第3話 悪魔が笑う時

「どこかに繋がっている・・・・・・わけないか」

「神様!! 神様ッ!! 助けて下さ・・・・・・いたいッ!!」


 カーリンはエスメラルダの手の甲を蹴り飛ばした。

 痛みにうずくまる彼女の頭上で悪魔が笑う。


「これは俺のだ。神と話をつけられるのは俺だけだ、異端者め」


 石版を操るカーリンの指は手慣れていた、合唱隊の指揮者が振るうタクトのように軽やかに指を動かしている。

 すると、石版から一筋の白色光の筋が地上に伸び、大きな円を描いた。

 カーリンは白いローブのような司祭服の上に、獣の毛皮で出来た上着を着込んでおり、左肩は赤黒い血で染まっている。革靴にガラス細工のような白い光が張り付いていた。


「拳銃は持ってないな。ネイサンに撃ち方を教わったのか? 随分手慣れていたが」


 光を彼方此方に動かし、彼方に転がる神の槍ベレッタを見つけると

悪魔はより落ち着きを取り戻した。

 エスメラルダは絶望に震えた。神の奇跡を悪魔に魂を売った男が弄んでいる。信じていたものが打ち砕かれるほどの衝撃だった。

 

「な、なんで・・・・・・神様の石版が。お、お前みたいな悪魔が・・・・・・」


 細身の悪魔は口端を歪めて笑いをかみ殺そうとしていた。

 神に使える司祭がそんなものは存在しないと、腹の底から笑っているように見えた。

 

「そうか。神様ときたか、ハハハ」


 男は堪えきれずに吹き出した。

 そして、再び石版の発光に指を這わせている、その顔は子供が悪戯を楽しんでいる無邪気な嫌らしさで染まっている。

 エスメラルダは立ち上がる事もままならず、怯えながら後ずさった。

 カーリンは彼女の前に、静かに神の石版を晒した。

 エスメラルダの顔から生気が抜けていく、生きるための力がなくなっていく。そこに映し出されていたのは共に両親がおらず、血の繋がらない子供達だけの寄り合い所で育った幼なじみだった。年はエスメラルダよりも三つ上の気のいい女性。カーリンと二人。


 橙の炎がベッドの側で静かに輝く。

 石造りの壁に延びる影が、追い詰められたネズミが必死に抵抗するように激しく暴れる。それ以上は見るに耐えず、力一杯に目を瞑る。音がするのが鬱陶しかった。エスメラルダは彼女を助けに向かい、間に合わなかった。奇妙な笑いとともに螺旋階段を上がってくる幼なじみは後日、悪魔にとりつかれたのだと、異端審問会で有罪になり火に焼かれた。


 憤りがエスメラルダを突き動かし、神の石版を取り上げて放り投げた。

 カーリンは石版を拾い上げる、小さな石版の表面で地獄の光景はまだ続いている。


「悪魔のサバトも悪くない。聖人のフリをするのはストレスが大きいのでね。息抜きも必要だろ?」


 カーリンがエスメラルダの目の前で屈み込んだ。


「お前がやってきたのはこの後だったな。ほら、覗き見しているお前も映っているぞ。お前は必死に私に向かって来たが、もう手遅れだった。感動の再会を街の連中に見せてやった。私の出演シーンは消しさった上でな。何故そんな事ができたと思う? 神が私に味方したからだよ」


 神が味方したという、言葉に胸が抉られる。悪魔はその様を見て喜んでいる。なぜ、彼はここまで神聖を冒涜できるのだ。まるでそれに何の障害も立ちはだからないように振る舞えるのか。事実、エスメラルダが撃ったたまがつけた傷のみでそれは罰ではない。ネイサンの言う通りに神へ祈ったが何も起こらない。

