第3章 進学の美子

第1話 狂った日常

 僕の名前は神森礼。ハリウッドで『レイン=カーディナル』としてアクションスターとして活躍していました。

 でも今のところは、日本で高校生活を優先して、青春を謳歌しています。

 高校生になって1年……色んな事がありました。

 事ある毎に彼女と自称する女の子4人が僕を巡ってトラブルになったり――っていうか毎日トラブっています。

 いやぁ、事実は小説より奇なりって言いますが……ホントこんなことばっかりあったら命がいくらあっても足りません。


 ……だって、僕の周りの女の子は皆ヤンデレ娘なんですから。


 今日はどんなトラブルに巻き込まれるやら――



 ◇◇◇◇


 

 僕の日課は早朝のランニングに始まる。

 窓辺に朝日がうっすらと差し込む。その頃、僕は目覚める――のだが、今日に限って何かおかしい。

 何か厭な気配がする……

 どちらかというと殺気に近い感じだ。ゾクゾクする。

 恐る恐る目を開くと、ベット脇には妹の神守美子が立ち尽くしていた。

 彼女は中学3年生で、間もなく高校受験に突入する。


 「えっ、美子さん?」


 彼女の様子を窺うと、顔を俯かせこちらに向かって何かブツブツ呟いている。

 俯く彼女の顔を覗き込むと、視点が定まっておらずボーッとしていた。

 

 「どうしたの?」


 彼女に尋ねると、美子は顔を僅かに僕の顔の方に向け、何か呟いている。

 何だろう……

 美子のことだから『受験で悩んでいる』とは考えにくい。

 彼女は僕とは違い、頭脳明晰で教科書なんて一捲りしただけで頭に入ってしまう天才さんだ。この前の模試では県一位を連覇した凄い妹なのである。

 ただし――性格は正直アレな子で……僕も手に余るブラコン&ヤンデレ……正直、怖い。

 その彼女が、ベッドで横になっている僕を覗き込む様にボーッと見下ろしている。

 ははーん。分かったぞ。

 また、僕の布団の中に入り込もうとしているのか?

 彼女は血の繋がった実の妹なのだが、そんなのお構いなしで迫ってくるところがある。油断するとマジで僕の貞操が危うい。

 とりあえず僕は上半身を起こし「おはよう、なんだい?」と彼女に話しかけることにした。

 彼女は僕の言葉にピクリと頬を引きつらせる。

 そして何かを呟いている。


 「――ね」


 何を言っているか聞こえない。


 「何だって?」


 僕の問いかけに彼女は「え――ね」と小さく呟き、さらにまたボソリと呟いた。


 「まえ――ね」


 「えっ?」


 何が『前』なんだ?

 段々、美子の言葉がハッキリ聞こえてくる。


 「おま――ね……まし――……おまえ――ね」


 何か厭な予感がする……


 「……おまえしね」


 今度はハッキリ聞こえた。『お前死ね』と――

 そして彼女は視点が定まらないまま、左手を僕の上部に振り上げた。

 視線を彼女の左手に移す――と、彼女は何かを握っていた。

 

 「……死ね」

 

 彼女は無表情のまま、その握っている何かを僕の顔面目掛けて振り上げた。

 彼女の手にキラリと光を反射させる鏡様が握られているではないか。


 それは今、確認できた――包丁である。


 いくらヤンデレ妹とはいえど命の危機だけはゴメンだ。

 美子が振り上げ振り下ろした包丁は僕の眼前に迫ってくる。

 ――これはヤバい!


 「チィッ!」


 僕は直ぐさま、彼女の振り下ろした左拳を両掌で挟み、これを止めた。

 刃先は僕の額直前で静止する。

 幸い、僕の腕力が彼女のそれより勝っていた訳だが、彼女も無表情の割にはグイグイ体重を掛けて僕に握り締めた包丁を押しつける。


 「美子さん、何があった!?」


 「うるさい……死ね……」


 美子は無表情にボソリと僕に言い放つ。

 

 「えーっと――何だ……ぼ、僕何かやらかしたっけ?」


 思い当たる節は――多すぎる。ダメだ、特定出来ない。


 「眞智子さんと買い食いしたことか? クリオとこっそり映画見にいったことか? それとも佐那美と――」


 「――!」


 美子は無言で僕に押しかかる。

 このままでは刃先が僕の額に突き刺さる……ていうか死んでしまう!

 僕は身体を捻り彼女の身体を傾ける――あとは腹部を蹴っ飛ばせば、彼女から包丁を取り上げることが出来る。

 彼女の身体がふらついた瞬間、僕は彼女の腹に蹴りを入れ……ようとしたが、そこで僕は躊躇した。


 ――このまま、美子のお腹を蹴っ飛ばしたら怪我しないかな。

   もし、僕の蹴りで大けがしないだろうか……


 そう考えてしまったら、僕の右足は彼女の身体寸前で止まってしまい、それ以上は蹴り上げることは出来なかった。


 でも、彼女は容赦なく襲い続ける。

 彼女は体制を崩しつつも握った包丁を放すことはなかった。むしろさらにグイグイと刃先を僕の額に押しつけてくる。ちょこっとだけ額に刺さり、血が僅かに流れた。

 これは――ヤバい、マジでヤバい!

