第11話 本当の家族になるために
二人は脱衣所を出て廊下を歩く。
すると、少し進んだところに香織が立っていた。
「あら、お嬢様。お風呂上りですか? その方と仲良くするのは構いませんが、高校生にもなって男の子とお風呂に入るのはどうかと思いますよ」
「いいのよ。流斗は私の弟になるのだから」
「そうよね?」と遥が聞いてきたので、流斗は大人しく頷く。
「すみません、香織さん。今日だけなので安心してください。いくら姉さんだからといっても、俺も色々と困りますから」
「え~。なんで~? いいじゃない、別に~」
流斗の言葉に遥が少し不満げに顔を作り、遠慮なく腕を絡めてくる。
「……うっ、当たってる。 当たってるって、姉さん!」
「う~ん? な~にが~? な~に~が~?」
なおも遥は流斗に引っついてじゃれていた。
完全に浮かれている様子だ。
先程までの硬さがどこか抜けたようなやり取りに、香織は嘆息する。
「何があったのかは知りませんが、良かったですね。お嬢様」
「うん。香織さんもありがとね」
「私は何もしていません。でも、もう二人でお風呂に入るのはやめてください」
「はいはい、分かったわよ~」
遥が流斗の腕に抱きついたまま答える。
本当に分かっているのだろうか。
「ところでお嬢様。先程、旦那様が帰ってきましたよ」
それ聞いた遥の目が、流斗に抱きついたまま鋭くなった。
「……そう。それで、今はどこにいるの?」
「リビングで休まれています」
「なら、なぜあなたがここにいるのかしら? 父さんの面倒は見なくてもいいの?」
「旦那様には今、あの方がついていますから」
「チッ、あいつか。……私、あの人のこと苦手なのよね」
(え? 舌打ちした?)
遥の声がどんどん低くなっている気がするのは、気のせいだろうか。
「姉さん、あの人って?」
「父さんの専属メイドみたいなものよ」
遥が機嫌の悪そうな顔で言う。
「いえ、お嬢様。それは少し違うでしょう」
「違わないわよ! あの女は、いつも父さんと一緒にいて……私から父さんを奪った」
香織の反論に遥が激しく反発し、そっぽを向いてしまう。
「あの人というのは、
香織が流斗のために補足説明をしてくれる。
「ということは、軍の人?」
「はい。しかも彼女は、たまに旦那様と一緒にこの屋敷に帰ってきて、家でも旦那様のお手伝いなどをしていかれるのです。そういうときは、私は下がるように言われています」
「そうなのか……」
この家の事情がまだよく分かっていないのでなんとも言えないが、遥が冷泉七海という人物を嫌いな理由はなんとなく理解できた。
「じゃあ、流斗。リビングに行くわよ」
「えっ?」
「なによ、父さんに挨拶しに行くんじゃなかったの?」
「でも、今は冷泉さんがいるんじゃ――」
「あの女に気を使う必要なんてないわ」
またも遥が流斗を無理やり引っ張っていく。
(物事には心の準備というものが……)
「では、私も同伴させていただきます」
遥に引きずられていく流斗に、香織も後ろからついてきた。
◇ ◇ ◇
すぐに三人はリビングの前へたどり着いた。
ここに来て、流斗は重大なことに気付く。
「しまった! なんて挨拶をすればいいのか考えてなかった! 一体、どう説明すればいいんだ?」
「そんなことはどうにでもなるわ。とりあえず入るわよ!」
「ちょっ――」
猪突猛進にも程がある。
またしても流斗の制止を無視し、遥が扉を開き中に入る。もはや、お決まりのパターンとなっていた。ここに来てからは遥に翻弄されてばかりだ。
「父さん、お帰りなさい」
「ああ、ただいま。遥、いつも言っているがノックをしろ」
「別にいいでしょ。何かマズイことでもあるわけ?」
露骨に悪態をつく我が姉。
「マナーの問題だ。それよりも、この前話していた少年はどうなった?」
士道は座っていた椅子から立ち上がった。遥に続いて、低い声がする部屋に入った流斗の目に、長身で体付きの良い無精髭を生やした男が映る。
