15. ザンギ少女の欠席
翌朝。いつものように登校し、いつものように教室に入り、いつものように席に座る。
教室を眺めれば、今日も変わらず勉強していたり、スマホを見ていたり、会話していたり、色んな生徒がいた。
教室の隅、窓際ではクラス内最大のグループが形成され、騒がしく話していた。
校則を守っていない奴らが「それやば~」「まじやばいよね」と語彙力がやばい会話を展開して、何が楽しいのか笑い合っている。
チャラそうな男子が二人、髪を染めている女子が二人、メガネをかけている女子が一人。合わせて五人。
……あれ?
違和感。いつもと変わらず賑やかなグループだけれど、いつもとは明らかに違う。
もう一度、グループをよく見る。
男子二人と女子三人の合計五人で構成されている。明らかに一人、足りない。
そいつは、グループの中心的存在で、友達を大事に思っていて、ザンギが大好きなボブカットの女子――
いつもなら俺が登校する頃には既にグループに混ざって話をしているはずだ。
それが、どういう訳か今日に限って二葉がいない。
まだ欠席だと確定はしていない。通学に使用しているバスが遅れているとか、腹痛に襲われてお手洗いに行っているとか、目覚まし時計が鳴らなくて寝坊しているとか、理由は他にも考えられる。
けれど、何だろうな。二葉がいないだけで俺には関係ないのに、どこか落ち着かない。
ポケットからスマホを取り出して
嫌な予感がした。二葉の身に何かあったのかもしれない。
俺は二葉とのトーク画面を開き、メッセージを入力しようとする。返信が来たら無事だと確認できるからだ。
しかし手が震えてまともに入力ができない。
「すー、はー」
深呼吸をして、心を落ち着かせる。
そして俺はトーク画面を閉じて、スマホをポケットに戻した。
理由は単純。俺と二葉は友達でも、それ以上の関係でもなく、ただ食堂で偶然知り合っただけの他人だ。だから心配する筋合いは一切ない。
――キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴って生徒が着席し、程なくして担任が教室に入って来た。
二葉の席をちらっと確認したが、そこに二葉の姿はなかった。
その後、数学の時間になっても、昼休みになっても二葉は現れることなく、放課後となった。
昨日の放課後、俺が二葉に数学を教えた意味がなくなった訳だが、俺には関係のないことだ。
道具を鞄に片付けてから、鞄を持って教室を出る。
「先輩」
「うわっ」
出た瞬間に突然呼ばれたものだから、思わず変な声が出た。びっくりした……。
「……
「何だと思ったんですか」
山吹は驚かれたのが心外だったようで、不満そうだ。
俺は教室への出入りの邪魔にならないよう山吹に扉から離れるように促し、廊下の窓側で山吹と向かい合った。
「で、何で山吹は一年生なのにここに来てるんだ」
女子の制服は学年ごとにリボンの色が違うため、俺でなくとも一目で一年生だと分かる。一年生はピンク、二年生はブルー、三年生はグリーンだ。ちなみに男子はネクタイの色が学年で異なっていて、色は女子と同じである。
山吹は俺を上目遣いで見て、
「先輩、友達になってください」
「断る」
「何でですか~」
その上目遣いがあざといんだよ。心臓に悪い。
「わざわざそれを言うためだけに来たのか? なら帰るぞ」
俺が山吹に背を向けて歩き出そうとすると、
「待ってください」
背中越しに山吹に呼び止められた。振り返り改めて山吹と正対する。
「……何だ」
「あのですね、今朝スーちゃんにLIMEでメッセージ送ったんですけど、昼くらいに返信が来たんです」
山吹は鞄からスマホを取り出し、俺に二葉とのトーク画面を見せた。
俺が知らないうちに山吹は二葉とアカウントを交換していたらしい。
「そしたらスーちゃん、今日は風邪引いて休んでるって言ってました。なので心配になっちゃって……。えっと、先輩も一緒にお見舞いに行きませんか?」
「俺は、行かない」
はっきりとそう告げる。
二葉の欠席理由がはっきりしたからという側面もあるが、何より俺が行かなければならない必要性が見当たらなかった。
