第9話 大人になる時

『私はその他大勢になりたくない』

噛みしめるような声で零れ出た誰かの本心。夢が記憶の整理というのなら、この人を俺は知っているのだろうか。俺のことは知らないだろうに。


本に顔を押し付けて眠っていたせいで苦しくなり目を覚ます。何か夢を見ていたはずなのにもう思い出すことができなくなっていた。フィオから借りた本は俺に向いていない。魔法とは何なのかもわかっていないのにいきなり応用から始めても仕方がない。

いや、本来はこの位知っている者たちが入ってくるのだろうか。


俺の場合、試してみた方が早い。本の木から受け取ったのは基礎魔法大全集だ。ぺらりとめくってみる。

詠唱が全て短い。天叢雲のように呪文が長くなるほど強力になるということだろうか。


「これとか簡単そうだな≪光よ≫レイ」


独り言として呟いてしまった途端、図書室中の光が強くなり僅かにいる学生がこちらを睨む。

「≪闇よ≫ダウン」

誰かが反対の呪文を唱え問題は収束する。

こんなに簡単に魔法って使えるものなのか?俺は軽く眠って楽になった体を起こし、少し実験してみることにした。もう一度白銀の扉の前に立ち、両手をつける。

羊の模様が俺を別の地に導いた。


どうやら入った場所に出てくるというわけではないらしい。

洞窟のような狭い空間から抜け出すと森に入ったことがわかった。そして、俺が出た空間は洞窟ではなく、大樹の根元にある秘密基地のような空洞だ。


俺は呪文書を開く。

「≪大地よ割れろ≫アース」

俺を中心に周囲にヒビが入り。まるで磁力が働いたように浮かび上がって落ちる。

「≪導く風よ吹け≫ウィンド」


不思議な感覚だった。

俺はこの呪文を唱えることに何の違和感も覚えない。指を動かすように自然に魔法を使うことができる。

わかるんだ。


「追いコンは続いているというのに、余裕ですね」

上空から大きな鳥の羽に乗って従者がやってくる。顔はフードにより見ることができない。


「学長があなたに合格を言い渡しました。私と共に来なさい」

「もし断ったらどうなるんだ?」

「どうにもなりません。どこへ行こうと世界共通で魔法使いは管理されるようになっているし、主要都市はアンドニウスの転生魔法で繋がっている。どこかで掴まり、どこかの学生になる。それだけのことです。私だったら、その中でもマシな道を選びますけどね」


淡々と話す様子から世間への諦めと現実の受け入れを感じる。

「乗る」

従者の手で動く羽は気持ちよくない。多くの生徒が戦い、土地は崩れ…景色も最悪だった。

降りるよう命じられたバルコニーから他の従者に案内され、広間に通される。

机の上にはスラムでは見ることもできなかったみずみずしい果物や、シャキッと音のする野菜が並べられている。


しかし、それに手を伸ばす者は俺以外誰もいなかった。

隣にも正面にも、計20人ほどはいるというのに皆どこか鋭い殺気を放ちながらただ座っている。

まるで自分が一番強いと誇示するように腕を組んでいる。


「立て」

この静寂に包まれた環境も誰かのたった一言で変わる。練習していたかのように皆遅れることなく立ち上がった。そして俺たちの前にあるより豪華な席へと向かって青いカーペットが敷かれた。学長がゆっくりと歩いてくる。


彼が顔を上げた時、俺は息が詰まった。

一瞬にして体に電撃が走る。細胞の1つ1つが一気に分裂したように体がゾワりと震える。


「ここは君たちのような特別な力を持つ者の為にある」


脳に血が走り、血液の回りが早くなる。血に運ばれる何かが全身へ巡ろうとしている、いや巡る…!


「私は君たちを学長として導き、51番目の魔導士として監視する者ロンギヌス・エンプサ」


テーブルの上に金色に輝くランタンが置かれる。

そのランタンは以前、俺の前に掲げられた。その炎から発せられた火に燃やされた。


偉大さをアピールするようにロンギヌスの背後で巨大化する炎。

炎を写し輝く瞳の中で、俺は殺された日を思い出す。悪しき記憶。忌まわしい記憶。いや、ただ悪に負けた男の記憶。


そうか、そうだった。

俺は魔法が使えるに決まっている。最強魔導士を目指して励んだ日々はここに立つ者の比ではない。基礎魔法など使えて当然。ああ、もっと早く思い出すべきだった。まるで別人が同じ体を共有しただけな気がする。

転生をするということは子供のころからやり直すということ。未熟な子供では正常な記憶の引継ぎが行えないとなぜ気がつかなかった。今最悪な方向に向かおうとしているぞ。


この学校で有望なものとして選ばれてしまった。もうここの職員は俺の顔を覚えているだろう。

それに、魔法使いになるということは体に刻印を施されるということだ。既に袋の中の鼠…ここまできたらばれないように生活するしかない。


しかも、思い出した内容は全てではないのだ。


俺はあいつに殺された転生者で、魔法の達人だったということだけ。

なぜ魔王と呼ばれるようになったのか、なぜ転生したのか…叶えたかった夢はなんなのか。思い出すことができない。

落ち着いてもう一度あの時のことを思い出してみる。しかし、記憶の刺激になったのは処刑人ロンギヌスとの再会。この位強烈なインパクトがないと前世の記憶は蘇らないだろうか…

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