1-3
帰り道、二人で商店街を歩いていた。
「せっかく・・・せっかく初めての支払いだったというのに・・・!スマートに決められなかったわ!」
櫻木さんが妙に気合をいれまくっていたのも、自分で支払いをしたがったのも、それが理由だったらしい。
気合を入れたにも関わらず、櫻木さんは二千円程のお会計になぜか五万円も出してしまって店員さんも僕もあわあわし、どうにかお釣りをもらったと思ったら小銭の扱いに慣れていないのか全部ぶちまけてしまい、後ろに並んでいたお客さんにも手伝ってもらって拾い集めることになってしまった。それが相当ショックだったらしい。僕としてはそんなことより、鞄からあの高級ブランドのマルガリの財布が出てきたことや、よく見たらその鞄もマルガリだったことや、財布の中には万札が二センチぐらいは入っていたことの方が衝撃的だったのだが。
櫻木さんはがっくりと肩を落とし、下を向いてとぼとぼ歩いている。そんな姿も可愛いと思ってしまう。
「櫻木さん・・・そんな落ち込まなくても・・・大丈夫だよ。誰だって最初は失敗するものだし、また今度がんばればいいよ」
この場合、このフォローで合っているのだろうか。
「水野くん・・・」
櫻木さんが歩みを止め、僕の目を見た。今にも泣き出しそうになるのを堪えるように、下唇を噛んでいる。
「どうしたの!?」
「明日の、明日の朝のお食事はどうすればいいの?」
「えっ?」
「私、不安でたまらないわ!」
櫻木さんは手で顔を押さえ、とうとう泣きだしてしまった。
「ああ、櫻木さん!大丈夫、大丈夫だから泣かないで、ね?」
僕があわあわしていると、うしろから「おーい、お嬢ちゃんどうした?ちょっとこっち来なー」という声が聞こえた。振り返ると、道を挟んだ反対側に大柄のスキンヘッドの男がいる。一瞬ギョッとしたが、よく見るとそれは「肉のおのくに」店長の
「って
カズおじちゃんの怒号が飛ぶ。あの見た目で睨みをきかされたら完全にあっちの人にしか見えない。
「はっはひぃ!」
僕は反射的に背筋をビンっと伸ばした。
「あ、あちらの方は、水野くんのお知り合いなの?」
櫻木さんは怯えているようだ。目元にキラキラの粒が溜まっている。
「あ・・・うん。いつもお世話になってる肉屋のカズおじちゃん。ちょっと一緒に行こうか。あんな見た目だけど、悪い人じゃないから」
「あぁ?陸久、なんか言ったか?」
「い、いえっ!今行きます!」
***
カズおじちゃんは、父の大学時代のサークルの先輩だったそうだ。その見た目からして、ラグビー部か何かかと思いきや、所属していたのはフラワーアレンジメント同好会。何でも、長年想い続けていた幼馴染の女の子を追いかけてのことだったらしい。その豪快な見た目に反して恋愛には奥手で、後輩の父がやきもきしてしまうほどだったという。しかし、それにも訳があり、その女の子には既に決まった結婚相手がいたのだそうだ。結局、カズおじちゃんは想いを伝えられないまま女の子は大学卒業と同時に結婚してしまい、結婚式に参列した夜は父の前で男泣きに泣いたらしい。
その後、大学を出てから十年勤めた会社を辞め、脱サラしたカズおじちゃんは、夢だった肉屋を開き、父は一番最初のお得意様になったそうだ。苦しい時代もあったそうだが、今ではその人柄と名物の特大コロッケで、商店街でも人気のお店になった。
カズおじちゃんは父が結婚して産まれた僕のことを、本当の息子のように可愛がってくれた。幼くして母を亡くし、家で一人でいることが多かった僕を心配してお店で預かってくれたり、父が出張で帰ってこない日は自宅に泊まらせてくれたりと、僕にとっては第二のお父さんともいえる存在だ。もう高校生になるので、昔のように世話をやかれなくなったが、今でも毎年誕生日になると年の数だけ特大コロッケをプレゼントしてくれる。さすがに、一人で食べきるのはつらい個数になってきたが、カズおじちゃん曰く、「何、お前が成人するまでの間だけだ。そっから先は自分の金で年の数だけ買っていけ」だそうだ。そんなの数年でもらった数より買った数の方が多くなっちゃうよっ!と文句を言ったが、「それが親孝行ってもんだろ!」と叱られた。しかし続けて「ま、お前が結婚して子供が産まれたら、またコロッケをプレゼントさせてくれよな」と言われ、危うく惚れそうになったのは秘密だ。
