきた。僕はやはり来たかとなる。ぼくは気が進まない。まったくテレビ朝日の彼と同じである。むりだと思うよ、平日だしと向けた。悪かったがどうしてもとなり、丸尾のモデル、花輪のモデル、山田かよちゃん、たまちゃんの実家、花屋の徳ちゃんの電話番号を教えた。

結局、丸尾、花輪は繋がらず、かよちゃんは仕事で遅くなり、たまちゃん家はダメで、徳ちゃんだけがOKだった。あまりにもこないだと同じで思わずぼくは苦笑した。

そしてディレクターさんもやっと少し笑顔になり、ジュースをグイグイ飲んでいた。本当はビールを飲みたかったのだろう。こういう仕事は毎日遠くへ取材に行くのか、レポーターさんに聞いたら『昨日は大阪でした』と。ぼくが『何か大きな事件、事故?』と聞いたら彼女は、

「大阪ドームに行って来たんです」

といった。ぼくはなにか野球の試合かねと聞いてみた。すると彼女は、

「違うですよ、大阪ドームでハロプロスポーツ大会があり、三十歳も過ぎているのにモーニング娘。の加護ちゃんや辻ちゃんなどを真剣に追いかけているような、モーニング娘。オタクの人達の取材ですよ」

それを聞いたぼくは思わず、

「えー!」

と大きな声を張り上げていた。まさに三十八歳のぼくのことだ。モー娘。に二年前からファンになっていた。レポーターさんは驚き、

「まさか、はまじさんモーニング娘。の辻加護ちゃん達のファンじゃないでしょうね?」

と。透かさずぼくは携帯の待ち受け画面を彼女に見せたら、

「えー、軽べつしちゃいますよ。取材しちゃうかな」

と怪げんしながらいった。ぼくの携帯待ち受け画面はなんと、加護ちゃんだった。写真集から写メールしたのを携帯の待ち受け画面にしてある。そしてぼくは昨日の様子を細かく真剣に聞いていたら、レポーターさんはだんだんとひいた。そして、

「はまじさんの目付きが昨日の人達みたくて怖いです」

といった。完全にモーヲタの顔になっていたらしい。部屋にはポスターがはってあり、辻加護写真集やビデオも持っているといったら、完璧にひかれた。

 昨日の今日で、レポーターさんも参ったという感じだった。

そしてぼくも取材陣も夕食を食べ終えスカイラークを出た。最後の取材人、花屋の徳ちゃんの店へ向かった。五分後、杉浦生花店に着く。

ぼくが徳ちゃんを紹介する感じで、レポーターさんと徳ちゃんの店に訪問。そしてさくらに祝いの言葉や、まるこ漫画のエピソードを語り徳ちゃんとの取材が終わり、ディレクターさんや取材陣は徳ちゃんにお礼をいってすべてが夜七時前に終了。この模様は翌日の『ザ・ワイド』で放送するといった。ディレクターさんに『これから局で編集作業でしょ』といったら、そうですといっていた。取材時間は大体四時間以内で終わった。ディレクターさんはこれから編集作業を独りで行う。やはり大変な仕事だ。

翌日、新聞のテレビ欄『ザ・ワイド』のところを見るとさくらの再婚のことが載っている。本当にやるのだと。午前中にディレクターさんから最後の確認の電話があった。まだ編集に追われている様子。

 ぼくは昨日の取材の模様をどんな感じになっているか観るつもりだったが、突然自分で自分の話す姿を観るのがだんだん嫌になった。そのため午後はワープロ持参で図書館に行き、テレビの取材模様を打ちに行った。それがこの文章である。結局、自身が嫌で観なかった。徳ちゃんは観たかと聞いたら彼も配達で観れなく、ビデオもとらなかったようだ。反響は編集の石井さんから電話があり『はまじ、結構映っていて味がありかかったよ』とほめていた。そうかなーとなったが石井さんがいいといってくれるならそれでいい。というわけで『これがぼくのテレビ取材ベスト三』となった。この本を出版したことで取材がまたあるのかどうかだが。

さくらへ結婚おめでとう!



今回、この本作りでいろいろ体験させてもらい、自分も少し成長した感じです。とてもありがたく思います。文章をはじめ、自分が取材者になったり、写真家、表紙の絵を描いたりで編集の石井さんやスタッフのみなさん、さくらももこさん、さくらプロダクションのみなさん、そして迷惑がられても御協力してくれたクラスメートの級友、どうもありがとうございました。今後もまた会って下さい。

                         平成十五年十一月二十日


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