第12話 姉と修行

 日向流斗の怪我は、ひびの入っていた骨も含めて、一週間ですべて元の状態に戻った。

 その回復力には、遥や香織はもちろんのこと、さすがの士道も驚いていた。


 流斗は、幼少の頃より特殊な鍛錬を積んでおり、その骨や肉体は異常なまでの頑丈さと再生能力を有していたのだ。


 怪我が治るまでは香織と一緒に家事を手伝ったり、ダメージの少ない下半身を一人で鍛えたり、将棋が趣味だという士道の相手をしていた。流斗の父も将棋に限らず戦略性のあるゲームが好きで、流斗はよく付き合わされていたのを思い出す。


 父はよく、『力だけでは世の中上手く渡っていけない。頭を使わないとな。暗殺者が短絡的な思考で動いたら、すぐに死んでしまう』と流斗に語り聞かせていた。


 その影響もあり、流斗も自然とそのようなゲームが得意になっていた。流斗は行動の前には必ずシミュレーションを行い、あらゆるパターンに対応できるように備えている。


 軍人である士道の将棋の腕は、趣味だというだけあって確かなものだった。

 まだ自分のことを認められていない流斗は、士道と将棋を指すたびに向かい合うことになるのでかなり緊張した。


 それでも何度か指すうちに、将棋の最中だけは、その緊張はほどよくほぐれ、自分の実力をしっかりと発揮できた。だが、流斗の腕前は士道には及ばなかった。

 結論を言うと、対戦成績は五勝九敗で流斗の完敗である。


 ここ半年くらい将棋を指していなかったが、士道の将棋の腕は自分の父と同じくらいだと判断した。自分には士道を満足させるだけの実力がないということに悔しさを感じ、この家にいて役に立てるかもしれない要素が一つ減ったことに焦りを感じた。


 しかし、士道は今までなかなか相手になる人がいなかったらしく、流斗との勝負を楽しんでいるようで、一勝負ごとに成長を見せる流斗の思考力に感心していた。

 何度か将棋を指しているうちに分かったことだが、士道は遥を前にすると少し言動が硬くなってしまうが、士道本来の気質はなかなか陽気な人物らしい。


 初めて会ったときは威圧的な雰囲気を感じたが、この一週間だけで随分と自分に対する態度が緩やかになっていると、流斗は感じていた。




 流斗の傷が完治すると、宣告通り、遥と士道による厳しい鍛錬が始まった。

 遥とは基礎トレーニングと実戦形式の戦闘訓練を行う。


 流斗の肉体強化の魔術は、自身が持つ本来の運動能力を倍増させるものであり、自分自身の肉体を鍛えることで、魔術を使った際にさらなる運動能力の向上がみられる。


 よって、基礎トレーニングで流斗は遥と同じメニューを行い、その回数は彼女の倍以上こなした。


 それは普段から体を鍛えていた流斗にとっても非常に厳しいメニューだったが、先に終わった遥が励ましてくれる姿を見て、流斗のやる気は一段と増した。


 実戦形式の戦闘訓練は、魔術を用いない素の状態で行われる。魔術師ではあるが、本来二人は武術を修めた武術家でもあるのだ。遥は素の状態でも流斗を圧倒した。


 流斗は《スラム街》で遥と戦ったときに、遥は素の状態でも自分より強いのではないかと考えていたが、遥の実力はその予測を超えたものだった。


 スポーツ化したことにより失われた、多くの危険な技を扱う『古流空手』や、肘や膝を用いて敵を破壊するために生まれた『ムエタイ』に似た技を使う流斗に対し、遥は軽やかに打撃を捌き、その重心を狂わせ、訓練場である木造の道場に流斗を容易く転がした。


 その動きは柔道に似ていたが、それもまた、スポーツ化することで失われた多くの技術を用いる『柔術』と呼ばれるものだった。


 遥はいつも『もう、あなたは誰も殺す必要なんてないんだから、新しい技を身につけないとね』と言って、熱心に自分の技を教えてくれた。


 流斗は何度も遥に床に転がされながら、色んなことを学んでいった。




 士道には、敵を生かしたまま捕らえる技術として『柔術』を本格的に教わった。


 すでに毎日のように遥に投げられる日々の中で、自然と基礎技術と受け身は取れるようになっていた。幼い頃から武の鍛錬を積んできたのだから、呑み込みが早いのも頷けるだろう。よって、士道からは『柔術』の多種多様な応用を教わった。


