蹂躙

「ひ、ひ、ひぎゃあっ!?」

 数多の戦場で敵兵を討ち取ってきたウィスコムが、情けない悲鳴と共に踏み潰された。

「畜生! この、この、あ、あぎゃっ!」

 早撃ちの名手と謳われ、王より勲章も賜ったサムスが、巨大な手に掴まれ胴体を握り潰される。

「くそっ、これでも喰らギッ!?」

 至近距離で引き金を引いた恐れ知らずのウェールズは、振り下ろされた拳によって最期を迎えた。

 果敢に挑んだのは四十人の精鋭と一人の司令官。

 敵は僅か三匹の、人間より図体が大きいだけの巨人。

 なのに結果は、巨人達の圧勝だった。

「……幾らなんでも、これは酷くありませんかね」

「いやはや、全くその通りですな」

 レジーナの悪態に、部隊で最年長の老兵が同意する。

 レジーナの脳裏に過ぎるのは、この戦いが始まってからの光景。

 山の方より接近してくる巨人達に、レジーナ達人間の兵士は銃による一斉射撃を行った。巨人の身体は大きく、こちらの銃を見て逃げも隠れもしない。しかも遮蔽物がない平地である。距離があったため流石に全弾命中とはいかずとも、四十一の銃口から放たれた鉛玉は、その半分ぐらいは巨人に命中した筈だった。

 だが、巨人達は怯むどころか傷すら付かない。

 奴等の表皮は硬く、空気抵抗により減速してしまう遠距離射撃では威力が足りなかったのだ。至近距離での攻撃ならば弾丸は肉を切り裂き体内へと進むが、致命傷には至らず。銃撃の痛みで猛り狂った巨人達に距離を詰められ、次々と兵士達は命を落とした。

 もしも平地ではなく森の中だったなら、木を利用して距離を維持したり、身を隠したり、死角から攻撃したり……多くの作戦を練れただろう。苦戦は避けられずとも、一人の死者が出る時間は大きく延ばせた筈だ。だが平地では正面衝突以外に策がなく、足掻く事すら出来ない。

 レジーナ含めて四十一人も居た戦力は、今では半分以下の二十人。このままでは全滅もあり得る、いや、しない方がおかしいぐらい一方的だった。

 此処に居る全員は、民草のためならば命を惜しまない愛国者のみ。レジーナもその一人であり、自分が死ぬ事で民が守れるのならば、喜んでこの命を捧げるつもりである。しかし此処で残り二十人が命を張ったところで、僅かな時間稼ぎが精々。そして巨人達の正確な強さを国に伝えなければ、此処で起きたのと同じ悲劇が繰り返されてしまう。

「レジーナ様。此処は一度お逃げください。王に情報をお伝え出来るのは、あなた様だけであります」

 老兵からの進言は、この状況下にあっては極めて合理的なものだった。

 レジーナは一瞬の迷いを挟んだ。そう、ほんの一瞬だけ。この僅かな時間で重大な事を見極め、より大きなものを守るための指示を下そうとする。

 だが、その一瞬が全てを手遅れにした。

 巨人のうち一匹が動き出し、レジーナ達の背後に向けて駆け出したのだ。巨人達の意図に気付くレジーナ達だが、素早さでは巨人の方が上。先に動かれたならもう間に合わない。

 動き出した巨人はレジーナ達の行く手を塞いだ。両腕を広げ、にやにやと笑う姿は正しく悪鬼のよう。前方に居る二体の巨人も互いの間隔を広げ、レジーナ達を包囲するように陣取った。

