逃避行

 王の側近レジーナは、その一報を兵から聞いた時に愕然とした想いになった。

 彼女は昨日、王国より率いた五十名の兵士達と共にとある山 ― 付近の村民は凍える山と呼んでいる ― の麓にある村に辿り着いた。今日兵達は簡易的な拠点作りと村への説明を行い、レジーナはその物資や人の動きを管理する作業を行っている。

 齢二十五という若い女であるレジーナだが、その能力は高く、優秀な者ほど彼女を信頼していた。そんな彼女の招集に応じた兵は皆精強であり、規模は僅か五十人でありながら、難なく千の敵兵を打ち倒すであろう強者達だ。

 そのような精鋭を、山の麓にある小さな村に派兵した目的は二つ。一つは村人を殺したという鹿の征伐のため。しかしこれはおまけのようなものだ。勿論鹿は確実に仕留めるつもりだが、それだけで五十もの兵を派遣する事はない。

 もう一つの、本当の目的は、この山に暮らしているかも知れない『巨人』の調査だ。

 巨人という存在の公式な……つまり存在を裏付ける、足跡や血痕などの証拠が残された……目撃例は、この王国には存在しない。石のように硬くなった骨や皮は各地で発掘されているため、実在はしている筈なのだが、誰も生きた姿を見た事がないのだ。

 その事について、五百年前に書かれた古文書にはこう記されていた。「岩で出来た冷たい山に巨人の巣がある。巨人達は山の奥に潜み、腹が減ると人を襲う」と。

 王と学者達は、この一文が巨人達の生態を示していると考えた。つまり普段は山奥の洞窟などに暮らし、食糧不足などの理由により現れるのではないか、という事だ。

 巨人は人間の倍近い背丈を有し、頑丈な肌は矢をも弾き、人や家畜を好んで喰うと古文書には記されている。しかも数が多く、数多の国が喰い尽くされたという伝説までもがあった。

 このような怪物が現れたなら、多くの国民が犠牲になる。王はそれを案じ、数々の山に調査部隊を送った。しかし未だ成果はない。奇妙で恐ろしい鹿が現れたというこの山には少なからず期待はしていたが、確信があるという訳でもなかった。

 ほんのついさっきまでは。

「……その報告は、間違いないのですね?」

「はっ!」

 野営用テントの中でレジーナが問うと、彼女の前に立つ兵士は敬礼と共に力強く返事をする。

「斥候より連絡! 山より無数の人型生物……巨人らしき群れが現れました! 現在村に向かって進行中です!」

 そして先程語ったのと同じ報告を、改めて告げてくれた。

 どうやら聞き間違いではないらしい。

 レジーナは内心、大いに動揺した。確かに自分達は巨人を探していたが、まさか向こうからやってくるとは露ほども考えていなかったからだ。

 しかし驚いたままではいられない。報告が確かならば、伝承曰く人を喰らうという化け物がこの村に迫ろうとしているのだから。一秒でも早く手を打たねば、甚大な被害が出るだろう。

「今すぐ村に避難命令を出しなさい。避難を渋る老人が居たなら、人手を割いてでもこの村から連れ出すのです。責任は私が取ります」

「了解しました!」

「また、全軍直ちに後退を始めてください」

「えっ。に、逃げるのですか?」

 指示を出すレジーナに、兵士は一瞬動揺したように訊き返してくる。

 彼の疑問も尤もだ。此処に集った兵達は、レジーナと王が本当は国を愛する者だと知っている。如何に巨人達が恐ろしい存在とはいえ、戦う前から背を向け、おめおめと逃げ出すような性格とは思えないのだ。

 無論レジーナとて、このような決断は下したくない。小さな村だが、そこに暮らす人々にとっては大切な故郷である。化け物共が家の一軒、畑の土の一欠片を踏みにじる事すら許したくはない。

 だが、兵を率いる者としては――――勝てぬ戦に兵の命を投じる訳にはいかないのである。

「あなたの報告した規模、そして古文書に語られている力を考慮すれば、現状の戦力で挑むのは無謀です。伝書鳩で隣町の兵に援軍を願い、戦力差と地の利を活かして戦います。恐ろしい敵だからこそ、我々は確実に勝たねばなりません」