 助けを求めなければ!

 

 「母さん! ちょっと助けて!」


 僕は大声を上げ助けを求めた。

 

 「……何、朝っぱらから騒いで。また美子に襲われたの?」


 僕の声であくびをしながら部屋に入ってきたのは母親の美和子である。

 彼女は僕の悲鳴にすぐに反応してくれる人だ。

 なんでこんなに素早く対応できるのか、わからないが、悲鳴をあげて10秒待ったことはない。


 いつもの母さんなら、美子をプロレス技で撃退するのだが……今日の美子はちょっと違う。今回は刃物持参である。

 それを確認した母さんは無言で中段に構え、直ぐさま――美子の顔面目掛け拳を振り上げた。


 バチ――――ン!


 彼女の拳が美子にクリーンヒットした。


 「えっ……顔面パンチ。マジっすか?」


 美子は殴られた衝撃で、ふらっと倒れ込む――が、ここで母さんの攻撃は止まることはなかった。

 倒れ込む美子に対してさらに左手を4の字固めの関節技をキメると、美子はかなり痛かったのか、手にした包丁をカランとその場に落とした。


 「――いやっ、何、痛いんだけど!」


 美子が悲鳴を挙げる。

 そして、いつの間にか体制を変えて今度は足4の字である。


 「ぎやああああああ!」


 美子はストップとばかりに必死に床を叩くが、母さんは攻撃の手を休めることはしない。


 「死にさらせ、この基地外女がぁ!」


 美子の足からギシギシと音を立て始めた。 

 ヤバい、これマジで骨折れるんじゃないか! 


 「ストップ、ストップ! 母さん美子の足折れる、折れる!」


 僕はこの時ばかりは、あの時彼女を蹴り飛ばした方が彼女の被害は間違いなく少なかった……と後悔した。

 幸い、美子が泡を吹いたところでようやく制裁は止まり、美子の骨は折れずに済んだ。


 

 ――そして、それから1時間後。 



 美子は周りの爆笑の中、登校する羽目になる。


 「バッカだな。何? 私を殺そうとしたつもりだったのか?」


 美子をからかっているのは、小野乃眞智子。自称彼女その1、クラスのクラスメイト。

 眞智子はゲラゲラ笑いながら美子の頭をポンポンと手の平で叩いた。

 見た目は清楚なお嬢様なのだが、元ヤンである。

 これでも僕らの中では一番の良識人だ。

 

 「五月蠅いわね……だって、あんたお兄ちゃんの貞操を奪ったのよ。死んで当然よね」


 美子はふくれっ面しながら僕の左腕にしがみついている。

 ――でも何故か、あれだけ母さんにぶっ飛ばされても、佐那美同様に彼女の顔や身体は無傷なのは驚きである。

 ただ、この場で補足するなら眞智子が僕の貞操を奪った事実はないし、だからといって僕が美子に制裁を受ける謂われもない。

 話には続きがある――

 

 「それ、おまえの夢の中での話だから! それで寝ぼけて礼君殺そうとしなくてもいいでしょ」


 「だって、お兄ちゃんがアンタに見えたんだから仕方がないじゃない!」


 いや、仕方はなくない! そんな夢の出来事で無関係の僕が殺されてしまっては、とんだとばっちりである。

 しかも、『夢の中』で貞操が奪われたことで、奪われた本人が『現実』で殺されるなんて……この先のことを暗示している様で怖い。


 「――言っておくけど」


 眞智子はそう一区切りをつけると若干ドスが利いた声で彼女に告げた。


 「今回は額の絆創膏だけで済んだけど……もし礼君を刺し殺していたら……おまえ、ホントに霞ヶ浦に沈めるからな」


 眞智子はドスを効かせ眼光鋭く美子を睨み付けた。

 元ヤンとはいえ、彼女の睨みは現役のヤンキーが裸足で逃げ出したほどの凄みがある。

 眞智子は決してその顔を僕に向けることはないが――傍から見ても彼女の眼光、マジでおっかない。

 ただ、うちの美子は肝が据わっている様で

 

 「うるさい! お前は夢の中とはいえお兄ちゃんの貞操を奪ったんだ、死ねっ!」


と元ヤン眞智子に睨まれても動じることなく喧嘩を売りまくる。

 ――貞操ですか。

 では君は何の目的で毎回僕の寝室に忍び込むんだい?

