第三章. 感謝

10. ザンギ定食とタコザンギ定食

 人生において幸せと感じる時間はどのくらいだろう。

 全員が同じ人生を歩んでいないだろうから個人差はあるだろうが、少なくとも半分以上はつらい出来事が占めているのではなかろうか。

 必死になって頑張ったのに成果が出なかった、予想外の事象が起きて大切なものを失った。誰でもそのような経験はあると思う。

 けれど、人生がつらい出来事だけで構成されていたら生きる意味を見失うから、救われようと幸せを求める。

 そして現在、俺の隣の少女は幸せを噛み締めている最中だ。

「美味しい~」

 いつものように二葉ふたばは放課後にも関わらず、食堂でザンギ定食の特盛りを食べている。

 ザンギを口に入れる度に幸せそうな表情を浮かべ、夕方の食事を満喫していた。

「お前、本当によく食べるな」

「おはえははふて、ふははふいへん」

「せめて飲み込んでから言えよ」

 相変わらず「お前」と呼ぶと気に食わないようで、お決まりの台詞を言った。口の中のザンギのせいで、何言ってるか分からないけれど。

 一方で俺は二葉ほどの胃袋を持ち合わせていないので、紙コップに入れた温かいほうじ茶を手に座っている。

 給茶機だけの目的で食堂を利用して良いのか疑問だが、利用者が俺と二葉だけしかいないので許して欲しい。

 二葉は黙々とザンギ定食を食べ、徐々にザンギの山が減っていく。相変わらず体の中のどこに消えているのかミステリーだ。

 そして俺がほうじ茶を改めて注いで席に戻ったときには、既に完食していた。

「ご馳走様ちそうさまでした」

 手を合わせて挨拶をした後、二葉は「ふう」と満足そうに溜め息をつく。

「たった一日食べなかっただけでも満足感が全然違うのね」

「つまり昨日はザンギ定食を食べなかったのか」

 てっきり俺と山吹やまぶきが食堂に来る前に、ささっと食べたものだと思っていた。

「どこかのぼっちが後輩連れて行くなんて言うから、我慢したんじゃん」

 二葉はやたら攻撃的に言う。

 どうやら山吹を連れて行こうとしたせいで、ザンギ定食を食べられなくなったことに不満があるようだ。

「……どこかのぼっちに心当たりがありまくるのは気のせいだろうか」

「バカ」

 短く二葉にののしられた。悪いのは俺ではなく、ザンギ好きを隠そうとしている二葉だと思う。

「最初からリオちゃんだって分かってれば我慢しなくて済んだんだから、教えてくれれば良かったのに」

「無茶言うな」

 そもそも二葉と山吹が友達だったなんて知らなかったのだから仕方がない。

 仮に二葉と本内もとうちが同一人物だと気付いていたとしたら違う結末を迎えていたかもしれないが、過ぎたことは変えられない。

「というか、山吹は二葉のザンギ好きを知っているのか」

「もちろん。だってリオちゃんの家で夕食をご馳走になったときにザンギが出てきて、そこで好きになったんだから」

 二葉がザンギの熱狂的な信者になったのは山吹がルーツだったのか。

 山吹も二葉が胃に大量のザンギを収めるモンスターに進化したと知ったら、さぞ驚くだろう。

「てか、何で今日、久保はここに来たのよ。私は呼び出してないよね」

「まあ、何だ。一人だと寂しいんだろ」

 つらい気持ちは可能な範囲で避けるべきだ。つらい出来事ばかりでは生きる気力も失われる。

 これは思いやりではなく俺の価値観を押し付けているだけだと分かっているから、複雑な気持ちだ。

 俺の言葉を聞いた二葉は目をパチクリとさせて、

久保くぼが優しいくてキモい」

「おい」

 さすがにキモいは傷つく。

「あ、いや、そうじゃなくて、いつもの久保なら絶対に言わない言葉を言ったから病気かもって思っただけだし」

「……それは俺をバカにしてるのか?」

 二葉は必死に弁明しようとしているが、どう考えてもけなしているとしか思えない。

 二葉の表現力が乏しいというより、純粋に思ったことをそのまま口にしているのだろう。

「バカにしているつもりじゃないんだけど……」

 二葉は言葉が見つからないのか、そのまま黙ってしまった。

「バカにされるのは慣れているから二葉が気にする必要はないぞ」

「だからバカにしてないって!」

 二葉らしく、いつものように譲らない。けれど正直、バカにされていると思った方が気は楽だ。

 俺はほうじ茶を一気に飲み、口を開く。

「俺は帰る」

 二葉は既にザンギ定食を食べ終わっているし、俺が食堂に残る意味はないだろう。

 そう思って立ち上がろうとしたのだが、二葉が俺の制服をぐっと掴むからできなかった。

「待って。折角来てくれたんだし、訊きたいことがある」

「……分かった」

 俺がそう言うと、帰らないと理解した二葉は制服から手を離した。

 この後に用事がある訳ではないし、二葉の相手をしても問題は生じない。

 二葉は俺の目を真っ直ぐ見る。

「久保はさ、昨日の私の話を聞いて、どう思った?」