「り、了解しました!」

 レジーナは己が描く策を語り、納得した兵士は敬礼をしてからテントを出る。

 兵士が離れたのを足音で把握したレジーナは、小さなため息を漏らす。

 兵に語った話は嘘ではない。隣町の守備隊は約一千五百人。国境付近という事もあり、町の規模にしてはかなり大規模な部隊が駐留していた。巨人の総数は未だ不明だが、単純な数では劣っていない筈。町の守備隊には騎馬隊や重装兵も存在し、銃弾などの物資も多くある。地形にも詳しく、明らかに人間側が有利な土地だ。

 だが、此度の相手は古文書に記されるほどの、恐るべき魔物である。

「……我々の戦術が通じるなら、取り越し苦労で済むのですが……」

 レジーナはぽつりと誰にも聞こえない独り言を漏らしてから、動き始めるのだった。

 ……………

 ………

 …

 兵が巨人達を発見してから、しばしの時が流れた。

 兵士達から避難を促された村民達は、思いの外大人しく土地を離れてくれた。今はレジーナ達と共に、隣町まで続く平野を歩いている。王国から派遣された兵を信頼しているのか、或いは兵から説明された巨人という存在を酷く恐れたのか……

 恐らくは後者だとレジーナは考える。この村の住人は鹿の魔物という脅威に晒され、人間としての自信を喪失していた。今度は巨大な怪物が、しかも大群で現れたと聞いて、戦う気力が完全に折れたのだろう。

 かくして全員が一斉に逃げ出した訳だが、無事隣町まで逃げきるのは難しそうだった。

「全く、人なら下りてくる頃には昼間になっているでしょうに……」

 レジーナは背後にそびえる山を眺めながら、悪態を吐く。

 山の周りにある森は完全に切り拓かれていたので、山の姿はよく見える。薄らと緑に覆われている麓付近……そこに大量の、大きな人のような生き物の姿があった。

 巨人だ。斥候の報告によれば数は凡そ四百。とてつもない数だが、山からは爆発のような事象と共に、今も次々と新たな巨人が現れているという。最終的にどれほどの数となるのか、見当も付かない。町の守備隊なら単純な戦力数では上回るという目論見が外れるのも、心配のし過ぎではなさそうだ。

 巨人達は大柄なだけあって、足もそれなりに速い。しかも人間なら下りるだけで昼まで掛かりそうな山道を、瞬く間に下りてきている。恐らく人の倍近い速さが出ているだろう。山をそれだけの速さで下りられるという事は、単に足が速いだけでなく、体幹が強くて足腰が安定している証だ。ならば平地でも、人間より巨人の方が遥かに速いと思われる。

 もしも馬やラバなどの駄獣 ― 荷物を背に乗せて運ぶ獣の事 ― を連れてきていたなら、それでも巨人の足を振りきる事が出来ただろう。全員を乗せる事は出来なくても、幼い子供を優先的に逃がす事は出来た。しかし此度の任務は山に棲まう鹿の討伐及び山そのものの調査。機動力や、大量の物資輸送は必要ない。駄獣を用いた輸送は機動力や搬送量の面では非常に優秀だが、大量の餌と水が必要だ。そのためわざわざ用いる必要はないと徒歩で来たのだが、これが裏目に出てしまった。

 民を逃がすために兵を幾らか残して足止めさせる策もレジーナは考えたが、あの大群と平地でぶつかり合えば一瞬で潰されるに決まっている。犬死にさせても意味がない。

 ……もしも山の周りに森が残っていれば、大柄な巨人達よりも人間の方が有利に戦えただろう。木の上に登って待ち伏せしたり、知恵を活かして木と木の間に罠を張ったり出来た筈だからだ。或いは頃合いを見て森に火を放てば巨人達を一網打尽、そうでなくても山にしばし押し留める事が出来たかも知れない。

 その森を先の戦争で生じた特需により、村民が殆ど全て切り倒してしまった事が悔やまれる。

「ああ……森が残っていたなら……」

「こんな事になるなんて……」

「欲に目が眩んで、罰が当たったのかのぅ……」

 村人達も同じ事を考えているのか。ひそひそとそのような話がレジーナの耳に届いた。

 戦争特需による森林伐採と国土開拓は、レジーナによる案だ。戦争により敵国を叩きつつ、開拓により農地拡大で食糧生産能力を向上。経済発展により民の生活を豊かにする……そのための政策だった。

