第3話 触らぬ女神に祟りなし

 ★ ★ ★ ★ ★ 


 日向流斗は《スラム街》の片隅で、神崎遥と名乗った女に危機感を抱いていた。

 先程の発言から、彼女は自分のことを知っているようだ。

 果たして自分のことをどこまで知っているのか。


「私はあなたを捕らえに来たの。大人しく拘束されなさい」

「そう簡単に捕まると思っているのか?」


 バックステップで遥から距離を取り、間合いを測る。

 騒ぎを聞きつけてできた人込みを掻き分けて、ガラの悪い三人の男が姿を見せた。

 彼らは、この《スラム街》において折紙付の乱暴者で、他の住人からも疎まれていた。


「オイオイ、こんなところにすげぇ可愛い子がいるぜ」

「可愛いっていうよりは、キレイ系じゃね?」

「学校の制服着てるけど、高校生かな?」


 男たちが口々に遥の容姿について感想を述べながら、彼女の周りへ近づいていく。


(……ここは一旦、様子を見るか)


 流斗は傍観を決め込むことにした。


「こんなところでナニしてんの? 暇なら、俺たちと遊ばない?」


 三人のうち、頭に剃り込みの入った男が遥に馴れ馴れしく話しかけ、さらに大きく一歩彼女へと近づく。

 そのとき、流斗は遥が纏う空気が一気に冷たいものに変わったことを悟った。


「……おい、やめろ。そいつに近づくな! そいつはヤバ――」


 忠告が男たちに届く前に、遥が手のひらを下ろす動作一つで、彼女に近づこうとしていた男たちは情けない声を上げて、呆気なく地面に倒れた。


「今日は、その辺のゴミに用なんてないのだけど……。私の邪魔をするなら、ついでに処分しようかしら?」


 男たちを見下す遥の顔に感情はなく、自分に逆らうものは躊躇いなく殺してしまうような怖さがあった。遥の警告を聞き、流斗と遥の周りにできていた人だかりは、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「やはり、当然といえば当然だが……魔術師か」


 流斗は冷静に判断すると同時に、遥から少しずつ距離を置く。


(今の魔術はなんだ?)


 なんにせよ、わざわざ戦う必要もないと判断し、逃げの一手を選ぶ。


「《神経加速アクセル》」


 そう唱えると、遥から逃げる人混みに紛れ、入り組んだスラム街のさらに細い道を、小刻みに曲がりながら逃走し始める。この《スラム街》は、初めて訪れる人間に覚えられるほど単純な構造をしていない。流斗もここに来た頃は、よく道に迷ったものだ。


 それに加えて、今の流斗は通常の二十倍の運動能力を有している。

 先程発動した《神経加速》は強化系の魔術の一つだ。

 流斗はその魔術で、自身の身体能力を底上げしていた。


 一度でも流斗の姿を見失えば、もう遥が後をついてくることは不可能だろう。




 後ろを振り向くことなく、狭い《スラム街》を風のように駆け抜けた。

 逃げ始めたときとは違い、なるべく人だかりの少ない、廃ビルの並ぶほうへと向かう。


 逃げるときは利用させてもらったが、なるべく関係のない人間を巻き込みたくはなかった。まあ、万が一にも、遥がここまでついてこられるとは思っていなかったが。


「……逃げ切ったか」


 浅く息を吐きながら呟いたとき、後方から予期せぬ返答が来る。


「残念♪ 私ならここにいるわよ」


 返ってくるとは思っていなかった言葉に、流斗は思わずその場から飛び退いた。


「なぜ、お前がここにいる。まさか、俺を一度も見失うことなく、ここまでついてきたというのか?」


 動揺した声で発せられた問いかけに、なぜそんな当たり前なことを聞くのか、というような顔で、遥は無邪気にこくこくと頷く。


「クソッ」と毒づくと、流斗は側にある五階建ての廃ビルの屋上を目指し、その場から高く跳躍した。肉体を魔術で強化している流斗でも、廃ビルの三階辺りまでしか体は届かない。


 が、流斗はズボンからワイヤーアンカーを取り出すと、廃ビルの屋上の柵にフックの付いたワイヤーを射出して器用に巻き付けた。さらに手元にあるワイヤーアンカーを切り替えてワイヤーを収納させることにより、自らの体を廃ビルの屋上まで引き上げる。


