第二章. 過去

6. ザンギ少女の呼び出し

 週が明けて今日は月曜日。

 休み明けでどことなく体が重いが、学校は休みではないので仕方なく登校。

 いつも通り朝鉄あさてつバスに乗って高校に最寄りの停留所で降車し、徒歩で通学する。

「ふあ~」

 大きな欠伸あくびが出た。

 昨日は早めに寝たから睡眠不足ではないはずだが、思っていたよりもデートという名の二葉に振り回されるイベントのせいで疲れたらしい。

 普段から休日に必要がなければ出歩かない俺だ。昨日の出来事は体に負担になっただろう。

 階段を上って二階の廊下を進めば、俺の所属している二年四組の教室が見えてくる。

 開け放たれている扉から教室に入り、自分の席に座る。当然、その間に俺に話しかける奇特な人は誰一人いない。

 俺は特にやることがなく、ぼーっと教室を眺める。

 俺以外は、朝から勉強や読書をしている真面目な奴、スマホの画面と睨めっこしている奴、机に突っ伏して寝ている奴、群れて会話している奴など各々好きなように過ごしている。

 教室の隅、窓際では一番大きな群れが形成され、休み明けだというのに騒がしく話していた。

 そのグループは女子を中心とした六人で構成され、髪を染めていたり、メイクしたり校則を守っていない生徒がほとんどだ。

 グループの六人はスクールカースト上位で、このクラスにおける絶対的地位を確立している。俺とは明らかに立場が異なる存在だ。

 その中の一人、笑顔で話しているボブカットの女子は、スカートが短いことを除けば校則をきちんと守っている。

 だから彼女が上位に位置しているのは容姿か性格によるところが大きいだろう。

 俺は、そんな人と昨日デートしたのか……。

 クラス内での立場の違いを考えれば、あり得ない出来事だと思う。

 クラス最底辺ぼっち野郎の俺と、クラス上位美少女の二葉ふたば

 食堂で偶然出会うことがなければ、一生関わることのない人種だ。

 本当に人生は思いも寄らない事象で満ち溢れている。

 それは当たり前かもしれないが、怖いことでもある。

 ――キーンコーンカーンコーン。

 チャイムが鳴り、生徒が着席した。

 程なくして担任が入って来て、朝のHRが始まる。

 途中、ポケットの中のスマホの振動に気付き、俺は担任にバレないようスマホを机の下でチェックする。

『今日の放課後、食堂に来なさい』

 二葉からのメッセージだった。

 命令形だし、どうせ二葉のことだから俺が断っても強制的に連行するのだろう。カースト上位、怖い。

 ふと二葉の方を見ると、何故か二葉は俺を見ていた。そして二葉はウインクをする。意味不明だ。

 ……可愛い女子にウインクされると、心臓に悪い。


 ◇ ◇ ◇


 放課後になって食堂に辿り着く。

 二葉に呼ばれて来たのだが、どうやら呼び出した張本人はまだ来てないようだ。

 食堂には俺以外の利用者はいない。おばちゃんが食器を洗ったり片付けたりする音だけが響く。

 帰りのHRが終わってからすぐに食堂に来た俺とは違い、二葉は友達と話でもしているのだろう。だから少し待てば二葉は来るはずだ。

 俺は無料で使える給茶機で温かいほうじ茶を紙コップに注ぎ、手に持って窓際の端の席に座った。

 ほうじ茶を一口含む。口の中にほうじ茶独特のこうばしい香りが広がる。

 食器がこすれる音が聞こえるが決して五月蠅うるさくはなく、一人でゆっくりできるため、どこか安心する。

 誰とも関わらず、少し世間から離れたような感覚。まるで世界が自分一人で創られているかのようだ。

 俺の望みに近くて、心地良い。

 ――ガラガラ。

 食堂の扉が開き、俺を呼び出した張本人が現れた。

 どうやら静かな時間は長く続いてくれないようだ。

 二葉は俺を見つけてこちらに来て、隣の席に鞄を置く。

「ちょっと待ってて。ザンギ定食を注文してくるから」

 二葉は俺にそれだけ言って、食券機へ向かって食券を購入。次いで食券をおばちゃんに渡し、ザンギ定食を受け取って俺の隣に座った。

 言うまでもなく、特盛りだ。

いただきます」

 手を合わせて挨拶し、ザンギ定食を食べ始める二葉。

 ……本当に幸せそうだな。

 ザンギを食べる度に二葉は美味しそうな表情を浮かべるので、ザンギに目がないことがひしひしと伝わってくる。

 俺はそんな二葉の表情が嫌いじゃない。

