第12話「空を駆ける」

「ゲホゲホ……!」


 くそ……全身が傷む。


 サティラは満身創痍で森を彷徨っていた。

 美しい顔は擦り傷だらけ。

 腕もおかしな方向に捻れている。

 おまけに全身血塗れだ。


「かはっ……」

 吐いた息には血すら混じっている。内臓を損傷しているのかもしれない。


「く、くそッ」

 精霊魔法を使いたいけど、集中できない。


「え、エミリアの奴───覚えていろッ!」


 ヨロヨロと、弓を杖にしながらなんとか森をはいずり回っている美しき森エルフの神官長。


 もはや、彼女の供は誰一人としていない。


 そう、サティラは今、只の一人だった。

 あの猛々しいグリフォンはどこにもいない。

 そして、全身血まみれのサティラからは鬼気迫るものすら感じる。

「殺してやる……。殺してやる……!」

 ブツブツと虚ろにつぶやきつつも、目には憎しみを宿している。


 だって、そうだろ?

 全身の濡らす血は、サティラのものだけではない。


 この血はそう。

 彼女の大事な友人のグリフォンのもので、彼が死に、その身体に護られて墜落の衝撃を免れたのだ。


 その光景を何度も何度もフラッシュバックのように思いだす。

 ズダダダダダダダダダダダ!! と、落下の直後に、上空から降り注いだエミリアの召喚獣の攻撃によって、グリン───彼はズタズタにされた……。


 そうだ……グリンは死んだ。

 ズタズタに引き裂かれてしまった。


「許せない……」


 私のグリン。

 優しくて、猛々しくて、時々旅人をつまみ食いする困った子。


 可愛いグリン。


 魔王領につれていって、ダークエルフや魔族を腹いっぱい食べさせたら物凄く喜んでいた。


 あぁ、グリン。


 くるるくるる、と私に頭を寄せて……。


 グリ───。

「───くそ、くそ、くそぉぉぉおお!」 


 殺してやる!

 殺してやる!!


「殺してやるぞ、エミリア・ルイジアナぁぁぁあああ!!」


 うおわぁぁぁぁぁああああ!!


 空に慟哭するサティラは、そこでようやく森の切れ間に到達した。


 彷徨いながらも目的地はハッキリとしているのだ。

 そして、川を挟んで神殿が見える。


(あぁ、ようやく戻ってこれた……!)


 グリンがいればすぐにでも戻ってこれる場所なのに、彼が死んでからはもう気軽に出る事すらかなわない場所。


 森エルフの大神殿。


 それは地形に溶けるように、半分埋もれたような石造りの神殿だ───。


 ここは、大古よりこの地にあったとされる古の神殿で、ハイエルフの知識が詰まっているとされる。


 そうして、ここは神聖視され、代々精霊力の強いものが神官として勤める場所となった。

 そう。エルフの営みの根幹をなし、

 ……森と交渉コンタクトし、日々の糧を得たり、結界を張ったりするの所なのだ。


 この場所こそ、大森林に住むエルフにとってもっとも重要な地であり───それが『森エルフの大神殿』だった。


 ここがなくなれば、大森林は成り行かない……。

 森エルフ達の最後の砦───そんな場所。


「さ、サティラさま!?」


 川に突っ伏すようにして倒れたサティラ。

 そこで、すぐに川向うで祈祷していたエルフの神官が彼女に気付いた。

「皆! サティラ様が戻ったぞ! 急げッ」

 彼等は慌てて船を出し、治療士を呼んでくれた。


 その迅速な動きを見てほっとするとともに、ジワリと涙が浮かんできた。

 帰ってこれたことへの嬉しさと、グリンを失った事への悲しみ───。


「うぐぐぐぐ……ううううううう」


 ボロボロと涙を流すサティラを見て、オロオロとする神官たち。

 治療士のエルフによって傷は消え去ったが心の傷までは癒せない。


 優しい神官たちの温かさに触れ、サティラは泣きたいだけ泣いた。


 なんでこんな目にあうのか。

 何か悪いことをしたというのか?!


