第八話 ダイナは子守歌を歌う。ゆりかごは落ちる。
うう、父上の無茶ぶりのせいで、いらぬ恥をかいてしまった。
これはあれだぞ、前世で妄想した「私の最強の悪役令嬢!」を書いたノートを母親に見られ、ご丁寧に赤ペンで漢字間違いを訂正されていた時なみ…前世の方が恥ずかしかったな。
見て見ぬふりをしてほしかったっ…!
私はちらりと部屋の隅で突っ立っているマーチを伺う。
私付きの奴隷兼護衛ということで四六時中、トイレと風呂以外はダイナ同様私についていることになったのだが、どうしたものか。
今のところ、私の見張りには他の使用人、新人の侍女もいるが、さすがに使用人は四六時中一緒ということはない。
労働基準法というものはないが、人間として生活する最低限の自由は使用人にも与えられている。
夜は自室で眠る、とかな。
だが、ダイナとマーチに関しては別だ。
ダイナは、父上の命令で私の護衛を特別に任せられている実力者であり、見張りで、私が物心ついた頃から、正確に言うと私が前世の記憶を取り戻す時にいた。
毒殺未遂が起きてからダイナは私付きになった。
その割に長年一緒にいた感がある。
ダイナに関しては心配事はない。
いつの間にか傍にいて、いつの間にか離れていて、トイレも風呂も父上への報告も済ませている。
私のプライバシーに配慮しているのか、普段は影のように身を潜めて私を見守っているせいで、私にはダイナがいるのかいないのかよくわからない時がある。
ただ、マーチは違う。
護衛としての教育を受けていない。
魔法を使うとしても、主人の私にマーチの魔法の知識がない。
今のところ、使いこなせないのだ。
それなのに、父上が私付きにしてくれたのは、完全に親バカだからだな。
さて、必要なのはマーチの教育だ。
かといって、七年しかこの世界にいない私には、彼に教える術はない。
そもそも何を教えたらいいものかも検討がつかん。
悩んで悩んで、思いついたのが冒険者ギルドの存在だった。
ギルドでは確か様々な講習会を開いていた。
学校に通えない庶民の識字率が高い理由の一つに、冒険者が商売人とやりとりする際騙されないために、ギルドで読み書きの講習会を開いていることがあるかもしれない。
冒険の心得だけでなく、様々な講習会がある。
ちなみにいくつかの講習会は、冒険者だけでなく、一般人にも門戸を開いていたりする。
読み書きはその一つだ。
ギルド長から手渡された用紙を見ながら、私はマーチも冒険者にすることを決めた。
ヒロインの取り巻きには、強さと賢さは必須だからな。
護衛術についてはダイナに叩きこんでもらおうか。
「ダイナー、ダイナー」
「はいお嬢様」
ベッドの上、天井から声がした。
私は頭上を見上げ、染み一つない真っ白な天井に向かって、
「いるなら、降りてきてくれ。首が痛くなる」
この台詞にデジャヴを感じるな。
天井に大きな穴が開いたかと思うと、一瞬にして穴は消えた。
気にしたことがなかったが、ダイナってもしかして魔術使える?
暗殺者にもスパイにも向いている、どこにでもいそうな記憶に留まらない顔のダイナを上から下までじっくりと見る。
「ダイナ、マーチを表立った私の護衛役にしたいのだが、その教育はできるか?」
「いいえお嬢様」
即答なのか。
「その理由を聞かせてくれ」
「閣下の許可を頂いておりません」
「許可を貰ったら、どうだ?」
珍しくダイナは考え込む。
それから、慎重に言葉を選ぶように、少し溜めを作りながら言葉を紡いだ。
「…エルフの魔法、生態に関して、13番に知識がありません。そして、自らの判断で動くことができなければ、突発的状況に対して、対応する術がありません」
「つまり、私が何らかの事情で命令できない状態に陥った時に護衛として対応できないと。今のマーチの状態では教えたところで、無駄というわけか。」
詰んだ。
自我を奪っているから、希少価値の高いエルフの少年を所持し続けれるのだ。
自我が戻った瞬間、反抗されるのは目に見えている。
愛玩するなら、自我なんかなくてもいいのだけれど、それでは奴隷を買った意味がない!
愛されるだけの玩具など必要ないのだ!!
一転、私が頭を抱え、唸っていると、ダイナが床に視線を落としながら躊躇いがちに口を開いた。
「…………花冠を、作った奴隷商人」
ダイナは動いた唇に戸惑うように右手で抑える。
それを不思議に思いながらも、私の頭に浮かんだのは狐目の男。
手を打てない現状を打破するために、あの男に再び会って聞いてみるのもいいだろう。
あの花冠も不思議な代物だ。
魔術も魔法の違いもわからない私には種も理屈も全く分からない。
原理なんか検討もつかないし、そうできるからそうなのだとしか思えない。
だけれど、ダイナが父上ではなく、あの男を挙げたというのは、意味がある。
ダイナの奴隷時代を知っているのは、おそらくあの男であり、そしてダイナもその分だけ奴隷商人の何かを知った可能性はある。
そもそも、自我を緩めるって何だ?
自我って緩めたり、締め付けたりできるものなのか?
あの場で瞬時にマーチの自我を少し緩めることができたということは、まさか花冠の作り手だったりはしまいか?
「マーチ、来い。寝るぞ」
考えるのはやめだ、やめ!
ぼんやりとした美少年をベッドに呼ぶ。
外見的には七歳の私の方が幼く、マーチの方がお姉…兄さんだから、犯罪臭はしないぞ!
私は、マーチをベッドの上に横たえさせ、その隣で眠ることにした。
マーチの部屋も明日何とかするとして、今日はもう寝る、考え疲れた。
「ダイナ、子守歌を歌ってくれ」
照明を落とし、ダイナは暗闇と同化してしまった。
もう、天井裏に戻ったのだろうか。
そう思い始めた頃、ようやく歌声が聞こえた。
不思議な歌だった。
言語も違うのか、歌詞すらわからない異国の歌。
ダイナはどこから来たのだろう。
郷愁に浸りながら、気付けばその日は眠りに落ちていた。
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