決戦

 国王ジークフリート三世は唖然としていた。

 彼は演技として無能を装っているが、実体は優秀な策略家であり、常に民と国の繁栄を願う名君だった。巨人達の存在を古文書や過去の遺物から確信した彼は、いずれ訪れる巨人の再来に備えて準備を続けた。

 国土開拓による国力増強、工業化による軍需品の生産、最新兵器の開発……無能な王のワガママといえば無能な貴族達は媚びを売るために賛同し、実に政策を実施しやすかった。無論無能な貴族の力は、少しずつ削ぎ落としていったが。

 僅か十年ほどでこの国は、近隣諸国とは比にならない軍事力を手にした。この力を人に向けるつもりは、相手から攻めてこない限りはない。全ては巨人達を討つため、臣民を守るためのものだ。

 だが、通じなかった。

「陛下! 無事ですか!?」

 側近の兵士が声を掛けてくる。我に返ったジークフリートは、無意識に周りを見渡した。

 此処は城の最上部に位置するジークフリートの私室に隣接する、外を見渡せるバルコニーだった。城の最も高いところに位置し、城下町を一望出来る。自分の治める町が日々発展していくところを眺めるだけで、謀略や陰謀のひしめく政界で戦う気力を得られたものだ。

 その町は、もうない。

 城下町は何もかも激しく燃え、灰燼に帰そうとしている。祖父の代から始まった若い国とはいえ、百年以上の歳月を掛けて造られた人の営みが消えていく。

 町を我が物顔で跋扈する、巨人共の手によって。

 巨人の群れが王都に現れた時、王は即座に派兵を命じた。兵士達は巨人という未知の敵に困惑しながらも、勇猛果敢に挑み、民を守ろうと奮戦してくれた。

 だが、巨人達の足止めすら敵わない。銃弾は全く通じず、大砲の砲弾も直撃させない限り怪我にもならない。対して相手は適当に腕を振るえば何人もの命を奪い、砲弾の残骸を素手で投げ飛ばしてくれば飛び散る破片により十以上の兵士を戦闘不能に陥らせる。

 長い月日を掛けたとは言わない。しかし出来る限りの努力をしたのに、まるで勝負にならなかった。いや、それとも決断を誤ったのか。戦うのではなく、逃げる方法を最初から模索していれば――――

「……ん……? なんだ、あれは……?」

 呆然としていたジークフリートだったが、ふとあるものが目に入る。

 それは王城の前にある広間。普段なら貴族や富裕層が行き交う場所に、巨人の群れと……その巨人達の前に立つ動物の姿があった。馬、にしては随分と大きい。それに角が生えている。

 どうやら鹿のようだ。王都で、いや、王国であのような動物を飼育しているとは聞いた事がない。そしてその鹿と向き合っているのは、巨人達の中でも一際大きな個体。巨人達の親玉らしき者だ。

「おい、アレはなんだ。何が起きている?」

 広間で何かが起きている。それを察したジークフリートは側近の兵士に尋ねた。すると兵士は困ったような、言葉にすべきか迷う素振りを見せる。友人や同僚相手ならば黙るところだが、『上司』には隠せない……そんな顔だ。

「……その、あくまで偵察兵からの報告なのですが……鹿が、巨人を倒している、らしいのです」

 やがて語られた言葉に、ジークフリートは目を丸くした。

 鹿が巨人を倒している? 一体何の冗談だ? 銃も大砲も効かないんだぞ?

 困惑から再び呆けてしまうジークフリートだったが、彼は間もなく我を取り戻すだろう。そして兵士の語る言葉に、一片の嘘も間違いもないと気付くのだ。

 これから始まる、獣達の戦いによって。




 ようやく出てきたか。

 アニミスがそいつと対峙した時、真っ先に思ったのはある意味安堵にも似た気持ちだった。この有象無象の巨人を一匹一匹倒している間に逃げられでもしたら、また追い駆けねばならないのだから。

 しかしその安堵は身体から力を抜かず、むしろ一層の戦意を駆り立てる。

 アニミスの前に現れた大柄な巨人……他と区別するために大型巨人と呼ぶとしよう……奴が纏う力は、とても強大なものだった。目を逸らせば、その隙を突かれて手痛い一撃を受けるだろう。

