河田さんのお店

かなこ。

第1話 コーヒーを飲むと少しおさまるコト

肩が重い。

…通勤用の黒リュックが重いからか。


そんな事を思いながら、出勤する毎日。

電車を降り、千葉のオフィス街に立ち並ぶ内の一つのビルに向かって、俺はいつも通り歩く。


ああ、また始まる。


月曜が1番おっくうだ。

昨日までゆっくり寝れたのに。

あんなに夜更かしして嫁とテレビ見るんじゃなかった。

肩だけじゃなく、まぶたまで重い。


あーー、休みてぇ。


「おはようございます」

もうすぐ会社に着く、というところで

後ろからなんだかするどく声をかけられた。

振り向いて「おはよう」と言うと、

社長秘書の神田さん、というとても頭の良さそうな美人な方だった。


「お、おはようございます!」

つい力んで挨拶してしまった。

「筒井さん、猫背でやる気のない感じで出勤すると仕事の質も落としかねません。

他の社員も通りますし、部長なんですから

背筋を真っ直ぐして歩いて下さいね」

そう言うと、神田さんはヒールをカツカツ言わせながら会社に入って行った。


…苦手だ。


☆☆☆


俺は筒井。

基本、大雑把に仕事をしたい。


「筒井さん、○○さんの書いた発注書なんですけど、これがこうで、」


「筒井さん。さっき話した企画書なんですけどやっぱりここはこうした方が」


「筒井さん、さっきの精算書ミスがありまして、チェックをお願いしたいのですが」


「筒井さん、あの人絶対サボってるんです、なんとかしてやって下さいよ、そのせいで○○さんの仕事が増えてて」


あーー…うるさい。

部長になってから俺の返事は大体こうだ。


「そうか〜、ま、なんとかなるよ」


こう言うと、みんな不機嫌な顔をする。

そして呆れて帰って行く。


裏で能天気おやじとか言われてんのかな〜


1年前に部長になったが、平社員とワケが違う。(当たり前だけど)

仕事量も多いし、その上社員の世話が入ってくる。(当たり前にしたくないけど)


しかも最近の若手が1番苦手だ。


「筒井部長〜〜、さっき、この仕事終わるまで帰っちゃいけないって○○さんに言われたんすけど、これってパワハラっすかね」


「うーーん、、、それ仕事は何なの」


「精算と、発注書作成っす。俺まだ入り立てで時間かかるんすよね」


「ほう…」


俺のデスクは別に個室ではない。

普通に部署みんな同じ部屋で、

俺のデスクだけ孤立しているだけだ。


分かっていて言っているんだろうけど

その神経が本当に分からない。


「ま、仕事のノルマを与えられたと思うしかないな。なんとかなるよ」

と俺は、あはは、と笑いながら言う。


「はぁ。定時で上がりたいんすけど」


出た。


「じゃ、1つ出来る時間測ってもらおう。それで何個が今の限界か定時から逆算して考える。その個数が出来たら上がっていい、てのはどうだ?」


「はぁ。…めんどくさくないすか」


まじで人事を訴えたい。


「仕事ってのはめんどくさいもんだ。

ま、なんとかなるよ、時間測って。

分かったらすぐ報告して」


「自分的には3枚が限界すかねぇ」


「うーん、定時まであと4時間はあるよ?

精算書1枚1時間以上かけたって社長に言える?」


「すいません、冗談っす、ははっ」


若手がデスクに帰ると、

周りの社員は目配せしている。


笑えないし、

周囲の目配せも不快だし…


俺は近くの空気清浄機のスイッチを入れる。

この空気を浄化して欲しい。


☆☆☆


相変わらず空気の悪い日が続いた。

ある日の事だった。


俺は神田さんに呼び出しを食らった。


部屋に呼び出され、恐る恐る近付き、

ノックをして部屋に入ると

厳しい目をし、頑なに腕を組んでデスクに座る神田さんが居る、


はずだった。


「しゃ、社長?!」


デスクにドッシリと座っていたのは社長だった。ここらの社長の中では少し異質な空気を持つ、サンタクロースみたいな見た目の社長だ。

目をへの字にして、俺に微笑みかけている。


「びっくりした??」


「そりゃもう、とてつもなく…」


てっきり神田さんに生活指導をかなり受けるのか、とか能天気に思っていたが、

社長となると捉え方がかなり違ってくる。


「ちょっとやってみたくてねぇ」


「はは、参りました…」


「で、早速なんだけど。

単刀直入に筒井くん、君を呼び出した件についてだが…何か検討が付くかな?」


「沢山ありすぎて、何とも…」


「ははは、君のそういうところ

わしは好きだねぇ〜。」


怖すぎる、リストラってこういう感じなんだろうか。


「今回君を呼び出したのは、

他でもない、君の部署の人間から

筒井部長が能天気過ぎると話がきてね」


おぉ、まじか…


「なので、」


左遷、減給、降格、もしくは…


「君がどんな気持ちで仕事しているのか

非常に気になってね」


「え…?」


「どんな気持ちで働いてるんだい?」


気持ち?


