写真を見て
飲食業の母と漁師である父の長男として、昭和四〇年(一九六五年)一二月一一日に清水市で生まれた。(合併に伴い静岡市清水区になる)
さすがにその時の記憶はないので、数少ない写真を見て話してみる。
生まれた頃の写真は猿だ。よく生後時をかわいいと言ったりするが、自分は思わない。
多分、自分の子もそう思うだろう。自分が二歳になった写真がある。その頃には髪の毛もあって自分で言うのもなんだが少しマシに見えてきた。子供時はすぐ顔が変わる。その写真は上野動物園で撮ったらしい。二歳時に上野動物園に行っていたとは。
僕は清水草薙が出発点。私鉄とJR鉄道に挟まれた所の借家にいた。裏には祖父母の実家がある。そのためよく遊びに行った。いろんな指導を受けた。祖父母の子は母をふくめ五人の女だった。僕や弟が遊びに行くのは歓迎された感じだった。
その二階から僕は三歳の時落ちたらしい。よく生きてたと思う。病院の検査では異常なし。だけど幼稚園児の頃、よく頭痛がして泣いてたことを覚えている。
次は幼稚園時代について話したい。
近所にいた『てっちゃん』と仲よしになる。幼稚園の行き帰りや遊びも一緒だった。よく砂場で山やダムを造ったり、近所の探検をして遊んだ。
ある日、てっちゃんは草薙プールに誘ってくれた。てっちゃんの母と年長組二人がいる。
僕は水着がなく、母は白いパンツで泳げと。パンツでは年長組のヤツにバカにされるのではないかと思いつつプールへ行った。
プール場でははいている白パンツから水着用の白パンツにゆっくり着替え、みんなより後から入った。しばらくたった後、年長の一人が、
「あいつパンツだ、パンツ」
と、やっぱりバカにされた。僕は半ベソをかきながら、二度とパンツで入らないことを誓った。
次はお金を盗んだ話し。
母が少しばかり近所の家に行っている。台所に母のカバンが置いてあった。悪心が出てカバンを開いた。緊張の中、サイフを見つけ開けた。すると四千円入っていた。僕はただ百円盗もうと思ってたが、お札の魅力に負け、千円をポケットに入れた。心臓はドキドキしながらも家を飛び出した。
そしてプラモデル屋に直行する。サンダーバードのプラモデルを買おうと、店のオヤジに千円を出したら、
「坊主、このお金どうしたんだ」
とホッペをつねられた。半ベソをかきながら、自分のだと言った。だけど信用してくれない。オヤジはプラモデルを売ってくれず、母さんと買いにきなさいと言われ帰された。
仕方なく母のサイフに千円を返そうと家に帰った。すでに母がいた。そして鬼顔で、
「のりた、千円返しな!」
と、母にバレていた。僕はとっさに、
「この千円、玄関に落ちてたんだ」
とウソを言ったが、ダメだった。
結局、プラモデルは買えなく、母にはとても怒られ、オマケにおばあちゃんにも説教をされてかなり泣いていた。
次は幼稚園の話。
僕の通っていた有度幼稚園には昼寝があった。だけど昼寝は苦手だった。寝ることがまったく出来なかった。
なんで寝るのかと、いつも思っていた。時間的には二十分位ある。よく寝た振りをしてどうにか過ごした。隣の子や天井を見ていた。たまに先生にちゃんと寝なさいと、怒られたこともある。
それから苦手と言えば作文の宿題があった。芋掘りに行った時の作文を書いてきて下さい。と全員提出とのこと。
作文をどのように書いたらいいのかわからず、ずっと提出しなかった。先生には早く出しなさいと言われたが、出さなかった。そうしたら先生は昼寝の時間に書きなさいと言われ、嫌々先生に質問されながら数日かけて書いて提出したのを覚えている。とても辛いことだった。
次に遠足のこと。
幼稚園の遠足は親も行く時がたまにあった。しかし僕の親は来なかった。園児達が親と行動する時など、自分は先生達と動物などを見て回るのだ。
この時、先生達といるのがとても苦痛だった。自分のアルバムには、先生達と動物園を回っている様子の写真がある。その中の一枚には猿と一緒に写っているのもある。
その時、猿は怖かったが先生達が記念にと、強引に猿を僕の背に尾ぶらされ、写真を撮った。ちょっとビビッている顔で、いまから思えばいい記念に残った。
有度幼稚園の園長はハンドスピーカーマイクが好きだ。園児がグランドに出ていると突然、ハンドスピーカーマイクからピィーピィーとなる。そうすると二階の園長室の窓からハンドスピーカーマイクを持った園長先生が顔を出している。
これは園長先生からあいさつや話しがあるという意味だった。園長は要領がいいのか、そんな感じで園児らにエールを送っていた。
そんな全体像の解らない園長も、たまにグランドに出てくると、結構でかい園長であることが解った。もしかして園児を怖がらせないために、二階からだったのか。
五歳の時、大阪万博に母と行った。初めて新幹線に乗ったが車内がだいぶ混んでいた。
席は当然座れず、新聞紙を敷いて座っていた。大阪に着き、乗り換えの電車にも人が大勢いて、何十分も待って乗った思い出がある。
万博会場にやっと着いたらどっと人がいる。そして足が痛く母へぐずっていた。だが、長いエスカレーターに乗ったときは驚いていた。清水の花菱デパートのエスカレーターしか乗ったことがない自分は、こんなに長く乗れて万博の景色が見れたことに感動した。
それと大きいバナナのような塔に顔がついている『太陽の塔』が印象的。現在だと千と千尋に出てくる、顔なしのようだった。
少ないけど、このくらいがよく覚えていた。
日帰りだったので、夜の新幹線で帰った。帰りもめっちゃめちゃ混んでいた。僕はまた新聞紙で寝ていた。
大阪万国博覧会は、僕らの同年代がほとんど行っているのを後々わかった。国の行事として、かなり大々的な事だったのでしょう。
幼稚園時代の話しの追加。
それは、くろんぼ大会があった。でも僕は色白だったため大会に出られなかった。すみれ組には男女合わせ三十三人位いたが、二人だけ出れなかった。もう一人も男だ。
男のくせしろんぼと少しみんなにバカにされたのを思い出す。せめて出場さしてくれればいいのにと、そのとき思っていた。
今現在は白でも黒でもない。赤だ。酒は飲むし血圧も高めという理由だと思う。日焼けをすると真っ赤な顔になり、人々にジロジロ顔を見られてしまう。特に初夏になると、その顔が出現し、いまもそうだった。
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