郵便配達

どこでも見かける郵便配達員。このアルバイトを平成十四年二月から、一年三カ月やった。バイトなので勤務時間が短いが、この仕事は結構大変な仕事である。

出勤してからを言うと、必ず印鑑を常に持っていなければならない。出勤簿に二回ハンコを押し、バイクキーの受け取りに押し、給油カード受け取りに押し、ポストのキー受け取りに押し、預かり帳(領収書)受け取りに押す。他にもなにかしらハンコを押すことがよくあった。

郵便の配達区域が班単位で別れていて、自分は六班で山方面の配達区域になる。ちなみに班は一班から十四班位まであった。

初日、バイクに何年も乗ってなく少し不安だった。原付バイクの講習はなく、いきなり乗り、職員が乗っているバイクの後を着いて行く。赤カブバイクの操作がままならず、エンストしたりギヤを間違えてはと、かなり焦りながら遅れ気味で追走していた。

はっきり言って、職員は僕の事などお構いなしで『ココとココとココ』と指を差して教えるだけだ。

 地図を見てもどこを走っているのかわからず、頭の中はいっぱいで初日の随伴訓練を終えた。

慣れないバイクと地図の土地感がつかめず、かなり疲れた。そして朝と同じく、バイクのキー、給油カード、ポストのキーに返却のハンコを押して帰宅できる。この受け取りや返却のハンコを押す行為は、出勤したら毎回ある。一つでもなくなると大事になるらしい。

郵便局という堅実な組織を知る。

翌日、今日も随伴訓練かと思っていたら、半人前分を持って独りで行ってくれと班長に言われ渋々バイクに積んで出た。なんとなく昨日よりバイクが慣れていた。そして最初に配達する地区へ着くと配り始めた。

配達すると地図上と実際の家の違いがあり、嫌になる時もあった。ポストがない家にはドアを開けてあいさつをして手紙を置く。地区の住民達へは通り過ぎるたびに頭を下げる。

誤配はやってはいけない。わからない箇所は持ち戻りとのこと。

この日、時間が掛かってしまいクタクタで局に帰って来た。半分でこんなにきついのかと思った。

 自分の甘さが出た。

翌朝、バイク操作からなのか手足が筋肉痛だ。今日も郵便配達をしなければならないのかと思った。三日目頃、気が付いたことがあった。自分は朝礼を終えるとすぐに局を出られる。なぜかというと職員が僕の配達分を組んでくれるからだった。つまり職員の分と僕とで二人分やっていた。

この手紙やハガキを組むことを順立て(道順組み立て)と言う。郵便局の大型のコンピューター機械によって仕分けられたのを再度、人の手によって間違いを探し、正しく組み立てることを毎朝行うのだった。自分はまだ出来ないが、いずれやってもらうと班長に言われた。むりではないか。

日々が過ぎバイクにも慣れ配達も早くなって来たら、徐々に件数が増やされた。そんな時、配達してから初めての雨の日になった。それは予想どおり、晴れた日より面倒で大変だった。

バイクの前後はシートを掛け、長靴を履きカッパを着て、手紙にはビニールのカバーを付け配達する。メールカバーをしても手が雨でぬれているので手紙を抜き取ると染みてしまう。そんな感じで配達しているので普段より時間が掛かる。曇りの日は配達の時だけ雨が降らないことをよく祈っていた。

半月後には一人前分持たされ、書留類(簡易、現金、配達記録、特別送達、代引)と小包を持たされた。書留類のことだが、郵便局にとってかなり重要だから誤配や受領書をなくさないようにと徹底された。

しかしほぼ慣れた頃、書留の誤配をしてしまった。結果的には班員達に謝り、始末書を書かされ郵便局長に謝りに行き、誤配した所にも謝りに行かされた。こんな感じになってしまう。とても惨めであった。その日はストレスがたまったので、焼酎をかなり飲んでいた。

書留類や小包を持って行く場合、携帯端末に本数を事前入力して、配達の時に書留を渡すと配達入力をしなければならない。当初は入力するのを忘れたりと慣れなく、未入力の日がよくあり指摘された。

書留類は帰局後、処理もしなければならなく、重要に扱わないといけない。配達前と配達後の本数が合わなく何回もドキッとしたこともあった。ほぼ書留バックの中にあったりした。

そして半年の月日がたち、とうとう自分で順立てをやらされる。この作業をやっていると精神状態によくない。なぜかと言うと、自分で組んでいる時、他の人が組み終わり、どんどん局を出発して行くのを横目で見る。自分も早く組んで局を出発したい気持ちが出てきてかなりイライラとしてくる。それでプレッシャーになる。この順立ては慣れても、辞めるまで嫌悪感を抱く作業だった。

次に年末年始の話しになるが、学生が冬休みになると高校生のアルバイトがたくさん来た。自分にも弟子が付き、道順を自転車で回れる範囲だけ教えた。バイクと自転車のため、ゆっくり走り教えた。弟子は自分の最初のようで大変そうなので気持ちがわかる。



弟子が配達を少しやってくれるようになり自分の分が減った。さてなにをやるのかと思っていたら、年賀状の区分分けと順立てだった。おまけに休みがなく、日曜や祝日もこの作業をやる。参ってしまう。

 大晦日も当然仕分け作業で、終わった時には少し喜びを感じた。そして元旦の年賀配達の準備をする。どの家も年賀状の枚数が多く、崩さないよう順番に積め仕事を終えた。

大晦日の夜は何十年振りかに、酒を一滴も飲まなかった。僕は早々布団に入ったら、夜中の十二時ごろ年明けの花火がバンバン鳴っていた。

「うるせーな」

と、寝言のようにつぶやいた。

そして初めて元旦に働く日を迎え、配達をやり終わらせた。なんとこの日、福袋の小包もあり、元旦の朝、お客の家に行きハンコをもらうのだ。ちょっと気が引けたがハンコを押してくれた。客人は決まった言葉を言った。大変ですね、と。

二日は休みだったのでサーフィンに行き、三日から配達があって正月を終了した。感想は、正月より年末の方が仕分けだらけで辛かった。

正月も過ぎ、学生アルバイトもいなくなり通常になる。僕はたまに班長と飲みに行く。

班長という仕事は大変だ。班員に指示を出し、不満を聞き、上司からウダウダ言われ、担当区域の配達もあって営業のノルマも多い。当時は公務員だったが僕では嫌で辞めているだろう。自分はそんな班長に、班員のモノマネをして苦笑いをさそうのだった。そして酔ってくると班長の女話しや自分同様、下の病気話しが聞けて面白かった。

その後、二月、三月、四月を淡々と配達をして五月中旬に辞めた。

実は数年前、郵便配達の試験(郵政外務)に毎年受験していたが、受からず諦めた。

だが、どんな感じの仕事かと思い潜入してみた。紙上報告だが、郵便配達員は毎日忙しく、ハゲるかもしれない。ヘルメット着用のため髪の毛が蒸れるから。夏場汗かきの自分はヘルメットを脱ぐと、毛が頭皮にピッタリ付いていた。まるでスキンヘッドの頭にマジックで描いた感じだった。


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