眠気
偶然、寄り道した雑貨屋でひと際目立つゼンマイ式のオルゴールを見つけた。両手に収まるサイズのかまぼこ型で、全体的に銀色の塗装がされており、縁だけが青かった。
価格も安く手ごろだ。
「このオルゴールを買いたいのですが」
店主は私の顔を見ると合点がいったようにうなずいた。
短く整えられた白いひげに赤縁の四角い眼鏡をかけている。
「あなたは夜眠れなくてお困りですね」
「なんでわかるんですか?」
そんなに眠そうな顔をしているかしら。
「オルゴールの音色ですよ」
そう言って店主はゼンマイを一周巻いた。
クラシックの名曲に似ているが、どこか違う。月明りというよりももっと温かい印象を受けた。そして、なによりもちぐはぐな曲調だった。
店主はもうすでに眠そうにしている。私にはまだ効果はないが、買う価値はある。早速今晩使ってみよう。久々にゆっくりと眠れるかもしれない。
久しく体験していない快眠を夢見て、私は支払いを終えた。
「よい眠りを」
店長は妙に仰々しく頭を下げて私を見送った。
なんだか、いい買い物をした気分だ。
自宅に帰ると最初に母親に見せた。とにかく誰かに自慢がしたかった。マイナー曲の五十弁をあんなに安く手に入れられるとは思わなかったからだ。
「へえ、かわいいじゃない」
母はそう言ってゼンマイを巻いた。
ぽろん、ぽろんと先ほど聞いたメロディがリビングに響く。私は心地よい音色に心を預けてうっとりとしていた。
すると母は、がたんと大きな音を立てテーブルに額を打ち付けた。
「ちょっと、どうしたの?」
私は驚いて、母を抱き起した。
顔色は悪くない。むしろ、気持ちよさそうに眠っている。どうやら気を失ったわけではないようだ。なんとうらやましい。
私は母にタオルケットをかけてから部屋へ戻った。
もう、夜が待てなかった。
ここ一年程、受験勉強のストレスと人間関係の不安からか、夜もほとんど眠れない日々が続いていたのだ。
ベッドに寝転がる。枕元にオルゴール。
私はゼンマイを巻いた。
「いい音だな」
私は少しずつ意識が遠のいていくのがわかった。
目を覚ますと辺りは薄暗くなっていた。
時刻は午前五時三十五分。
夕方、家に着いたのだから十二時間は眠っていた。全身の疲れが一気に抜け落ちた気がした。最高な気分だった。
これからは怖いものなしだね。私は歓喜の余りに早朝から部屋で小躍りしていた。
しかし、ふと我に返る。
「あまりにも効果がありすぎじゃない!?」
冷静に考えてみると雑貨屋の時点から異常だった。
店主はゼンマイを一周巻いただけで眠気に襲われていた。
家では母が突然気を失うように眠った。私は半日熟睡した。
「オルゴールの音色にそこまでの催眠作用があっていいのか?