 屋上に着地して振り返ると、自分の後を追い、遥が一足飛びで屋上を飛び越えて緩やかに着地する姿が見えた。


「そんな……バカな……!?」


 流斗は思わず目を見張る。自然と口の端が引きつった。

 困惑を抑え、遥の魔術が起こす現象について必死に考える。

 魔術の絡繰りが分かれば、隙をつけるかもしれない。

 逆に言えば、彼女の魔術を理解せず、この場を凌ぐことはできない。


(……思考を止めるな。必ず隙はあるはずだ。考えろ。考えるんだ)


 遥の行動から自身の推測に基づき、流斗は遥に空力を操作する力があると踏んでいた。空力操作の魔術は、この世界でメジャーなものである。

 それは自然の力を操るものでありながら、あまり魔素を使用する必要がなく、魔力神経が細い者でもセンスがあれば、簡単に扱うことができる。


 なぜなら、何もないところから火を出したりするのとは違い、空間に存在している空気を操作すればいい。つまり、魔術の発動に伴う対価を払う必要がないのだ。


 だから、空力操作を使う魔術師の幅は広い。もちろん、魔力神経が細い者も鍛錬を積めばある程度ものにできる。だが、それを魔力神経が太い者が使えば、より強い力を発揮できる。


 過去には空力操作の魔術を用いて、意図的にハリケーンを発生させた事例もあった。


 流斗は遥と対峙しながら、彼女の魔術の仕組みを解き出す。


 まず、遥は自分に近づいた三人の男を地面に倒し、気を失わせた。これはおそらく人間にかかる大気圧を変化させ、体調を著しく悪化させたのだろう。


 次に、遥は肉体を強化した流斗の超スピードについてきた。これは自身にかかる空気抵抗を最小限にすることで可能なはずだ。


 そして今、遥は五階建てのビルを易々と越えてきた。視界には入らなかったが、風を操って空を飛んだというのだろうか? 否、そもそも彼女の魔術は本当に空力操作なのか?


 定まらない思考がぐるぐると頭を巡る。追いついた遥がこちらに声をかけてきた。


「もう逃げないでよ~。追いかけっこも、そろそろ飽きてきたからさ~」


 得も言われぬ恐怖を感じる。この女は底が知れない。

 だが、日向流斗には――自分には、もう生きる理由がないのだ。

 それなのになぜ、こんなにも生き残ることを考えているのか。

 思案を巡らすと、やがて一つの答えが導かれた。


「まだ捕まるわけにはいかない。たぶん、俺は死んでしまった家族の分まで、生きなければならない。今……死に直面することで、そんな気がしたんだ」


 それは自分の本心とは違うのかもしれない。それでも今は――

 流斗はズボンのベルトに付いているホルスターから、二挺の拳銃を取り出した。


「二挺拳銃か。カッコイイわね。でも両手に銃を持ってしまったら、どちらかの銃を離さないと再装填リロードできないわよ。それに両手のどちらでも同じ命中率を発揮できる人なんて、ごく稀にしかいない。あまり実用的な戦術とは言えないんじゃない?」

「どうかな?」


 流斗は口の端を歪め、不敵な笑みを浮かべる。

 戦闘態勢に入ったことにより、幾分か落ち着きを取り戻していた。


 左右の手に握っている、黒色のまったく同じ二挺の拳銃は、スチェッキン・マシンピストルという。この銃は他の拳銃と比較して、火力、装弾数、発射速度に優れている。


 これらの利点にも拘らず、スチェッキンは拳銃として余りに大型で重く、扱いにくい。加えて、銃床を付けなければ命中精度が低くなるという欠点もあった。まして、この銃を二挺同時に扱うことは、常人には困難を通り越して不可能だと言える。


