疾風迅雷

 アニミスは駆けた。己が怒りに突き動かされるがままに。

 草原地帯を通った際、訓練中の人間の兵士達数十人と馬数十頭に出会った。彼等は馬に乗って戦地を縦横無尽に駆け抜け、敵部隊目掛け勇猛果敢に突撃するのを役目とする部隊だった。

 練習場は人間の背丈ほどの高さがある木製の柵で仕切られていたが、直進するアニミスは柵を粉砕して直進する。並の馬の倍以上の背丈を有するアニミスを見て、大半の馬と兵士は驚きから逃げた。中には訓練のために持っていた銃をアニミスに向けて撃つ者もいたが、訓練用である廉価品の火力ではアニミスに傷すら付けられない。ちょっと痒いだけで痛みなどなく、相手するのも面倒であるがためにアニミスは攻撃者を無視した。

 そうしてだだっ広い訓練場を走っていると、物好きな兵士と勇猛果敢な愛馬がアニミスの横に並んだ。「俺達と競争しようぜ。勿論勝つのは俺達だがな」……一人と一頭は、そんな事でも思ったのだろうか。

 アニミスは人間と馬も無視した。彼女の目的は西から感じる、特大の気配だ――――こんなに付き合う暇などない。

 馬を易々と引き離したアニミスは練習場を囲う反対側の柵も粉砕し、真っ直ぐにこの場を通り抜けた。王国最速最強と謳われた名馬と騎手が、完膚なきまでに負けた瞬間だと気付きもしないままに。

 陽が傾き夕刻になった頃、アニミスは街道が走る荒野にて小さな野営地を見付けた。

 それは山賊達の活動拠点だった。街道を通過する行商人を襲おうとしていた彼等は銃や剣を持ち、中には王国の騎士にも匹敵する手練の傭兵が加わる、この地域で無類の強さを誇る集団である。行商人は頻繁に通るものでもないので、長期間待たねばならない彼等は大きな岩場の傍に宿泊のための野営地を建設。まるで小さな軍事拠点のような場所に、何時獲物が来ても良いよう万全の体制で構えていた。

 アニミスは気にせず彼等の陣地に足を踏み入れ、颯爽と横断した。予期せぬ襲撃者に混乱した山賊達が行く手を遮ろうとしたが、彼女が走るために繰り出した前脚を受ければ、全員彼方まで吹っ飛んで動かなくなった。銃で応戦する者もいたが、軍事品以下の火力では最早アニミスに気付いてももらえない。踏み潰された者だけが、唯一アニミスに『不快感』を与えた。

 そうして山賊を意図せず数人仕留めたところで、彼等が雇う傭兵がアニミスの前に現れた。退屈していたところだ、化け物退治でもしてやろう……傭兵はそんな風に考えていたのだろう。銃弾をも弾く卓越した剣技の持ち主が出向いた事で、山賊達は勝利を確信したに違いない。

 彼が繰り出した剣はアニミスの分厚い胸筋によって砕かれ、呆けた彼は鎧ごと踏み潰された。

 アニミスは何かチクッとしたような気がしたが、虫にでも刺されたのだろうと思って気にしなかった。山賊を壊滅させるつもりなどこれっぽっちもない彼女は、されどただ走るだけで再起不能な被害を彼等に与え、そのまま山賊の陣地を通り過ぎた。

 陽が沈み辺りが暗くなった頃、アニミスは草丈の短い平地で一匹の巨人を見付けた。

 巨人は貴族の馬車を襲っていた。雇われの傭兵が握り潰され、父親らしき人間が踏み潰されている。巨人は彼等の血をぺろぺろと舐め、五百年ぶりの味を堪能している様子だ。そんな怪物の足下には幼い少女を抱きかかえる母親と、母親にしがみつく娘が居て、巨人の一つ目は彼女達を見ていた。

 巨人を見付けたアニミスは、巨人に体当たりを喰らわせた。

 巨人は吹き飛ばされ、その場を転がった。まだ生きていたそいつは起き上がろうとしたが、アニミスは巨人の腹と顔面を踏み付ける。それはただこの場を走り抜ける際、ついでに踏み付けただけなのだが、巨人にとっては追い討ちに他ならない。

 腹と頭の中身を潰され、巨人は四肢を広げて横たわる。呆気に取られる貴族の親子だったが、アニミスは彼女達を一瞥する事もなく、この場を後にした。

 アニミスは駆ける。

 駆けるついでに様々な事を成し遂げたが、そうした様々な事はアニミスの記憶に残らない。アニミスの目的はただ一つ。それ以外は端から眼中にないのだ。

 そして朝から走り続けたアニミスは、完全に陽が沈み、空に星空が広がる時間になった頃――――人が半月掛けて歩く道のりを半日で走破し、ついに辿り着いた。

 眩いほどの赤い輝きを放つ、この国で最も栄えていた都市に。

 人間達から王都と呼ばれているその都市は、激しく燃え盛っていた。ぐるりと石の壁城壁に囲まれた土地の中で、最も高い場所に巨大な城がそびえ立っている。城の周りには大きな家々が並んでいたが、どれもが火を噴き、その勢いは刻々と増している。月のない夜だからこそ、火災の酷さがよく分かった。石の壁の中からは悲鳴が轟き、石の壁に開いた穴からたくさんの人間が跳び出すように出てきている。比較的裕福な人間が多いのか、誰もが上物の衣服を着ていたが、その服は火災による煤などで酷く汚れていた。

