1-2

「ごちそうさまでした。美味しかったわ」


 ラーメンを食べ終えた櫻木さくらぎさんはお上品に紙ナプキンで口元を拭っている。とても満足そうだ。


「櫻木さんはラーメンが好きなの?」


「ええ、とっても!」


 今日一番の笑顔を向けられ、少しドキドキしてしまう。


「へ、へえ、櫻木さんの家のコックさんってラーメンも作ってくれてたんだ」


「いえ、ラーメンは・・・違うの」


 櫻木さんは俯きながらそう言った。


「え、そうなの?」


「ええ。小さい頃に、一度だけ食べたことがあったきりだったの。今日は本当に久しぶりで・・・とても嬉しいわ」


 櫻木さんは少し視線を落とした。


「そうなんだ」


 なぜそんな切なそうに言うんだ?櫻木さんにとってラーメンっていったい・・・というか、コックさんが作ったんじゃないとすると、外で食べたっていうことだよな?でも櫻木さんは普段ドレスコードがあるようなレストランにしか行かないわけだし・・・。


「櫻木さんはいったいラーメンをどこ———」


 いや、待て。「いったいラーメンをどこで食べたことがあるの?」なんて聞いたら、暗に「お嬢様なのに」という意味を含んでしまうよな?それじゃあまた彼女を怒らせてしまうかもしれない・・・もう一回あの顔も見てみたい気もするけど・・・。


「い、いや、その・・・櫻木さんはいったい、いや、いっぱい・・・ラーメンを食べたい?」


 無理やり質問を方向転換した。櫻木さんは一瞬困ったような顔をした・・・が、その目がどんどん輝いてくるのがわかった。


「ラーメンを・・・いっぱい・・・食べられますの!?」


 すごい食いつきだ。


「うん・・・僕、美味しいお店いろいろ知ってるから、良かったら今度連れて行ってあげるよ」

「本当ですの?嬉しいわ!」


 ラーメンでこんなに喜んでくれるなんて・・・ラーメンが羨ましいぞ。


「ねえ、水野くん。ずっと気になっていたのだけど、この不思議なインテリアは何かしら?」


 櫻木さんはテーブルの上に置いてあるプラスチックの筒に刺された紙を指差していた。


「ああ、これは伝票だよ」


 僕は筒に刺さった紙を開いて見せた。


「ええっ!これが伝票?インテリアではないのね・・・」


 櫻木さんは少し恥ずかしそうだ。


「あはは、可愛いな」


 ・・・あっ・・・しまった!心の声が!


「あっ、いやっ、可愛いっていうのは、その、そういうことじゃなくて!いや、そういうことなんだけど、あの、なんていうか・・・」


「そんなに・・・お好きですの?」


「え、ええっ!?」


 耳を疑った。櫻木さんがそんな大胆なことを口にするなんて。まさか、僕の気持ちはすべて見透かされていたのか?


 心臓の鼓動がどんどん速くなり、手に汗が滲んでくる。喉はカラカラだ。こんなに早く想いを伝える機会が来るとは思わなかった。まだ心の準備が・・・。でも、櫻木さんは知りたがっている。そんなことを聞くなんて、きっと相当勇気が必要だったはずだ。ここはビシッと決めないと。


 僕はゴクッと唾を飲み込んだ。膝の上で拳を握りしめ、深呼吸をし、真っ直ぐに櫻木さんを見た。


「実は・・・一目見て・・・す、好きになりました!」


 言ってしまった。顔がカアァッと熱くなってくる。櫻木さんを見るのが怖い。でも目をそらしちゃだめだ。ちゃんと誠意を見せないと。


「へえ、そうなの」


 想像以上に乾いた返事が返ってきた。


「う、うん、そう・・・です・・・」


 櫻木さんは顔色一つ変えていない。告白なんて慣れっこってことか?


「そう。実は私も少し気に入ったから、お家に置いてみようかと思っていたの」


「ええっ!?」


 お家に!置かれる?!


 高級ホテルのスイートルームのような、豪華な部屋の真ん中にあるソファに座った櫻木さんが、周りに男たちをはべらせている様子を想像した。櫻木さんは肘置きに肘をつき、艶めかしくその華奢な脚を組み替えながら、「ねえ、退屈だわ。もっと刺激が欲しいの」と言う。は・・・鼻血が出そうだ・・・。


「家に・・・置いていただけるんですか・・・?」


「ええ。毎日色を変えたら楽しそうだわ」


 色・・・?色ってなんだ?ま、まさか「男」ってこと?日替わりでお嬢様のお世話を・・・。


「場所は、そうねえ、やっぱり寝室かしら?」


「し、寝室!?」


 寝室と聞いて妄想が膨らむ。シルクのキャミソールワンピースに身を包んだ櫻木さんをひょいっとお姫様抱っこし、そのまま天蓋のついたベッドへと連れて行く。櫻木さんは僕の首に腕を絡ませて、「やさしく・・・してね」と耳元で囁く。僕はお嬢様の夜のお世話を・・・って、ちょっと待て!僕の中の櫻木さんのイメージおかしいだろ!櫻木さんはそんな子じゃ・・・でも僕を寝室に置きたいって・・・いや、物事には順番というものが・・・でも、櫻木さんの望みなら・・・あぁ、でも僕は女の子と手を繋いだ事すらない真っさらな身体だ・・・でもここで断ったら男として・・・。