 森が焼けようが、村のエルフが何人死のうが知った事ではない。

 森はいずれ復活する。

 何年、何十年かかろうとも復活する。


 この神殿があれば何もかもが元通り。

 ただ少し時間がかかるだけ───。


 村のエルフ達だってそうだ。

 人は増える。


 そういうものだ。


 死して二度と立ち上がれないのは、薄汚い魔族達だけ……。


 そうだ!

 魔族!!

 ──────ダークエルフのエミリア・ルイジアナ!!


 や、奴だけは許さない!

 絶対に──────!!


「(殺してやる…………!)」

「?? 大変でしたね、サティラ様。ここは安全です」


「ぐす……。ありがとう」


 礼を言って治療士から離れると、侍従長を呼び神殿の状況を確認するサティラ。


「侍従長をここに」

「は! 御前に!」


 ピシリと屹立する侍従長。

 やはり、エルフはこうでなければ。


「聞いて。皆も……」


 サティラは集まった人々に語りかける。

 森エルフの神官たちに───。


「……大森林は焼かれました───。じきすぐ傍まで火が回ることでしょう」

「な、なんと?! では、あの煙は……」 


 そうだ。

 当然ながら、神殿からも森が燃える煙は見えている。


 森の精霊の悲しみも届いているはずだ。


 ザワザワとさざ波のように動揺が広がり、スゥと収まる。


「───そう。森と、善良なエルフ達が焼かれている炎です……」

「なんということを───」


 聞いていた周囲の神官も沈痛な顔持ちだ。


「下手人はエミリア・ルイジアナ。のものはダークエルフで魔族最後の生き残り……」


「なんと!!??」


 これには流石に、ザワザワと騒ぎが大きくなる。


「そして、の者はすぐにでもここに来るでしょう───ですが、大丈夫。エミリアの技ではここは焼くことはできません」


 そうだ。

 貧弱で、燃えカスのようなエルフの村と一緒にしてもらっては困る。


 ここをどこだと思っている?

 ここは、森エルフの大神殿!!


 石造りで半地下構造のこの神殿を焼くことは不可能。


 だが、対策はする。


「ですが、の者はこの地を焼こうとし、それが敵わないと知れば、きっと陸路でここに向かうでしょう」


 そうだ。

 奴なら必ず陸路で来るだろう。


「しかし、安心なさい。陸路は険しく、少なくとも森が燃えている間は安全です」


 そうとも、皮肉な話だが、森が燃えていれば何人たりとも立ち入れまい。


 あの火災は1日やそこらで消えるとは思えない。

 森を焼いたのは愚策だったな、エミリア!


 その間にこちらは体制を立て直す。

 帝国軍の生き残りと連絡をとりあい、兵を入れてもいい。


 あるいはこの近辺にだけ強力な結界を何重にも掛けるのもいいだろう。


 道を惑わし、方向を狂わせるような弱い結界ではないぞ。


 場所を局限し、悪しき精霊とも契約すれば、侵入者を攻撃する様な結界もできるはずだ。


「───しかしながら、ここの備えは万全とは言えません。今すぐに行動を起こしましょう!」


 森エルフはノンビリ屋だ。

 長命から来るものだから仕方ないとはいえ、今は発破をかけるとき。


「さぁ!」


 まずは、燃えやすいものを片付けよう。

 そして、食料をあつめ、籠城に備えよう。

 の者は火を噴くドラゴンを連れてくる。


 だから、武器を揃え侵入者を排除しよう。

 そして、ドワーフや帝国軍と連絡し、皆で共に戦おう。


「さぁ、神官たちよ、行動なさい。戦えるものは武器を。走れるものは近隣諸国と連携を。動けるものは全てに備えるのです」


 そうして、サティラの話を聞いて神官たちはテキパキと動き出す。


 精霊魔法の使い手はそれぞれ部隊を編成し、弓手と剣士は訓練を開始する。


 ここには、元々自衛できるだけの装備がたくさんある。


 だから、エミリアがやってきても十分に対抗できるだろう。


 何日後かは知らない。

 だが、時間はある。


 ドラゴンがいつやってくるかは知らないけど───。


 大丈夫。ドラゴンは恐くない。


 いま怖いのはエミリアの死霊術、ただひとつ……。


 あの陸を埋め尽くさんばかりの死霊の群れ。


 あれこそを恐れ、

 それに備えなければ……───。


「さ、サティラ様!!」


 物思いに耽りつつ、皆の作業を監督していたサティラに、侍従長が鎧をならしながら駆け寄ってきた。


「どうしたの?」

「そ、空を───!!」



 空───……?





