第39話 脱走開始

振り返った按邪が固まる。しかしすぐにもう一度前を向く。何も答えないが、肩が震えていた。なあ、お前今何を思っているんだ?

転移魔法で移ろう景色は走っているときに見る光景のようにただ流れていくだけ。

それと同じだ。俺の中で様々なアリスの姿が流れていく。コバルトブルーの瞳を輝かせながらでアリスは常に楽しんで旅をしていた。肉を持って駆けまわる姿が見える。いたずらっ子だったなお前は。

よくあいつを困らせて…他の人間の姿が一瞬見えた気がするが認識するよりも早く記憶の鍵は通り過ぎてしまう。

『先生!』

俺の脚に、子供らしい屈託のない笑顔を浮かべたアリスが絡みついてきた。顔をあげると今は笑わない君がいる。


なあ、どうして何も言ってくれないんだ?


「アリ…」

「僕は按邪、虚空に生きる時の旅人さ」


彼は俺に言わせまいとしているようだった。景色が突如固まり、煌めく星空と金色の灯りをともす学校が現れる。俺たちは上空に浮き、狭い敷地を見渡す。俺はここで魔法と薬の知識を得た。今後も役立つだろう。按邪が指した先に学校の大鐘がある。

「あそこにアンドニウスの世界へ繋がる扉がある。君も僕も多くの生徒があそこからやってきた。扉が開けば鐘が鳴り、脱走成功を祝われるだろう。しかし、もう僕の魔法にロンギヌスは気が付いているようだ」


巨大な炎の蛇、いや火竜が空中の俺たちへ襲い掛かる。大口に飲み込まれると思ったが、按邪の魔法陣の上は別空間のようで炎の熱すら感じることがない。

「あいつは僕が引き受けよう。その隙に他の学生全てを出し抜いて逃げるんだ」

フィオやパンプキンの姿が浮かぶ。按邪に再び刻印を抑える指輪を投げられた。

たった1つだけ。


「あいつらも連れていけないか?」


俺はここに来るまでも地下層に弟分を置いてきた。家族のような存在だ。レグもヨゾラもクキュネだってこの世界に不服を感じている。外を知れば俺たちは新しい自分の生き方に気が付くことができるんじゃないだろうか。実力に囚われず自己否定をせず、思うがままに成長できる。


「連れていけば死ぬよ?」

言い返すこともできず口を紡いでしまった。小柄な按邪に胸倉をつかまれ屈ませられる。

「本当にわかっているのかい?もう学長から放送が入るだろう。君はもう魔王の転生者として追われることになるんだ。今までの仲間が君の友とは限らない。君の友は知らない誰かに殺されるかもしれない。この国の全ての人から恨まれ、裏切られ、傷つきながらもあの時の夢を叶える為だけに君は生きていくんだ」


あの時の夢


按邪の額が肩につく。

「頼んだよ…僕たちのこと、ちゃんと見つけてね」

どういうことか聞こうとしたが、身をもって感じるほどの重圧が重く響く。

「来たぞ来たぞ」


按邪はいつもの軽い表情で俺から離れてしまう。聞きたいことはたくさんあるのに時間がない。ああどうしてもっと関係を持っておかなかったんだろう。こんな時になって思い出すなんて現実は非常だ。

…いや、環境のせいにしてはいけない。これは俺が早くに過去を見つめなかった結果だ。小さな選択が現状を作り出す。そんなことわかっていたはずなんだが、逃げるのはすごく簡単なんだ。


落とされる先には既に幾つもの松明が掲げられ、人が集団になっていた。ここに来るような奴は強者揃いに決まっている。

按邪は見下ろしてふぅんと呟くと俺に向き合った。

「君を扉まで送れば僕の勝ちだ。わざわざ戦いに巻き込む必要はないし、今からとっておきの魔法を教えよう」

こんな時に?もうすぐそばに集団は近づいてきている。彼らの魔法まで飛んでくる始末だ。

「僕の言葉を復唱して。≪白き陽炎≫」

ああ、もう迷っている暇はない。彼の言葉を復唱する。


「≪夕闇を以てしても捉えることができぬ彷徨う霊魂よ、我が御霊を捉え、我に一刻の不遇を味わせ給え≫嘆きの王妃シュリーレン」

魔法にかかると俺は按邪の姿を、すぐそばにいた人々は俺たちを見失う。これは透明になる魔法だ。


「按邪?」

俺の問いかけに声だけが答える。

「君にできるのはここまでだ。あとは自分で進みなよ。邪魔者は排除しておくから」

風が背中を押すように突風が吹き、生徒が持つ松明が消える。

俺から彼にできることはなんだろうなんて、そんなの考えるまでもない。透明な体で校庭を駆ける。

見つけてやるさ。お前も、仲間も、もう一人の俺も。全ては俺の中に眠っているのだから。


疲れ知らずの薬を飲む。脱走するまで一分も休むわけにはいかない。

クキュネ、パンプキン、フィオ、レグ、ヨゾラ…どうか誰も現れないでくれ。過去に向き合う勇気はあっても、皆と向かい合うのは怖いんだ。


突如、思考を吹き飛ばすように学校や校庭から離れた森で大規模な爆発が起きる。連動するように学内でも爆発が始まった。これは魔法ではない。もしも魔法なら教員並みの実力だ。教員…まさか、という思いに浮かぶ憎しみに囚われたルーク博士。唯一別館だけが燃えていない。

あの人が計画したかもしれないという疑いが芽生える。


見つめていた別館から視線を戻し前を向く。

『防ぐことができる犠牲を見過ごすのは加害者と同じだ』

後ろから自分の言葉がこだました。学校から初めて異常を伝える警報が鳴る。混沌の中心であるのは自分だというのに罪悪感を抱いた。この機に乗じて逃げた方がいいに決まってる。誰にも会わない方がいいに決まってる。今すぐ大鐘へ行け、俺!


でも、後悔するのはいつだって自分の心に従わなかった時だ。


「≪風よ攫え≫ブリード」

追い風を吹かせ、別館へ向かう。人生を決めるのは理屈じゃない。

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