その男の隣には、こちらも背が高く、背は香織ほどあるであろう。さらさらとした長い髪を持ち、青い縁のシャープな眼鏡をかけた、体の均整がとれた美しい女がいた。
(この体格の良い男が、姉さんのお父さんである、神崎士道……で、こっちのクールそうな若い女が、冷泉七海か)
「遥、この少年は誰だ?」
士道が部屋に入ってきた流斗を見ながら尋ねる。
「何を言っているの? 父さんも写真で見たでしょう。この子は日向流斗よ。ま、流斗は私の弟になるわけだから、神崎流斗と言うべきかしらね」
「オイオイ、やっぱりか! なんでここにいるんだ!? お前、『私が捕まえる』とか言っていたじゃないか! というか弟になるってなんだ? どういうことだ!?」
「お父さん、ちょっと落ち着いてよ。みっともないわ」
「落ち着けるか! 俺がいない間に、何があったらこんな状況になるんだ!」
士道と遥の激しいやりとりに、流斗は困惑していた。
(姉さんは、父親とコミュニケーションを取りにくいと言っていたが、この人意外とテンション高いな……)
「もしかして、お嬢様は旦那様にこのことを告げていなかったのですか? 私には話はつけてあると言っていた気がしますが」
香織が二人のやりとりにおずおずと入り、遥に尋ねる。
「うん。言ったら反対されそうだったからね」
(……え? マジで? 言ってなかったのかよ!)
遥が発した言葉に、七海以外の全員が驚いた顔をした。
「お嬢様……」
香織が呆れているのが、流斗の目にもはっきりと分かる。
「神崎中将」
「なんだ?」
今まで会話に入ってこなかった七海が口を開いた。
「ちゅ、中将!?」
流斗は士道の階級の高さに驚きの声を上げる。
階級までは遥に教えてもらっていなかったからだ。
魔術が使えるこの時代では、陸軍・海軍・空軍はおおよそ統合されており、この国の軍部で『中将』と呼ばれる者は百人に満たない。
つまりこの男は、この国でかなり上位の魔術師ということになる。
「話は理解しました。この少年は、昨日中将が話題に上げた者ですね。子供とはいえ暗殺者の息子であり、《スラム街》で窃盗を行っていた犯罪者。ここで逮捕しましょう。それとも今、私が始末しましょうか?」
七海は表情を変えないまま士道に問う。
そして、その答えを待たず、流斗のほうへ一歩足を踏み出した。
その瞬間、流斗の隣にいた遥の纏う空気が変わり、七海に向けて凄まじい殺気が放たれる。流斗は辺りの空気が震えるような錯覚を覚えた。部屋全体にまで膨らんだ殺気は、流斗が遥と戦っていたときに感じたものの比ではない。
「……今度は、私から流斗を奪うつもり? もう絶対に渡さない。流斗は私のものなんだから! それを奪うというなら――――お前を殺す」
耳にしただけで相手を呪い殺すような声。遥の顔は、流斗が今まで見たことがないほど狂気で変貌しており、思わず流斗は遥から一歩距離を置いた。
(……怖い。怖いよ、姉さん。その顔は)
一見落ち着きのあるお嬢様に見える遥だが、案外その気性は激しいのかもしれない。
遥の手のひらから凝縮された《重力弾》が現れ、それは辺りの空気を飲み込むように密度を増していく。部屋に吹き荒れる嵐。
「ちょっ、姉さん――」
「やめろ、遥! 七海、お前も下がれ」
流斗が遥を止めようとしたところで、士道の厳粛な一喝が、この場にいる人間を凍りつかせた。二人の動きが止まり、場に充満していた殺気が霧散する。
「遥、お前はどういうつもりでこの少年を連れてきたんだ?」
「父さんは昨日、この少年を私に任せると言ったはずよ」
「確かにそう言ったが、彼は犯罪者だろう?」
「そうね。でも、流斗は根っこのところは優しい良い子なのよ」
遥の言葉に士道は少し間を置き、質問する。
「なぜ、出会ったばかりのお前にそんなことが分かる?」
「分かるわよ。一年間、ずっと見てきたもん……」
(……え? 一年間見てきたって、どういうことだ?)
流斗の疑問はよそに、二人の会話は進む。
「私には分かるの。理屈じゃない。この子は私と同じなの! 流斗には私が必要で、私には流斗が必要なの。お願い! この子を家に住まわせてあげて!」
話には入っていけなかったが、遥が自分のために、必死に士道を説得しているのを見て、流斗は床に正座をして頭を下げた。
士道が今までろくに行動を起こさなかった、流斗の挙動に目を向ける。
(姉さんは……俺の最後の『希望』なんだ。俺はこの人のために生きると決めた。もう姉さんを一人にはさせない!)
ガツンと音が鳴る程、おでこを床に叩き付けた。
その音で全員の意識をこちらに向けさせる。その上で言葉を発す。
「俺が暗殺者の息子で、犯罪者なのは重々理解しています。その上で、もう一度だけチャンスをください! 俺には残りの命をすべて、姉さんと、この神崎家のために使う覚悟があります! 証拠を見せろというのなら、指の一、二本、斬り落としても構わない」
流斗は床に頭をこすりつけながら叫び、必死に祈った。
「旦那様、私からもお願いします。どうやら、お嬢様はすっかりこの方を気に入ってしまったようで。昨日から、普段よりも見違えるほど明るくなられているのです」
香織までもが味方をしてくれた。薄々感づいていたが、彼女は心の優しい人だ。
士道は三人の話を聞き終えると、立ったまま腕を組み、何か考えるように目を瞑る。その場をしばしの静寂が支配した。
「…………分かった。その少年は、我が家で引き取ろう」
士道の言葉を聞き、香織が肩の力を抜き、流斗は顔を上げてほっとしたような表情を見せる。遥の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「いいのですか? 犯罪者、それも暗殺者の息子を見逃したあげく、ご自身の家に住まわせても? いつ命を狙われてもおかしくありませんよ」
七海の言葉を聞き、遥が再び鋭く睨みつける。
今にも食いつきそうな勢いだった。
「構わん。易々と獲れる首ではない。が、期間を定めさせてもらう。この夏の間は我が家に置いてやろう。その間に、俺はお前の本質を見定める」
士道が床に伏している流斗を見下ろして言った。
「ありがとうございます! 精一杯努力します!」
「ありがとう、父さん」
遥が落ち着いた表情に戻り、士道に語りかける。
「父さん、私は流斗を改めて鍛え直し、私と共に軍の任務に就かせるつもりよ」
「そうか。二人で行動するというのなら、少しはお前の負担も減るだろう。だが、それはこの少年が役に立つ場合に限る」
そこで士道が一度言葉を切り、流斗を見ながら続ける。
「この少年の習得している技の半数は、おそらく『必殺』の技であろう。軍の任務に就くのであれば、殺さずに敵を仕留めることも必要だ。俺もこいつを鍛えるのを手伝おう」
「え? 父さんが直々に教えるの?」
遥は予想していなかった士道の言葉に、少し驚きながら聞き返した。
「なんだ? 何か不満か?」
「いいえ、思ったより、父さんも乗り気なんだなーと思っただけよ」
「別に、そういうわけではない。……というわけで、その傷が完治しだい、俺もお前のことを鍛えてやる。覚悟しておくんだな、日向流斗」
士道が自分のことを『日向流斗』と呼んだことに、自分はまだこの人に認められていないということを改めて認識する。それと同時に、ジャージで隠れているはずの傷を、士道がいとも簡単に見抜いたことに驚いた。
「よろしくお願いします!」
流斗は再び頭を下げて感謝した。
必ず自分のことを士道に認めさせてやるという強い決意と共に。遥のためにも、自分のためにも、もう退くことはできない。
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