不思議に思った私は箱の隅々まで調べた。ところが、どこにもメーカーや作成者の名は刻まれていない。誰かの手作りであることがわかった。
もっと詳しく理解しなくてはいけないと思い、私はカバンにオルゴールをしまった。
リビングに降りると母はすでに起きていて朝食を作っていた。
「あら、おはよう」
母はおでこにシップを貼っている。
「随分とゆっくり眠れたみたいね。夕飯だから起こしたのに、うんともすんとも言わないのだもの。久しぶりにゆっくりできてよかったわね」
母はこのオルゴールの劇的な催眠作用を素直に喜んでいた。
私はすでにオルゴールの力に恐怖すら感じていたが、母はとくに気に留めていないようだった。
「お母さんはあのあと何時くらいに起きたの?」
「確か六時くらいだと思うわ。だから焦って夕飯作ったの。昨晩はパパがいなくてよかったあ」
どうも暢気なことを言っている。
私は朝食を口に押し込んで、学校へ向かった。
「ねえ、このオルゴールすごいんだよ」
「朝から元気ね。……で、どうすごいの?」
教室に着くなり、友人にオルゴールを見せた。興味はなさそうだが、話は聞いてくれるようだ。
「オルゴールの音色聞くと眠くなるの」
「それって結構普通じゃない」
少し説明の仕方を間違えたようだ。
私はこのオルゴールが引き起こした事実を伝えた。
「うーん。音色を聴くというよりもゼンマイを巻いたら眠くなるって方が正確ね。だって、誰かが巻いたときは眠くならないんでしょ?」
もっともです。
「でも、オルゴールだよ。普通は音色が原因だって思うでしょ」
「だったら試してみなよ」
私は教室でオルゴールのゼンマイを巻いた。
やはり、眠気が襲ってくる。
視界の端ではなぜか友人も頭をふらふらさせている。
「あれ? 私も眠い……」
そう言って友人は机におでこをぶつけそうになったが、踏みとどまる。
しばらく、そのまま動かずに机とにらめっこ。
そして、こう言った。
「私も巻いてみていい?」
今度は友人だけが眠くなり、私には何も起こらなかった。
オルゴールの音色が止まり、もう一度。
私も眠くなる。
「もしかしたら……」
友人はさらに巻く。
すぐさま耳をふさぐ
私の瞼が落ちる寸前だったが、友人は眠気に打ち勝ち、周囲を見渡している。
「……やっぱり、……この……オルゴール…………危険よ」
放課後、私たちはオルゴールを買った雑貨屋に向かっていた。
「よく気付いたね」
私は友人の洞察力に感心していた。
「三回目で私たち以外に二人もふらふらしていたわ。このまま倍々に増えていったら三十回目で日本人全員眠くなる。こんなのテロよ。耳をふさいでも効果あるんだから無限に広がり続けることになる」
友人は真剣な表情だった。
「私が十二時間眠ったのは?」
「おそらく巻き数ね。多く巻くほど催眠効果も持続するのよ。とはいえ、巻き過ぎると壊れるから限度はあるでしょうけど」
「世界安眠計画だね」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと行くよ」
よい眠りを。
雑貨屋の店主はそう言っていた。彼は何かを知っている。
「すみません。一昨日にここでオルゴールを買ったものです」
白髭の店主は首だけをこちらに向けるとこう言った。
「効果はありましたか?」
すでに私がオルゴールの力に気がついていると察しているようだった。
「効果も何もこんなに危険なものを売るなんてどうかしていますよ!」
友人は激怒している。
私は文句を言いに来たわけではないのに。
「私も何度かゼンマイを巻いては眠っていましたから」
店主は穏やかな声色でそう言った。
「だったらその危険性について説明してくださ……」
私ははっとして言葉を止めた。店主は何度もと言っていたが、あのとき睡魔に襲われたのは店主だけ。私たちの調べたルールが適用されるのならば、店主にとってゼンマイを巻いたのは購入時のあのやりとりが初めてなはずだった。
「もしかして、あなたはリセット方法をご存じですか?」
連鎖的に影響を与える人数を一人に戻す方法があるのだ。
「いいですよ、御教えしましょう」
店主は私からオルゴールを受け取ると蓋を開けた。中には小さな針のいっぱいついたシリンダーが収まっている。その針のひとつを店主は抜き取って別の場所に配置した。
「これで安心です」
そう言って私に返すとゼンマイを巻くように促した。
一巻きしてみるとやはり眠気が襲ってくるが、店主も友人もまったく眠そうではない。
「催眠作用を起こしているのはこのオルゴールの音色です。同じ音を聞き続ければ中毒性が増して、周囲の人も巻き込んでいきますが、別の曲に作り替えれば新鮮な音色がまた生まれる。それを繰り返すのです」
理屈はわかる。このオルゴールの曲が聞いたこともないマイナー曲だったのもそのせいだったのだろう。奔放なちぐはぐさを感じたのも音楽をかじっていない素人がいじったせいだろう。使用者が自分だけに催眠をかけられるよう曲を変え続けた結果が今の音色なのだ。
結局、私はオルゴールを家に持ち帰ることにした。
そして毎晩、針の位置を変えては異なる新しい曲を聴き眠る。
自分が創り出すメロディは他のどんな曲よりも心が安らぐのだった。
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