(1) はじめてのファミレス
1-1
「実家では時間になりましたら食堂にお夕食が並んでおりましたのよ!」
僕と櫻木さんは、近所のファミレスにいた。あの後、詳しく話を聞こうにも玄関先ではなんだったし、かと言って出会ったばかりの女の子を部屋にあげるのも、逆に部屋に上げてもらうのも気が引けた。櫻木さんは随分お腹が空いているようだったし、僕も夕食を作りかけたまま、まだ何も食べていなかったので、とりあえずご飯に行きましょうということになったのだった。
櫻木さんは着替えがしたいとのことだったので、十五分ほど待っていると、今から結婚式にでも出席しそうな出で立ちで戻ってきたから度肝を抜かれた。たったの十五分でそこまで準備ができることにも驚かされたのだが。
「あ、あの、櫻木さん・・・今からどちらへ?」
「あら、水野さん着替えをなさっていないではありませんか」
青のストライプが入った長袖の白シャツにジーパンというコーディネートの僕を見て、櫻木さんは驚いた顔をしていた。
「えっ、ええ。必要なかったので」
「ええっ!その格好でレストランへいらっしゃるのですか?それでは、ドレスコードに引っかかってしまうのではありませんの?」
「い、いや・・・ドレスコードがあるようなレストランには行きませんから」
「ええっ!ドレスコードがないのですか?ディナーですのに?」
櫻木さんは、信じられないという顔をしていたが、なんとか元の服装に着替えてもらった。その後も「ええっ!歩いてレストランに行くのですか?」とか、「ええっ!クロークは無いのですか?」とか、「ええっ!お水を水野さんが持ってきてくださるの?」とか、櫻木さんはあらゆることに驚き続け、正直こちらも疲れてしまった。しかし、メニューを見て、「あ・・・ラーメンがあるのですね・・・これにいたしますわ」と目をキラキラさせていた彼女はとても可愛かったので疲れも吹き飛んだ。
そして現在に至るのだが、櫻木さんの主張はこうだ。生まれてからの約十五年間、毎日午後六時になると家の食堂に夕食が並び、家族で食事をしていた。だから今日も午後六時にダイニングテーブルに行ったのだが、待てど暮らせど料理は出てこなかった。いったいどうしてなのか、と。
正直、次元が違いすぎて理解に苦しむ。櫻木さんはまさか、ある時刻になると料理が突然テーブルの上に湧き出てくるとでも思っているのだろうか。
「櫻木さん、実家にいたときは誰が料理を作っていたんですか?」
料理って作るものなのですか?などと言われないことを祈りながら聞いてみる。
「お料理はもちろん、我が家のコックが作っておりましたわ」
ああ、良かった・・・いや、良くはない。
「えっ・・・あ、その、ということは、コックさんがいなければ、お料理は出てこないということになりますよね?」
「ええ、まあ、それはそうですが、そんなこと、あり得ますの?」
ああ・・・これは・・・どこから説明して差し上げればいいのか・・・。
「櫻木さん、ショックかもしれませんが、一つ聞いていただけますか?」
「えっ、ええ、何でしょう?」
「受け入れ難いかもしれませんが、世の中の大半のお家には、コックさんがいないんです。僕と櫻木さんが住んでいるマンションもそうです」
「それは、つまり・・・世の中の大半の人々はお料理を口にできないということですか?」
なぜそうなる・・・。櫻木さんは悲しげな表情を浮かべている。
「いや、そうじゃなくて・・・コックさんがいない家の人も、料理を作ってちゃんと食べてますよ」
「どなたがお料理を作るんですの?」
「自分で作るんです」
「ええっ!自分で!?」
「えっ、ええ・・・まあ、たまにはこうやって外食することもありますが、外食だけだと食費が高くつきますし、栄養のバランスも悪くなりがちですから」
「水野さんも、ご自分でお料理を?」
「はい。実は今日も櫻木さんが来る前に少し作りかけてまして」
「ああ、だからお部屋から美味しそうな匂いがしたのですね・・・わ、私、お料理のお邪魔をしてしまいましたか?申し訳ありません」
「いえいえっ。そんな邪魔だなんて・・・。そのおかげで今日こうやって櫻木さんと二人で食事ができるんですから、僕としてはありがたいというか・・・」
「ありがたい?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「私も、その、お料理を自分で作れるなんて知りませんでしたし・・・。今日、水野さんに教えていただけて良かったですわ」
感謝されているポイントがなんだかおかしいが、ちょっといい雰囲気じゃないか?
