3. 後輩のタコザンギ少女
靴を履き替えて正面玄関を出る。
既に太陽は西の空に沈み始めており、空は赤く色づいている。
普段は白く見えている雲さえも太陽の光を受けて赤く染まっていて、幻想的な世界が広がっていた。
そのまま校門を出て歩くこと十分ほど。最寄りのバス停が見え始めたところで、バス停で待っている女子がこちらに向かって手を振り始める。どうやら俺の存在に気がついたらしい。
「せんぱーい」
遠くから元気に手を振っている女子に大きな声で呼ばれ、俺は彼女の元へと向かった。
「先輩、お久し振りです」
「久し振り」
彼女は
一応幼い頃から知ってはいるため幼馴染みと言えるのだろうが、俺が覚えている限り一緒に遊んだことは一度もない。
俺が一方的に山吹に絡まれるだけである。
「早速ですけど先輩、友達になってください」
「断る」
「え~、何でですか~」
山吹には会う度に俺に「友達になってください」とお願いされる。俺はその度に断っているが、山吹には諦める気配が微塵もないので困る。
俺には友達は必要ないんだけどな。ぼっち最高だから。
「ところで先輩。今、帰りですか?」
「今、帰りです」
「なら、一緒に帰りましょう。久々に先輩に会えたので色々とお話がしたいですし」
どうせ家が隣同士なので、必然的に帰る方面は一緒になる。当然、通学に利用している
山吹と会ってしまった時点で同じバスに乗車するのだから、一緒に帰宅する他ない。
「そういえば、先輩と一緒の高校に入りましたけど、こうして制服で会うのは初めてですよね。どうですか? あたしの制服姿」
山吹はその場でくるりと一回転する。特徴的なポニーテールがふわりと揺れた。
「似合っていると思うぞ」
ここで「似合っていない」などと言うほど俺は空気が読めない人間ではない。
そもそも女子に服の感想を求められたら、「可愛い」「似合っている」と褒めるべきだと決まっている。それ以外を言ったときには機嫌を損ねるか殴られるだけだ。
実際、山吹は女子として可愛いため、どんな服でも似合うと思う。もちろんそこには制服も含まれているので、俺の感想は本心だ。
「ありがとうございます」
山吹は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「中学のときはセーラー服だったので、ブレザーって新鮮ですね。まだ少し慣れていないです」
「つい一ヶ月前までは中学生だったんだから、無理もないだろ」
「そうですね。高校生としてはあたしはまだまだ新米ですものね」
「高校生にベテランや新米という概念が存在するのか……」
それなら何度も留年した者はベテラン高校生と言えるのではないか。学力面では優秀ではないだろうけれど。
「先輩は、そうですね……ぼっちのベテランですね」
「世間的には何も評価されないだろうな」
「ごめんなさいそういう意味で言った訳ではないですバカにしていないのでお許しください」
山吹に必死に頭を下げられた。ちょっとした冗談のつもりだったのだが、いたたまれない。
「別にぼっちだからって周囲にどう思われていようと、俺は気にしていないから、山吹が謝る必要はないぞ」
ぼっちだから寂しいと決めつける人が多いのは知っている。
けれど本人にとっては一人の方が気が楽だから他人と行動を共にしない場合がある。
それは寂しい訳ではない。本人が好んで選んだ生き方だ。
「でも、失礼ではなかったですか?」
山吹は恐る恐るこちらの様子を
「失礼な訳ないだろ。山吹がそういうつもりで言ったんじゃないってことくらい分かる」
山吹は俺がぼっちでいようとしている事実を知っている。だから俺を貶すとは考えがたい。
俺の言葉を聞いた山吹は目を丸くして、
「先輩って、あたしのこと分かってくれているんですね。嬉しいです」
素直に感想を述べられて、俺は受け答えに困惑する。
しかし丁度バスが到着したことで、俺は何も言わずに済んだ。
「あ、先輩。バスが来ましたよ。乗りましょう」
「ああ」
俺たちはバスに乗り込み、後方の二人掛けの座席に座る。窓側が山吹、通路側が俺だ。
四月になり日に日に気温は上がりつつあるが、まだ最高気温は十度を少し上回る程度。外は少し肌寒い。
だからバス車内の暖かさはありがたい。
「何か、先輩と一緒に座っていると、緊張しちゃいますね」
山吹は「えへへ」と照れ笑いしている。
「一緒に帰ろうって言ったのは山吹だろ」
「そうですけど……。単純に、男の子と一緒に座ったら距離が近くなるので、意識しちゃうってだけです」
素直に述べているだけだろうが、そう言われると山吹が女子であることを意識してしまう。
急に恥ずかしくなり、山吹から目を逸らした。
「……先輩、女の子と座っていることを意識して恥ずかしくなりました?」
「ど、どうだろうな……」
「こんなあたしでも先輩に女の子として見られていると思うと、嬉しいです」
どこまでも真っ直ぐな山吹は、すぐに思ったことを口に出す。おかげで空気が変だ。
山吹は俺を困惑させようとわざと言っているんじゃないだろうな……。
俺が恥ずかしさと必死に戦っていると、ポケットの中のスマホが震動し始めた。
俺はすぐにスマホを取り出して画面を確認する。
『今日、友達の家に遊びに行ったんだけど、急にそのまま泊まることになっちゃった。だから夕食は作れない。ごめん』
オゥ……。
我が家は希乃羽以外、料理の腕が壊滅的だというのに……。
「先輩、どうかしましたか?」
山吹は俺の顔を覗き込んでいた。そんなにショックな顔していたかな……。
俺は山吹にスマホのトーク画面を見せる。
「こういう訳で、俺の今日の夕食が消滅した」
山吹は希乃羽と知り合いなので、メッセージの内容だけから事情を把握したようで、
「じゃあ、一緒に夕食摂りませんか?
