11. 定食屋のザンギ少女
「面倒くせえ……」
俺は教室で一人頭を抱えていた。
既に帰りのHRは終わっており、教室に俺以外の生徒の姿は見当たらない。
何故、放課後の教室で俺が悩んでいるのかというと、今日は最悪なことに日直だからだ。
日直の仕事は主に三つ。授業後の休憩時間に黒板を消すこと、提出物を職員室に届けること、そして日誌を書くことだ。
各授業の様子は適当に「集中できていた」とか「静かだった」とか書けば問題はないが、厄介なのは一番下の日直コメント欄。五行もスペースが確保されている。
こんなにたくさん何を書けというのか。
俺は参考にしようと昨日までの日誌をパラパラと
どうせ教師に胡麻を
それなら自分らしく振る舞って生きる方が、ストレスを溜めずに気楽だと思う。
だから、いっそのこと俺は正直に気持ちを連ねることにした。
ざっと日直の仕事を今日一日こなしてみたが、この日直制度に関しては
ん? と思う点がある。日替りでこのような仕事を回すのは非効率的す
ぎると思う。
無闇に多数で回すより、黒板係やら提出物係やら、
理にかなうのではないだろうか。
……こんなものか。
文章の内容は担任に対する不満を記述しただけだが、よく見ればもう一つのメッセージが込められていることに気付くだろう。
改行位置の不自然さに引っかかりを覚えれば、すぐに答えに辿り着くはずだ。
それは、縦読み。各行の頭文字を縦に読むと文章とは別のメッセージが現れる、一種の言葉遊びである。
ここ数日、
何であいつらは俺が食べられないザンギを幸せそうに食べられるのか。俺には絶対に無理だ。
そのあたりの気持ちを込めて、メッセージを隠しておいた。まあ、担任はメッセージを発見しても事情は分からないと思うけれど。
今日も念のため食堂に向かおうと、俺は鞄を肩にかけて日誌を手に教室を出た。途中、職員室に寄って担任に日誌を渡して、外からの冷たい風が入り込む昇降口前の廊下を歩く。
すると正面、一人の女子生徒が食堂側からこちらに向かってトボトボと歩いているのが見えた。髪型はボブカットで、スカートは太ももが少し覗くほど丈が短い。
いつもと雰囲気が全く異なるが、容姿から俺は確信する。
間違いない、二葉だ。
しかし、明らかに落ち込んでどうしたのだろう。不思議に思った俺は、近付いてきた二葉に声をかけた。
「二葉、どうしたんだ?」
「……あ、
少し間があって、二葉が反応した、その表情はやはりどこか暗い。
「何て言えば良いのかな……。当たり前だったものが失われて、心に
これはただ事ではない。二葉は何かしらの理由で気持ちが沈んでいる。
つらい感情を抱えた人を、このまま見て見ぬフリは到底できない。
「死にたいなんて言うな。たった一つしかない命なんだから、大事にするべきだろ」
これは俺の勝手な価値観。理由もなく、生きることが有意義だと思い込んでいるだけだ。
けれど言わなかったら後悔する予感がしたから、言わないという選択肢はなかった。
「何か、ごめん……」
二葉は申し訳なさそうに謝って、言葉を続ける。
「本気で死ぬつもりじゃなかったんだけど、私が考えなしに言ったから心配させちゃったよね」
落ち込みが相当効いているのか、いつになく二葉は素直だった。
「……それなら良い」
二葉が自殺しないのが分かっただけでも俺を安心させるには十分だ。
「でも、本当にどうしよう。今日も楽しみにしてたのに、よりによって今日の放課後は食堂が休みだなんて……」
「…………は?」
食堂? 休み?