「それを訊いてどうする」

 友達を大事にする二葉にとって、自分が相手にどう思われるのかは重要な要素なのだろう。

 だから二葉の過去の話が他人の目にどう映るのか気になるのも頷ける。

 けれど俺がどう思おうと他人の二葉には関係ないと思う。他人の感情を聞いても何か問題が解決する訳じゃない。

「別にどうもしないけど、昨日の久保は私の話を聞いた後もいつもとあまり変わらなかったし、何を考えてるのか気になったというか……」

 二葉は自分の気持ちを上手く言葉では表現できないのか、言葉に詰まる。

 でも、そうか。二葉には俺が普段と変わらないように見えたのか。少しくらいは俺は成長しているのかもな。

「……別に何とも思ってない」

 俺は普段と変わらない調子を心がけて言った。

 この言葉は嘘だと自分でも分かっている。そうありたいという勝手な理想だ。

 過去は文字通り過ぎ去ってしまった出来事だから今更足掻いても変わらない。それは十分に理解しているつもりだ。

 けれど変えられないからこそつらさに繋がる部分がある。

「そ。本当にそう思ってるなら何も言わないけどさ」

 二葉はそう言い、一拍置いて再び口を開いた。

「久保ってさ、私に何か隠してるよね」

「……さあな」

 俺は曖昧あいまいな答えを返す。

 俺に仮に何かがあったとしても、二葉には関係のないことだ。あくまで俺と二葉は他人に過ぎない。

「言いたくないのなら言わなくて良いけど、一人で抱え込むのはつらいと思う。私がそうだったし」

 二葉は俺を気遣っているが、そんな優しさはいらない。

 他人なのにどうして相手の心の機微を察して思いやることができるのか、分からない。

 相手のつらさを知ることもまた、つらいというのに。


 ◇ ◇ ◇


 食堂から出てスマホを取り出すと、希乃羽ののはからLIMEライムにメッセージが来ていた。

『友達と遊んでるんだけど、夕食を一緒に食べることになっちゃった。だから夕食は作れない』

 ついこの間も似たような出来事があった気がする。高校に入りたての女子は遊びまくるのが普通なのだろうか。

 しかし我が家の胃袋は希乃羽が握っているから、希乃羽も少しは家族の食事を考えて欲しい。

 まあ、文句を心の中で言っても何も解決しないのだが。

 俺は夕食のため、やむを得ず前回と同じように近所の定食屋『味屋あじや』へと足を運んだ。

「いらっしゃい。おや、晃弥こうやくんか」

「こんばんは」

 店に入るとカウンター越しにおじさんに声をかけられ、俺は頭を軽く下げて挨拶あいさつをする。

 すると、

「あ、先輩。来たんですね。隣空いてますよ」

 たまたま来店していた山吹にカウンター席の奥から呼ばれて、俺は誘われるまま山吹の隣に座った。

「早速ですけどあたしと友達になってください」

「断る」

「今日も友達になってくれないんですね」

 山吹は今日も変わらず友達申請モードだが、俺も変わらず友達拒否モードなので山吹の挑戦は失敗に終わる。

 ここは俺が残念賞としてポケットティッシュを渡すべきだろうか。今は持っていないから、次の機会に渡してみるか。

「ところで、山吹はここによく来てるのか?」

 前回、山吹に誘われて一緒に訪れたときからまだ一週間も経過していない。それにも関わらず再び来店しているとは意外だ。

「週に二、三回はタコザンギ定食を食べるために来ています。三日に一度は食べないと禁断症状が出てしまうので」

 タコザンギ定食には依存性のある成分でも含まれているのだろうか。おそらく効力を発揮する対象は山吹に限られると思うが。

 そこへおじさんがやって来て、山吹の前にタコザンギ定食、俺の前に水の入ったコップを置く。

莉音りおちゃん、お待ちどおさま。晃弥くんは注文決まったかい?」

「あ、いえ。まだです」

 注文を決めるため、俺は壁に目を向けてびっしり貼られたメニューを眺める。

 相変わらず多くて迷うな……。

「先輩、オススメはタコザンギて」

「却下」

「せめて最後まで言わせてくださいよ」

 山吹は残念そうにしているが、ザンギ系が食べられないので他のメニューから選ぶしかない。

 前はサバの味噌煮定食を頼んだから、今回は肉料理を頼んでみるか。

「じゃあ、ヒレカツ定食でお願いします」

「はいよ」

 俺の注文を聞いたおじさんは、すぐに調理に取り掛かった。

「何でタコザンギ定食じゃないんですか」

「そんなすぐタコザンギを食べられるようになる訳ないじゃないですか」

 山吹の口調を真似て返す。

「……似てないです」

 山吹は俺の真似が気に食わなかったらしく、むすっとした表情を浮かべる。

 俺の自己採点では百点だったのだが、おかしいな。

「冷めないうちにあたし先に食べちゃいますね。戴きます」

 山吹はそう言ってタコザンギ定食を食べ始めた。タコザンギを一口でパクリと食べている。