俺に夕食のお誘いが来た。ちなみに『味屋』とは家の近所にある定食屋だ。
「山吹は家で夕食摂らなくて大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。両親は帰りが遅いですし、あたしが夕食を作らなくてもレトルトのおかずが常にストックしてあります。それに平日なら一人で夕食摂ることが多いので、先輩と一緒に食べた方が寂しくないです」
両親が共働きで一人っ子の山吹にとって、他人と食事を共にできる機会は少ないのだろう。
寂しいのは、かなりつらいことだと容易に想像できる。
「……そうか。なら一緒に味屋に行こうか」
「はい」
そうして、俺たちは家の最寄りのバス停で降車し、定食屋『味屋』へと向かった。
◇ ◇ ◇
「いらっしゃい、莉音ちゃんと
店に入るとカウンターにいるおじさんから声をかけられた。この店の料理人である。
「こんばんは」
「お久し振りです」
山吹と俺はそれぞれおじさんに挨拶し、カウンター席に隣同士で座る。
この店はカウンター席が十席程度しかないが、サラリーマンや親子で五席は埋まっていた。小さな店にしてはそこそこお客さんが入っていると思う。
おじさんが俺たちの前に水の入ったコップを置き、
「注文は決まったかい?」
「あたしはいつも通りタコザンギ定食でお願いします。先輩はどうしますか?」
「俺は、そうだな……」
店内の壁に貼られているメニューをざっと眺める。
豚のしょうが焼き定食、天ぷら定食、ほっけの塩焼き定食、焼き鮭定食などなど。
壁一面にびっしりと貼られている。
いつも多すぎて迷うんだよな。
「先輩、タコザンギ定食がオススメですよ」
「いや、タコザンギはちょっとな……」
タコザンギ定食以外で食べたいものを探す。今日は魚が食べたい気分だ。
「じゃあ……サバの味噌煮定食でお願いします」
「はいよ」
注文を聞いてすぐにおじさんは調理に取り掛かった。
「先輩、まだタコザンギ食べられないんですか?」
「好きじゃないからな」
「それは人生の七割、いや八割は損してますよ」
タコザンギ程度で大げさな……。
「タコザンギほど最高に美味しい食べ物はこの世の中に存在しないんです。タコザンギは味付けも大事ですけれど、タコそのものの美味しさを感じれますし、何より食感が癖になります。つまりタコザンギは料理の王様と言っても過言ではないです」
過言だと思います。
「特にこの店のタコザンギはトップクラスに美味しいんですよ。味付けは醤油ベースで少し濃いめですが、一個一個が大きいのでタコの美味しさが失われていないんです。それに一個が大きいのにも関わらず固くなくて噛み切ることができるんですよ。今まで色んなお店でタコザンギを食べてきたタコザンギマスターのあたしのイチオシです」
完全にスイッチが入っている山吹はタコザンギについて熱く語っている。
山吹のタコザンギ愛は伝わってくるのだが、興味がないので俺は山吹の話を適当に聞き流していた。
この話は山吹がタコザンギの素晴らしさを語りたいという欲求から来ている。だから俺が聞き流していても山吹には不満そうな様子はない。俺もこの話は何度か聞いているし。
「本当に莉音ちゃんはウチのタコザンギ定食が大好きだよね。私としては嬉しいよ」
そこへ笑顔を浮かべつつおじさんが料理を運んできた。
「はい、これがタコザンギ定食で、こっちがサバの味噌煮定食ね」
山吹と俺の前にそれぞれタコザンギ定食とサバの味噌煮定食が置かれた。
「来ました! これですよこれ! 先輩このタコザンギ見てください。大きくないですか?」
山吹は目の前に置かれたタコザンギを眺めて興奮状態だ。目がキラキラ輝いている。
「確かに大きいな」
山吹が言っていた通り、タコザンギ一個の大きさはピンポン玉くらい。一般的なタコザンギの二倍ほどの大きさだ。
「ですよね! 早速
山吹は「戴きます」と言って、タコザンギを口に入れた。まさかの一口……。