 相手の重心をずらすだけで、いとも簡単に体制を崩すことができる。


 この鍛錬によって、流斗は自分自身の重心を正確に把握し、体幹を鍛えながら体の安定感を身に付けていった。そして、流斗はこの夏の間に、自分自身の体を完璧にコントロールすることが可能になり、その身体能力は数倍に跳ね上がった。


 さらにもう一つ、流斗は士道に教えてもらったことがある。

 それは魔術だ。士道は流斗と同じ肉体強化系の魔術をメインに使っていた。

 しかしその魔術は、流斗の魔術とは少し異なったものである。


 流斗が通常の何倍もの神経伝達物質を媒介し、中枢神経系の活動を驚異的に亢進させて運動性能を高めるのに対し、士道の魔術は、自身の肉体そのものを丈夫な細胞に作り変えて強固にするというものだった。


 簡単に言えば、流斗の魔術は体の内側にある神経を活発化させ、体の機能を強化するものであり、自分の肉体そのものはあまり強化されない。


 つまり運動能力は上がるが、肉体の耐久性は普段と変わらず、体に無理な負担をかけていた。


 一方で、士道の魔術は細胞や骨や皮膚などを強化するものであり、流斗と異なり思考力や判断力、反射神経まで強化されることはないが、自身の体に負担をかけることなく高い攻撃力と防御力を備えることができる。


 要するに、流斗は自身の魔術と同時に士道の扱う魔術も使うことが可能になれば、自分の欠点を補うだけでなく、さらに強い力を得ることが可能だった。


 士道も遥と同様に、複数の魔術を同時に扱うことができる。流斗も魔術の組み合わせ次第では、今の倍以上の実力を発揮できるだろうと士道は語った。


 そのことを理解していた流斗は、士道の厳しい魔術の指導にも必死に食らいついていく。

 が、生まれつき《魔力神経》の細い流斗には、複数の魔術を同時に扱うことは困難だった。誰もが遥や士道のように上手く魔術を扱うことはできないのだ。


 ――魔術の才能は遺伝する場合が多い。


 日本軍の『中将』である士道が魔術の資質に優れていることは公然の事実であり、その娘である遥の資質が高いのも当然の帰結である。そのことに、流斗は遥との溝を感じた。


 日向家は暗殺一家であったが、魔術は一種のサポートとして考えられていた。魔術ではなく、自身の習得した暗殺技術のみが己を守り、敵を殺すことに役立つと教わった。


 おそらく日向家には、魔術の才能のある遺伝子は取り組まれていなかったのだろう。

 だが、流斗は折れることなく、ひたすら努力を積み重ねた。


 強くなりたかった。ただ、強くなりたかった。遥を守れるくらい強くなりたかった。

 自分にとっては、ここが最後の居場所だった。そこには守りたい大切な人がいた。


 士道に認められなければ、ここから立ち去らなければならない。

 可能性が低いからといって、諦めるわけにはいかなかった。


 流斗は文字通り血の滲む努力によって、夏が終わるまでに、全身とまではいかなかったが、自身の魔術の発動と同時に、体の一部を『硬化』させる魔術の発動に成功する。


 懸命に鍛錬を重ねる姿には、士道も目を見張っていた。

 この夏の出来事すべてを、流斗は決して忘れることはないだろう。


 遥と士道による修行はとても厳しかったが、自分のことを信じて励ましてくれる遥に心を癒され、士道も鍛錬のとき以外は気さくに話しかけてきてくれて、自分がこの人に試されている途中だということを、思わず忘れそうになった。


 香織も鍛錬で疲れた流斗のことを気にかけてくれ、最初は断った身の回りの世話まで、今では素直にしてもらうようになった。


 たまにやってくる七海には、冷たい目を向けられたりもしたけれど……あのときは、遥がまた七海に威嚇行為を繰り返して冷や冷やしたものだ。


 毎日の食事も、あの日から神崎家の人たちと同じテーブルで食べている。


 小学校には通っていたが、中学校にはあまり通っていないことが遥にばれると、無理矢理勉強を教えられたりもした。この短い夏の間に、暗殺者としてではなく、武術家として、魔術師として、そして人間として、大きな成長を遂げた。


 かくして、士道が指定した夏という短い期間は、あっと言う間に過ぎ去っていく――

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