山吹は二葉の友達だから、山吹が訪れることで二葉は安心できる。山吹も二葉の様子が知れて安心できる。
けれど俺と二葉は知っているだけの他人。俺が訪れて二葉に何かメリットがあると思えない上に、俺が安心を求めるのは理屈に合わない。
しかし山吹は納得がいかないのか、俺に質問をする。
「先輩は、その……スーちゃんが心配じゃないんですか?」
「それは……」
一瞬、言葉に詰まる。けれど必死に頭の中で言葉を探して言い放った。
「それは、俺と二葉が他人である限り関係ない」
心配しているか否かが問題ではない。他人なら心配する必要すらないのだ。
俺がどう思うかは問題ではない。他人とは考えを押し付ける関係性ですらないのだ。
だから、二葉は俺にとってどうだって良い。そのはずだ。
「……先輩は変わらないんですね。いつも一人で全部を抱え込んで、自分のために生きている。そういう先輩にあたしが救われたので、あたしは決してそれが悪いとは思いません。そして先輩が簡単に変わるとも思っていません」
山吹は少しだけ悲しんでいるように見えた。俺の事情を知っているから、つらさを感じているのかもしれない。
けれど、山吹は言うのをやめず、俺の目を真っ直ぐ見て告げた。
「だから、先輩は先輩自身のためにお見舞いに行きませんか?」
その言い方は卑怯だ。山吹は俺を分かった上で言っているのだから。
これでは俺に選択肢があってないようなものだ。
二葉は以前に「一人だと寂しくて耐えられない」と言っていた。この言葉は、一人だとつらいという二葉の心の表れだ。
俺は俺自身のために、つらい人を見逃すことができない。つらさを軽減させることで、俺が選んだ道を正しいと思い込める。
山吹の言葉は俺の思考を完全に読んでいる。
ならば、ここは覚悟を決める他ない。
「……分かった。俺も行こう」
俺は山吹に負けたことを自覚する。
同時に、二葉と顔を合わせることで逃げ道が塞がれるのを理解していた。
ここから先は引き返せない。俺が俺自身と向き合って、結論を導き出さなければならない。
◇ ◇ ◇
山吹と一緒に
山吹はエントランスでインターホンに『二○二』と部屋番号を入力して呼び出した。
「はい」
「スーちゃんですか? 先輩と一緒にお見舞いに来ました」
「来てくれたんだ。今開けるね」
小さく「プチッ」と通話が切れる音がした後、すぐに木製の自動ドアが開いた。
山吹に続いて中へと入り、階段を上って表札に『二○二』と書かれた部屋の前で立ち止まる。
扉の横にあるインターホンを押すと、扉がゆっくり開いて二葉が現れた。ピンク色のパジャマを着ていて、髪は少しボサボサだ。
「どうぞ、上がって」
「お邪魔します」
山吹は挨拶をして靴を脱いで上がる。俺もそれに続いた。
二葉にリビングに通され、俺と山吹はテーブルの前に隣同士で座る。向かいに二葉が座り、近くに置いてあった毛布を背中から被って羽織のように肩から下を覆った。
リビングは相変わらず物が少なく綺麗に片付いている。部屋の隅には種類が不明な葉っぱも健在だ。
「わざわざ来てくれてありがとう。私が急に休んじゃったから心配だったよね」
二葉は俺たちに感謝の言葉を述べるが、やはり体調は万全ではないようでいつもより元気がなかった。
「ほんとですよ。あたし、スーちゃんが風邪引いたって聞いて、心配で心配でミサイルになってすぐに飛んでいきたい気分でした」
ミサイルなら素早く二葉の元へ辿り着けるだろうが、マンションは確実に木っ端微塵になるだろうな。逆に二葉の命を危険に
二葉は「あはは」と笑って、山吹のどうしようもない冗談を受け流していた。
「久保も来たのね。わざわざ来るとは思ってなかったから、意外だわ」
「まあ、その……山吹に誘われたから、来ただけだ」
「ふーん、そ」
嘘は言っていない。言葉の上では、山吹が俺を誘ったようにしか見えない。
そこで俺が何を考えて、どう思ったのかは問題ではないのだ。
「スーちゃんの体調はどうですか?」
「朝は結構熱もあって体がだるかったけど、今は熱も下がって落ち着いてる」