「本当に美味し過ぎます。最高です!」
山吹のテンションは高いままだ。おじさんなんて苦笑いしている。
折角の料理なので俺も冷めないうちに食べ始める。サバを箸で一口大に切り、パクリと食べた。
口の中で身がほろほろと崩れる。加えて味噌が優しい味で相性が良い。
「……
思わず感想が漏れた。
この店でサバの味噌煮定食を注文したのは今回が初めてだが、癖になりそうだ。
「先輩のサバの味噌煮、一口貰いますね」
山吹は俺の許可も取らず、勝手にサバの味噌煮を食べた。
その、あれだな。山吹が使っていた箸が俺のサバの味噌煮に触れたのか。えっと、山吹も女子なんだよな……。
サバの味噌煮の山吹が箸で切った部分、ちょっと食べにくい。
「ところで先輩。今日は何で帰りが遅かったんですか? 部活に入ったんですか?」
山吹はそんなこと気にしていないようで、変わった様子もなく尋ねる。
だから俺も気にしないことにした。無心だ、無心……。
「ぶ、部活は入ってないぞ。昨年度から」
「やっぱりそうですよね。先輩はぼ、じゃなくて一人が好きですもんね」
山吹は『ぼっちのベテラン』と言ったことをまだ気にしているのか、『ぼっち』と言いそうになったのを違う言葉で代用する。
俺は気にしていないと言ったのだけれど、山吹は違うようだ。
「だとすると、何でですか?」
特に
「実はな――」
そして俺は山吹に放課後の出来事を話した。
二葉に手紙で呼ばれて食堂に向かい、明後日にデートする約束をした話だ。
もちろん手紙をラブレターだと勘違いしたことは話さなかった。恥ずかしいし。
また、二葉の名前を出さず、クラスメイトの女子という体で説明した。一応、二葉に対する配慮だ。
話を聞き終えた山吹は、
「せ、先輩がデートですか!?」
かなり驚いていた。
「あの、ぼっちの先輩がデートですか!?」
動揺しすぎて『ぼっち』と言ってしまっている。
あまりにも山吹が動揺しているのでまともな会話ができそうにない。
「……取り敢えず深呼吸してくれ」
山吹は大きく空気を吸って、ゆっくりと吐き出す。少しは落ち着いただろうか。
「デートって言っても、別に俺がその女子に気があるとかじゃない。単に強引に誘われて断れなくなっただけだ」
実際、二葉の誘いを断る理由がなかった。
「でも、デートするってことはその女子は先輩のことが好きなのでは……」
「そこは大丈夫だと思うぞ。俺が秘密を守る代わりにデートするってことだから」
「何か納得いかないです……」
山吹はどこか不満そうだ。
「あたしは先輩が優しいことは知ってますけど、デートに誘われて簡単に了承する優しさは不要だと思います」
俺の方に身を乗り出して必死に訴えられる。顔が近い。
「ちなみに、どこでデートするんですか?」
「それ、まだ聞いていないんだよな。後で詳細はLIMEで送るって言ってたけど」
「LIMEアカウント交換したんですか!?」
「な、成り行きで……」
何だろう、今日の山吹、怖い。
「先輩、あたしとLIMEのアカウントを交換してください」
「急にどうした」
「交換してください」
「はい……」
俺に拒否権はないようだ……。
俺はスマホを取り出し、山吹とアカウントを交換した。表示名は『山吹莉音』、画像はトラ柄の猫の写真だ。
「山吹ってスマホ持っていたんだな」
確か前に会ったとき、中学生の山吹は持っていなかった。
「高校生になってやっとお母さんから許可が出たんです。おかげでスマホ歴はまだ数日ですけど」
その割にはスムーズにLIMEアカウントを交換できていた気がする。たった数日で使い慣れているっぽい。
「これでいつでも先輩と連絡し放題ですね」
山吹はスマホを強く握り締め、嬉しそうだった。
ちなみに『味屋』から帰宅すると、山吹から連続でメッセージ通知が届いて
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます