第8話 追いコン終了

「負けた」


従者だった男は床に頬をつけながら呟いた。丸太で殴られた感覚で反撃球を当てられたのだと気が付いた。

天叢雲は上位魔法、こんな餓鬼に敗れる魔法ではない。

目線だけを上に向け、木組みから見下ろす彼の瞳は萌葱色。ビー玉のように澄んでいるというのにその輝きの奥に闇を感じる。魔に魅入られた男、こういう者が魔導士になるのだろう。所詮私は従者だった。全ての時間を捨てたというのに。

飛び降りた地下層の男を確認してゆっくりと目を閉じる。もう、才能に抗うのは疲れた。


気絶した男を確認してようやく息を吐く。危なかった。そしてもう、誰とも戦うことはできない。

武器がないのはもう飽きるほど実感している。そこではない。俺はこの追いコンの覚悟を知ってしまった。

ポッと現れた魔導士に飛ばせれた俺と違い、皆信念を抱いてこの学校に入るために努力してきている。最善の策を選んできている。


俺に彼らの屍を踏めというのか。


鍵閉めの魔法を使った時に感じた先の見えない扉への道は開かれている。

そこに行ってみよう。息が少し上がっている。毎日走り続けるスラム街で過ごしていたにも関わらずだ。魔法の影響だろうか、それとも今日1日の濃密さについていけないのだろうか。


別館のいたるところに水たまりができている。あの男が俺を見つける為に放ったのだろう。おかげでどこへ行こうと人の気配は感じられなかった。3階の段差がきつい。影に体を引っ張り続けられているように体が進まない。

あの部屋に入るまでは気を失うわけにはいかない。

ようやく見た扉は白銀の装飾が施され、紫の模様が入っていた。こんなに派手なのにドアノブがない。


「おい、不要な戦いをしてたとかいうなよ」

膝に手を乗せ体を支えていた状態から力を振り絞って上体を起こした。そのまま腕も上げ、振り下ろす。

扉は開かないどころか、壁を叩くのと全く同じ感触がする。これは扉ではない。


言葉も出なかった。ただ吐息が漏れる。

息と共に力が抜け、拳が開かれる。両手が壁についた。

異様に冷たい扉が突如光を放つ。光はどこから漏れ出したわけではない。壁から生まれていたのだ。

金色に輝く羊の紋章となって。


体は動いていないというのに光に吸い込まれていく。割れた鏡に映るように指が体が伸びていくのだ。

そして金色の光から室内灯の柔らかなオレンジ色に変わる。体も元に戻っていく。


「大丈夫かい?」

正気に戻ったのは背後から声をかけられたからだ。ふんわりと広がった紫色の長い髪の女性。丸眼鏡が大きすぎて違和感を感じる。彼女は大量の本を持っていた。


「君も内定組だね」

「内定組?」

「ここは学校の各所から繋がる知識の宝庫、図書室。ほら見てごらんよ」


アンドニウスがいた書庫に比べると本の数は圧倒的に少ないが、あそこよりも清潔で幻想的だった。

図書室の中央には透明な三日月が飾られ、きらきらと発光している。周辺の椅子は雲のように柔らかいようで、眠っている者もいた。床は芝生ででき、本棚はなく、藤ノ木のように頭上から木が幾つも垂れ下がって…いや実っていた。


「よく空間魔法の実験部屋にされるんだ。今度来るときには別の雰囲気になっているよきっと。ちなみに一番ひどかったテーマは温泉街で、本が全て読めないくらいシワくちゃになった」

「はあ」

「その恰好なら新入生だろ?私が案内してあげよう」


彼女はそう言って冷たい手で俺の手首をつかむ。座らされたのは体を包み込むように柔らかい雲の上だ。


「寝っ転がって」

優しく肩を押されて横になる。ああ寝そうだ。

「寝るな!」

パこんと本で叩かれた。彼女が手を挙げると本ノ木から本が実って降りてくる。


「うんうん、この位の厚さが叩きやすい」

「あの…」

「君も好きな本を思い浮かべなよ。本の木が選んでくれるから」


思い浮かべろと言っても、そうだな。何を読むべきなのかわからない。そう考えているうちに一冊の本が下りてくる。白銀の表紙には見覚えがある。羊の書だ。

じっと見つめる彼女の隣で本を開くが何も記されていない。ああ、と彼女が呟いた。


「それが君の本か」

「俺の本?」

「人生とは物語、これから君という魔法使いの一生はその本に記されていくんだ。知識も、記憶も、何もかも」


彼女はまた手を伸ばし本を取る。黄色の表紙をしている。

「私はあまり好きじゃないんだけど」

そう呟いて中身を開いて見せてくれる。しかし、それを読むことはできなかった。何かが書いてあるのはわかるのに、文字として認識することができない。暗号化されている。


「他人がこの本を読めるようになるのは、著者である自分が死んだ後さ。本を読む以外、その人について知りようがなくなってしまうから。生きている間はコミュニケーションをとれってこと」


彼女は俺に向かって手を差し出す。


「私はフィオ・ノルンディオ。3年だ。新入生」

「リアです…」

「君は必ず入学する。それまでどうだい、少しでも多く普通層とかけ離れてみては」


フィオが差し出す本は彼女が持っていた中で最も分厚いものだった。タイトルに魔法構造学と書いてある。他にも2冊、拳ほどの厚さがある本を置いていった。


「入学式が終わったらまた会おう、リア」


立ち去る姿を見届け、適当な場所を開く。

2ページで寝た。

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