 ッ!!!



 ま、まさか、もう来たのか!!



「ぜ、全員、神殿内に退避! 火の雨が降るわッ!!」


 そうだ!


 エルフの村を焼き。

 エルフの森を焼き。

 エルフの国を焼いた炎の雨が!!


 あのドラゴンの群れが!!


 また──────来る!!



 グオオオーーーーーーーーーーーーン

  グオオオーーーーーーーーーーーーン

   グオオオーーーーーーーーーーーーン


「な、なななな、何ですかあれ?!」


 侍従長やら、エルフの騎士、そして神官連中がアワアワとしつつ、空を指さす。


「私にもわからない。あれはダークエルフの死霊術……。そうとしか考えられないわ」


 そうとも、

 今日この日───。


 エルフの森を焼いた銀のドラゴン達……。


 ぎ、銀の──────。


 んん?


 目を細めて、遥か彼方の空を見通すサティラ。

 そこに違和感を…………。


「あ、アレが、その……火を噴くと言うのですか?」

「え、ええ……そうなんだけど、」


 あれ? なんか……。


「こ、ここここ、ここなら大丈夫なんですよね? 神殿なら!?」

「大丈夫よ。恐ろしい炎だけど、石までは燃やせないわ、だけど……」


 なんだろう?

 あの銀のドラゴンはなんというか、こう───。もっと……。


「す、すごい数……。魔族は滅びたんじゃ」

「ダークエルフめ……! 何と邪悪な!」

「死霊術だと……! 汚らわしいッ」


 武器を手に持ったエルフの神官たちがヤイノヤイノとうるさい。

 おかげで思考がまとまらない。


(ええぃ、うるさい!)


 いや、確かにあのドラゴンに違いないのだが。違和感がある。


 空を埋め尽くすドラゴンの群れ────。

 それはあの村で見た光景と変わらないのだが……。


(お、おかしい。何かがおかしい……)


 先頭の一匹は、翼から黒い煙を噴いている所を見ると、サティラが竹槍で貫いた奴だろう。

 それは間違いない。


 だがその周囲にいる奴って、なんだかちょっと……。


「か、形が違う…………?」


 ポツリと溢した自分の言葉がストンと府に落ちる。


 そう、

 なんだか少し小さいし、こう───。


「う、うわー!! こっちにくる!!」

「は、早く避難を!!」

「ああああ、あんということだ!! 精霊がお怒りになっているに違いない!」


 グオオオーーーーーーーーーーーーン

 グオーーーーーーーーーーーーーーン

 グォォォオオオオオオオオオオオオン


「だ、大丈夫よ。あ、安心なさい───神殿は不滅。恐ろしいのはドラゴンではない、」


 サティラはクルリと振り返り、全員を安心させようと笑顔で語る。


 空から来るものは恐くないと───。

 神殿は燃やせないと───。


 そう、


「恐ろしいのは、の者の操る死霊の群れ。……陸から来る大群よ。銀のドラゴン。あれは恐くない───」


 恐くなどない。


 サティラの眩しい笑顔を見上げる神官たち。

 その視線の先───。


「あ」

「え?」


 ポカンとした神官が一人。


 そ、

「空に、」


 花が……。


「───空に、花が咲いた……」



 さぁ。

 飛んで来たわよ。


 サティラ………………。



 グオオオーーーーーーーーーーーン!

  グオオオーーーーーーーーーーーン!

   グオオオーーーーーーーーーーーン!



 大挙して押し寄せてきた、C-47スカイトレインアメリカ軍の輸送機から、空挺部隊が舞い降りる……。

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