「ギョオオオギィイイイッ!」

 そんな人間を襲うのが、何十という数の巨人だ。

 巨人は人間を捕まえては、食べたり、踏み付けたり、千切ったり……人間の幼子が食べ物で遊ぶように、人間で遊んでいた。人間達は必死に逃げるのだが、体躯で上回る巨人達は簡単に追い付き、あっさりと捕まえていく。

 もしも城壁がなければ、被害は少しはマシだっただろう。四方八方、散り散りに逃げれば、巨人といえども捕まえきれないからだ。しかし外敵の侵入を防ぐという目的で建てられた城壁は、出入口を限定している。人々が町から逃げるには狭い穴から出るしかなく、巨人がその穴の前に陣取れば……もう、どうにもならない。

 何十という命が瞬く間に失われていく光景。これを目の当たりにしたアニミスは怒りに震えた。無論人間が殺されている事に対して、ではない。こんなにもたくさんの『ムカつく奴』が居る、その現状に対しての怒りだ。

 そして追い駆けていた特大の気配が、石の壁の内側にある。

 王都を飲み込む炎は大半の動物に恐怖を与え、その足を鈍らせるだろう。しかしアニミスは違う。こんな炎よりも激しく、自分勝手で単純な怒りを燃え上がらせているのだから。

 アニミスが巨人達の群がる城門へと突撃するのに、一秒と迷いはしなかった。

「キュオオオオオオオオオオオンッ!」

 アニミスが吼えるのと同時に、巨人達は人間に向けていた視線をアニミスへと移した。人間よりも大きな動物が現れ、遊び甲斐がありそうだとでも思ったのか。にやりと獰猛な笑みを浮かべる。

 尤も、彼等が暢気していられたのはほんの僅かな時間だけ。

 自分達よりも明らかに大柄な動物が、自分達では到底出せないような速さで突進してきている……生物が恐怖を覚える条件としては、十分過ぎるものだった。

「ギョ、ギ……」

「キュオオッ!」

「ギャギィッ!?」

 何匹かが構えを取るものの、アニミスはそれを易々と突き飛ばした。巨人達の壁を抜けたアニミスは、倒した巨人を見向きもせずに直進。王都に足を踏み入れる。

 燃え盛る家々から火花が飛び、熱波がアニミスに襲い掛かる。分厚い毛皮で守られているアニミスにとって、短時間であれば問題ないが、長時間居ると熱がこもってしまうだろう。恐怖を上回る怒りがあるからこそ、アニミスは冷静に状況を分析した。

 アニミスは更に王都を突き進む。時折生き延びた人間を探している巨人と遭遇したが、そんな有象無象は適当に突き飛ばし、前へ前へと進むのみ。

 やがてアニミスは、開けた場所に出た。

 それは王都の住人達から王国前広場と呼ばれていた、王城前に存在する空間だった。整然と並べられた石造りのタイルが並び、富裕層の豪勢な家がぐるりと並ぶ。綺麗な花が植えられて飾られた広間を、王との謁見や貴族達の会合に向かうため絢爛豪華な身形の人々が行き交う。そんな王国の豊かさを象徴する場所……だった。

 今はもう、その面影も残っていない。

 石造りのタイルは粉々に砕かれ、茶色い地面が露出している。植えられていた花も踏み潰され、汚らわしい汁と屑に成り果てていた。絢爛豪華な服を纏った人々は、ぼろ切れを纏った肉塊と化している有り様。

 そして広間を行き交うのは、醜悪な巨人達のみ。

 王城へと続く道を埋め尽くすほど大量の巨人が、一斉にアニミスの方へと振り返った。しかしアニミスは怯まない。このような雑魚共など、怒りさえないのであれば意識する必要すらないのだから。

 尚且つ、その怒りを雑魚に向けている場合ではない。

 振り返った巨人達の何匹かが、突然前のめりに倒れた。後ろから突き飛ばされた、と気付いた彼等は慌てて立ち上がって逃げようとするが、一匹が他の巨人とぶつかった事で立つのが遅れる。

 するとその巨人の頭を踏み潰し、巨人達の群れの奥から『そいつ』は現れた。

 人の身の丈より倍も大きな巨人達の中で、更に一際巨大な巨躯を持つ。全身の至る所が分厚い筋肉で覆われ、引き締まった身体付きは他の巨人よりもすっきりとした印象を与えるが、決して弱々しさは感じられない。身体中に刻まれた傷跡は、彼が数多の戦いを切り抜けた強者だと物語る。浮かべる笑みは他の巨人が何十集まろうと敵わないほど狂的で、かのモノの一つ目で睨まれるのに比べれば何百という巨人に包囲される方がマシに思えるだろう。

 全てが他の巨人と違う。圧倒的な存在感を放ち、強大な力を発するモノ。

 アニミスは確信する。いや、こうも分かりやすいのに確信も何もない。コイツは己がどんな存在なのか誇示しているのだと、アニミスは理解した。

 巨人達の王。

 王都を僅か一夜で攻め滅ぼした巨人達の支配者が自分であると、この巨大な怪物は自ら名乗り出ているのだ――――

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