11-3

「お嬢様は旦那様から、亡き奥様のことを思い出すことを禁止されておりました」


「え・・・思い出すことを・・・禁止・・・?」


「はい。もちろん、禁止することなど不可能でございますが、旦那様はご自身の前でお嬢様が亡き奥様のことをお話になると激しくお怒りになりました」


「そんな・・・なぜですか?自分の奥さんのことなのに?」


「旦那様は、奥様が亡くなられてからすぐに、新しいご結婚相手をお探しになっていたのです」


「え・・・」


「むろん、さくらぎフィナンシャルグループを強くするための結婚でございます。ご結婚相手の候補に持ち上がったのは、大企業のご令嬢や資産家のご令嬢などでございました」


「はあ・・・」


「そのようなときでございましたから、亡き奥様のお話を持ち出されるのは、旦那様にとって不都合でしたのでしょう。結局、新しいご結婚相手は見つからなかったのですが・・・」


「ちょっと頭が追いつかなくて・・・いろいろと言いたいことはありますが・・・。でも、それとラーメンと何の関係が?」


 柳さんはふうっと息をついた。


「亡き奥様は、大企業の社長令嬢として旦那様とご結婚なさいました。しかし、奥様はもともとその企業の社長のご令嬢ではなく、養子として迎え入れられた方だったのでございます。もともとのご実家は、ラーメン店を経営していらっしゃるお家でございました」


「ラーメン・・・」


「はい。奥様はラーメンが大層お好きでございました。まだお嬢様がご幼少のころ、一度だけ旦那様からお許しがあり、奥様はお嬢様をお連れになってご生家にお帰りになったのです。堅苦しい日々の暮らしの中で、お嬢様にとっては初めてほんの少しですが自由に過ごすことがおできになった機会でございました。その際に奥様とご一緒にラーメンを召し上がったことが、お嬢様にとってはかけがえのない思い出となったのでございます」


「だから櫻木さくらぎさんはあんなにラーメンを・・・」


「はい、お嬢様にとって、ラーメンは奥様との思い出そのものなのです」


「そうだったんですね」


「奥様が亡くなられたあと、お嬢様はわたくしにどうしてもラーメンが食べたいとおっしゃいました。普段のお食事では一切ラーメンはお出ししておりませんでしたので・・・。


 わたくしはお安い御用とシェフにラーメンを作らせたのですが、その最中に運悪く旦那様に見つかってしまい、旦那様はそのままラーメンをお捨てになられたのです・・・」


「ひどい・・・」


「お嬢様にとっては、奥様との思い出を捨てられてしまったようなお気持ちでしたでしょう。その出来事をきっかけにして、なんとか保たれていたお嬢様と旦那様の関係が崩壊してしまったのです。


 お嬢様は家を出る、学校も変えるとおっしゃるようになりました。旦那様はむろん、始めはその言葉に耳を傾けてもいらっしゃいませんでした。いずれはあきらめるだろうとお思いだったのでしょう。しかしお嬢様の意思は強いものでございました。


 ある日、わたくしは旦那様から、お嬢様が1人で生活をするためのお部屋を用意するようにと仰せつかりました。そのときは大層驚きました。あの旦那様が、お嬢様が家をお出になることをお許しになるとは思っておりませんでしたので。しかし旦那様はこうお考えだったのです。1人暮らしの経験がないお嬢様を放り出してしまえば、すぐに暮らすことができなくなって泣きついてくる。家を出ることを口で禁止するよりも効果があるだろう、と。


 旦那様は、わたくしがお嬢様の一切のお世話をしないことを条件に、お嬢様の1人暮らしをお認めになりました。実際に、わたくしは高校への入学手続きとお部屋のご用意に関係すること以外は一切お嬢様のお手伝いをいたしませんでした」


「なるほど・・・」


「しかし、旦那様の思惑通りには行かなかったのでございます。お嬢様は大変良いご学友に恵まれました。とりわけ、ご隣人の水野様はわたくしの見込んだ通り、大変すばらしいお人柄で・・・」


 そういうと柳さんはハッとした顔をして口を押さえた。


「柳さんが見込んだって・・・どういうことですか?」


「いやはや、口が滑ってしまいましたね。仕方がございません。正直にお話いたしましょう。このお部屋をお嬢様のお引越し先に決定する前に、わたくしは水野様のことを調査させていただきました」


「調査・・・?」


「はい、ご家族関係はもちろん、普段の素行、生活パターンなど、あらゆる情報についてです」


「え・・・」


「ご気分を悪くなさったのであればまことに申し訳ございません。しかし、お嬢様の1人暮らしをご成功に導くためにはこのぐらいのことをせねばならず・・・」


 僕と櫻木さんの出会いはあらかじめ仕組まれたものだったということなのだろうか。いやそれ以前に僕は柳さんに監視されていたらしい・・・。僕は少々恐怖を感じた。


「柳さん・・・そんなことができるんですね・・・」


「・・・そうですね・・・。わたくし、腕には少々覚えがございますので」


 そう言って柳さんは右手を銃の形にした。


 ––––そういえば爺やが昔海外でスナイパーをやってたとか、ときどき冗談で言ってたわ


 僕は櫻木さんの言葉を思い出してぞっとした。


「そう・・・ですか・・・。ははっ」



***



「あの、柳さん・・・僕、柳さんにお会いして思い出したことがあるんですが・・・」


「何でございましょう?」


「櫻木さんが持ってきてくれた引っ越しのご挨拶なんですけど・・・」


「ああ・・・なるほど・・・お嬢様から何かお聞きになっていらっしゃるのですね?」


「はい・・・タオルと一緒にいただいた腕時計は、櫻木さんの発案で、柳さんも賛成されていたとか」


「さようでございます」


「でも、わからないんです。失礼な言い方かもしれませんが、柳さんはとても良識的な方に見えます。それなのに、あんな高級時計を挨拶で渡すことに賛成するなんて、絶対におかしいじゃないですか。それに、櫻木さんはあの時計をなぜかしつこいぐらいにできるだけつけてほしそうにしていましたし・・・」


 柳さんはふふっと笑った。


「そうでございますね・・・。一点、お嬢様が水野様に腕時計をつけてほしいとおっしゃっていたのは、この腕時計をお渡しする方にはできるだけ身に着けていただくようにと、わたくしがお嬢様に申し上げたからでございます。そうすればふとしたときに時計のことを思い出していただけるかと思いましたので」


「そうなんですか・・・?でもなんで・・・」


「そしてもう一点、なぜ引っ越しの挨拶に高級時計をお渡しすることに賛成をしたのか。たしかに常識的に考えればおかしい。しかしおかしいからこそ、そこに何かがあるとお思いにはなりませんか?」


「それは・・・どういう・・・」


「申し訳ございませんが、わたくしにはこれ以上のことは申せません」

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