巨人
地中より現れたそいつは、確かに『人型』をしていた。
二本の足で立ち、筋肉に覆われた胴体があって、自由に動かせる腕が二本ある。これ以上ないほど人型であるが、されどその様相は人間とは似ても似付かない。
全身の肌が青く、体毛は一本も生えていない。手足の指の数は五本あるが、その指先に爪はなく、老婆の手のように皮がしわくちゃだった。髪の毛一本生えていない頭には一本の角が生え、大きくて丸い目玉が顔の中心に一つだけある。開かれた口からはトゲのような歯が並び、そいつが肉を好んで喰らう事を物語っていた。身の丈は大人の人間の倍近くあり、身体付きは非常に筋肉質で肩幅が広い。外見だけで極めて力に優れる種族である事が窺い知れた。
正しく化け物だ。アニミスもこの奇妙な生命体に嫌悪感を抱く。しかしその嫌悪は、人間のような『感情』から生じたものではない。
アニミスはコイツを知っている。
アニミスはこんな奴に出会った事だけでなく、遠目から見た記憶もない。だが確かに覚えているのだ――――『あの日』の事を。
警戒心を高めるアニミスの前に現れた巨大人型生物……『巨人』はアニミスに気付くと、嫌らしい笑みを浮かべた。
「ギギョオオオオッ! ギョオッ!」
次いで上機嫌に鳴き始める。
すると巨人の背後で、新たに二つの爆発が起きた。
爆発が起きたのは、アニミスが寝床として使っている洞窟。音を立てて崩れる洞窟の中から現れたのは、大勢のユキネズミ達と、そのユキネズミを踏み潰しながら地上に這い出してきた巨人が二体だ。アニミスの前に現れたものとほぼ同じ姿をしており、発する気配もほぼ同格である。
最初に現れた巨人が声で仲間を呼んだらしい。現れた二匹も、最初に現れた一匹同様嫌味な笑みを浮かべている。
そして三匹は、まるで打ち合わせでもしていたかのように散開。岩山を易々と駆け下りると、アニミスを包囲するように陣取った。包囲されたアニミスはぐるりと周囲を見渡したが、敷かれた包囲網に隙がない。適当に逃げようとしても、この巨人達は素早く反応し、逃げ道を塞ぐだろう。
アニミスを囲った巨人は、歓喜に湧くような声で鳴いた。その喜び方は、まるでネズミを捕らえた子狐のようだとアニミスは感じる。
尤も、子狐は奴等に共感など持たないだろうが。
「キューン……」
それを訴えるような、怯えたような声がふと聞こえる。
アニミスが僅かに声の方を意識すれば、岩の影に小さなキツネが隠れている事を察知した。親とはぐれた子狐か。巨人というおぞましい怪物を目の当たりにし、恐怖から動けなくなってしまったのだろう。
巨人達も、声によって子狐の存在を知ったのか。アニミスを包囲する巨人のうち、子狐に一番近い一匹が岩の方に歩み寄る。岩陰に潜む子狐は震えたまま動かず……
「ギョッギョギィ!」
巨人ははしゃぐように手を伸ばし、子狐が隠れる岩場に手を伸ばした。
途端、ぐちゃりと潰れる音が聞こえる。巨人は伸ばした手を戻し、その手を開く。手の内から潰れた『毛』の塊がぼとりと落ち、大地に染みを作った。
巨人はその哀れな亡骸を見てゲラゲラ笑い、血で汚れた手をべろべろと舐め……気に入らないのか唾を吐いた。それから子狐の亡骸を踏み付け、ぐりぐりと磨り潰す。周りの巨人もにやにやするだけで、仲間の行動を止めはしない。
奴等は子狐を味見だけして、捨てた。
味見をしたからには空腹ではあるのだろう。しかし不味かった。だから食べなかった……子狐の命は無駄に散らされたのだ。そして奴等はそこに罪悪感など覚えない。
アニミスに対しても、奴等は同じ事をするつもりだろう。味見をして、美味しければ食べ、不味ければ捨てる。地上から出てきたのは餌を求めての事か……等という考察をアニミスはしない。そんなのは興味の対象外であり、アニミスにとって重要な事ではないのだから。子狐の死だってどうでも良い。
大事なのはこの巨人共が、自分を殺そうとしている点のみ。
「ギョオオオオオォォッ!」
もう我慢出来ないとばかりに、巨人の一匹がアニミスに襲い掛かった!