「なら安心ですね」
山吹は二葉の体調が快方に向かっていると知れて一安心し、表情を緩めた。
所詮風邪なので症状が重いとは考えにくいものの、実際に会うと確信が持てるのだろう。
友達として純粋に心配していた証拠だ。
山吹は横に置いていたビニール袋をテーブル上に出して、中からリンゴを取り出す。途中、コンビニで買ってきたものだ。
「スーちゃんのためにリンゴを買ってきました。キッチンをお借りしますね」
山吹は立ち上がって、リンゴを手にキッチンへ向かった。
リビングには俺と二葉の二人だけが残される。
「何か、家からは遠いのにわざわざ来てもらっちゃってごめんね?」
「謝ることじゃないだろ」
二葉は俺が見舞いに来たから申し訳なさを感じているのだろうが、それは不必要な感情だ。
俺と二葉は他人で、互いを気遣って思いやる関係性ではない。
「昨日、
「気にする必要はないだろ。小テストを受けても合格する可能性は低かっただろうし、欠席して受けられなかったのなら課題は免除される。二葉にとっては楽できて悪くない結果だ」
俺に対して何か思う前に、結果的に生じた利益に着目するべきだ。
二葉が友達を大事にして気を利かせようとするのは美徳だと思うが、それを友達ではない俺に向けるのは間違っている。
「そうかもしれない。けどさ、何て言うか、私の気が晴れないのよ」
「……そうか」
二葉の価値観が俺の言葉をそのまま受け入れるのを拒んでいる。
価値観は簡単に変化するものではなく、人によって必ず異なるものなので、否定はできない。
ただ、俺と二葉の価値観はほぼ正反対に位置していた。
「お待たせしました」
そこへ、切ったリンゴを乗せた皿を持って山吹が戻ってきた。テーブルの中央に皿を置き、山吹は俺の隣へと座る。
「スーちゃん、どうぞ食べてください」
「じゃあ早速。戴きます」
二葉はリンゴを一切れ手に持ち、口へ運ぶ。噛んだ瞬間、シャリッとみずみずしい音がした。
二葉がザンギ定食以外を食べている光景はなかなか珍しい。
「美味しい」
「それは良かったです。あたしも戴きますね」
山吹も二葉に続いてリンゴを食べ、幸せそうな表情を浮かべる。
「甘いですね。どうやったらこんなに甘くなるんでしょう?」
「農家の人がたっぷりの愛情を込めたからでしょ」
「なるほど、納得です」
二葉の説明のどこに納得がいったのか知らないが、山吹はうんうんと頷いていた。
愛情を込めても栽培に適した土地でなければ美味しく育たないと思う。
「先輩も食べてください」
「いや、俺はいらない」
「何でですか。あたしが愛情を込めて皮を剥いたリンゴですよ? 美味しいですよ?」
少なくともその愛情は俺に向けたものじゃないだろ。あと美味しいのは山吹が愛情を込めたからではない。
「……帰る」
俺は鞄を手に立ち上がる。すると隣の山吹も立ち上がって、
「あ、待ってください。あたしも帰ります。お邪魔しました」
慌てて準備をして、俺の後ろについてきた。
二葉に見送られながら玄関の扉を開ける。そして階段を降り、まだ街灯が灯る前の道をバス停に向かって歩いて行く。
「先輩、何かありました?」
山吹が俺の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「二葉はまだ完治してない。長居するのは二葉に失礼だろ」
「明らかに棒読みですけど……」
嘘をつくのが下手だと分かってても、嘘をつきたくなる。俺自身の気持ちを認めたくなかったから。
何でだろうな。一人で生きることこそが自分のためだと何度も言い聞かせてきたのに、感情思い通りにならない。
どうして。どうして俺は、他人であるはずの二葉を心配したのだろう。
「せん、ぱい……?」
山吹は心配そうに俺を見る。けれど、その心遣いが逆につらかった。
山吹の誘いに乗った時点で覚悟は決めていたとはいえ、既に来た道を引き返せないことに後悔していた。
そして、後悔していることさえ、俺にとってはつらかった。
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