8. 二人のザンギ少女

「起立、礼」

「さようなら」

 翌日。帰りのHRが終わった直後、俺は食堂に向かうため素早く教室を出た。

 教室を出て二階の廊下を真っ直ぐ進めば、二年生の教室に次いで一年生の教室が現れる。

 教室前の廊下は高校生活に夢や希望を持った一年生たちがキャッキャと騒いでおり、二年生と比べて落ち着きがない。

 そのまま騒がしい廊下を気にせず歩いていると、急に目の前が真っ暗になった。

「誰でしょう?」

 後ろから俺の目を覆った犯人は、耳元で尋ねる。

「…………」

 俺は視界を奪われているが、構わず無視して強引に歩を進めた。

「ちょ、先輩、痛いです。腕、腕が引っ張られてます。止まってください」

「なら手を放せば全て解決だろ」

「まだ先輩からあたしが誰か聞いてないので離しません」

 俺はその場で一旦立ち止まる。

 俺のことを「先輩」と呼ぶ奴は一人しかいないので、目を覆っている犯人は山吹やまぶき以外にあり得ない。

 しかし、ただ俺が名前を言って当てるだけでは面白みに欠ける。

 ここは、そうだな……。

「そうやって悪戯いたずらするなら『味屋あじや』でタコザンギ定食を奢ろうと思ってたのにやめようかな」

「ごめんなさいもう悪戯しないのでタコザンギ定食奢ってください」

 山吹はぱっと手を離して俺の前に回り込み、頭を下げた。チョロい。

 この様子なら、タコザンギ定食を出しに山吹に無理なお願いができるかもしれない。メイド服の着用を命じるとか、「ご主人様」と呼ばせるとか。……しないけど。

 しかし、俺は勢いのままタコザンギ定食を奢ると言ってしまった。山吹を軽くいじろうと思っただけだが、考えなしに言うものじゃないな……。

「ま、まあ、気が向いたらそのうち奢る」

「ありがとうございます、先輩」

 真っ直ぐ純粋な瞳で感謝を述べられると、どこか心苦しい。

「山吹って良い奴だな……」

「何か言いました?」

「いや、何でもない」

 人を疑うことを知らない少女の姿を見ていると押し潰されそうになるので、俺は意図的に話を逸らす。

「なあ、山吹」

「はい、何でしょう」

「俺のこと、嫌いになったんじゃないのか?」

 昨日の出来事があったから、嫌われたかもしれないと思っていたが、山吹はいつもと変わらない様子で俺に絡んできた。

 もし嫌いな相手ならわざわざ絡もうとは思わないだろう。

 だから俺の質問は山吹の行動から察した心情の確認だ。

 山吹はあごに人差し指を当てつつ、

「どうしてあたしが先輩のことを嫌いになるんですか? 絶対にあり得ないですよ」

 俺の推測通り嫌われた訳じゃなかったようで、ほっと胸を撫で下ろす。

 ただ、そうすると次の疑問が自然と頭の中に湧いて出る訳で……。

「じゃあ、昨日は何で慌てて帰ったんだ?」

 俺がふざけて山吹の頬を突いたら、山吹は不自然なほど素早く帰宅した。

 その理由が腹を立てたこと以外だとすると、納得のいく理由が思い浮かばない。

「そ、それは先輩が悪いんじゃないですか……」

 何故か山吹は頬を赤く染め、うつむいてしまった。恥ずかしい内容を訊いたつもりじゃなかったのだが……。

 どうやら今日の俺は山吹と接するのに選択肢をことごとく間違っているようだ。セーブしてやり直せれば後悔せずに済むのだろうが、人生はセーブできないしリセットさえ不可能だ。人生って、まじクソゲー。