巨人は太く立派な腕を振り上げ、アニミスに組み付く。それから大きな口を開き、アニミスの胴体に噛み付いた!
口の中にずらりと並ぶのは、肉を喰らうのに適した鋭い歯だ。アニミスの皮を貫き、容易に肉まで届いて引き裂く――――とでも、巨人達は思っていたかも知れない。
現実のアニミスの皮は、巨人の歯などまるで通さなかったというのに。
「……ギョ……ギョォ……? ……ッ?」
必死に食らい付き、なんとか肉を食い千切ろうとする巨人。だが未だ歯が皮を貫く事はなく、滴る血を味わう事すら出来ていない。
普通のネジレオオツノジカの皮であれば、巨人の歯は難なく貫き、肉を裂いただろう。しかし過酷な環境と熾烈な闘争により鍛え上げられたアニミスの皮は、巨人の歯では傷一つ付かない。当然肉にも達しず、ろくな痛みすら与えられなかった。
この巨人の攻撃でアニミスは負傷していない。ではアニミスは巨人の狼藉を許すのか?
否だ。
アニミスは覚えている。初めてこの山を訪れたあの日に聞いた『恐ろしい』声を。
奴等の鳴き声は、あの声によく似ていた。
あの夜は怖くて震えていた。弱くて、何も知らなかったから。しかしアニミスは強くなった。山の厳しい環境に鍛えられ、トラと大烏と人間の戦いから経験を得た事で。
最早この声は怖くない。怖くないが、コイツらの事は嫌いだ。勿論何もしなければ精々威嚇して追い払うだけだろうが、奴等は攻撃してきた。嫌いな奴等に攻撃されて許すほど、
「キュオオォッ!」
アニミスは大きく身体を振るい、噛み付いている巨人を突き飛ばす! アニミスに押された巨人の身体は呆気なく傾き、間抜けにも尻餅を撞くように転んでしまう。
アニミスはこの隙を逃さない。素早くアニミスは前脚を掲げ、巨人の顔目掛け振り下ろした!
巨人は一つしかない目玉を大きく見開き、顔を守ろうとして腕を動かす……が、間に合わない。蹄の付いた足先は丸い目玉を直撃し、込められた力は眼球どころか頭蓋骨をも粉砕する。
巨人の生命力は強いのか、頭を砕かれてもすぐには死なず、ジタバタと暴れた。だがその暴れ方は理性的な、攻撃に対しなんとか守りを固めようとする動きではない。頭を捻じ切られた虫のようなものでしかなく、やがてバタリと地面に横たわって動かなくなった。
まずは一匹。
「……キュゥルルルル」
易々と巨人を仕留めたアニミスは、不満を露わにした声で鳴いた。
アニミスは草食動物であり、仕留めた巨人を食べたりしない。一匹殺して幾らか鬱憤が晴れた事で、戦いへの面倒臭さが上回った結果、残り二匹の巨人は威嚇して追い払おうという行動を選んだのだ。
仮にアニミスの鳴き声の意味が分からなくとも、アニミスがどれだけ強いかは、平然と行われた仲間への攻撃から、生き残った二匹の巨人にも伝わっただろう。群れればバラバラに挑むよりも遥かに『戦力』は大きなものとなるが、アニミスの圧倒的な強さの前では誤差でしかない。この二匹だけでは勝ち目などないのだ。
なのに巨人達は退かない。
それどころかにやりと、笑みのようなものを浮かべていた。群れを作らないアニミスに感情表現としての表情は持たないが、その顔付きが『喜び』を意味している事は本能的に分かる。コイツらは仲間を一方的に殺されても、怯む素振りすら見せていないという事だ。
何か勝算があるのか? アニミスは巨人達の不可解な感情に違和感を覚えた。尤も、深く考え込む必要などなかったが。
答えはすぐにやってきた。
「ギョオオオオオオオオオオオン!」
「ギギョオオオオオオオオオンッ!」
二匹が揃って鳴くと、それに応えるように大地が吹き飛び――――また新たな巨人が姿を現したからだ。