 なのに今やその政策により、巨人という最も警戒していた筈の脅威を止められないでいる。予期出来なかった、等と言い訳はしない。全ては王にこの政策を推進した、我が身の責任であるとレジーナは思っている。

 だからこそ、この無力な身で何が出来るか分からないが、出来る事があればその時は命を投げ打つ事だって――――

「レジーナ様! 後方三百に巨人の姿あり!」

 覚悟を決めるレジーナに、まるでその気持ちを試すかのように試練が訪れる。

 レジーナは即座に振り返り、兵の一人が指し示す後方を凝視。報告通りそこには巨人の姿があった。

 数は三。先遣隊か、或いは単純に巨人の中でも足が速い連中か。

 古文書によれば巨人達は獣としては賢いものの、そこまで難しい事は考えられないとあった。ならば恐らく後者、先走った連中だと考えるのが自然だ。

 こちらの兵力は五十人。村人達の護衛として十人ほど出すと考えれば、四十人はあの巨人達に割り当てられる。一匹当たり十人以上で挑めば、足止めは勿論、勝機だってあるかも知れない。

 どのみち何時かはこの化け物と戦わねばならない。数が少ない今こそが『好機』だとレジーナは読んだ。

「あの巨人を足止めします! 十名は村人を町まで誘導し、残りは戦闘態勢に入ってください!」

「「「了解!」」」

 レジーナの指示に兵達は即座に答え、動き出す。村民を守る兵士達はまるで最初から決められていたかのように、村人達に近い十人が率先してその役割を担う。村人から遠かった四十人とレジーナは、巨人を迎え撃つようにその場で足を止めた。

 村人達は兵士達に先を急ぐよう言われ、歩みを今までよりも速める。誰もが不安そうにしながらも、その指示に従った。

「あ、あの、頑張って! お姉さん! おじさん達も!」

 その中で一人の少女が、そんな言葉を掛けてくる。

 巨人達に立ち向かうレジーナと兵士達は、誰一人として声を掛けてきた少女がどんな人物か知らない。彼等は全員村の出身ではないし、今は巨人を迎え撃つべく村人に背を向けていたからだ。けれども全員が、その少女がどんな顔をしているか理解した。

「任せなさい。あんな化け物、すぐにやっつけてきますよ」

 故にレジーナは、全員を代表して答える。

 村人達の足音は遠くなり、やがて聞こえなくなる。代わりに巨人達の足音は大きくなり、近付いてきた顔に浮かぶ醜悪な笑みがよく見えるようになった。

 全く、恐ろしい相手だとレジーナは思う。同時に、とも考えた。

 五百年。巨人達の寿命が如何ほどのものかは分からないが、もしかすると彼等にとってこの歳月は昼寝のようなものに過ぎないのかも知れない。

 だが人間にとっては、とても長い時間だ。最早巨人達の脅威を知る者はいないし、古代に確立したであろう対巨人戦法も失われている。されど代わりに幾つも世代を重ね、人口を増やし、そして技術を大きく飛躍させる事が出来た。

 奴等は人間の武器と言えば剣や弓矢しか知らないだろう。しかしそんなものは、今の人間にとっては時代遅れの骨董品。どの国でも主力の武器を引退し、物好きな傭兵や貴族が趣味で集めるだけ。

 現代の戦場の主役は、銃だ。

「総員、構えてください!」

 レジーナは指示を出し、兵士達が銃を構えるのを見てから、己も銃を構える。

 銃の一番の利点は、特別な訓練や才能がなくとも、歴戦の戦士を一撃で仕留める事が簡単に出来るという点だ。細身の女性であるレジーナでも、銃を使えば大男を一撃で仕留められる。距離さえあれば剣と盾を持つ十人の英雄も屠ってみせよう。此処に居る四十人は、五百年前の伝説的英雄数百人分の戦力に相当するのだ。

 更に彼等が構える銃は、国王の命により開発された最新式のもの。一般市民が扱えるものよりも威力と射程に優れた、恐るべき殺人兵器。この新兵器により、先の戦争でこの国は三倍の国力を有する国に圧倒的優位で勝利した。

 怪物共相手でも同じだ。技術の進歩で、魔物は獣に身を落とす。

「撃てぇ!」

 レジーナの掛け声と共に銃声が平野に鳴り響き――――


















 人間は、自然の驚異を思い出す事となった。



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