「あ、晃弥こうや莉音りおじゃん。何してるの?」

 そこへ我が妹、希乃羽ののはが現れた。

 すっかり忘れていたが、希乃羽も今年の四月から同じ高校に所属する生徒である。しかも入試の成績が優秀で、選ばれし精鋭揃いの選抜クラスに所属している。

 俺も学力面では悪くない方だが希乃羽と比べればショボく、兄妹の出来の差が際立つ。悲しい。

 希乃羽に声をかけられ、山吹は流暢に受け答えをする。

「帰ろうと思って教室を出たら偶然にも廊下に先輩がいたから、あたしが声をかけて話してたところ」

 山吹は話すとき、希乃羽に対しては丁寧語を使わない。同い年の友達なので一般的だと思う。

 希乃羽は俺と山吹を交互に見て、

「二人って仲良いよね」

「……そうか?」

 他人には仲が良く見えるのかもしれないが、実際は山吹が絡んでくるから渋々相手をしているだけだ。本当は一人の方が落ち着ける。

「先輩、仲良くないと思うのなら友達になって、これから仲良くしましょう」

「断る」

「ひどいです~」

 山吹は相変わらず俺と友達になりたいようだ。何度も断っているのだから、もうそろそろ諦めて欲しい。

 悲しそうな表情をしながら山吹は希乃羽の手を取る。

「希乃羽、先輩が友達になってくれない~」

「ちょ、おま、それはズルいぞ」

 他人の力を借りようとするなんて卑怯だ。

「晃弥、莉音が可哀想。莉音は心から晃弥と友達になりたがっているのに、その気持ちを無下にするなんてひどいよ。しかも莉音は女の子だし、泣かせたらダメじゃん」

「くっ……」

 希乃羽の言葉は筋が通っていなくても、心に響くものがある。別に俺がシスコンだからではないと思う。たぶん。

 けれど、いくら希乃羽に言われても、こればかりは譲れない。

「それでも、俺は友達はいらない」

 自分の気持ちをはっきりと言い切った。

「あー、やっぱりダメかー」

 俺の言葉を聞いた希乃羽はすぐに諦めて、

「ごめん莉音、厳しいとは思ってたけど無理だった」

「ううん、ありがとう。あたしのために動いてくれて、嬉しかった」

 二人は互いに両手を握って、優しく微笑み合う。一緒に過酷な運命を乗り越え、固い友情が結ばれた瞬間だった。

 とすると、俺はラスボス的なポジションになる訳で、ちょっと複雑だ。

 けれど目の前で美少女二人が笑い合っている光景は眩しくて、一面の花々を思わせるほど美しい。

 ああ、尊い……。

「どうでもいいけど、晃弥、顔がキモい」

 希乃羽は軽蔑のオーラが籠もったジト目で俺を見つめる。おかげで俺は一気に現実に引き戻された。

「せめてオブラートに包んで欲しかった……」

「キモいものはキモいんだからしょーがないじゃん」

 実の兄に対して容赦がないな……。

 山吹は俺と希乃羽を交互に見て、どうしようかと戸惑っている様子。俺と希乃羽にとっては普段とあまり変わらないやり取りだが、山吹の目には違うように映っているらしい。

「希乃羽、山吹が何か勘違いしてそうだから、やめた方が良いと思うぞ」

「あー……、そうだね。莉音が可哀想だし」

 希乃羽は山吹をちらっと見て、俺の提案に同意を示した。

「ほえ……?」

 状況が飲み込めずに口から謎の声が漏れているポニーテールが約一名。

 けれど先程とは違って戸惑いの色は見られないので、心配ないだろう。

「取り敢えず、私は帰るね。今日は特売日だから買い物にも行きたいし」

 希乃羽は手を振りつつ、

「莉音、頑張ってね」

 ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて、廊下をスタスタと歩いて去って行った。自由な奴だ。

 俺は再び山吹と二人になる。気付けば騒がしかった廊下も生徒が少なくなり、かなり静かだった。

「そういえば、先輩は帰らないんですか?」

 山吹は首を傾げて俺に問う。

「帰りたいのは山々だが、半強制的に呼び出されているからな……」

 二葉はどうせ俺の意志など存在していないかのように扱う上に、無視したらどんな目に遭わされるか分かったものじゃない。

 それに昨日、二葉が放った「一人だと寂しくて耐えられない」という言葉が妙に心に引っかかっていた。

 続けて山吹は質問する。

「それって先生ですか?」

「いや、クラスメイト」

 隠す必要はないと思い、俺は端的に答える。

 しかし、少ない情報から山吹は察したようで、これから会う相手の名前を言い当てた。

「先輩を呼び出している人って二葉ふたばさんですよね」

「しっかり名前を覚えているんだな」

「当然です」

 どこか誇らしげに胸を張って山吹は言った。

 確か一度しか俺は口にしていなかったと思うが、山吹の記憶力は思っていたよりも優れているようだ。

 正面に立っていた山吹は俺の方へ一歩近付く。

「あたしも一緒に付いていって良いですか?」

「……確認させてくれ」

「了解です」

 二葉はザンギが好きなことを知られたくないはずなので、おそらく断るだろう。

 俺が断ったら簡単には引き下がらないだろうが、二葉が断れば本人が会いたくないのなら仕方がないと諦めてくれると思う。

 だから俺は確認のため、二葉にLIMEライムでメッセージを送った。

『後輩が二葉に会いたいって言っているんだが、今日連れて行って良いか?』

 数秒で既読がつき、すぐに返信が来た。

『OK!』

 意外にも、あっさりと許可が出た。ザンギ好き知られたくないんじゃなかったのか。

『てか、久保って仲良くしている人いたんだ』