「……久保、なした? 私の顔をじっと見て」

「あ、い、いや、何でもない」

 気付かないうちに二葉を凝視していたのか。不審者っぽくて気持ち悪い。

「そ」

 二葉は追求することなく、再びザンギ定食に口をつける。

 俺は訊かれなかったことにほっと安心して、すっかり冷めたほうじ茶を一気に飲んだ。

 さすがに二葉の顔に見惚れてたとは言いにくいからな……。

 二葉は黙々とザンギ定食を食べ続ける。量は多いが食べるペースは標準的で、少しずつザンギは二葉のお腹に消えていった。

 二十分ほど経過した頃、山を形成していたザンは跡形もなくすっかり消えていた。

「ご馳走様でした」

 二葉は挨拶の後、背もたれに背中を預けた。

 ていうか、呼ばれたはずなのに放っておかれているのだが……。

「……なあ、何で俺を呼び出したんだ?」

 呼び出したからには何か理由があると思うので、その理由を尋ねる。用があるなら早く済ませて帰りたい。

「別に理由はないけど?」

「…………」

 何だコイツ。

 理由もなく人を呼び出すとか理解できない。

 確かに陽キャは理由もなくすぐ群れるが、俺をそこに加えるのはやめて欲しい。

「だって、一人でご飯食べるのって、何か寂しいじゃん」

 一応、理由はあるんじゃねえか。相手が俺なのが気に食わないが。

「俺じゃなくても二葉なら友達多いだろうし、その友達の誰かに頼めば良いだろ」

 朝一緒に話していた五人にお願いすれば、一人くらいは付き合ってくれそうだ。

 お互いに一緒にいてどこか楽しいと感じるのが友達だと思う。だから二葉にとっても俺より友達の方が一緒にいたいと思えるだろう。

 まあ、友達がいないから想像でしかないが。

「……私が前に言ったこと、もう忘れたの?」

 ちょっと怒っているように見える。何故だ?

「前って、いつのことだ?」

 心当たりが全くないので、二葉に訊き返す。

「先週の木曜。私が久保と初めて会った日」

 不機嫌そうだが、俺の質問には答えてくれた。

 先週の木曜日か。二葉が一人でザンギ定食特盛りを食べていたのを俺が見てしまった日だ。

 二葉が何を食べているのか気になって覗いたらバレて捕まり、約束をさせられた。

 その約束の内容は、二葉がザンギ好きを秘密にすること。

 ……なるほど。

 確かに二葉は話していた。今思い出したけれど。

「友達は全員が二葉のザンギ好きを知らない。加えて恥ずかしいから二葉から言うつもりはないし、俺には秘密にして欲しい。けれど一人で食事は寂しいから、丁度良い人を探したら該当したのが俺だけだった。そういうことか」

「まあ、久保くぼはぼっちだけど悪い奴じゃないからね。今も必死に考えて思い出してくれたし」

 別に二葉のために思い出そうとした訳じゃない。俺自身が納得するためだ。

「……ねえ、久保は一人で寂しくないの?」

 不意に二葉に尋ねられる。その表情は俺を心配しているような、優しいものだ。

 けれど純粋な優しさは俺には必要ない。

「寂しかったらぼっちな訳ないだろ。俺は気が楽だから一人でいるだけだ」

 ぼっちだから寂しいと思うのは勝手だが、それが万人に当てはまると認識してもらっては困る。

 俺はぼっちだからこそ落ち着いて生きることができるのだから。

「久保は、心が強いんだね」

 今のは二葉なりの褒め言葉なのだろうか。

 心が強いかどうかと言われたら、むしろ弱い方だと思う。だからこそ俺は一人でいる道を選んでいる。

「私は一人だと寂しくて耐えられない。誰とも話せないから自分のことを知ってもらえないし、必要ともされない。つらかったり苦しかったりしても助けを求められない。どんな出来事があっても信じられるのは自分だけで、自分に自信がなかったらそれで終わりじゃん」

 どこか心の苦しみを訴えているように感じる。普段の二葉と違って小声で、けれどもはっきりした物言いだ。

「私は友達がいたから今まで生きてきた。私がいる場所はここだって思えた。だから私は一人じゃ生きていけないと思う」

 二葉の目は、おそらく現在じゃなく過去を見ている。

 昔のことを思い出して言葉をつむいでいたと思う。

 けれど嫌な記憶ほど明確に思い出せるし、一度思い出したら止まらなくなる。その記憶の出来事が起こった際の自分の感情まで引き出されたら、感情に流されて気持ちが沈むだろう。

