第4話 この壊れた世界で『貴女』が
「すべてを失ったあなたが、何を考えて生きているのか、私はそれが気になるのよ」
考えないようにしてきたあのときの記憶が、流斗の脳内で思い起こされる。
焼け落ちる家。自分一人が生き残り、みんな死んでしまった。あの光景が。
「何を考えて生きているか……そんなの、俺にも分からねぇよ! 俺だって、もうどうしたらいいのか、分からないんだ!」
「そう……そうなのね」
呟いた遥の表情からは、彼女が何を考えているのか読み取ることはできない。
脳裏をあのときの光景が埋め尽くしていく。苦痛に顔が歪み、狂気が加速する。
もう自分でも、何がなんだか分からなくなっていた。
(――俺は、俺は! 俺……は? あのとき、どうすればよかったんだ? 俺は……)
思考が混濁して頭が回らない。それでも今、たった一つだけ確かなことがある。
(神崎遥、こいつは俺の敵だ。敵は、速やかに――排除しなければならない)
考えることを放棄し、目の前の敵を殺すことにのみ、意識を向けた。
「《
そう唱え、遥に向かって全力で突っ込む。今の流斗は、通常の四十倍の運動能力を有している。いくら遥であろうと、この速さについてくることはできないだろう。
「《
流斗が放った四本貫手は一直線に遥の喉元に迫り、その首を抉ろうとする。
貫手とは、手の指を真っ直ぐ伸ばして指先で相手を突く技だ。通常の突きよりも力を一点に集中させることができるため、急所を攻撃する場合、非常に大きなダメージを与えることが可能な、流斗の得意技である。だが――
「――《小手返し》」
流斗の右手首を、限り限りのところで遥は捉え、逆に手首の関節を捻って流斗を地面に再び叩きつける。
「うっ……がぁぁあ!」
再び肺の空気がすべて抜け、呼吸もままならなくなる。しかし、そのとき流斗は、自分が遥に向けて撃った弾丸が、地面にめり込んでいるのを見つけた。
遥は地面に仰向けになっているこちらを見下ろしながら、悠々と語る。
「あなたの魔術は把握済みよ。あなたの強化魔術は、自分の肉体そのものを強くするわけではない。自身の体内活動を強化することによって、運動能力を底上げしているといったところかしら」
流斗の体は度重なるダメージによって、その場から身動きが取れなくなっていた。
「そんな……ことまで、知って……いるのか」
上手く呼吸ができていないせいで、言葉は途切れ途切れに紡がれる。
「あらかじめ知っていたわけじゃない。これは一つの推測。多数ある強化系の魔術の中でも、自身の肉体強化となると、その種類は少ない。あとは戦いの中で自然と分かるわ」
遥の推測はおおよそ当たっていた。
流斗の使う魔術――《
それによって、思考力、判断力、動体視力、運動神経、反射神経が飛躍的に向上する。しかし、自身の肉体そのものが強化されるわけではないので、自らの身体にかかる負担は非常に大きい。
「……そうか。だが、俺もお前の魔術を把握したところだ。お前の魔術は《空力操作》」
「残念だけど惜しいわね、ハズレよ」
「――と、《重力操作》の併用で成り立っている」
遥は一瞬驚きの表情を浮かべたが、それはすぐに戻った。
「どうして、そう思ったの?」
尋ねる遥の顔には、余裕の笑みが浮かんでいた。
「俺はお前の魔術は一般的な《空力操作》だと思っていた。だが、お前の行動には、それだけじゃ説明のつかないものがあった。廃ビルを飛び越えたとき。銃弾を防いだ方法。そして、俺がお前に投げられたときに覚えた違和感。だがそれも、重力を自在に操作できるとなれば、話は別だ」
「ふーん、それで?」
遥は流斗にとどめを刺すことなく、その言葉を興味深そうに聞いていた。
「最初に男たちを倒したとき、お前はあいつらにかかる重力を増やしたんだろ?」
「正解」
「五階建ての廃ビルを一足飛びで越えられたのは、自分にかかる重力を減らして飛び上がったからだ。そのとき、着地がやけに緩やかだったのが気になった。だが、それも重力操作の影響だろう。そのあとの銃撃をどうやって防いだのか……もし、風を操って銃弾を吹き飛ばしたのなら、そのことに俺が気付かないはずがない。お前に地面に叩きつけられたときに見つけたよ。お前は俺が撃った銃弾を、重力で無理やり上から押し潰したんだ」
「それも正解」
あっさりと認めた遥の顔は、なぜか楽しげであった。構わずに流斗は続ける。
「お前が使う投げ技にも、すべて《重力操作》が使われていた。相手を掴んだ瞬間に相手にかかる重力を減らし、投げつけるときに相手にかかる重力を増やす。そうすることで、よりスムーズに、威力の高い投げ技が完成する」
流斗が最後まで言い終えると、わずかな静寂がその場を支配した。
「……よく分かったわね。今までも、私の魔術が《重力操作》だと考えた人はいたけど、最後までそう結論づけたのは、あなたが初めてよ」