二葉の言葉が何度も頭の中で繰り返される。その度に恥ずかしさが少しずつ増していった。
事情を知らなかったとはいえ、俺の発言を返して欲しい。
「その、二葉は食堂が休みでザンギ定食を食べられなかったから落ち込んでいたのか?」
一応確認のため、二葉に訊いた。
「あ、うん、その通り。今日もザンギ定食を食べようと食堂に行ったら、ドアに『本日、改装により昼のみ営業』って書いてあったのよ。ほんと最悪……」
ザンギ定食が食べられないだけでがっくりと肩を落としていた。
もっと重大な理由があって気落ちしていると思っていたが、実際はただのザンギ定食。二葉には悪いが、理由がショボい。
しかし二葉にとっては重大なようで、俺に助けを求めた。
「ねえ久保、私はどうしたら良いと思う?」
知らねえよ。
「……どこかの店でザンギ定食を食べれば良いだろ」
あんなことを言ってしまった手前、無視ができずに二葉の質問に答えた。適当に言った割には現実的な解決法だと思う。
すると二葉は一気に元気を取り戻し、
「それよ! 久保、たまには良いこと言うじゃない!」
「たまになのか……」
俺が基本的に悪い人間みたいに言わないで頂きたい。俺の身はまだ友達の
「でも、どこ行こうかな。食堂以外となると、あそこの居酒屋か。あー、夕方だと定食はないか」
顎に手を当てつつ、二葉は呟いてザンギ定食の店舗を脳内検索していた。
しかしすぐに考えるのを諦めて、
「……久保ってさ、美味しいザンギ定食がある店知らない?」
「まあ一軒だけ心当たりはあるが、俺の家の近所だから二葉が下校に使うバスと逆方向になるぞ」
俺はあそこのザンギ定食は一度も食べていないが、他の料理が美味しいので心配ないだろう。
「別に良いよ。美味しいザンギ定食が待っているんだから。さあ、行くよ」
ザンギ定食にとっくに取り憑かれている少女は、素早く下駄箱に向かって靴を履き替えた。
俺が日誌にメッセージを隠したからかは分からないが、今日もザンギを口に運ぶ光景を見ることになりそうだ。
◇ ◇ ◇
二葉を連れて辿り着いたのは『味屋』と書かれた看板が掲げられた住宅街にある小さな店。
昨日も訪れたばかりなのに、また来る羽目になるとは想定外だ。
店の扉をガラガラと開けると、いつものようにおじさんが優しく出迎えてくれた。
「いらっしゃい。
「はい、初めまして。二葉
誰だお前。脳内がバグを起こしている可能性があるな。
「翠怜ちゃんね。どうぞ好きなところに座ってね」
「ありがとうございます。失礼します」
二葉は礼儀正しくペコリと頭を下げて店内に入り、俺と隣同士で座った。
店内は俺ら以外のお客さんの姿はない。夕方なので夕食にはまだ早いのだろう。
「お前、礼儀を知ってたんだな……」
「お前じゃなくて二葉翠怜。って、久保は私のことを何だと思ってたのよ!」
おっと心の声が漏れた。
「いや、礼儀正しくて優しいクラスメイトだなーと」
「目を逸らしながら棒読みで言われても信じられないんですけど」
二葉の目はじとーっと俺を見ていた。
「まあ、ぼっちの久保に優しくされることなんて
「前に俺は優しい的な発言していたのはどこの誰だったかな」
「い、言ってない、そんなこと」
俺にからかわれた二葉はわざとらしくプイッとそっぽを向く。
すると偶然にも二葉の目は壁の方に向いていた。
「うわあ、すご……」
壁を見て二葉は感嘆の声を上げる。
初めて訪れたのだから、壁一面にびっしりと貼られたメニューを見て驚くのも無理はない。
「ここ、おじさんが考案したメニューが多すぎるから注文のとき随分と迷うぞ」
「確かにこれだけメニューがあると一つに絞るのは相当な決断力が必要になりそう。ときどき『ゲテモノ定食』や『白い定食』みたいに名前だけからは想像できないメニューもあるし」
お土産に人気のお菓子みたいな名前の定食は果たして売れるのだろうか。
「ちなみに山吹はこの店に来るといつもタコザンギ定食を頼んでいるらしい」
「へえ、リオちゃんってタコザンギ好きなのね」
「確か、二、三日に一度は来ているって言ってたな」
週の平日、必ず放課後にザンギ定食を腹に収めている二葉に比べればかなり劣るだろうけれど。
