7. タコザンギ少女の来訪

「ただいま」

 家の玄関の扉を開けて帰宅。リビングに入ると、ソファに座っている二人が目に入った。

「おかえり」

「先輩、遅いですよ~」

 俺の方に顔を向けながら、二人は方面の異なる言葉を俺に投げかける。一人は俺の妹の希乃羽ののはだが、何故かもう一人――山吹やまぶきがいた。

 取り敢えず、俺は二人が座っているソファと別のソファに腰掛けた。二つのソファは直角になるよう配置されているので、俺は座りつつ二人は見ることが可能だ。

「……山吹、お前の家は隣だぞ」

「それは分かってますよ。家を間違えたとかではないです」

「じゃあ、何でウチにいて出たんだ」

「湧いて出たって、ハエみたいな言い方しないでください。先輩に用があって来たに決まってるじゃないですか」

 決まってないじゃないですか。

「俺は山吹に用がない。ご帰宅願おう」

「先輩ひどいです」

 山吹はねて口をとがらせる。

 そんな山吹を見て希乃羽がフォローし、

莉音りお、気にしなくて良いよ。今のは晃弥こうやなりのジョークだから」

 妹だけあって希乃羽は分かっているようだが、冗談だと他人に指摘されるとどうも釈然しゃくぜんとしない。

「晃弥はお隣の美少女が急に家に来たから、ツンツンデレデレしてるだけだし」

「ちげえよ」

 デレ要素は一切ないだろ。

「やっぱり先輩はツンデレ属性なんですね」

 山吹は何故か一人で納得したらしく、うんうんと頷いていた。

 やっぱりって何だ、やっぱりって。

「ぼっちの晃弥は女の子に耐性がないからね」

 希乃羽はニヤニヤと怪しげな笑みを浮かべている。きっと心の中で俺をけなしているに違いない。

「じゃあ先輩。女の子のあたしと友達になってください」

「断る」

「何でですか~」

 山吹にいつも通り友達リクエストされたが、俺はいつも通り拒否した。何故、山吹は諦めないのか不思議だ。

「ツンデレ晃弥と友達になるのは、十二月十八日に世界が変わらないよう阻止するのと同じくらい難しいことだよ」

 希乃羽のたとえは分かりにくいだろ。山吹なんて頭の上に三つくらいクエスチョンマークが浮かんでいる。

「……十二月十八日って何か特別な日だっけ?」

 山吹は希乃羽に顔を向けて尋ねるが、希乃羽は頭を悩ませて受け答えできずにいた。

 仕方なく、俺はフォローを入れる。

「歴史的には何かあったかもしれないが、普通の日だと思うぞ」

 山吹が知らないのなら仕方がない。

 俺に続いて通じなかった喩えを言った本人も言葉をつむぐ。

「あー……、うん。気にしなくて良いよ」

「そ、そう……」

 山吹は納得がいかない表情をしているが、ここでわざわざ説明をするほどのことでもない。

 俺と友達になるのはほぼ不可能だというニュアンスが伝われば十分だ。

「ところで、山吹は何の用があって来たんだ?」

 このまま他愛もない話をしても良いが、もう夕方だ。山吹も用事を手早く済ませた方が好ましいだろう。

「そうでした。今日は先輩にお願いしたいことがあって来たんです」

 山吹は俺の方を真っ直ぐ見据える。

「ライトノベルを貸してください」

 やっぱりか……。


 ◇ ◇ ◇


 山吹を俺の部屋に案内すると、早速本棚を物色し始めた。

「こうして先輩の部屋に入ったのは随分久し振りな気がします」

「確か前に来たのは昨年の八月だったな」

「その時に先輩に借りたライトノベルを返して、受験勉強モードに切り替えました。だからライトノベルをしばらく読めなくて、つらかったです」

 山吹は見た目からは分からないが、かなりのラノベ好きで、そこそこの頻度で俺から借りていた。

 昨年度は山吹が受験生だったため機会は少なかったが、今は無事に合格して解禁したのだろう。

 その割には、十二月十八日が何か知らなかったようだが。

「前に来たときよりかなり増えてますね。どれにしようか悩みます」

 山吹は気になった本を取り出してあらすじをチェックしている。しかし気に入らないのか、元の場所に戻した。

 それを何度か繰り返し、

「先輩、オススメってどれですか?」

 山吹は自分で選ぶのを諦めた。

「そうだな……」

 俺は本棚へ近付いて、背表紙に書かれているタイトルを一通りチェックする。

 そして特にオススメのものをいくつか頭の中でピックアップして、それらを本棚から探す。レーベル別に整理しているので、探すのに時間はかからない。