遥が喜色満面の笑みで言う。自分の魔術のネタが割れているというのに、先程から遥の笑みはどんどん広がっていた。
「そりゃそうだ。自然に干渉する魔術は、空間に満ちる大きな魔力なしに発動させることはできない。それを発動させるには、空間にある魔力を体内に取り込み、魔力神経を通して自分自身の魔力に変換する必要がある。まさか現代においてなお、未だに不可解な《重力》なんてものに干渉する奴がいるとは、考え難いのだろう」
「だとしても、確かに私は地球上に存在する、すべての質量を自在に操ることができる」
遥の顔は相変わらず楽しそうに笑っていた。
「ったく、一体どんな魔力神経をしているんだよ」
思わず毒づいた流斗に、もう一つの疑問がよぎった。
「一つ、納得のいかない点がある」
「なぁに? この際だから、答えてあげる」
「あの戦闘中にどうやって、肉体強化した俺のスピードについてきた?」
空気抵抗を減らして動きを良くしても、反射神経や動体視力がこちらの動きに追いつかなかったはずだ。その質問に遥は少しだけ恥ずかしそうに答える。
「それは、私も少しばかり肉体強化の魔術を使ったからよ。ホントはそんなものに頼らずに、普通に戦いたかったのだけどね」
(こいつ、肉体強化の魔術まで使えるのか!? それにあの動きで少しだと。四十倍に跳ね上がった俺の運動能力に、多少の強化だけで対応できるなんて……こいつは魔術を使わない通常の状態でも、俺のスペックをはるかに上回っている!)
これ以上戦っても、絶対に勝ち目はない。それが今、はっきりと分かった。
だったら、なんとかしてこの場から逃げ切らなくては。幸いにもこちらの作戦通り、遥との対話の間に、十分に動けるまで体は回復していた。
「つまらない時間稼ぎは終わりだ」
流斗は遥に向かって小さな缶状の手榴弾を投げつける。
「――爆弾? こんな至近距離で使えば、あなたも――」
流斗の挙動に対し、遥が少しながらも驚いた顔を見せる。
だが、そんなことはもちろん流斗も理解している。だから、これは爆弾ではない。
手榴弾からは黒色の濃い煙が発せられ、それが辺りを満たしていき、遥から流斗の姿を隠した。流斗は手榴弾から煙が出ると同時に、先程使ったものとは違う、ベルトに仕込まれたフックの付いたワイヤーを、現在いる屋上の反対側の柵に巻き付けていた。
そのままベルトの横のボタンを押し、ワイヤーを収納することによって自分の体を屋上の縁に持っていく。その間にも、煙の奥から流斗を狙って、遥から空気の塊が放たれる。
煙でよく見えないせいか、その狙いは定まっていなかった。
――今なら分かる。あの弾は空力操作で空気の流れを調整し、それに重圧をかけて圧縮したものだ。名づけるなら《重力弾》とでも言えようか。
「今のうちに、できるだけ距離を取る」
流斗は屋上の縁に着くまでの勢いを利用して、そのまま二十メートルほど離れた二階建ての建物に向かって飛んだ。
しかし、流斗が廃ビルの屋上から隣の建物に飛び移る半分ほどのところで、何かに引き寄せられていくように、廃ビルと建物の間の何もない空中に体が引っ張られていく。
自身を引き寄せているほうを振り向くと、そこには目に見えるほど強力な重力場が発生しており、それが流斗の体を引きずり込んでいた。
流斗が驚きに目を見開いていると、煙幕を空力操作の魔術を使って風で吹き飛ばした遥が、重力場に向かって自身を引き寄せ、空中で流斗に接触する。
「うふふふ、つっかま~えた♪」
悪魔のような笑み。流斗は遥に超至近距離から《重力弾》を撃ち込まれた。
そのまま地に落ちていく。遥が使う投げ技のときのように重力増加はされていなかったので、地面に激突する前に受け身を取ることで衝撃を軽減することができた。
受け身を取った流れのまま地面を転がり、流斗が遥から距離を取ったところで、遥が流斗から少し離れた地面に、重力操作を使って緩やかに着地する。
「私から逃げ切ることは不可能よ」
「そのようだな」
呟いた流斗の顔は、何かを悟ったようだった。
「やっぱり、俺はこの世に生きていてはいけないんだ。俺は暗殺者の息子で、人をこの手で殺したこともある。だが――」
勝つにしろ負けるにしろ、すべてを出し切らなければ、今まで生きてきた意味がない。
「――ここで決着をつけるッ!」
鋭い眼光に燃え上がる闘気。流斗の濁った目に、死力を尽くした強い意志が宿る。
膝を屈めて全神経を集中し、一度全身の筋肉を脱力させたのち、限界まで一気に爆発させ、遥に向けて駆け出した。
(肉を切らせて骨を断つ――! そのくらいの覚悟がなければ、この女は倒せない! 否、それでもまだ及ばないだろう……ならば、ここは刺し違えてでも――こいつを殺す!)