「え、それを……社長自ら聞きに来て下さったんですか。」


「うむ。その答え次第で君の位置や、今後を決めたいと思ってね」


そう言うと、社長の真っ直ぐな目が俺を捕らえた。じっと見つめられ、俺は動けない。



言葉が頭の中を埋め尽くした。


部下の為に一生懸命務めている

よりよい仕事環境を考えている

力不足ではありますが、よりよい仕事が出来るように語りかけている

今後はもう少し部下と寄り添いながら、

俺は不器用なりに、やっていたつもりだった

全部最後は押し付けてくる周りが悪い

若いやつは何考えてるかわかんねぇ

違う、

もう少し理解を深めれば良かった

めんどくさい、なんで俺が。

ああ、そうか。辞められるなら辞めてやれ

いや、今辞めたら子供はどうするんだ家族は

でもまだ30代だ、なんとでも、


…なんとかなるのか?






「君は、どこまでも素直だね」


社長が、ハッキリと言った。


「今日はもう帰っていいから、

1日休んでしっかりと考えなさい。

明日また、この時間に。」


そう言って、社長は退室した。



☆☆☆


いつも以上に肩が重い。

死刑宣告を受けたような気分だった。

(多分もっと酷い気分なのだろうけど)


仕事を切り上げられ、明日の俺の答え次第で全てが決まってしまう。


家に帰れなかった。

まだ3歳の娘と、健気な嫁を見たら泣いてしまいそうだったから。


もうすぐ夕暮れだった。

こんなに明るい時間に帰るのは久しぶりだ。

駅前に着き、電車に乗ろうかとも思ったが、足が改札前で逆走し、行った事のない道を歩き始めた。


どれくらい歩いたのか、

あんまり覚えていない。

本当に急に目の前に現れた。


茶色い、どこにでもあるチョコレートのような扉に、『河田さんのお店』とプレートに書かれていて、コーヒーカップの絵とリボンの絵が書かれている、どシンプルな喫茶店に

俺は吸い込まれるように入った。



からんからんからん、と軽快にベルが鳴ると

「いらっしゃいませ」と

青年の声がした。


テーブル卓が4つに奥がカウンター。

カウンターで、さっぱりした短髪の爽やかな青年がコーヒーカップを拭いている。

とても狭い、ビンテージ風の喫茶店だった。

コーヒー豆の匂いが先に俺を迎え入れ、優雅なジャズが空間を彩っている。


客は俺しかいない。

俺は真っ直ぐカウンターに座り、

「ホットコーヒー、1つ」と伝えた。


すると反応が無く、

青年の方を見ると


「お兄さん、ここ初めてですよね」

と、じっと俺を見つめて来た。


「あ、ああ。初めて」


「なら、ちゃんとメニューを見てから決めた方が良いですよ」


と言って、黒い、細長くて薄いメニュー表を手渡してきた。

どうやら軽食もあるらしい。


コーヒーの欄を見ると、

河田さんのオススメコーヒーがあったので

それを頼んだ。


「とにかくコーヒーが飲みたいんですね」

と笑いながら言われ、目の前で作業をし始めた。


「河田さん、というのは、店主の名前ですか」


誰かと話したい気分だったのか、

普段なら絶対しない店の人に話しかけている自分がいた。


そんな俺に特に驚かず、

「はい、そうです。」

と普通に返してくれた。


「君はアルバイト?」

青年は見るからにモテそうな大学生に見えた。



「あ、いえ、僕が店主で、河田さんです」


「え、そうなの?起業したってこと?」


「そうです」


「へぇ〜…これ一本じゃ厳しいんじゃないの?」


「いえ、それなりに常連の方もいるし

わりと大丈夫です」


「すごいね。確かに、女性客つきそうだ。

ちなみに幾つなの?」


「45歳です」


ん?


「はは、面白いジョークだね」


「いえ、ジョークじゃないですよ。

ちょっと幼く見られるんですが。

ここも設立からもう13年は経っています」


青年はニコッと俺に微笑んできた。


「えぇ?!?本当ですか!

すいません、俺てっきり大学生くらいかと…」


待て待て待て。

45歳って、俺より10も上だし、

俺てっきり22歳くらいかなと思ってたし

なんだこれ!!!