 手に取った本を山吹に次々と渡す。最終的に山吹の手には五冊のラノベが積み上がった。

「何か、思ったよりも少ないですね」

「必死になって特に面白いと思った本を厳選したからな」

 本当は他にも山吹に読んで欲しい作品は多数あるが、山吹の読むペースがかなり遅いことを考えれば自然と冊数は少なくなる。

 元から本を読まないタイプの山吹がラノベを読むようになったのも俺の影響だしな。

「これとこれはラブコメ、これは異世界転生もの、これはラブコメ……」

 山吹はぶつぶつと呟きながら俺が渡したラノベのあらすじを一冊ずつ確認している。

 あらすじを読んだ時点で山吹に合わないと思われなければ良いが……。

「五冊のうち四冊がラブコメなのが気になりますが、五冊とも面白そうです」

 俺の心配はいらなかったようだ。一安心。

「先輩って彼女作らないのにラブコメは好きですよね。何でですか?」

「何というか、自分は恋愛したくないけれど、見ている分には楽しいから、かな」

 何事も外から見た様子と実際に自分で経験した感覚とでは大きく解離があると思う。だから世間ではよく「やってみなきゃ分からない」と言われるのだろう。

 恋愛においても自分が相手を好きにならなければ、単なる憧れで済む。

「あたしはあまり深く考えない方が良いと思いますけど……」

 山吹は純粋に俺を気遣っているが、俺の考えは決して変わらない。

「考え方は人それぞれだから、個性と捉えれば良いだけの話だろ」

 人によって価値観が違うのは当たり前で、互いに尊重するのが人間社会で上手に行き抜く術だ。

 相手の価値観を否定せず、「そういう考えもあるのか」程度の認識で生きれば悩む必要がない。

「そういうものですかね」

「そういうものです」

 山吹はどこかに落ちない様子だが、それ以上話を掘り下げることはなかった。

「取り敢えず、この五冊を借りますね。いつまでに返したら良いですか?」

「そうだな……。一か月後くらいまでに返してくれれば大丈夫かな」

「了解です」

 山吹はビシッと敬礼をした。俺は軍隊の上司なのだろうか。

「これで用は済んだだろ。さっさと帰宅してくれ」

「先輩、どれだけあたしに早く帰って欲しいんですか……」

 そう言いながら、山吹は俺のベッドに腰掛け、隣にラノベを置く。

 どうやらまだ俺の部屋に居座るつもりらしい。

「帰らないのかよ……」

「あたしは用事が一つしかないなんて一言も言ってないですよ?」

 山吹は悪戯っぽく笑みを浮かべる。絶対に何か企んでいる顔だ。

 あと制服のスカートを短くした状態で脚を組まないでいただきたい。スカートとハイソックスの間のスラリとした生脚が見えて目に毒だ。

 くそ、健康的な肉付きしやがって。綺麗じゃねえか。

 俺は必死に脚から目を逸らしながら、

「そ、それでラノベ借りる以外の用って何だ?」

 努めて冷静に山吹に質問した。

「それはもちろん、昨日のデートについて聞くことに決まってます」

 俺をじっと見て、全てを聞き出こうとする気迫が漂っていた。まあ、特に隠すつもりはないけれど。

「先輩ったらあたしのLIMEライムをずっと未読無視してるじゃないですか。日曜日の夜に『デートどうでしたか?』と送ったのに、まだ返事ないですし」

 山吹は頬を膨らませて、不機嫌オーラ丸出しだ。

 俺はスマホをポケットから取り出して確認すると、山吹からのメッセージの未読が九十九件を超えていた。

 トークを開いてメッセージを確認すると、確かに日曜日に山吹から届いていた。

 ……今日もメッセージが十件くらい届いているが。

「メッセージ送りすぎだろ……」

「先輩が返事しないのが悪いんですよ?」

 今朝のメッセージなんて『肉なしチンジャオロース食べましょう、先輩』と意味の分からないものがある。どう考えても別人格だ。

「そういう訳で、先輩から直接お話を伺いたいと思います」

 山吹はやる気に満ち溢れた目をしていた。余程デートについて知りたいようだ。

 俺は勉強机の前に置かれた椅子に座り、体を山吹の方へ向ける。

「……俺は何を話せば良いんだ?」

「そうですね……。まずはお相手の情報からいきましょう」

 前に『味屋』で夕食を共にしたとき話した気がするが、確認の意味合いもあるのだろう。

「学校の食堂で偶然会った、クラスメイトの女子だな」

「なるほど」

 そう言いながら、山吹はスマホに右手の人差し指で文字を入力している。