膨れ上がった凶暴な殺意が、流斗の限界を超えて体を動かす。
「《
遥が手のひらを振り下ろした。
それだけで、流斗のいる半径三メートルほどに、かかる重力が急激に増した。
強力な重力場に押し潰される寸前で、流斗は素早く斜めに走りながらそれを躱し、身を削るような擦過音を無視して、遥の元へ疾駆。
流斗が通った地面には凄まじい重力がかかり、次々とひび割れていった。
(……分かってんだよ。俺がこいつより劣っていることくらい……でも――)
あと五メートルのところまで来ると、流斗は自分を押し潰そうとする高重力を避け、遥の側面に一気に回り込んで、彼女の斜め後方まで強引に自分の体を持っていく。
(……力が足りないなら、限界まで絞り出せ! 命を削って一点に掻き集めろ!)
無理な運動に全身が軋み、筋肉が悲鳴を上げた。神経が焼き切れそうになる。
体がバラバラになりそうな激痛を伴う。目から赤い涙が、鼻から激情の血潮が、口から鮮血が零れ落ちる。それでも流斗は、遥の懐までたどり着いた。
「終わりだ! 《螺旋貫手》ッ!!」
全身に捻りと回転を加え、左腕を引き手にして物凄い勢いで捻った右腕で強力な貫手を放つ。全身全霊をかけた、最高の一撃。
流斗の右腕が、竜巻のような螺旋を描いて、遥の胴体を突き破ろうと迫る。
「《
しかし、流斗の貫手が遥の体に届く寸前で、遥の目の前に幾重にも束ねられた強力な重力の壁が現れ、無情にも流斗の右腕を阻み、その体を強烈な重力で押し潰した。
遥へと伸ばした流斗の右腕が軋み、骨が悲鳴を上げる。流斗は声も出せず顔面から地面に叩きつけられた。最後の希望が淡く儚く消えていく。
「惜しかったわね。あなたが私にとどめを刺しに来るとき、必ず懐に入ってくるのは分かっていたから。それでも、思ったより動きが機敏で少し焦ったわ」
遥は感心するように、ボロボロになった流斗を見下ろして言った。
「やっぱり、あなたはこんなところで燻っているには勿体ない逸材ね」
(……最後の一撃も届かなかった。俺の一生って、こんなもんか……。俺が生まれてきた意味ってなんだったんだ? でも、もう生きる意味も理由も、ない……か)
痛む体を無理矢理起こして、遥のことを地面から仰ぎ見る。
「――――頼む。俺を……殺してくれ」
「嫌よ。最初から私は、あなたを殺すつもりはないと言っているでしょう」
遥は流斗の頼みを間髪入れずに断った。
なぜか良い笑顔を浮かべている。
「……そうか。なら悪いけど、死体の処理を頼む」
流斗はホルスターにしまった拳銃を取り出し、自身の頭に銃口を定めた。
その拳銃には、弾丸があと一発だけ残っている。
「ちょ、あなた――」
そして、流斗は躊躇いなく引き金をひいた。
――銃声は聞こえなかった。
なぜなら、遥が咄嗟に重力弾で拳銃を弾いたからだ。
流斗は目を見開いたあと、顔を歪めて一気に捲し立てた。
「なぜ邪魔をするんだ! 俺は家族を失い、居場所を失い、生きる意味さえ失った! 俺に残ったものは、親父に叩き込まれた《殺人術》だけだ! もう俺には何も残って――」
不意に、言葉の途中で遥に抱きしめられる。
頭の中が真っ白になった。遥の体温が全身に伝わってくる。
(……なんだ……これ? なんで、こんなにあったかいんだ?)
「あなたは私が救う。家族がいないのなら、私がお姉ちゃんになってあげる。居場所がないのなら、私の家に来ればいい。生きる理由がないのなら、私が必ず作ってみせる」
遥の言葉の一つ一つが、流斗の心に優しく染み込んだ。
流斗の体を縛る見えない鎖が、遥の言葉で次々に断ち切られていく。
目が自然と遥に吸い寄せられる。彼女は優しく微笑んでいた。
「あなたはこれから私のために生きなさい! 少なくとも私が死ぬまでは、あなたが死ぬことは私が許さない!」
その言葉で、流斗は生まれたときから囚われていた運命という名の檻を、遥が壊してくれた音を確かに聞いた。視界に色鮮やかな世界が飛び込んでくる。
虚ろな目に光が差し込んだ。ずっと空っぽだった、心の隙間が埋まっていく。
「あああああああ! っああああああああああっああぁぁぁ!」
そして止めどもなく涙が溢れ、鼻が詰まり、声にならない叫びを上げた。
「…………そうか。私は、あなたを守るために生まれてきたのね」
流斗の体を、遥がただただ優しく包み込む。
「傷ついた鳥には、一度ゆっくりと翼を癒す時間が必要よ」
その優しい温もりに、凍てついた心がゆっくりと溶けていった。
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