 それは、ただひたすらにつらい。

「……二葉、それ以上は話さなくて良い」

 勢いのまま話を続けそうな二葉を、俺は言葉で制する。

「え? あ、ごめん」

 よく分からんが、少し慌てた様子の二葉に謝られた。

 だが、これで一安心だ。

「二葉は過去に何かあって、友達が大切だと思った。それ以上の情報はいらない」

 過去に何があったのかは聞かないでいるべきだ。

「過去がどうだろうと、今を必死に生きている。それだけで十分だろ」

 人間は悩んで、苦しんで、藻掻もがいて生きている。

 その度に心に深い傷を負って、自分に生きる価値があるのかどうか問いかける。

 何度も心がボロボロになるし、どうすれば正解なのか分からない中を進まなければならない。

 何て理不尽な人生だろう。

 地球に生まれたのにつらい出来事ばかりで楽しいと思える場面は少ない。

 けれど、つらい世の中を渡り歩いてきた事実が財産ではないだろうか。

 人生を投げ出したくなっても投げ出さず、乗り越えたことに価値があると思う。

 だから、生きていればそれで良い。

「……久保は優しいね」

 二葉がぼそっと言った。

「いや、これは優しさなんかじゃない」

 ただの価値観の押し付けだ。俺がどう考えていようと、二葉には一切関係がない。

 二葉には二葉なりの価値観があるのに、それを無視するのは好ましくない。

「いや、優しいでしょ」

「だから優しくないだろ」

 改めて否定の言葉を述べる。だが二葉は納得せず、

「やーさーしーいー」

「優しくない」

「優しいでしょ!」

「…………」

 何か二葉の相手するの疲れた……。

 元から二葉は引き下がらない性格だと知っているが、ここまで二葉が譲らないとは想定外だ。

「よし、勝った!」

 二葉は小さくガッツポーズをしている。俺に勝てたことが嬉しかったらしい。

 そもそも、これって勝負だったのか……。

「お前、相変わらず強引だな」

「お前じゃなくて二葉翠怜すいれん

 先程までとは違う、いつも通りの二葉だ。安心する。

「てか、何ニヤけてるのよ。キモいんだけど」

「容赦ないな……」

 俺、ニヤけていたのか。全く気付かなかった。

 けれど少しは許容して欲しいところだ。つらそうな二葉が消えたことで気が緩んだのだから。

「あ、そうだ。これ見て」

 そう言って、見やすいように二葉は俺の前に鞄を出す。

 二葉が指さした先には、鞄のチャックの部分に結び付けられたキャラクターがいた。

「……ザンギくんか」

 何度見ても可愛いと思えない雑な造りだ。

「昨日の思い出だし、折角だから大事にしようと思って分かりやすいところに付けてみた」

 二葉は嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 俺なんかが取ったストラップを大事にしなくても良いのに。

「……感想は?」

 俺がただ黙って見ているだけなのが気に食わないのか、意見を求められた。

 感想と言われても、ぱっと思い浮かぶものではない。

「何だろうな……」

 俺はどうにか言葉をひねり出そうと考える。何を言えば良いのか。

「感想だけでそんなに悩むんだ……」

「感想って言われても、ザンギくんを大事にする意味が分からないこと以外は何も思わなかったからな……」

 俺は素直に思ったことを述べて、感想は諦めた。時には諦めも肝心だ。

「そりゃ、久保にプレゼントされたんだから、大事にしないと失礼じゃん」

「俺はいらないから渡しただけだが」

「人に渡したらプレゼントでしょ」

 二葉ははっきりと言うが、プレゼントと不要物処理は違う気がする。

 前者は相手に喜んで欲しいから渡すが、後者は自分に必要ないから渡している。

 行動としては同じでも、動機が似ても似つかない。

「少しは『俺が渡したザンギ君マスコットを付けてくれてる、嬉しい』的な反応を期待したけど、相手が久保じゃやっぱりあり得ないか」

「俺で悪かったな……」

 二葉は本当に思ったことをそのまま口に出すよな……。

 こんな奴がカースト上位で友達多いのだから、世の中は不思議だ。

「久保ってさ、どうせ明日も暇でしょ? なら明日も放課後に食堂に来なさい」

 俺の予定を訊かずに勝手に決めるのか。確かに明日に限らず放課後は暇だが。

 というか、明日も食堂ってことは、

「二葉って放課後は毎日食堂に来てるのか?」

「友達と外せない用事があるとき以外は来てるかな。ザンギ定食を食べたいし」

 先週も木曜日、金曜日と食堂に来ていた時点で薄々勘付いてはいたが、二葉は基本的に放課後はザンギ定食特盛りをお腹に収めているらしい。胃袋が大きい人はやることが違う。

「だから、明日も私に付き合いなさい」

 やはり、二葉は随分と強引だ。

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