「びっくりしました?

整形なんですよ、コレ」


「えーーー!!!!!」


自分でもびっくりする位の声が出た。


「すごいでしょ、最近の技術」


「……たまげました、」


こんなにびっくりする事って続くのか?

なんなんだ今日は、驚きの日かなんかか?


「はい、河田さんのオススメコーヒーです」


かちゃ、と音を立てて俺の前にそっと置かれたそれは、暖かく、俺は安心感に包まれた。


「このクッキーも食べてください、

すごく合うので。サービスしておきます」


「あ、ありがとうございます。」


コーヒーをひと口飲む。

苦味と、甘みが混ざって、なんならちょっとフルーティーな味わいもある気がした。


「……美味しいです」


びっくりだ。

コーヒーなんて味わったこと無かったが

なんだこれ、ひと口で分かる。

美味しい。



「なんだか、深刻なお顔だったので

安心感を重視しました」


そう言いながら、河田さんはまたコーヒーカップを磨き始めた。


「色々、…ありまして」


今、情けない声が出た気がする。

紛らわす為にクッキーに手を伸ばした。


少し苦めのチョコレートのクッキーだった。

確かに、このコーヒーと合う。



「…河田さんはなんで整形したんですか?」


数分の沈黙のあと、俺から口を開いてしまった。


「良い質問、ありがとうございます。

私は、この時代なら自分のしたいように生きられるんじゃないかと思ったんですよ」


「…自分の、したいように?」


「はい。周りがどう思うとか、親はどう思うとかは少し無視してしまったのですが。」


はは、っと河田さんが少し笑った。



「でも、それが出来る時代に生まれたなら、思いっきり可能性を使ってみたくて」


「可能性、」


河田さんが、コーヒーカップから目をそらし、俺を見た。


「お兄さんは何か、全力で取り組んだことはありますか?」



「…情けないですが、思い当たることは特に」


俺がそう言うと、河田さんは笑って


「器用な方なんですね。」


そうなのだろうか?


「でも、 それだと可能性を使うことすら考えないのでは?」


「そうかも…しれません。」


河田さんはまたコーヒーカップを磨き始めた。


「そんなものです、なので、私を見て、可能性を感じて頂ければと思います。」


俺は頷いて、コーヒーを味わった。

河田さんの肌は、とてつもなく綺麗だ。

手も、シワがない。

髪もツヤツヤだ。


…可能性、か。


女性シンガーの声がゆったりとながれている。


それから河田さんとは、コーヒーを飲み終えて店を出るまで会話をしなかった。



☆☆☆


昨日と同じ光景だった。


目の前に社長。

そして、相変わらず肩が重い俺。


「では、答えを聞かせて欲しい。

君はどんな気持ちで働いてるんだい?」


「…昨日、考えてみました。」


ああ、


「でも」


俺は


「なんとかなるか。しか思い浮かびませんでした」


どこまでも素直みたいだ。


社長は眉を潜めた。

ああ、明らかに不信感を抱かれた。

怖い。


「で、でも、お、俺は家族を守りたいし…今の仕事をしっかり続けたいとも思います。」


この歳で恥ずかしいくらいに怖い。

怖いけど、

思い返せばいつも


『あんたは嘘つかない方が良いね。

上手じゃない。逆に不快よ。素直に伝えなさい。』


母にこう言われていたから、

こうなってしまった。

俺はこう生きていくしかないんだ。


だって考えても考えても、

1ミリも上手い嘘が浮かばねーんだ。


「部長になった時も、なってからも、考えていたことは、なんとかなる。でした。

けど、結局…なんとも、」


ダメだ。

この後に及んで、目頭が熱くなってきた。

情けない。


「なんとも、ならなくて、



なんとかしよう。とも思えなくて

時間に流されて、今ここに居ます。」


社長はため息をついた。


あぁ、終わった。


「わざわざ、お、俺なんかの気持ちを聞きに来て下さって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ここで働かせて頂いた恩は一生忘れません。