『今日一番のビッグニュースだわ』

 何故か二葉は次々とメッセージを送り続けているが、俺は無視してスマホをポケットに仕舞う。

 そして山吹に許可が出たことを伝えた。

 すると山吹は妙に張り切っている様子で、俺に尋ねる。

「では先輩、二葉さんのところに向かいましょう。二葉さんはどこにいるんですか?」

「食堂」

「はい……?」

 まあ、そうなるよな。


 ◇ ◇ ◇


 俺は山吹を引き連れて食堂前へ辿り着いた。

「冗談ではなく、本当に食堂なんですね」

「放課後の食堂の主だからな」

「食堂の主、ですか?」

 山吹は首を傾げて考え込んでいる。どんな人なのかと思考を巡らせているのだろう。

 けれど既に食堂の扉の前だ。考えるより見た方が早い。

「入るぞ」

 俺はそう言い、食堂の扉を開けた。

 探すまでもなく入口付近に座っている二葉と目が合う。今日は既に食べ終えているのか、二葉の前にはザンギ定食はなく、紙コップだけが置かれていた。

 山吹は俺の背中をぎゅっと掴み、背中越しに顔を覗かせて恐る恐る中を覗く。

 そして、

「……もしかして、スーちゃん、ですか?」

 二葉の様子を覗いながら、山吹は尋ねた。

「……まさか、リオちゃんなの?」

 一方の二葉も山吹をじっくり見て、慎重に尋ねた。

 ひょっとして、二人は知り合いなのだろうか。

 山吹は確信を得たのか、俺の背中から離れて二葉の元へ駆け寄る。そんな山吹を二葉は立ち上がって受け止めた。

「スーちゃん! 会いたかったです!」

「私もずっと会いたかった! リオちゃん!」

 二人は目に涙を浮かべながら抱き合う。過酷な運命によって引き裂かれた二人の感動の再会だ。過酷だったかは知らないが。

 本日二度目の美少女イチャイチャタイムだが、決して感動が薄れることはない。とにかく眩しく、美しい。

「久々にリオちゃんに会えて嬉しい」

「あたしもです」

 二人は手を離し、涙を拭って互いに見つめ合う。

「スーちゃんはあれから元気にしていましたか?」

「色々あったけど、私は元気。そういうリオちゃんはどう?」

「あたしは先輩がいたから問題なく元気です」

 他愛もない話をしていたと思ったら、山吹が急に俺を登場させたのでビックリした。

 美しき二人の世界に俺を登場させないで欲しかった……。

「その先輩って、久保くぼのことよね。リオちゃんって久保と知り合いだったんだ」

「家が隣同士ですし、あたしが仲良くしようと必死になっているんです。先輩はあたしがいくらお願いしても友達になってくれませんけど」

 山吹は俺を横目で見ながら、そんなことを言う。まるで俺が悪者みたいだ。

「久保はぼっち大好き人間だから仕方ないよ」

 二葉は山吹の頭をそっと優しく撫でながら慰める。

「ぼっちで悪かったな……」

 二人して俺を精神的に攻撃するのはご遠慮いただきたい。

 二人は俺の言葉を無視して、会話を続ける。

「そう言えば、スーちゃんは先輩とデートしたって本当ですか?」

「へー、知ってるのね。久保とデートはしたけど、私のお願いを聞いて貰う交換条件としてのデートなのよ」

 いい加減、交換条件の正しい用法を知ったらどうなのか。

「スーちゃんと先輩、知らないうちに仲良くなってたんですね」

 山吹は笑顔を浮かべているが、心の中では何を考えているのだろう。想像したくない。

 居心地の悪さを感じ、俺は無理矢理二人の間に割り込む。

「ところで、二葉と山吹はどこで知り合ったんだ?」

 今までこの二人に接点があったなんて聞いたことがない。先程の様子から久し振りに会ったようなので、高校に入ってから知り合った訳じゃないだろう。

 しかし、山吹から意外な質問が投げかけられる。

「先輩、本当に覚えていないんですか?」

「覚えているも何も、二葉と顔を合わせたのは今年度からだと思うが」

 この学校では一年生と二年生の間にクラス替えがあり、文系と理系がおよそ半数ずつになるようクラスが組まれる。例外は選抜クラスだけだ。

 もちろん俺は選抜クラスではないのでクラス替えを経験している。

 山吹は俺に心当たりがないと分かると、

「昨日、先輩と話したときにスイレンという女の子の話しましたよね。その女の子がスーちゃん、いや二葉さんです」

「まじか……」

 確か当時は腰くらいまである長い髪だったと記憶している。髪の長さだけで判断するのは失礼かもしれないが、残っている印象がそれだけだから仕方がない。

 昔は近所に住んでいたが、小学二年生の夏休みが終わった直後に引っ越した少女。それが二葉らしい。

「やっぱり気付いてなかったのね……」

 二葉は呆れた様子でぽつりと言う。どうやら二葉は俺に気付いていたらしい。

 けれど、気付かなかった理由は髪の毛の違いだけじゃない。もっと大きな理由がある。

「いや、でも昔は苗字が二葉じゃなかっただろ。確か、モトウチだったはずだ」

「あたしも気になってました。どうしてスーちゃんの苗字が変わったんですか?」

 俺と山吹は同じところに疑問を抱く。理由はいくつか考えられるが、そのうちどれなのか不明だ。

 二葉は少し困った表情を浮かべる。

「それ、ちょっと話しづらいことなんだよね。あまり聞かれたくないから、ここじゃなくて私の部屋に来て貰って良いかな」

 その言葉だけで決して軽くない事情があるのだと判断できた。

 やはり人間は、過去に縛られるのだろう。

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