「やっぱりここのタコザンギはタコの旨味がしっかりしていて美味しいです」

 幸せそうな表情を浮かべながら山吹は休まずにタコザンギ定食を食べ進める。

 二葉も山吹も、どうしてザンギを食べると幸せそうなのか、俺には理解できない。この先もずっと知らないまま過ごすのだろう。

「はい、晃弥くん、お待ちどおさま」

 そこへ、おじさんがトレーに載せたヒレカツ定食を静かに俺の前に置いた。

「戴きます」

 俺は出来たてのヒレカツ定食に手をつける。ソースをさっとかけて、一切れのヒレカツを口に入れた。

 衣はカリッとしていて、中はジューシー。そこに少し甘めのソースが絡み、大変美味しい。

 おじさんの作る料理は何を選んでも実に絶品だ。

 俺は味に取り憑かれたように黙々と食べ進める。

「美味しいですか? 先輩」

「ああ、美味しいぞ」

 途中、山吹とそんな会話をしつつパクパクと食べて、気付けば揚げ物なのにぺろりと平らげていた。

「ご馳走様でした」

 俺は手を合わせた後、ティッシュで口の周りを拭く。

 そこで初めて隣からの視線に気が付いた。どうやら俺より先に完食し、じっと観察していたらしい。

「……どうした?」

「先輩が美味しそうに食べていたので、つい見惚れていただけです」

「俺はイケメンじゃないから見惚れる要素ないだろ」

 以前、希乃羽に「顔が全体的に死んでる」と言われたことがある。希乃羽のことだからわざと大げさに表現しているだろうが、少なくとも格好良くはないと思う。

「先輩、人は見た目より中身が大事なんですよ」

「…………」

 俺には友達がいないので、経験に基づいた山吹の意見に対して何も言えない。ただ、そういうものかと受け止めるだけだ。

 山吹は「よいしょ」と言って立ち上がり、軽く制服を整える。

「さて、出ましょうか」

 俺は山吹の提案に同意して、『味屋』を後にした。

 外に出ると辺りはすっかり暗くなっており、車通りの少ない道を街灯がうっすらと照らしていた。

 一日の最高気温は徐々に上がりつつあるが、夜は冷たい風が吹き抜ける。

「寒いですね」

「そうだな」

 風のせいで体感温度は実際の気温より低いだろう。

「早く帰って温まりたいです」

「そうだな」

 家までの距離は遠くないが、寒いのはできる限り避けたい。

「先輩にくっついたら温かいでしょうね」

「…………」

「何でそこで頷いてくれないんですか……」

 山吹は不服そうに口を尖らせた。

 けれど、急にそんなこと言われたら反応に困るのは当然だと思う。ほんの一瞬だが、山吹と体を密着させる光景を想像してしまったのだから。

 俺がどう返したものかと思考を巡らせていると、不意に山吹が俺の背中をぎゅっと掴みつつ顔を埋めた。

「ど、どうした!?」

 急な出来事に動揺し、慌てて立ち止まる。しかし後ろに目を向けると山吹の手が小さく震えているのが見えて、すぐに冷静になった。

 山吹は明らかに怯えている。俺の頭の中から嫌なものが引き出されかける。

 だから山吹を見ないように、俺は顔を前に向けた。

 遠くの方にうっすらと街灯の明かりに照らされた三人の影。目を凝らして見ると、三人がこちらに向かって歩いているのが確認できた。

 時間の経過と共に徐々に三人の姿が大きくなって、よりはっきりと見えるようになる。三人とも女子だ。ウィンドブレーカーを着て、大きめの肩掛けバッグを下げているので、部活帰りだろう。

 三人は女子特有のノリで楽しそうに会話しながら歩いており、俺たちに気付いていないのか、そのまま通り過ぎていった。その後ろ姿を見ると、背中には大きく『江部こうべ中排球部』の文字がある。

 江部中学校はこの付近にある公立中学校で、俺、希乃羽、山吹が通っていた。

 特に山吹にとってはつらい思い出だろう。三人があれだけ遠くにいたときでさえ、気が付いて俺の背中に隠れたのだから。

 俺は女子が遠くに行ったのを確認して、山吹に声をかける。

「もう行ったぞ」

 山吹は背中からゆっくりと離れて、

「先輩、ありがとうございます……」

 小さな声で感謝を述べた。ただ、その様子はいつもの元気な山吹とはかけ離れていて、少し心が痛む。

 山吹はまだ後悔しているのかもしれない。

「あまり深く考えない方が良い。つらくなるだけだ」

 つらい気持ちになるのは避けられない。けれど自分の心がけ次第で減らすことは可能だ。

 どんなにつらくても逃げてはいけないなんて言う人がいるけれど、それでは心が壊れる可能性がある。

 心が壊れた人が辿る運命は人生の終焉しゅうえん。ならば逃げてでも生きる方が相当マシだ。

「今を生きていればそれで良い」

 俺は山吹に向けると同時に自分にも向けて、心を込めてはっきりと言う。

 その後、帰宅するまでの時間、俺と山吹の間で言葉が交わされることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る