一章 新生活編
第1話 旅立ち
「兄さん、おはよう」
「やぁ、おはよう。よく眠れたかい?」
木漏れ日が差し込むリビングにいつもの光景が目に入る。
「おはようございます、クロス様。また当主様よりも遅いお目覚めですね」
執事件教育係のチクリとした嫌味も日課みたいなものだ。
「まぁまぁカノン。寝坊している訳じゃないんだ、私達が早すぎるのさ。そんな事よりクロス、早くこっちに来て朝ごはんを一緒に食べよう」
「まったく……フリティラリア様はクロス様に甘過ぎますよ……」
小さく呟かれた本日二度目の小言に聞こえないフリをして席に着く。
淹れたての紅茶がティーカップに注がれ、焼きたてのトースト、具材たっぷりのオムレツ、これまた具材たっぷりのミルクスープにフルーツたっぷりのヨーグルトが並ぶ。
「何か今日の朝食、豪華だね」
「こうして私がお世話をするのも最後ですからね。クロス様がお好きな物をご用意しました」
そう言って微笑むカノンの顔は少し寂しそうに見える。
「森に隠した小さな家で三人……あっという間の16年でした」
兄も同じように物憂げだ。
「……カノンに育てられて兄さんにはずっと守ってもらった。二人はまだまだ心配かもしれないけどさ、俺は大丈夫。セラフィナイトの名に恥じない立派な魔法騎士になってみせるよ」
強い意思と覚悟を込めて二人を見つめる。
二人は嬉しそうに微笑んで頷いた。
フリティラリア=セラフィナイトはこの世界の頂点に君臨する大魔法使いだ。その姿は天上の美を体現したかのように洗礼され、微笑みを携えた姿はまさに天使のようであった。
絹糸のような銀髪がサラサラと腰に流れ、その肌は雪のように白く、形の良い唇は常に微笑みを絶やさない。
しかしそこにある目は固く閉じられ、長い睫毛に縁取られた瞳は決して見る事は叶わない。
クロス=セラフィナイトはその人物の唯一の血縁者である。兄と弟という関係をとっているが本当の兄弟ではなく、息子でもない。しかし血の繋がりは間違いなく、唯一の肉親である事も確かである。
だがその風貌は似ても似つかず、フリティラリアが白魔法の使い手であるのに対し、クロスは黒魔法の使い手であった。
漆黒の髪は無造作に切り揃えられ、襟足は肩にかかり、前髪は片頬に長く掛かっている。
筋の通った鼻と少し大きめな口が端正な顔に精悍さを与え、キリっとした目には金色の瞳が輝き華やかさを添えている。
年の割りに大人びたその見た目は美男子と呼ぶにふさわしく、しかし白魔法使いの名家には全くもって不似合いな容姿であった。
この世界ではフリティラリアを崇拝する信者は多く、セラフィナイトの家名を神聖視する者も多い。
そんな中、白魔法使いの要素を全く持たないクロスがセラフィナイトの名を語るなど自殺行為に等しい事であった。
フリティラリアも重々にそれは承知していた。だからこそ、この森の中にクロスを隠し、カノンを付けて教育を施した。
セラフィナイトの名を背負うに相応しい人物として世界中から認められるように……
16になる年、今日がその第一歩目だ。
「ふふっ。頼もしいですね。まぁ私が鍛え上げたんです。なって頂けないと困ります」
フンっと胸を張り、嬉しそうにカノンが笑う。
「そうだね。本当に頼もしい。二人は私の誇りだよ」
兄のこんな笑顔は久しぶりだ。
「さて、せっかくの朝食が冷めてしまう前に頂こうか」
「うん、頂きます」
───俺は幸せを噛み締めるようにここで食べる最後の食事を味わったのだった
◆
「クロス、忘れ物はないかい? ここにはもう戻ってこれないからね」
「大丈夫。これでもかってくらい確認したよ」
「それじゃあ荷物を持って、準備が出来たら私の部屋へ来なさい。私は先に行って転移の準備をしてるからね」
そう言って兄が先にリビングを後にする。
俺は残りの紅茶を飲み干し席を立つと、リビングの片隅に置いた荷物を手に取った。
「カノン、ご馳走さま。カノンの料理が食べれなくなるのは寂しいけど……頑張ってくるよ」
俺は笑って、もう一人の兄に別れの挨拶を告げる。
カノン=エクセシアは兄の側近であり白魔法騎士だ。元々は孤児だったらしいが幼い頃に兄が引き取り、今では誰もが認めるセラフィナイトの専属騎士となっている。
プラチナブロンドのショートヘアに女性なら誰もが見惚れるであろう甘いマスクの持ち主だ。しかし
別名、【
俺も、剣の稽古(と称した死合い)で何度死を覚悟したか分からない。
そんな人物に物心着いた時には既に剣を握らされ、教養や座学は徹底的に叩き込まれた。
最初はそんなカノンに恐怖し泣き続ける日々だったが、ある時にふと俺を見るカノンの目の優しさに気付いたのだ。
後に聞いた話では兄に拾われるまでずっと一人で何も信じず生きていたため、誰かと一緒に生活をする事やまして誰かを育てる事など未知の領域だったのだそうだ。
忙しい兄は月に数回しか帰って来こず、カノンは毎日頭を抱えていたらしい。
そんな二人のギクシャクした関係もある事件をきっかけにガラリと変わるのだが……それはまた別の機会に───
こうして俺とカノンは血の繋がり以上に大切な家族となったのだ。
余談だが、カノンは兄や他人の前では相当猫を被っている。普段のカノンはかなり粗暴だ。俺の口調はそのカノンにだいぶ影響を受けている。
「……クロス、自信を持って行ってこい! リア様に教えを受けた僕が鍛えたんだ。大丈夫、君なら立派な魔法騎士になれるさ」
カノンが力強い激励と共に手を差し出す。
因みに“リア様”とはフリティラリアの愛称だ。
「ああ、必ず!」
俺はガシっとその手を取り握り返すと、兄の部屋へと歩を進めたのだった。
中に入ると
「ごめん、お待たせ」
「それじゃあ行こうか。クロス、この円の中へ」
兄に続き、促されるまま設置された魔法陣の中へ入る。
「私は片付けがありますのでここで……クロス様、次にお会いする時を楽しみに待っております」
カノンはクロスを見つめてにっこり笑うと二人に向けて深々と頭を下げた。
「カノン、色々本当にありがとう。行ってきます!」
言うと同時、二人の姿は白い光に包まれ一瞬にして消えていった。
新たなる地、フリティラリアが治める聖なる都
【
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