今回地中から現れた巨人の数は五匹。生き残りと合わせれば七匹の大群と化す。二匹で勝てないなら、もっとたくさんの仲間を呼ぶ。単純だが極めて効果的な作戦だ。
呼び声に応えて新たに出現した巨人達はのしのしと歩き、地面を覆い尽くすほどに生えるヤマキャベ達を次々と踏み潰す。夏の盛りで濃い緑に染まっている葉が、茶色く薄汚れた染みにどんどん変わっていく。
変化はまだ終わらない。アニミスの周りだけでなく、遠く離れた場所……山の中腹や麓付近からも、続々と巨人達の気配が出現した。数は百か、二百か、それ以上か。最早アニミスでは数えきれない。
自分の置かれている状況、変化する戦局を探ろうとアニミスは全方位に意識を向ける。すると山の二ヶ所から巨人達の鳴き声が上がったのを聞き取れた。その鳴き声の傍には大きな気配……トラと大烏が居る。奴等もまた巨人達を返り討ちにしたが、巨人達は仲間を呼んで反撃に転じようとしているらしい。
アニミスには分からない。どうしてコイツらが、こうまでして自分達を殺そうとするのか。獲物が欲しいのなら、先程から踏み潰しているユキネズミでも喰えば良いのに。
それともコイツらの目的は、山奥に現れた一際大きな『気配』に自分達を近付けない事だろうか?
【ギョオオオオオオオオオオオン!】
考えるアニミスに応えるかのように、山奥より激しい咆哮が上がった。
するとその声に応えるように、山中に現れた巨人達の動きが変わる。群れの一部が別行動を始めたのだ。幾つかはトラの気配に、幾つかは大烏の気配に、幾つかはアニミスに……きっちり同じ量の巨人達が、一斉に向かい始める。
そして残りである大半の巨人達は、一際大きな気配の元に集まるように向かい、一際大きな気配は巨人達を率いるように麓へと進み出した。
一際大きな気配の進路上に、アニミス達はいない。巨人達の群れと一際大きな気配はアニミス達と一戦交えるつもりがないらしく、真っ直ぐ山を下りていた。
恐らく、目の前に立ち塞がる七匹と、こちらに迫り来る巨人達を倒しさえすれば、この『いざこざ』は終わるだろう。アニミス達の様子見すらしてこない『そいつ』に、彼女達と戦うつもりなど毛頭ないと考えるのが自然だ。アニミスも本能的に事情を察し、特大の気配に手出ししなければこれ以上の面倒には巻き込まれないと理解する。
だが、アニミスは静観を選ばない。
アニミスは鹿だ。故に故郷がズタズタに破壊されても、特段何も思わない。しかし住処としている洞窟が一部壊され、冬から春に掛けての食べ物であるヤマキャベが踏み潰されれば……怒りがどんどん込み上がってくる。大きな気配が何者で、どんな目的があるのか、そもそも本当に巨人達を
アニミスは大きな気配が此度のいざこざの原因だと思った。だからやるべき事はすぐに決まった。
ムカつくから一発殴りに行こう。
やるべき事を決めたアニミス。とはいえ思い立ってすぐに行動を起こすのは中々難しい。
アニミスの周りに、遠方よりやってきた何十という数の巨人がいよいよ迫ってきたからだ。遠目にも姿が見えるようになり、今更駆け出しても振りきれまい。
やってきた巨人達は全員が狂的な笑みを浮かべ、アニミスを見るや涎を垂らし始める。こちらを喰う気満々らしい。そんな奴等の手にはキツネや猛禽の亡骸が握られており、道中で殺戮を繰り広げていた事が窺い知れる。
やがて陣形が完成したのか。巨人達は一斉に構えを取り、手に持っていた『玩具』を捨てるや全身に力を込め――――
「キュオオオオオオオオオオオンッ!」
巨人達が動き出すよりも早く、怒り狂ったアニミスが巨人達目掛け突撃するのだった。
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