そこへ、おじさんが来て、水が入ったコップを一つずつ俺たちの前に置く。
「注文は決まったかい?」
「私はザンギ定食で、ご飯を大盛り、ザンギの量を二倍でお願いできますか?」
「翠怜ちゃんはよく食べるんだね。晃弥くんはどうする?」
「俺は、紅茶のホットでお願いします」
店に入っておいて注文しないのは失礼なので、無難に飲み物を頼んだ。
そして注文を聞いたおじさんはすぐに調理に取りかかった。
「ついでだし、久保も何か定食を注文すれば良かったのに」
二葉は俺に対して語りかけて、コップの水を一口飲んだ。
「俺はこの時間に定食を食べれるほどお腹が空かないからな。それに、妹が毎日料理を作ってくれるから、帰ったら夕食があるしな」
今日は
「前も言ってた気がするけど、久保って妹がいるのね」
「今年度から同じ高校に通っている一年生だから、二葉にとっても後輩になるな。俺とは違って勉強できるから選抜クラスに所属してる」
「久保とは違って料理も勉強もできるなんて立派な妹さんなのね。久保とは違って」
何で二回も言うかな。そんなに大事なことなのだろうか。
「俺の妹だから優れているのは当然だろ」
「何で久保が誇らしげなのよ。素晴らしいのは妹さんじゃない」
二葉は呆れた様子で言うが、俺は何も聞かなかったことにする。
悪口などのように、自分にとって都合の悪い言葉は頭の中ですぐさま消去するのが気楽に生きる秘訣だ。
「そういう二葉は料理するのか?」
「できない訳じゃないけど、あんまり料理しないかな。特別料理するのが好きでもないし、一人暮らしだと洗濯とか他の家事もしなきゃならないから面倒なのよ」
一人暮らしはなかなか大変らしい。
「はい、お待ちどおさま。ザンギ定食と紅茶ね」
そこへおじさんが来て、二葉の前にザンギ定食、俺の前に紅茶を置いた。
「す、すごい……」
二葉は正面に置かれたザンギ定食を見て、大きく目を見開く。
それも当然だ。まるでピンポン玉のような大きさのザンギが山を形成しているのだから。
二葉の目にはどの宝石よりも輝いて見えているに違いない。
「い、
興奮状態のまま二葉は手に持った箸でザンギを掴む。
手がプルプルと震えていて、見ているこっちがザンギを落とさないか心配になってしまいそうだ。
二葉はザンギにカプリと
「美味しい」
二葉の小さな呟きは、かなり満足感が込められていた。
「久保、美味しい!」
「俺は美味しくないぞ」
俺は紅茶を飲みつつ冗談で返したが、二葉は気にせずに、
「そうじゃなくて! ここのザンギ最高! 人生で食べたザンギの中で一番かも」
今にも飛び跳ねそうなほど二葉は上機嫌だ。珍しく無邪気な一面を見れた気がする。
「それは嬉しいねえ」
二葉の喜びようを見たおじさんが優しく笑っていた。
そこには、どこか懐かしい温かさを感じられる空間があって、自然と頬が緩んだ。
その後、二葉は一言も発することなく黙々と食べ続け、俺が紅茶を飲み終わるのと同時にザンギ定食を完食していた。
「ご馳走様でした」
二葉は手を合わせて挨拶をして、満足そうな溜め息をつく。
そして水を一口飲んでから、俺に向けて尋ねた。
「そういえば、ここって久保の家の近くなのよね。なら、久保の家に寄っても良い?」
二葉は陽キャだからあまり気にしていないのかもしれないが、ぼっちの俺にとって他人を家に招くのはハードルが高い。例外は何度も訪れている山吹だけだ。
だから俺は二葉に向かってはっきりと言った。
「ダメだ」
「どうしてダメなのよ」
しかし、やはり二葉は簡単には引き下がらない。
ここは俺の必殺技、ありそうな嘘をでっち上げて切り抜ける、を発動しよう。
「妹が風邪を引いてて体調崩してるから、そっとしてあげたいんだ」
「さっき妹さんが夕食作ってくれるって言ってたのに、その妹さんが体調崩してるはずないじゃん。しかも久保、棒読みだし嘘だってバレバレ」
俺の必殺技は残念ながら陽キャの二葉にはダメージを与えられず、目の前が真っ暗になった。
結局、二葉が俺の家へ来ることになってしまった。
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