ベースとドラム

中学時代のブラスバンドが影響してなのか、今でも楽器を鳴らす。それはブラスバンドに関係ないエレキベースだ。

ベースはチョッパー奏法に憧れて、友人から借り十九歳時に始めた。早く慣れたいし早速、人差し指と中指で弾いていた。そうしたら指が痛くなりタコができてきた。ベースタコと言うらしい。二日位痛く軍手をして弾いたりもした。

初めハッキリ音が出なく、コツを覚えるまで日々練習をする。

ベースを弾く前、僕はキーボードで高中正義を弾いていた。その時、耳コピーをよくやっていた。耳コピーとはカセットテープを何回も聞き音を探し出すことだ。いい加減だったが、ベース音とコードを耳で探し弾いていた。楽譜を買ったときもあったが、買えない時は耳コピーしかない。どうしても解らない時は、楽器屋で楽譜を立ち読み、暗記をして家で復習するのだ。

この耳コピーがベースにいかされる。

ベースの音は単音で何の曲でももっとも聴きとりやすく、耳コピーがキーボードより大変ではない。何と言っても楽譜代が掛からない。

そして、ベース初心者の僕はフィュージョン系の高中正義を弾き始めた。右の指は慣れてきたが、左のフレットポジションをよく間違えた。毎日なんとか弾いていた。

一年位弾いてると、数曲弾けるようになった。友人のカニエイも高中正義をギターで弾いていたから、二人でよく演奏をやった。

結構弾けてくると、曲もフィュージョンからロックになり洋楽のレインボーやディープパープルを耳コピーしていた。この頃、ピック奏法を覚える。通常はピック弾きから指弾き、それでチョッパー奏法となるが、自分はフィュージョン曲から弾いたので逆であった。

そして、洋楽のハードロックから邦楽のロックも弾いた。その頃ボウイにはまってしまい、ほぼの曲をベースでコピーした。当時、ボウイに魅了された人は大勢いたと思う。

解散した時はショックだった。

その後バンドブームとなり、バクチク、かまいたち、レベッカ、ジッタリン・ジンなどをコピーした。

ある日、ローカル番組にエックスが生出演と新聞に載っていた。どんなバンドか観てみようと思い観た。そして、

「なんてすごいバンドだ!」

と衝撃を受けた。

特にドラムへ注目した。初め観たとき女性かと思ったが、裸なので男性とわかる。

細い体でドラムを思いっきり叩き、曲もかなり速く二つのバスドラをビートで刻んでいた。この衝撃は久しぶりで、こんなバンドは初めてだった。

妹が丁度、エックスのシングルCDを持っていたので、借りて何度も聴きベースで弾いていた。

そして、ドラムスのヨシキに興味が沸いてくる。一体、何物なのか音楽雑誌で調べていた。すると僕と同年齢で、小さい頃から音楽をやっていた。ドラムはすごく練習するらしい。自分もだんだんとドラムを叩きたくなってくる。

スティックを買いエックスの曲をかけ布団でマネるが、テンポが速く追いつかない。基本が出来てないからバラバラだ。ヨシキは相当もんだと尊敬をする。

どうしても本物のドラムが叩きたくなり、友人らを誘いバンドを組んだ。そうなれば練習スタジオでドラムが叩ける。

曲を決めて各自練習をするのだが、やはりドラムの変わりは布団しかない。それとドラムの楽譜は初めまったく読めず、元ドラムに教わった。

スタジオで初めて叩いた時は嬉しかったが腕が痛くなり、リズムは遅いといさん散々な目であった。ヨシキも最初はこんな時があったのかと、思ったりもする。

その後、トレーニングドラムを買い、日々練習に励んだ。だけど義父によく怒られる。

理由は消音パットで出来ているが、うるさいからだ。でも本物ドラムはこの何十倍もうるさい。なるべく義父のいない時に練習した。この時、ベースは気分転換の時だけ弾いた。

辛うじてドラムが出来るようになったころ、友人メンバーは何回も同じ曲で飽きていた。

この先は進んで行けるのかと疑問になり、一挙に解散。自分の出来具合が遅てのが原因だった。

そして独りトレーニングドラムを叩いてた。スタジオでドラムを叩いた感触が忘れられず、ドラムが欲しくなり中古ドラムセットを六万円で買った。そのときトレーニングドラムを一万円で売った。

本物のドラムはやはりよかった。家にだれもいない時ドラムを組み、ヘッドのとこに服などを置き消音し叩いた。でも音はでかい。一時間後、母が帰って来て怒られた。

「ウルサイわね、アパートのずっと先から聞こえたよ」

と言われ、無言でドラムをバラした。

通信高校で学んでる頃、文化祭がありせっかくドラムを持っていることでメンバーが集まり次第バンド演奏をやりたいと、先生に申し出たらOKだった。

早速、クラスメイトに声を掛ける。そうしたら、熱海市から通っているKが話に乗ってきた。Kは元ドラムでライブハウスの経験があるという。しかも今好きな曲はエックスと言うではないか。エックス好きが意気投合してドラムをKにまかせた。と言うことで僕はベースになる。

ボーカルとギターは結局見つからず、ださいけどベースとドラム二人で行うことになった。演奏する曲はボウイ二曲とエックス一曲。Kは暫くドラムから離れていたため、一度僕の家に連れて来て、消音したドラムを叩かせた。すると結構上手い。

僕とKは二回位、練習スタジオを借り合わせた。

そして文化祭の日、二人の演奏が始まっていた。初めは盛り上がっていたが、やはりベースとドラムだけで物足りない感じ。僕とKは、精一杯三曲を演奏して幕を閉じた。

その後、自分はドラムやらなくなっていた。ベースは弾いていたが、過去の曲を少し引く程度であった。そんな時、エックスは解散した。

たまにカラオケに行くと、ボウイやエックスをレパートリーにして歌っていた。

数年たった三十一歳の時、突然バンドをやりたくなった。その頃、一時期ギターをやめていたカニエイもギターをやり始めたと言っていた。彼はなぜか復活した。そのためギターにカニエイを誘い、ボーカルに友人のタコ八、ベースは最初にバンドを組んだ時のヤマケンでバンドを結成。

そして曲を二曲決めメンバーへ楽譜とカセットを渡す。今回は絶対しっかりやる心境でブランクあるドラムの練習に励んだ。

久々のスタジオでドラムを叩けて表情が緩んでいた。それに前回よりドラムが上手くなっている。それはメトロノームを購入し、リズムキープの基本的な練習をやっていたからだ。だけど狂う時もある。

スタジオは大体、月二回借りた。何回もメンバーで合わせていると、だんだんまとまり出してくる。これが一致団結したバンドかと感じた。

演奏曲はブルーハーツ、ディープパープル、ウルフルズ、hide、ボウイ、爆風スランプなど全部で十曲も叩けるようになった。

しかし、三年で終了。

終了したが解散はしていないので、復活する可能性がある。

その後、腕を落とさないために布団でドラム練習を度々続けている。ベースもちょくちょく弾いている。気に入った曲があると、レンタル屋で借り耳コピーしている。

それは二〇〇一年九月ごろだった。モーニング娘。のファンになり、曲のベースラインを耳コピーした。ミニモニ。などもコピーした。

ちなみにミニモニ。は、いい年のくせ好きになりダンスも覚えた。かなり変人かも知れない自分だが、ビデオを何回も観て三曲マスターした。

ビデオを観たので目コピと言うのかもしれなかった。

 もうそんなことはやっていない。書くことが好きになったから。ベースはたまに弾いている。それは飲みながらだから間違えたりしている。だいぶ腕が落ちた。これが年をとるということだろう。

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