 生き延びた兵士達に動揺が広がる。死をも恐れぬ彼等が最も恐怖する時は何か? それは作戦失敗だ。自らの賭した命が無駄となり、何万もの民が犠牲になる事を最も忌み嫌う。

 このままでは全員嬲り殺しにされ、王に巨人達の強さと狡猾さを伝えられない。そうなれば兵も民も、大勢が犠牲になるだろう。それだけは、絶対に避けねばならない。

「レジーナ様、我々が正面の奴の気を惹きます。その隙にお逃げください」

 故に年配の兵士がそう提案したとしても、誰一人反対する事はなかった。

 逃げる事を提案された、当のレジーナを除いて。

「あなた達がちゃんと足止め出来るのなら、そうします。ですが無理でしょう。瞬く間に全滅して、逃げた私は為す術もなく追い付かれて殺されます」

「かかかっ! ハッキリと言いますな」

「追い詰められた時ほど、現状認識は正確にしなけれななりません。ちなみに私が提案する策は、全員でこのデカブツをぶっ殺し、王都に格好良く凱旋する事です」

「……レジーナ様、自棄になってませんか?」

「これが自棄にならずにいられますか……来ますよ」

 軽口を一通り叩いたレジーナ達の前で、巨人達が大きな腕を振り上げる。たった二十人になってしまったレジーナ達は円陣を組み、三方向に銃口を向けた。

 そして巨人達が迫るのと同時に、人間達は引き金に掛けた指を引き――――

「キュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」

 弾丸が放たれる直前に、その雄叫びは聞こえてきた。

 人間達は反射的に鳴き声が聞こえた方へと振り向いた。そちらに陣取る巨人が何か叫んだのかと思ったがために。

 しかしそこに居た巨人もまた、自らの後ろを見ている。いや、周りをよく見てみれば、他二匹の巨人も自分達と同じ方角を一つしかない目玉で見ているではないか。加えて巨人達の誰もが呆然とした様子で立ち尽くし、呆けたように口を開けている。

 そんな人間と巨人の視線が向く先に、一頭の動物が走っていた。

 二本の大きな角を持ち、ごわごわとした厳つい毛並みを持った大柄な獣。四本の足で大地を蹴り、猛然とこちら目掛けて突き進む――――鹿。

 アニミスだ。無論人間達はまだ彼女にその名を付けておらず、誰もが随分と大きな鹿だと思うだけなのだが。

 ただ一人、レジーナを除いて。

「……なん、ですか。何故、あの鹿はこちらに……」

 レジーナは疑問を抱く。どうしてあの鹿はこちらに、巨人と人間達が待つ此処に接近しているのか。鹿は草食動物であり、襲われる側の動物。確かにあの鹿は人間どころか巨人すら上回る巨躯であるが、だとしても無闇に危険な相手に近付くものではあるまい。鹿の行動は奇妙であり、聡明だからこそレジーナを混乱させる。

 レジーナには知る由もないが、アニミスが駆け寄ってくる理由は極めて単純なもの。

 アニミスは怒っていた。

 巨人達が人間達を殺している事か? 否である。人間がどれだけ死んだところで、アニミスにとってはどうでも良い。

 人間が巨人達を打ち倒そうとしている事か? 否である。人間達が何をしようとも、自分の邪魔をしないのならなんだって構わない。

 アニミスの怒りが向いているのは、山で感じた特大の気配だ。

 住処が壊された。食べ物が踏み荒らされた。アニミスに難しい事は分からないが、かの巨人達は『特大の気配』に呼応して動いたように感じた。

 じゃあその大きな気配を

 アニミスは山でそう感じた。だからアニミスは山を下りたのだ。怒りに駆られるまま、怒りの元凶を完膚なきまでにぶちのめすために。

 そして視界の中に、元凶の使いっ走りが入ったならば……そいつらを無視するほど、アニミスは穏やかな生物ではなかった。

「ギ、ギョギ――――」

 身の危険を感じたのか。巨人の一匹が両腕を前へと突き出し、構えの体勢を取る。だが、そんなものではアニミスの歩を鈍らせる事も出来ない。

 なんの迷いもなく突っ込んだアニミスは、巨人の腹に頭突きをお見舞いした! 巨人を上回る体躯が全力疾走する事で生まれた衝撃は、銃弾すら跳ね返す巨人に白目を向かせる。角が刺さった場所は脇腹の端で致命傷ではないが、頭突きそのものの威力は巨人を遥か彼方まで突き飛ばす。飛ばされた巨人は痙攣するばかりで立ち上がろうともしない。

 突然の出来事に、呆気に取られる人間と巨人。だがアニミスは彼等が我を取り戻すような時間を与えない。

 アニミスはもう一匹の巨人に臀部を向けるや、力いっぱい後ろ足を蹴り上げる! 巨人がアニミスの蹴りに気付いた時には何もかも遅く、アニミスの後ろ足の蹄が巨人の顔面を直撃。ぐしゃりと音を立てて潰れた顔からは鮮血が飛び散り、しかし巨人は痛みに声を上げる事もない。顔から力は完全に抜けていて、受け身も取らず仰向けに倒れた。ビクビクと痙攣するばかりで、立ち上がれそうにない。

