第40話 変異魔法の代わり

別れはいつも誰かの思いを切り捨てていく。


理科室の扉を開くと博士が黒板にびっしりと狂気的な数学の証明を書いていた。水道から全ての色の水が溢れ出て割れた薬品棚の瓶を濡らす。ぴちょぴちょと音を立てながら進むと透明化の魔法が解けていく。牛熊の糞を溶かした水の影響だ。初めてあなたが教えてくれた材料の知識。

焦げ臭い匂いに目を逸らすと鎌取りの木が黒い煙を出し内側から燃えているのが見えた。穴からあふれるそれが漂い、死神の木に相応しい姿を思わせる。俺が何度も読んだ本も今では炭となり闇夜に飛んでいっていた。


思い出を暗く塗り替えるのは簡単だ。

でも、努力を徒労だったと語るのは間違っているだろう。あなたの知識をなかったことにしないでくれ。


「ルーク博士」

震える声なのが情けない。先生は黒板に数式を書く腕を止めるとひどい隈を見せながら振り返った。


「君は魔王の子らしいね」

魔王の、子?

「魔法が使えない懲罰房から逃げ出すのに僕の知識を使ったのか?」

「仲間の手を借りました」

ハハッと嘲笑い、俺に向かって火炎瓶を投げてくる。避けたとしても、この炎は水の上ですら燃えた。常識では通じない力を見せる化学の力。


「僕に手を差し伸べてくれる仲間はいない。君も誰かに利用されていると気が付くべきだ。利害あっての人間関係だとね」

「そんなこと」

「ないと言えるかい?君と僕だって所詮教師と生徒の関係だろう」


博士がナイフをダーツの矢にように投げ、黒板に描かれた1つの答えを撃つ。直後、大地が揺れまた爆発が起きたと知った。答えはあと8か所ある。それら全て爆発する予定というのだろうか。


「こんな爆発起こしたらみんな死んじゃいますよ!」

「構うもんか。魔法使いも知識すらない人間もただの木偶だ。僕の人生において何もなさない出演者など何人死のうが関係ないね」


博士にとって関係のない人でも、他の人にとっては大切な人かもしれない。そういったことに気が付き思いやる心は誰よりもあなたの近くにあったはずなのに。今は俺も敵に見えているのか?


「転生した魔王の可能性がある者は基本的に上層で大切に管理される。魔王は力があるからみんなが仲間に引き入れたい。この世は力のあるなしで生きる世界が大きく変わるんだ。僕もバアバも何者にも選ばれなかったゴミ」

先生がまたナイフを投げると流れる水が止まった。断水だ。

「最後くらい足掻いて注目され輝こう。僕も星屑になってやるよバアバ」


くる。博士が水のように透明で僅かに粘りを帯びた液体を飲んだ。大きくむせたかと思うと体の筋肉が膨張し身長も横幅も2倍以上に膨れ上がる。赤みを帯びる体に浮き出す血管。知識を失った巨獣、トロールという魔物を思い出した。博士はもう一本泥水よりも黒い液体を飲む。彼の爪は槍のように太く、耳は硬い角となり、皮膚が鉄板のように厚くなる。両手を前に差し出せば盾となるのがわかった。

もう、彼は人と呼ぶことができる姿をしていない。


「ああ、やっぱり失敗作だったようだ」

声も魔物のように低い。脚よりも手が丈夫になったのか重心が前となりゴリラのように腕を体の前に出し、横へ振って歩く。

「もう元には戻れない。変異魔法が羨ましいよ」

博士が腕を振り下ろすと机も真っ二つに割れる。薬品がかかり体を焼ける音を立てても反応しなかった。焦げた腕からみて効いていないわけではなさそうだ。痛覚だけではなく、おそらく感覚全体が鈍っている。


再び爆発音が響いた。外が炎で明るくなる。生徒たちが懸命に水魔法を使って消火していた。

「魔法使いは考えることを放棄している。だからこの大量の爆発を1つ1つ消すことしか考えない。魔法で癒せぬ疲れはたまり、彼らは水を生み出すことすらできなくなる。そこに僕が現れバアバと同じ目にあわせてやるんだ。やっと絶望するんだろうね。その顔が早く見たいよ」


魔導書を取り出す俺に博士は首を傾げる。

「君も邪魔をするのか」

この教室で何度時を共にし、学んだだろう。1年なんて全く経っていないから博士からするとやっぱり俺はただの生徒だったのかな。喜んでくれたあなたを悲しむようなことをさせて申し訳ありません。

けれど俺は、

「あなたを止めて、みんなを救う」


博士の顔が歪む。

「俺は人を助ける為にこの力を使うんだ!」

「なら僕を救ってみせろ!小童が!!」


なぎ倒される爪は突風を生みガラスを破壊し、木を燃やす炎を消す。

薬に対抗する魔法はまだない。俺は可燃性の泡を発生させる薬を合成した。初めて作ったものは失敗作だったが、今では完璧な調合に応用を施し量を泡を3倍に増やすことができるようになっている。

教室一面に広がった泡は床の水を蒸発させた。


「≪風よ。龍と化した蛇の如く蜷局を巻き、立ちはだかるものを蹴散らせ≫トルネード」

凝縮した泡を博士の腕へ当て、強固な爪を腐敗させようと試みる。魔法により泡の渦と化したものを彼は爪を盾に受け止めた。焦げることで破壊しやすくなるという目論みも見事に破られる。

効いていないのだ。


ならばと空いている彼の後ろ側に破魔水を打ち込んだ。こちらも皮膚を破ることができない。

人間の体の偉大さを感じる。

対抗策が見つからない、はずだった。


俺に殴りかかろうとした博士の動きがぴたりと止まる。

「他人に注意がいってるときほど、この魔法はかかりやすい…」

扉からゆっくりと生徒が入ってくる。

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