一章:よそ見をしていると穴にだって落ちる

第一話 転生して悪役令嬢 

 何番煎じを越えて、一ジャンルを築いた悪役令嬢もの。

悪役令嬢、異世界転生、私tueee、逆ハーまで揃ったらフォーカード。

現実には見ることのできない役満を、ネットの海では嫌と言うほど見ることができる。

この場でいう嫌というのは、嫌よ嫌よも好きのうちの嫌だ。

見飽きたとかいいつつ、見てるあたり、大好物といえる。

さて、あと一枚でロイヤルストレートフラッシュという手札で、運命の女神様はどんなカードを配るというのか。


 私は非常に楽しみにしていた。

悪役令嬢の活躍を。

ヒーローなんて誰だっていいのだ。

私は悪役令嬢という立場のヒロインが大好きなのだ!!!


 わくわくとした高揚感に包まれていた私に、時代の流れと共に学校から姿を消した二宮金次郎は何を伝えようとしていたのか。

私には理解できていなかったのだった。

更新されていたネット小説に興奮して、つい歩きスマホをしていた私の正面で点滅を終えた信号。

車道側の黄色信号に焦ったトラックが猛スピードで曲がり、私と、「キャッ!イッターイ!やだ、パンツ見た?!エッチ!!」というどす黒いピンク色に染まった甘いやり取りを繰り広げることになろうとは、歩き読書で消えた二宮さん以外誰も予想できなかったに違いない。


 そう、トラックこそが最後の手札。

ロイヤルストレートフラッシュ。

まさしく、運命の出会いであった・・・


「オ、オクタヴィア様」


 なんて運命とほざきつつも、一秒も持たなかった関係性だ。

所詮、遠距離恋愛なんて無理があったのさ。

アンニュイに耽りながら、私は前世の記憶に別れを告げる。

そもそも本当に前世だったのかどうかも、今となっては物理的証拠があるわけでもない。確信なんて持てない。

ゲーム脳だったり、二次元脳だったり、あまりの妄想のしすぎで、現実世界にまで妄想が拡張してしまう場合がある。

そう言ったら、ここが現実世界なのかどうかも怪しいものだ。

私は、可哀想なことに顔を真っ青にさせ、手も震わせながら、先輩連中から私の世話兼見張りを押し付けられた新人侍女を見つめる。

おいおい、七歳児にそう怯えるもんじゃないぜ?


「なんだ」

「旦那様が…」


 お呼びです、までが聞き取れなかった。

最後までちゃんと発音しようね?

口下手で会話を続けるのが難しいコミュ障の私にだけは言われたくはないだろうが、彼女も大概だ。

私は既に着せられている動きにくいドレスを難なく翻し、転ぶ。

起きては転ぶを繰り返す。

ドレスのスカート部分にひだがありすぎて、足を上げると室内靴に引っかかるのだ。

その様子を「ヒィッ」と小さく悲鳴を上げ、壁に縋りつき、それでもあまりの怖さに目を離せない侍女。

私はゴキブリか何かか。


 一体全体この侍女は何を怯えているんだ。

私は非力な七歳児ぞ?

確かに前世か、妄想かはわからんが、二十代の喪女の記憶を取り戻したせいで、何度か自殺未遂を繰り返し、その責任を持って前任者たちが消えたし、精神の病を治せなかった医者もいつの間にか姿を消した。

消失イリュージョンにすら怯え、窓から飛び降りようとした何度目かの試みを止められて、窓枠に顔をぶつけ、青あざができ、私に傷がついた!と親バカ気味な父上が、鞭や火掻き棒で使用人を打ち据え、表情筋の死んだ使用人たちが血まみれの使用人をどこかへと連れて行ったこともあった。

自殺願望が落ち着いた今となっては笑い話でしかないがな。

わはは。

全く、現世の父上にも困ったものだ。

これがモンスターペアレントというのものか。

しかし、ファンタジー小説の知識では、貴族にとっての庶民というのは道端の石ころ、幼児にとっての虫ケラでしかないらしいし、こちらの世界の常識は前の世界とは当てはまらないということはままある。