 反面今から背を向け、全速力で走り出せば、恐らく逃げきれる。二本足で立つ巨人達は、四本足で力強く大地を蹴る自分よりも遅いと、アニミスは本能的に察していた。

 その上で。

 アニミスは前へと歩を進める。今更どうして背を向けるのか。アニミスは、自分の好きなものを滅茶苦茶にしたコイツを許すつもりなどないのだ。敵意のこもった鋭い眼光で睨み付ければ、普通の巨人達は動揺したようにざわめく。

 しかし大型巨人は怯まず、にたりと笑みを浮かべる。

「……ギッギギョッギギギ」

 大型巨人は何かを伝えるように鳴くや、自らもまた前へと歩を進めた。その歩みは自信に満ちており、アニミスを前にして何一つ怯えていないと分かる。ただし浮かべていた笑みは消え、段々と闘志と殺意に塗れた、凶暴性を剥き出しにした表情へと変わった。

 今度はアニミスが、向けられた敵意を平然と受け止める。『挨拶』を終えたアニミスと大型巨人は、真っ直ぐ、躊躇いなく距離を詰めていく。否、それどころか段々と足は速くなり、歩みは駆け足となって、

「キュオオオオオオオオオオオオッ!」

「ギョオオオオオオオオオオオオッ!」

 二匹の獣は雄叫びを上げながら、相手目掛け突撃した!

 距離を詰めた時、最初に仕掛けてきたのは大型巨人の方。大地を蹴って跳躍するや、その腕を高々と振り上げる。

 大きな拳を力強く握り締めた次の瞬間、アニミスの頭蓋目掛けて振り下ろした! アニミスの目は迫り来る拳を捉えたが、反応が間に合わない。強力な拳がアニミスの脳天に当たり、彼女の頭を強い衝撃が襲った。

 大型巨人は笑みを浮かべ、周りの巨人達が歓声を上げる。が、大型巨人の笑みだけはすぐに消えた。

 殴られたアニミスの瞳が、殴られる前よりも激しい怒りによって燃え盛っていると気付いたがために。

「キュオオオンッ!」

 大型巨人が後退するよりも前に、アニミスは打ち込まれた拳を押し返すように己の頭を振り上げた!

 アニミスが拳を押した事で、連動するように腕と肩も押し出され、大型巨人の体勢が崩れる。跳躍していた事もあって体勢を保てなかった大型巨人は、忌々しげな表情と共にその身を大きく仰け反らせた。アニミスはこの隙を逃すまいと更に一歩前に出る。

 しかし大型巨人は素早くもう片方の腕を下ろし、アニミスの角を掴んだ。角を捕まれたアニミスは動きが鈍り、大型巨人へ自慢の角が届く前に止まってしまう。大型巨人は体勢を直すやもう一方の角も掴み、両手でアニミスの頭を束縛。着地した後は更に強い力で抑え付けた。

 このままアニミスの頭に蹴りでも見舞うつもりなのか、片足に大きく力を込める大型巨人。だが、しかしその目論見は叶わない。

 アニミスが前進したからだ。全身全霊、本気の突進である。大型巨人の身体が僅かに浮かび上がり、彼はアニミスに押され、昨日までは誰かが住んでいた豪邸に叩き付けられた。衝撃で瓦礫と窓ガラスが飛び散り、大型巨人の身体は深々と豪邸に埋まる。

 だがこれで攻勢を止めるほどアニミスは甘くない。アニミスは一旦後退したが、すぐに再突撃! 二連続の突進に堪らず大型巨人は角から手を放し、また豪邸に叩き付けられるよりも前に転がりながらアニミスの傍から離れる。相手が目の前から消えたアニミスは、しかし一度全力で走り出したものだから止まる事が出来ず。勢い余って空き家に突っ込み、ボロボロになった豪邸が崩れ落ちた。

 人間であれば大きな瓦礫の下敷きとなり、命を落とすであろう災厄。だが瓦礫を吹き飛ばしてアニミスは外へと出る。こんなものは邪魔にもならないとばかりに、頭に乗っていた人の頭ほどの大きさがある瓦礫を振り落とし、大型巨人を睨み付けた。

 難を逃れた大型巨人は立ち上がり、アニミスと睨み合う。その身に更なる力を込め、これまでとは桁違いの『存在感』を発し始めた。存在感は即ち強さ。アニミスとの取っ組み合いは、あくまで様子見だったのだ。ここからが本気なのだろう。

 アニミスも同じである。

 今までは相手の出方を見るため、敢えて怒りを抑え付けていた。だが向こうが本気を出すのならばこちらも手は抜けまい。我慢を取り払い、感情に身をやつす。全身の筋肉が膨れ上がり、巨大なアニミスの身体が一回り大きくなったかのように存在感を増していく。

 どちらも準備を整えた。言葉はいらない。そんな礼節は野生の世界に不要だ。目と目が合えば、それが合図となる。

「ギョギギョオオオオオオオオッ!」

「キュオオオオオオオオオオンッ!」

 咆哮を上げた両者は再び突撃し、ぶつかり合った!