 そして、最も聞きたくない答えを悪魔が口にする。


「君は神様に見捨てられた。私が呪いをかけたからな」


 視線は爪先からじっとりと、舐めるように彼女の身体の曲線に沿って動き、胸の辺りで止まった。エスメラルダは悪魔の歪んだ思考から身を庇うように両手を抱え込んだ。

 カーリンは肩から滴る血を指先に塗りつけ、エスメラルダの頬に線を引いた。男には聖女が血の涙を流しているように見えた。

 襟を強引に掴んで顔を引き寄せられ、カーリンの醜悪な面が目の前に迫る、痛みと息苦しさに顔が歪む。

「痛いのは俺だ。撃たれたんだぞ、お前に。誰が重傷だ? 俺だ。よくも俺より先に暢気に苦しんでいられるな。同じ目にあわせてやる・・・・・・。みっともなく苦しんでる事もできなくしてやるからな」


 カーリンはエスメラルダを打ち捨てて、ベレッタが転がっている方へと足を進めた。エスメラルダは必死にカーリンの右足に組み付いた。


 カーリンは構わず彼女を引きずり、振り回した。エスメラルダが膝に噛みついた。体を引きずる足が上下に激しく動き回った。右手の甲が痛む、構ってはいられない。拳銃を拾われたら全てが終わってしまうのだから。


『可能性を見送った』


 エスメラルダの頭の中でまた、声がした。胸に響く一言だった。


『お前は助かる可能性に手を伸ばさなかった。見えていたのに』


 耳元でキザな大人びた女性の声が冷たく言い放つ。さっきよりもより、近くで。悔しさで涙があふれ出るのを瞼を力一杯閉じてこらえた。


 諦念が心の声になり頭に、耳に過ぎる。諦めるのが嫌いな彼女にとって最も辛い最期だった。


 目を開くと、そこにかがみ込んでいたカーリンの顔があり、ひっぱたかれ、地面に完全に寝そべる形になった。


「お前には喜びを教えてやる。人間としての喜びを。奉仕すること、されること。この世は助け合いだ、人のために生きることを。強制はしないが・・・・・・」


 正論が卑猥な意味合いを帯びてエスメラルダの神経をじっとりと舐めあげる。


『男の声に戸惑ってる場合じゃない。後がないぞ』


 エスメラルダは立ち上がり、カーリンの負傷した肩に思いっきり拳を叩きつけた。何度も、何度も。切り傷だらけの体の痛みはとても小さく感じられた。


「あああぐぐぐぐッッッ!!!!!!!」


 カーリンがエスメラルダが拳を打ち付けているのとは別の手を思い切り握りしめた。今度はエスメラルダが苦痛に声を張り上げる番になった。


遅れてきた体の痛みも合流し、我慢の限界を越えた。


「ああああああああううぅ!!!!」


 痛みに悶える時間がたっぷりとエスメラルダに与えられた。

 全てが止まった時間の中で彼女の痛みだけが体中を駆けめぐっていた。

 五歩ほど離れた距離で、ベレッタを掴み上げるカーリンの姿が映った。彼が非常にゆっくりと銃口をエスメラルダに向けていく。

 命の最期を悟った者に、神が祈る時間をたっぷり与えてくれたらしい。

 流れる時間が余りに遅く、永かった。それは残酷な時間だった。


「ネイサン、駄目だった。ごめんね」


 ダァン!! 闇夜にヒビが入り、空が砕けてしまうような音だった。


 死んだ。痛みがない、きっと後からやってくる。

 死ぬんだ、嫌だ、嫌だ、嫌だよ・・・・・・。

 地に硬いものが当たって小さく跳ねる音がした。

 激しい痛みを堪えるうめき声も。

 エスメラルダの元へ複数の足音がやってくる。


(どういうこと・・・・・・?)


「おい! 大丈夫か!! 返事をしろ!!!」


「こちらサンエスペランサ……方面通り、国道78号線の外れに到着した。少女を保護。至急、医療車を読んで! この子怪我だらけよ。それに、体が冷たい!!!」


 エスメラルダの耳に、複数の男女が頭上で口早に何かを喋っていて、それが自分を助けてくれるために必死なってくれているからだと分かった。


 安心すると、体から力が抜けて意識が遠のいていく。


「神様が願いを聞き届けてくれたんだ」


 神の使者はそれを聞いて笑って答えた。


「スマートフォンはちゃんと神様に繋がってた。で、言われて飛んできたの。だから、もう大丈夫」


 エスメラルダは眠りについた。赤い髪の女性の微笑みよりも、上着に書いてある『FBI』の文字の意味を考えながら。

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