そんなカズおじちゃんは、大学生の頃のあの一件以来、一度も女性の影はなく、独身を貫いている。
***
「それで?陸久は何をやらかしたんだ?」
カズおじちゃんがギロッと睨んでくる。僕と櫻木さんは、閉店後のお店の中に入れてもらっていた。ここなら邪魔もされないからカズおじちゃんも気兼ねなく僕を説教できる。
「い、いや、僕は何も・・・」
「あぁ?男らしくねえぞ陸久!」
カズおじちゃんは今にも掴みかかってきそうな勢いだ。隣にいる櫻木さんは怯え切っている。
「カズおじちゃん、わかったからちょっと待って。櫻木さんが怖がってるから、もう少し声は小さくしてよ」
櫻木さんはずっと下を向いている。カズおじちゃんもその点についてはさすがに反省したのか「ああ、お嬢ちゃん、すまんかったなあ」とツルツルの頭を掻きながら言った。櫻木さんは下を向いたまま、「いえ」と弱々しく返事をする。
「で?話の続きをしようか、陸久?」
「あ、いや、その・・・」
僕が煮え切らない返事をしていると、櫻木さんが口を開いた。
「あの・・・カズおじちゃんさん!私が泣いてしまったのは、その、一人暮らしが不安だったからなんです。私、不安でたまらなくて・・・。水野くんは話を聞いてくれていただけなんです。だから、水野くんを責めないでください!」
俯いていた顔を上げ、櫻木さんはカズおじちゃんを真っ直ぐ見据えている。その時、カズおじちゃんは一瞬目を見開いたように見えた。カズおじちゃんも櫻木さんの美少女ぶりには驚いてしまったのだろうか。
「・・・そうか、わかった。お嬢ちゃんに免じてこの場は許してやろう。だがな陸久、この世で絶対にやっちゃいけないのは女の子を泣かすこと、ただそれ一つだ!よーく肝に命じておけよ!」
「は、はいっ!勉強になりました!」
「ところで陸久、お前の親父はまたどこかをほっつき歩いてんのか?」
「ほっつき歩くって・・・出張だよ。海外に行っててしばらく帰ってこないんだ」
「ほぉ、それでその隙に女の子を連れ出して遊び惚けているわけだな」
「そ、そんなんじゃないから!」
***
帰り際、カズおじちゃんは僕と櫻木さんに山ほど特大コロッケを作ってくれた。
「ほら、お嬢ちゃんこれ食って元気出してくれや。一人暮らしでつらいことがあったり、陸久にひどいことされたりしたら、いつでもここに来ていいからな」
「ちょ、ちょっとカズおじちゃん!」
「ハハッ。まあ、半分冗談だ。ところでお嬢ちゃん、お名前は?」
半分ってどういう意味だ・・・。
「あ、申し遅れました。
「櫻木・・・小鞠ちゃん・・・ね。初めての一人暮らしは大変だと思うが、がんばってな」
「は、はい!あの・・・私もカズおじちゃんとお呼びしてもよろしいですか?」
「おっ?おお、いいとも」
「ありがとうございます!カズおじちゃん」
櫻木さんの笑顔が眩しい。カズおじちゃんはちょっと鼻の下を伸ばしている・・・気持ち悪いぞ。
「さ、お二人さんもう遅くなるからそろそろ帰りな」
「「はい!」」
「おお、そうだ陸久、ちょっと・・・」
カズおじちゃんがこっちに来いと手招きする。何だろうと思って近づくと、「おい、陸久、お前にもとうとう春が来たのか?えらいべっぴんさんじゃねえか」と耳打ちされた。
「ななな、何言ってんだよ、カズおじちゃん!」
完全な不意打ちにしどろもどろになってしまった。
「はっはっはー。お前はわかりやすいなあ」
「いや、櫻木さんは今日隣の部屋に引っ越してきただけで、べ、別にまだ何もないから!」
「まだ?」
「い、いや、それは・・・」
僕はうなだれた。
「まあな、陸久、男なら気持ちはちゃんと伝えんといかんぞ。俺みたいになりたくなければな!」
カズおじちゃんはハハッと笑い飛ばした。僕は反応に困った。
「それに、いざという時はちゃんとお前があの子を守ってやるんだぞ?」
「え?・・・うん」
そう言うカズおじちゃんの瞳の奥にキラリと光るものが見えたような気がして、僕はそれ以上何も聞けなかった。
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