第十二話 分岐点1。家庭教師は独身である

「全く、どうしたものか」

「全くです」


 私は頷きながら、独り言に勝手に割って入ってきた、中年の男性を見つめた。

執事長は、知らない男が公爵令嬢の隣にいるのに何も言わず、使用人たちに指示を送っている。


「オクタヴィア様には、お初にお目にかかります。わたくしはドミティウス殿下の家庭教師をしておりますセネカと申します」

「家庭教師?」


 少し白髪が混じりかけた頭を下げながら、男は私に微笑んだ。

口元は笑っているのに、目だけが冷徹に、まるで物を観察しているかのように温度が感じられない。


「先ほどまで、わたくしが殿下の勉学のお手伝いをさせていただいておりまして、その都合上近くにいたわたくしを執事長が殿下の説得にと呼ばれたのですよ」


 少し遅かったな、殿下は眠ったぞ。

と、話す隙も与えず、男はよりにもよって、ようやく眠りについた王子の部屋の扉を無造作に開け、布団をはぎとるという暴挙にでたのであった。

言っておくが、寝坊している息子ではないのだぞ???

涙の痕が残る顔をこすり、ネロは状況が一瞬把握できなかったのか、辺りを見渡し、男と戸惑う私の姿を視界に収めると顔を真っ赤にさせた。

泣き顔を見られたのが恥ずかしかったのだろうか、顔を背けようとするネロの顔をセネカは両手で固定し、無理矢理目を合わせた。


「わたくしがあなた様にお教えしたことを覚えておられますかな?覚えておられているなら、同じ過ちを犯すわけがありません。何度、癇癪をおこすのです?」

「やめろっ!」


 男はさほど力をいれていなかったのか、ネロに手を払われる。

震えながら、俯くネロは叫ぶ。


「近寄るな!貴様も俺様の金と権力が目当てなのだろう?!」

「そうですが何か問題でもございますか?」


 あっさりと肯定しやがった…。

思わず私もドン引きである。

私が言うのも何だが、ネロの周りに碌な奴がおらんな…。

ほら見ろ!誰も信用できるものか、と頑なになるネロに向かって、セネカは大きく溜息を吐いた。


「思ったよりも学習の成果がみられないようなので、今後の教育方針を変えねばなりませんな。殿下は、情などというあやふやなものを信仰していられるようですが、そのような移り変わるものに重きを置くから、あなたは今のように振り回されるのですよ。

今の殿下は情の奴隷ですな。

それを制御下に置くために、今すぐ信仰を捨てなさい。今すぐに」

「何故捨てる必要がある」


 第三者に徹するか、口を挟むか、悩んでいた私は思わず口を挟んでしまった。

だが、どうしても恋愛小説大好きな恋愛脳の私には聞き捨てならなかったのだ。

王子から視線が逸れ、セネカはゆっくりと私と向かい合う。


「捨てる必要のあるものなどないではないか。

多種多様な情こそ、私たち人間の特権ではないか」

「依存心が問題だと申しているのです。

振り回されて、癇癪を起こし、周囲に被害をもたらす。これが理性ある人間の姿だとあなたは思われるのですか?

理性こそが、人間の特権と言えましょう」

「愛情であれ、友情であれ、求めることは自然のことだろう?

癇癪という鬱屈の発散方法は乱暴であることは認めるが、殿下が情を求めることは間違いなどではない。

むしろ、求めるべきだ!

どの人間にも与えられているはずの情が与えられていない現状こそが、殿下の癇癪の原因ではないか」

「それは他者に責任を押し付けすぎてはいませんか?

殿下の怒りは殿下のものでしかない。

怒りを自身の意識下に置き、制御すべきです」

「無理に自身を抑える必要などない。

殿下が求められるべき情を手に入れることができれば、自然に癇癪は収まる」

「では、それを婚約者である、あなたが与えると?」


 のろけを聞かされているのか、という表情に変わるセネカに口ごもる。

それは、ヒロインや生まれ変わった未来の悪役令嬢の役目なんで…。

私は思わず、ネロの方に視線を向けてしまう。

ネロは、赤い目元のまま、私をぼんやりと見つめている。

苛烈さもなく、それは年相応の子どものように。


「与えりゅ!」


 噛んだ。


「情など既にある!

おぬしは黙って受け取れば良いのだ!」

「…噛んだ」

「そこじゃない!!」


 こんなの悪役令嬢じゃない!

情に振り回されてるのは、ネロではなく、私ではないか!

悪役ムーブをすると言ったのは誰だったのだ!私だろ?!


「ははは、噛んだ」


 泣いたと思ったら、ネロはお腹を抱えて笑い始めた。

そこまで笑う?

そうは思ったが、まあ、泣いている姿より笑っている方が良いか。

だが、言っておくが、情と言うのは友情に近い何かだぞ?

子どもに対して湧き上がる庇護欲というか母性本能に近いものだから、勘違いしないでよねっ!


 脳内でツンデレる私と、無邪気に笑うネロ。


 そんな私たちをセネカはただ、静かに見つめていた。

何かを図り、観察するかのように。

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