「あ、あの、櫻木さん・・・ほ、本当に・・・本当にお家に置いてもらえるの・・・?」


「ええ。だって、水野くんが好きだって言うから」


 櫻木さんが微笑む。


「そ、それは・・・」


 つまり・・・両想い・・・?


「枕元に何かインテリアがほしかったから、ちょうど良かったわ」


 ・・・ん?


「入れておく紙をもっと大きくして、」


 櫻木さんは伝票を手に取る。


 ・・・あれ?


「真ん中にライトなんて置いてみたらきっと素敵ね」


 ・・・えーっと。


「まずはこの筒を取り寄せないといけないわね」


 櫻木さんは伝票が入っていたプラスチックの筒をしげしげと眺めた。


 ・・・ああ、筒ね。


「水野くん、どこか良い筒屋さんをご存知?」


「・・・筒屋さん?いや、知らないなぁ・・・」


 ・・・・・。


「そう、それなら————」


 そこから先は耳に入ってこなかった。頭の中では「ゔああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜」という絶叫がこだまする。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいもう死にたい死にたい・・・。


 僕は馬鹿だ。そりゃあ、櫻木さんが僕を誘惑する真似なんかするわけないじゃないか。もう少しで間違いを犯すところだった。ていうか、僕はなんてひどい妄想を・・・。


「ごめんなさい!」


 僕は頭をテーブルに打ち付ける勢いで、いや今度は本当に打ち付けながら謝罪していた。


「水野くん、そんな、気にしなくていいのよ。筒屋さんを知らなかったからって」


「いや、そうじゃ・・・」


 言いかけて口をつぐんだ。幸か不幸か、櫻木さんは僕が一人で盛大に恥ずかしい思いをしたことを知らない。それならわざわざ説明する必要はないはずだ。なんだか櫻木さんへの罪悪感は残るけど・・・。ていうか、櫻木さんの中で僕は「ファミレスの伝票を一目見て好きになっちゃった人」っていうことになっちゃったんだよな?・・・なにその設定。


「い、いや、なんでもない。まあ、筒のことはおいおい考えればいいよ、うん」



***



 櫻木さんは唇にグラスを当て、上品に水を飲んでいる。僕はあれからどうにかこうにか気持ちを落ち着け、櫻木さんとの不器用な会話を楽しんでいた。


「水野くん」


 櫻木さんは口元からグラスを離し、空になったグラスをガタッと少々大きな音を立ててテーブルに置いた。なんだか手に力が入っているようだ。


「な、何でしょう?」


 僕はまた何かやらかしてしまったか・・・?


「水野くん、そろそろおいとましましょうか」


 櫻木さんが真っ直ぐに僕を見ながら言った。随分気合が入っているようだ。僕は状況が飲み込めず、しばらくフリーズしてしまった。


「水野くん?」


「え・・・あぁ、うん・・・そうだね。いい時間だし、そろそろ」


 それを言うためにそんなに気合を?


「あの、一応確認なんだけど、おいとまってつまり・・・帰るってことで合ってるよね?」


 万が一僕の知らない、何か気合が必要な「おいとま」があったら困るので一応聞いておく。


「そ、そうよ。ほ、他に何かあるかしら?」


「え、いや、ない・・・と思うよ・・・たぶん」


「そうよね」


 櫻木さんは目をそらしてしまった。


「あ、あの、水野くん、今日はわざわざ付き合っていただいたので、お礼に私が・・・支払うわ」


 目をそらしていたかと思えば最後は少し上目遣いだ。不意打ちにドキッとしてしまう。


「えっ、いやいやいや、むしろここは僕が・・・」


「あ、あら、じょ、女性からの申し出を拒否するなんてナンセンスなのよ。ま、まあ、賛否はいろいろあるでしょうね。これは私の個人的意見だから。で、でも、紳士なら女性の意見を尊重すべきね」


 つまり、どうしても櫻木さんが支払いたいらしい。


「そ、そう・・・わかった・・・ありがとう。ごちそうさまです。じゃあ行こうか」


「あら、お会計がまだよ?」


「ん?お会計をしに行くんだよ?ほら、あそこ」


 出入り口付近に見える「お会計」の看板を指差した。


「ええっ!テーブルでお会計ではないの?」


「ああ、うん。ファミレスだし・・・」


「そ、そうなの・・・い、行きましょっ」

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