本当に、申し訳ありませんでした。」


俺は頭を深く下げた。

もう、伝えたいことは無い。

仕方ない事だ、やっぱり何かは頑張らなければならなかった。


少し沈黙が続いて、


「以上かな?」


と社長の声がした。


俺は頭を上げれず、

「以上です」と言った。



キィ、と椅子から降りる音がして、

社長が目の前にきた感じがした。


「筒井くん。君は、」


ゆっくりとした低い声だった。

優しささえ感じた。


「素直すぎる。そして、能天気すぎる」


あぁ、その通りだ。

でもそれが俺で、仕方ない。



「部長は荷が重すぎたな。失敗だったよ」


あぁ、これ、最悪だ。


「こう言われても、君は

なんとかなる。と思えるのか?」


「…全く、思えません。」


嫁と子供の顔が浮かんできた。


「でも」

勝手に口が動いた。

そして勝手に、頭を上げていた。

「俺には、こんな俺にも、信じて待っていてくれる、家族がいます。」


『何か、全力で取り組んだことはありますか?』


河田さんの、この、質問が頭から離れない。離れて欲しい、離れろよ、んなもんねぇ。

けど、離れねぇ。


「だから、なんとかします」


情けない。

泣いてしまっている。

35の、男が、スーツで、社長の前で、

情けないくらいに素直に話して、

泣いている。


情けねぇ…



「筒井くん」


社長が、呼ぶ。

もう聞きたく無い。


「君は、部長を続けなくてはならないねぇ」


辞めないといけないのか、

やっぱりな…

辞め……


ん?


「…あ、あの、すいません。

今、何と仰いました?」


「部長を続けなくてはならない、と言った」


ん?


辞めるじゃなくて?


「あの、」


「続けなくてはならない」


社長は自分のヒゲを触りながら

楽しそうに言う。


「私は、筒井くんに、

部長を続けなくてはならない。

と言っている」


「………続けなくては、ならないのですか」


「そうだねぇ。うん。」


社長はそのまま話し始めた。


「私が今日見たかったものは、

筒井くんの可能性だ」


可能性。


「まだ、なんとかなるのか?


という事だよ。


で、君は、なんとかします。と言った」


え、言ったけど…

なんか詐欺みたいなんですけど…


「実は筒井くんには、能天気すぎるという意見ともうひとつの意見を多く貰っている」


え?


「素直で嘘が付けない部長だから、信用できる、と。これは、上に立つ者としてはとても重要な事だ。


簡単な様で、とても全員が出来る事では無い。


今日、私に君が見せてくれたことも全てだ。


私は君が本当に能天気な事も分かって、ものすごく落胆した。


だけど、それを私に伝えた勇気と、誠実さは評価すべきだ。


君は信用出来る。


その君が最後に、なんとかすると言った。

家族の為に、なんとかすると。


信用出来ない理由など、

あるかな?」



あぁ、



だから、続けなくてはならない。のか。



「…ありがとう、ございます。

こんなどうしようも無い、俺を」


社長が俺の右肩に手を置いて、

こう言った。


「これからも注目している。

ここが限界で、これからが挑戦」


そして社長は部屋から出て行った。



☆☆☆


「筒井部長」


おー若手。


「○○さんにお願いされた仕事、

さっき出したら突き返されたんすけど、

これ、新手のイジメすかね?」


オフィスがピリッとした。

○○さんが、デスクから立ち上がり、

若手の元にやって来た。


「ちょっと、ミスを修正してって言っただけじゃない!」


○○さんが、ヒステリックな声を上げた。

これは、2人とも限界が来ている。


「落ち着いて、2人とも」

俺は一生懸命頭を動かした。


何て言えば、

ガキじゃねぇんだから。

いや、違うだろ、それはダメだ。


「あんな細かいとこ細かいとこ、直してくれたらいいじゃないですか!」


若手も声を荒げる。

オフィス内の人間が、2人を見ている。

○○さんは泣きそうだ。


「だいたい…」

「おい、黙れ!!!」




ん?


今の誰のでけー声だ?



オフィス内の目が、全部俺に集中している。


え?




俺?



「…すまない、、、大きな声を、出して」


「ビビりました、部長。

そんな声でるんすね…」


若手が1番目を大きく開いている。


「おい、若手。」


「若手?…あ、俺?

て、部長、俺の名前…」


「いいから聞け、若手。

ここは仕事場だ。

今こうやって話してる時間も

お金が発生している。わかるか?」


俺の、話を、みんなが聞いている気がする。


「ここでお金を貰うなら、

ここのルールを守れ。

ここのルールを守れないなら、辞めろ。

ここのルールが嫌なら、

守った上で覆してみろ。

守らないやつの話は聞かない。





以上だ。」



若手はぽかんとした顔で、俺を見ていた。



○○さんも、目を大きく見開いていた。



オフィス内も気持ち悪いくらい静かだ。


「…筒井部長の言う通りだわ。

若手くん。」


「若手じゃねぇし、若田(わかた)だし…」


オフィス内の、誰かが笑った。

それが伝染して、みんな笑った。



俺も、久しぶりにオフィス内で笑った。





〜終〜

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