 最早手加減などしないとばかりに、大型巨人は攻勢を強める。拳だけではなく、足蹴まで使ってきた。それもただ闇雲に放つのではない。整った動きから繰り出される一撃は、人間が使う格闘技のようだ。

 素早く三発の拳がアニミスの胸部に叩き込まれ、軽く浮き上がった身体に強烈な回し蹴りが入る。人間ならば一撃でその身を文字通り砕かれるであろう威力に、蹴り飛ばされたアニミスも息が詰まった。

 しかしこの程度で倒れるほど柔ではない。こんな傷み、あの大烏の攻撃と比べればぬるま湯同然だ。

 アニミスは蹴られた事で飛んだ身体が着地するのと同時に、後ろ足で大地を蹴る。されど前足は力を込め、大地を踏み締めたまま。アニミスの身体はぐるんと回り、大型巨人に背を向ける体勢となった。無論逃げるつもりなど毛頭ない。そもそも向けたのは正確には背ではなく、後ろ足である。

 二本の巨大な足から繰り出された蹴りが、大型巨人の胸を狙う! 大型巨人は腕を胸部で交叉させて防御の姿勢を見せたが、アニミスは気にも留めない……そんな防御など、端からぶち抜くつもりなのだから。

 全力で放った蹴りは、大型巨人の両腕を直撃。苦悶の表情を浮かべて耐えようとする大型巨人だが、打撃を受け止めきれず、両腕が大きく上がるのは防げなかった。筋肉に覆われた胴体が剥き出しになる。

 アニミスは前足を用い再び跳んだ。後ろ蹴りを放った事で傾いた身体を、更に一層傾けて――――胴体側面から大型巨人に体当たりをお見舞いする!

 大型巨人は押し倒され、アニミスもろとも石造りの床を転がる。どうにか体勢を整えようとする大型巨人だが、アニミスは逃がさない。転がりながら体勢を立て直すのは、以前トラとの戦いで経験した事。ましてや相手が逃げるつもりなら、主導権はこちらにある。

 大地を蹴る事で体勢を変え、仰向け状態の大型巨人の上に陣取るアニミス。無論そこに優しさなど一片もない。仰向けにさせた顔面目掛け、蹄による一撃を喰らわせる!

「ギョガッ!? ギッ……! グガギィヤァッ!?」

 数度蹄を顔面に叩き込まれた大型巨人は、反撃として拳を放とうとした。が、アニミスはその拳さえも蹄で打ち抜く。攻撃に使われてきた大型巨人の手は、荒い狙いで放たれたアニミスの蹄により端の方が傷付き、小指の骨が折れた。

 大半の野生動物としては些末な怪我だが、拳を握り締めて戦う大型巨人にとっては見過ごせない怪我。片方の拳の威力が大きく落ちてしまう。そうして痛みに藻掻き苦しむ間に、アニミスはもう片方の手も踏み付け、甲の骨を砕いてやった。

 両腕から戦う力を奪われ、大型巨人は悲鳴染みた声を上げる。だが、アニミスはこれで許してやるつもりなどない。彼女の胸から沸き立つ怒りは未だ収まらず、この化け物の顔面を文字通り砕くまで止まりそうにないからだ。

 アニミスは執拗に、湧き上がる衝動のまま大型巨人の顔を前足で殴り続ける。何度も何度も頑丈な蹄で殴られた大型巨人の顔は血塗れで、顔を守ろうとしている手の指は妙な方角に曲がっていた。もう満足な防御は出来ないだろう。

 大型巨人が弱った事を確信するや、アニミスは大きく前足を振り上げた。腹立たしいこの生き物に、止めの一撃を与えるために。

 ――――勝利を確信して油断していた、という訳ではない。

 強いて言うならば、それはアニミスにとっては想定外であった。ただ一匹で生きてきた彼女にとって、『同種』がそのような行動を起こすとは考えられなかったのだ。故に彼女はそれを意識していなかったのである。

 自分の背後に飛び付く、一匹の巨人が現れるという事態を……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る