「……まさかスマホにメモしているんじゃないだろうな」

「メモしてますが、何か問題ありますか?」

「問題がある訳じゃないが……」

 何となく、記録として残ることに抵抗がある。

 可能性は高くないと思うが、山吹のスマホから俺と二葉がデートした情報が漏洩するかもしれない。

 今でこそ俺をバカにした目で見るクラスメイトはかなり少なくなったが、デートの情報が知れ渡ったら俺を恨む奴が相当数現れるだろう。

 そして、その影響は俺だけではなく二葉にもあるはずだ。

 学校で広がる噂の影響力は想像しているより大きい。いずれは消滅するが、それまでは噂に耐え続ける必要がある。

 心が傷つくのには慣れたが、可能な限りリスクは下げておきたい。

「……分かりました。先輩が嫌ならメモはしません。けれど、しっかりとデートについて聞かせてください」

 山吹は気遣いができるあたり、優しい女子だ。助かる。

「では、改めて質問です。デートしたクラスメイトのお名前は何ですか?」

「それを訊いてどうする」

 かなり高い確率で山吹は知らないと思うのだが。

「折角ですし、先輩と良い感じになっている女の子の名前は覚えておきたいです。あたしの敵になるかもしれませんし」

 後半、山吹はぼそっと何か呟いていたが、はっきりと聞き取れなかった。

 前回『味屋』で会ったときは二葉への配慮として名前を伏せたが、山吹にだけなら教えても問題にならないだろう。

「名前は、二葉ふたば翠怜すいれん

「二葉翠怜さんですか……」

 山吹は名前を繰り返して言った後、考え込むような仕草を見せる。

「……確か昔、近所にスイレンって名前の女の子いましたよね。先輩は小学一年生と二年生のときに同じクラスだったと思います」

「そんな名前の奴、いた気がするな。けれど苗字は違ったような……」

 理由は忘れたが、小学二年生の夏期休暇直後に転校したはずだ。同時に引っ越しもしたようで、現在は彼女が住んでいた家の場所は売地になっている。

「苗字はモトウチですね。昔はよくあたしと遊んでました。先輩は誘っても必ず断られましたけど」

 当時から俺には友達と呼べる存在がいなかったからな。

「まあ、単なる偶然だろ。スイレンって名前が多いとも思わないが、同じ名前の女子がいても不思議じゃない」

「ですね」

 山吹は納得したようで、俺に対する質問を再開する。

「それでは次の質問です。二葉さんとのデートはどこに行ったんですか?」

「ショッピングモールだな。朝鉄バスの終点に近いところの」

「あの大きなところですね。あたしも行ったことあります。それで、ショッピングモールでは何をしたんですか?」

「最初は『君の記憶』って映画を観たな。その後は二葉に勧められた居酒屋でランチを食べて――」

 このように、俺は山吹から質問された内容に答えていった。

 雑貨屋でハンドクリームを塗られたこと、ゲームセンターでザンギ君ストラップをゲットして二葉に渡したことなど、一通りどこに行ったか、何をしたのかを話し、それを山吹は時折頷きながら真剣に聞いていた。

 そして俺が話し終えると、山吹から次の質問が投げられた。

「それで先輩は楽しかったですか?」

「どうだろうな……」

 昨日も二葉に同じ質問をされたが、俺ははっきりと楽しかったと断言できない。

 嫌だとは思わなかったものの、何をもって楽しいと判断するべきなのか分からない。

「話しているときの先輩はムカつきますけど楽しそうでした」

 山吹はむすっとしている。女子の気持ちは分からない。

「ムカつくのかよ」

「だって先輩のそんな表情を見たことないんですもん」

 不機嫌オーラ全開で食べ物を溜め込んだハムスターのように山吹は頬を膨らませている。

 俺は少し面白くなってしまい、山吹に近付いて頬を人差し指で突いた。

「ぷぅ~」

 山吹の口から空気が抜ける。

「何するんですか先輩」

「いや、可愛かったからいじめたくなった」

 俺は素直に自分の気持ちを述べる。瞬間、山吹の顔が赤くなって、

「せ、先輩はズルいです……」

 小さな声でそう言った。

「今日は、もう帰りますね。お、お邪魔しましたっ」

 慌てて立ち上がったかと思うと、山吹は貸したラノベを抱えて素早く部屋から出て行った。

 理由は不明瞭だが、俺は山吹に嫌われたかもしれないな……。

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