 そもそも二挺の拳銃を扱う場合、通常は両手に同じ銃を扱うより、片手ずつ特性の違う銃を扱う方が現実的であるとされているのだ。


「もう一度言う。俺はまだ死ぬわけにはいかない。これ以上、俺に関わるというのなら、お前を殺すことになる」


 流斗の眼差しは冷え切っており、すっかり本来の、暗殺者の顔をしていた。


「私にはあなたを殺すつもりなんてないのだけど、せっかくやる気になったのなら、少し遊んであげるわ」


 平淡な言葉とは裏腹に、遥は興奮を隠しきれず舌舐めずりしていた。

 彼女の返答を聞き、流斗は遥に向けた二挺の拳銃の引き金をひく。


 鋭い反動が腕を跳ね上げ、黒い銃弾が発射された。黄金色の空薬莢が宙に舞い地に落ちる。フルオートで射出された、総装弾数の約半数ほどの弾丸が遥に向けて迫った。


 スチェッキンの装弾数は一挺に二十発なので、二挺で計四十発の弾丸を所有していることになる。が、遥の手のひらを下す動作一つで、弾丸はすべてその行方をくらませた。


 流斗が唖然としている間に、遥は話し続ける。


「なるほど~。自身の肉体を強化することで、重過ぎる銃の質量をカバーし、撃ったときの反動も抑えているのね。でも、すべての銃弾がちゃんと私に向かって飛んできたのは、あなた自身の技量によるところが大きいのかしら?」


(こいつ、一体どうやって、あの弾幕を防いだんだ?)


 流斗の頭にさらなる疑問が浮かぶ。だが、遥はその答えが出るのを待ってはくれない。


「じゃあ、次は私の番ね」


 遥が両の手のひらを自身の前面に押し出す。そのまま流斗に向けて、遥がその両の手のひらから辛うじて見える、空気の塊のような弾を撃ち出した。


 流斗は咄嗟に身を捻って片方の弾を避けたが、もう一つの弾が流斗の左腕を捉え、握っていた拳銃を弾き飛ばす。


「チッ、また新たなパターンか!」


 両の手のひらから空気の塊が次々に生まれ、こちらへ放たれ続ける。

 流斗は残った右手に握る拳銃で撃って相殺し、なんとか防いでいた。


(どういう理屈か知らないが、あいつに銃撃は効かないようだ)


 離れていても空気の弾を食らうだけだと考え、残った片方の拳銃をホルスターにしまう。

 空気の塊を紙一重で避けながら、流斗は徒手で遥に向かって突っ込んだ。


 そのままスピードを殺さず遥に接近。牽制で上段と中段に交互に突きを放ったあと、体を捻って《胴回し回転蹴り》を容赦なく遥の顔面に叩き込む。

 しかし、流斗の蹴り足は、遥の顔の前でしっかりと掴まれていた。


 遥がそのまま流斗の体重をまったく意に介さず、軽々と背負い投げる。

 流斗はコンクリートでできた屋上の地面に、受け身も取れず背中から叩きつけられた。


「がぁ……はっ!」


 体が軋み、肺から一気に空気が抜ける。

 その痛みも去ることながら、流斗の脳裏にはある疑問が生じていた。


(今の感覚はなんだ?)


 流斗は遥に投げられる寸前に、一瞬体が重さを失ったあと、地面に叩きつけられる直前で、今度は急に体が重みを増したように感じた。一度疑問を振り払って、流斗が地面から体を起こしたときには、すでに遥が目の前まで近づいていた。


「《浸透双掌波しんとうそうしょうは》」


 両の手のひらを腹部に打ち込まれ、その衝撃で勢いよく吹っ飛ばされた。


「う、ぐっ……ぉぉ!」


 体内の臓器が派手に揺さぶられる。あばらにひびが入ったかもしれない。

 その高度な打撃に、流斗は体の内側を直接破壊されたような痛みを感じた。

 だが、それでもなお、流斗が膝を地につけることはない。


「まともにくらって立っていられるなんて、どういう体の構造をしているのかしら?」


 遥は珍しい生き物を見るように言う。


「生憎、俺は幼い頃から父に鍛えられていてね。その中には、わざと骨を折ることによって骨を太く、より強靭なものにするっていうのもあったんだよ」


 流斗の顔が嫌なことを思い出してしまった、と苦虫を噛み潰したようになる。


「あなたは、父親のことを憎んでいるの?」

「ああ、憎んでいたさ。でも、今は心のどこかで生きていてほしいと思っている」


 もう二度と見ることはないであろう父の顔を思い出す。昔は憎んでいたが、今はそれよりも悲しみのほうが大きかった。いつだって大切なものは失ってから気付くのだ。


「父親だけでなく、妹や一緒に住んでいた使用人も死んでしまったみたいだけど、そこのところ、あなたはどう思っているのかしら?」

「……っ! そんなことまで、知っているのか」


 流斗の顔に驚きが浮かぶ。


 その瞬間、流斗は遥がすべてを知った上で自分に接触してきたのだと理解した。

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