「櫻木さんって、その、お話を聞く限り、ものすごくお嬢様なんですね。言葉遣いとか、身のこなしとかもすごく上品ですし」
僕は櫻木さんを褒める作戦を開始しようとした。しかしその瞬間、櫻木さんの身体がピクッと動くのがわかった。
「その呼び方、嫌いですわ」
「えっ・・・?」
「ですから、お嬢様と呼ばれるのは嫌いだと申しておりますの」
櫻木さんは腕を組み、頬を膨らませてこちらを少し睨んでいる。怒った顔も可愛い!!想像した通りだ!!いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。いきなり作戦失敗、緊急事態だ。
「あ、あの、ごめんなさい!気に障ることを言ったのなら謝ります」
僕はテーブルに打ち付ける勢いで頭を下げた。
「・・・いえ、いいんですの。ごめんなさい、私もつい・・・大人気なかったですわ。水野さんは悪くありませんもの」
櫻木さんはなぜかはわからないが落ち込んでいるようだった。こういう場合、なんて声をかければいいんだ・・・。
「野菜たっぷり豚骨醤油ラーメンのお客様」
そこへちょうど櫻木さんの頼んだ料理が運ばれてきた。店員さんナイス!
「あ・・・はい!私ですわ」
「お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます。はあ・・・ラーメンですわ!良い香りね」
直前までの落ち込みようを微塵も感じさせないほど、櫻木さんは嬉しそうだ。なんだか悔しい気持ちが湧いてきたが、とりあえず助かった。
「伸びちゃいけないから、どうぞ先に食べてください」
「いいんですの?・・・ではお言葉に甘えて、いただきます!」
櫻木さんはラーメンを食べ慣れていないようで、麺がつるっと箸からすべり落ちてしまったり、メンマがぴょんっとテーブルに飛んで行ってしまったりと悪戦苦闘しているようだった。その度に、櫻木さんは恥ずかしそうにしていたが、そんな様子を僕は微笑ましく見ていた。
一方僕は、生姜焼き定食を食べていた。このファミレスで一番気に入っているメニューだ。肉は量が多いだけでなく、ジューシーで柔らかい。タレが絶妙な甘さに仕上がっていて、生姜とよく合う。ちなみに、付け合わせでついてくる漬物も絶品だ。これだけでご飯何杯でもいけてしまうだろう。業務用を販売してくれたら速攻で買うのに・・・。
「こういうレストランは新鮮ですわ」
櫻木さんが楽しそうに言った。
「ファミレスは初めてなんですね」
「ファミ・・・レス・・・?」
「ああ、ファミリーレストラン、略してファミレスです。こういう子供からお年寄りまで幅広い世代をターゲットにした、比較的安いレストランのこと、と言えばいいですかね」
「なるほど。水野さんは物知りですね」
「いっ、いやぁ、それほどでも・・・あ、あの、櫻木さん、その呼び方なんですが」
「呼び方ですか?」
「はい。僕のこと、水野さんじゃなくて・・・せ、せめて水野くんと呼んでもらえませんか?同級生なんだし・・・あ、あと、良かったら敬語もやめてタメ口で・・・」
櫻木さんは少し悩んでいるようだ。
「呼び方の件は、わかりました、そういたします。ただ、タメ口というのは、話したことがないもので、よくわかりませんの・・・」
「ええっ!家族ともタメ口じゃないんですか?」
「ええ」
「学校の友達とは?」
「皆さん、このような話し方でしたので」
「そ、そうですか・・・。」
いったいどんな学校だったんだ?
「じゃあ、無理にとは言いませんが、ぼ、僕はこれからタメ口にするから。だから、真似してくれると嬉しいな」
ちょっとカッコつけすぎたか。
「あ・・・はい、わかりま・・・わかったわ。こう・・・でいいのかしら?」
そう言って櫻木さんははにかんだ笑顔をみせた。
「うん。いい感じだね」
櫻木さんとの距離が少し縮まった気がする。僕の顔も、つられてほころんだ。
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