 仲間が傷付いたのを見て助けるつもりか、残り一匹の巨人がアニミスの背中に飛び付く。密着状態に持ち込んだ巨人は、人間を軽く握り潰す豪腕をアニミスの身体に幾度となく叩き付けた。が、アニミスは揺らがない。つまらなそうな、怒りの視線を巨人に差し向けるのみ。

 巨人の青い顔から更に血の気が引いた瞬間、アニミスは巨人を乗せた身で高々と跳躍。巨人の背丈よりも高く跳び上がった身体をぐるんと捻り、巨人を乗せた背中側を地面へと向けた。巨人とアニミスは自由落下で落ちていき……

「ギョガ、ベギィッ!?」

 墜落した巨人の胸部に、落ちたアニミスは全体重を乗せた一撃を見回せる! 巨人の胸骨から生々しい音が鳴り、ジタバタと暴れた後、身体から力と魂が抜けた。

 二匹が気絶、一匹が絶命。人間が最先端の武器を用いても勝てなかった怪物を、アニミスはものの数十秒で片付けてしまう。巨人の数が足りなかったという次元の話ではない。何匹集まろうとも返り討ちにする、圧倒的な強さがあった。

 そんな出鱈目な怪物に、たった二十人の人間が勝てるのか?

「っ……!」

「待ちなさい。まだ撃たないで」

 アニミスに銃口を向ける兵士達に、レジーナは待機を命じた。

 アニミスはレジーナ達を見遣る。彼女は覚えていた。この生き物が以前、自分に攻撃を仕掛けてきた事を。何十という数が集まり、それなりに鬱陶しかった。

 しかしそれなりでしかない。

 遠くから何か小さなものをぶつけてくる、そんな『力』を持っているようだが……アニミスにとってそれは、毛皮に浅い傷を付けるだけの代物に過ぎない。敵対するならば容赦はしないが、そうでないなら相手をするのも面倒だ。

 何より、今はこんな雑魚共に構う時間などない。

 ――――太陽が沈む方角に向かう大きな気配が、どんどん遠くなっている。このままでは見失うかも知れない。

「……この鹿、なんで西を見ているんだ?」

「巨人が居る、とか?」

 人間達が西と呼ぶ方角を眺めていると、ざわざわとした喧騒が人間達の間で起こる。アニミスはそんな有象無象の声は無視し、気配がする、正確な向きを把握しようとしていた。

 じりじりと動くアニミスの頭。その頭をじっと見つめていたレジーナが、ハッとした表情を浮かべた。そしてその顔を、巨人のように青くする。

「まさか……巨人達の本隊が、王都に向かっているのでは……!?」

 考えられる中で最悪の展開をレジーナが言葉にした時、人間達のざわめきは一層大きくなった。

「ば、馬鹿な! 王都を狙うなんて、巨人にそこまでの知恵があるとは……」

「古文書には、奴等は簡単ながら戦術を用いるとありました。五百年で我々人間の戦術と兵器が進歩したように、巨人達の戦術も進歩したかも知れません。或いは五百年の間に、人間に値する知能を持つ指導者が生まれた可能性もあります」

 人間達に動揺が広がる。このままでは王都が巨人に襲撃され、民草に被害が出てしまう。せめて襲撃を王都に知らせねばならないが、伝書鳩は既に近くの町に送ってしまった。馬も連れてきていない。巨人の足よりも速い連絡手段がないのだ。

 このままでは王都が――――人間達が絶望の表情を浮かべた、その時であった。

 アニミスが、西に向けて駆け出したのは。

 無論アニミスは人間達の事情など知らないし、知ったところで助けるつもりなど毛頭ない。ただ、追っていた強い気配が西にあるというだけ。一刻も早くぶちのめしたいという激情に突き動かされたがために、全力疾走しているだけの事。

 しかし人間から見れば。

 西に向けて疾走するアニミスは、うだうだと議論する人間達よりも先に、颯爽と王都に駆け付ける騎士のようであり。

 兵士達が構えていた銃を下ろすのに、さして時間は掛からなかった。

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