 そしてその度に母さんにぶっ飛ばされたんじゃないですか。

 彼女のその言い分は無茶苦茶である。


 「あの~、それって夢の中の話でしょ? 本当だったパニックものだけど、事実じゃないんでしょ!」


 金髪白人女性が流暢な日本語で会話に割り込む。彼女はクリオ=L=バトラックス。自称彼女その2、俳優仲間の『サンディ=クリストファー』である。

 彼女もうちのグループの中では眞智子同様、良識人である。

 クリオは完全第三者として美子を諫めたが、手負いの美子は狂犬の様に誰彼構いなく噛みつき出す。


 「夢の中でも許せる訳ないでしょ! 例え夢の中でもアンタもお兄ちゃんとシたらブッコロスから」


 美子はガルルル……とうなり声をあげてクリオを威嚇する。

 クリオはそれでビビったのか

 

 「レイっ!基地外美子が私の事いじめるぅ」


と若干怯えながら僕の空いているもう一つの腕にしがみついた。


 ――だが、それは確実に反感を買ぞ。クリオがしがみついた瞬間、眞智子と美子の顔が般若の様に変わった気がする……


 ただクリオの場合、彼女らを挑発するつもりで僕にしがみついた訳ではない。

 彼女は精神的に不安定なところ、所謂メンヘラなところもあって、立場的にメンデレ担当である。不安を感じては何かと僕に頼ってくるところがあるのだ。


 そして、もう一人のヤンデレが「ホント、あんたらってバカよねぇ」と口を開く。

 彼女の言葉に皆一斉に――


 「「「バカはおまえだろ!」」」


 ――と声を張り上げた。

 3人の女の子から同時に同じツッコミをされている彼女は、地端佐那美である。自称彼女その3で隣のクラスの美少女。それでいて学年一……頭が可哀想な女の子だ。

 それでも勉強が壊滅的であっても、それ以外は光るものがある人はいると思う。彼女もそうだ。

 彼女の場合は家業である芸能プロモーション活動だ。彼女が関わった作品は世界でも類を見ないほどヒットする天才プロデューサーなのである。もちろん肩書きは俳優事務所役員兼マネージャーである。

 問題は……彼女の場合は、同じヤンデレでも頭がヤンデル方のである。


 「あっ、ひどい! そう言えばあたしもこの基地外に包丁投げられたことがあるんだけど!」

 

 佐那美は美子に指差しながら抗議した。

彼女が美子に包丁を投げられた件というのは『秋葉原オタクデート事件』のことを言っているのだろう。


 「それはこの前の話でしょ! あんたが抜け駆けするから悪い。間違えて本物投げちゃったんじゃないの」


 確かに、あれは佐那美を懲らしめる為に行われたイタズラなのだが……美子が本物を間違えて投げてしまった様だ……ただ、少なくともこの他に美子が佐那美に包丁を投げつけたのは……数回あった気がする。


 美子が佐那美に包丁を投げつけた理由?


 それは僕の実妹である美子が、なぜか僕の彼女自称その4であるから。

 嫉妬して他の女の子に殴り掛かるのは日常茶飯事で、たまに包丁なんか持ち出す困った子だ。

 美子は4人の中で一番イカているブラコンヤンデレである。

 彼女がトラブル起こす度。僕の頭の中では『我妻〇乃』がちらつき、『火曜サ〇ペンス劇場のテーマソング』が鳴り響く状態だ。


 ――そして学校に到着。


 美子は「おまえら、覚えていろよ!」と捨て台詞を吐き、中等部の校舎へと走り去った。

 もちろん、それはいつものことで特に意味は無い。

 横で眞智子が「美和子ボ〇バーイエー……」と囁きにやけている。

 たぶん、眞智子は母さんから今朝の出来事を面白おかしく聞かされたんだろう――あの2人は親子以上に仲がいい。だからある意味困る。

 

 「うわっ、アンタ。もの凄く悪い顔している……」


 佐那美は眞智子の顔見て引いている。


 「いやっ、あの基地外にも天敵っているもんだなって」


 眞智子はクスクスと笑いながら美子を見送った。


 ――こうして今日も僕の波乱な一日が始まる訳なのだが……


 「そう言えば、礼君さっきから何も言わないで私達のやり取り傍観してたよね」


 眞智子がジト目で僕を睨む。

 

 「そうよ。『僕は関係ありません』ってレイ、ズルくない?」


 「神守君はいつも他人事だぁ」


 眞智子に同調し、クリオや佐那美が僕に文句言い出した。

 ――そう、僕はヘタレである。それは否定はしない。

 まぁ、本来ならば彼女らの言動を制止し諫めたり宥めたりするべきなのだろうが、これによって、かえって事態をエキサイトさせるのではないかと危惧している。

 

 「僕が変な弁解や煽りしたら話がおかしくなっちゃうでしょ」


 だって彼女らはヤンデレなんだから。

 だから、あえてどちらにも味方にならないスタンスを取っている。


 さて、今日はどんな一日になるのだろうか……事なかれ主義の僕としては何もないことを切に願っている。

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