つまり、あちらが私の価値観に慣れるのではなく、私がこちらの世界の常識に合わせるのが道理というものである。

郷に入っては郷に従え。

そんな元日本人としての気質は未だに曲げられるものではない。


 スカートのひだを蹴とばすように歩くことを発明してから、私はまともに歩けるようになった気がする。

だが、ジャージがあればジャージを着る。

怯えたような侍女を背後に従えて、私は父上がいるであろう書斎に向かった。

数が減ったが、廊下を歩けば、何人かの使用人と遭遇する。

その度に使用人たちが床に這いつくばるようにして絨毯に頭をこすりつけるのは時代劇の見すぎなのでは?と思わずにはいられない。

前世の記憶が戻って一週間では、慣れないことばかりである。


 食事をしていたら急に喉が苦しくなり、かきむしり、椅子から倒れ、生死を彷徨うこと一か月。

実行犯のみが闇に葬られたのがその三日後で、未だに首謀者は見つかっていない。

それから、前世の記憶と意識を取り戻したのが一週間前。

医術者の手厚い加護によって、起き上がれるまで体力を取り戻したのが四日前。

現代日本に未練たらたらで絶望感に苛まれ、自殺未遂を繰り返したのが二日前までの話。


 今ではこの通り、諦めもついている。

日本には帰れない。現代日本人は諦めも早い。

書斎の前にたどり着くと、扉の前にいた騎士たちが深々と頭を下げた。

そして書斎の扉をノックする。

大きな木製の扉で、蔦がはったような意匠がなされている。

なんちゃって中世ヨーロッパのような屋敷だが、水道は完備されているし、何より水洗トイレだ。トイレは重要。

私がトイレのすばらしさに想いをはせていると、扉が内側から開かれる。

自動ドア、ではなく内側で待機している執事が扉の開閉を行っている。

更に言えば、ノックしたのは私ではない。

扉の前に立っている騎士の二人のうちの片方が中に声をかけてから扉をノックした。

一々説明しては話が進まないので、これからはそこらへんは省略する。


「私の天使、待っていたよ」


 ヤのつく人かな?と思う強面だが、一応私の父上である。

一応とつけたところに、私の中の葛藤が伺える。

私は美少女だというのに、父上の血はどこへ消えたのだ。

強面がニコニコと笑っても、臓器を売ろうとしているのかな?としか思えない。

私は机の上で肘をつき、両手を組んでいる父上に、スカートを蹴りながら近づく。


「具合はどうかな?」


 どうもこうもない。

医術者たちに頭の中身以外は治してもらったのだ。

健康体そのものだ。


「異常ない」

「うーん。やっぱり後遺症が残っちゃったみたいだね。

可愛いんだから、女の子らしい言葉遣いをしなきゃだめだよ?」


 それは今時流行らない男女差別というものではないか?

女であろうと、男であろうと、どういう話し方をしても許されるべきだ。

という私の考えは口にでることはなかった。

椅子から立ち上がり、近付いてきた父上が頬をはたき、体が壁際にふっ飛ばされたから、物理的に口を開くことができなかったのだ。

咄嗟のことだが、日常的な出来事なので自然に体は受け身をとっていたし、父上とて少しは手加減をしているので、頬が熱をもった程度のことだ。

前世でいうと虐待ではないかと思うのだが、このファンタジー世界に虐待という概念があるようには思えないし、あるとしても父上にとって、この程度のことは暴力ではない。

父上にとっては、おそらく言葉にするのが面倒なので、体で意見を述べているだけ、という説明でわかるだろうか?

しつけという次元ですらなく、ただの言葉の代わり。

だからこそ、父上はしかめっ面をすることもなく、私が体を起こすのをニコニコと笑いながら見守っているのだ。


「ち…お父様。乳歯が抜けましたわ」


 前世の記憶のせいで、たった七年の記憶が遠ざかっていたので、どんな口調だったかあやふやですわ。

私は口から一本の歯を吐き出す。

前歯だと悲惨だったが、奥歯なので見た目にそれほど変化はないだろう。


「ああ!なんて可愛らしいんだ!歯ですら可愛いなんて、オクタヴィアは地上に舞い降りた天使!!」


 先ほど私を叩いた手で、今度は私の体を抱きしめる父上。

顔は似てないが、私の情緒不安定は確実に父上の遺伝だ。


「こんなに可愛い娘を、獣たちの巣窟へと送り込まなければならないなんて、やはりこの国は滅んだ方が良い」


 滅多なことはいうものではないし、実際、この人は小説の中で滅ぼそうとしたから笑えねえわ。

わっはっは、と聞いている私にとってブラックジョークを飛ばすヤのつく親分みたいな父上は、ものすごくわかりやすい悪役である。

そして、悪役の子は悪役。

作者としては、悪役令嬢が先なのかもしれない。

悪役令嬢の親は悪役。

何の因果応報か、前世トラックとぶつかった私は、大好きだったネット小説である悪役令嬢というジャンルの、読者数の少ないマイナー小説の中に生まれ落ちてしまったのだった。

悪役令嬢という名があればとにかく読み漁っていた私でなければ、気付かないぞ、まったく。

しかも見事にエタったので、悪役令嬢がどうなったのかもわからない。

前世の記憶でチートできないという一体誰得なんだ。

無力な美少女である私には、父上の悪事を止めることもできず、流されていくことしかできないというわけだ。

そういう運命の元に生まれ落ちてしまったのを受け止めて、粛々と悪役令嬢としての役割をこなしていこう。

殊勝な思いで俯いていると、父上は私を見下ろして、


「ん?何か良いことでも思いついたのかい?ニコニコして」

「いえ、学院が楽しみになっただけですわ」

「お父様は、親の心配を無視して成長していく娘が可愛くて辛いよ」


 そう、私は生粋の悪役令嬢スキー。

処刑になろうが、野郎どもに暴行されようが、結末なぞどうでもいい!

悪役というものを、物語の進行には欠かせない障害物というものを、決して許されない邪魔者というものを、皆に見せつけてやるのだ!


「わはははははは!!!!」

「コラッ!笑い方がレディじゃないぞ!」


 頭上からの衝撃に、私は床に倒れ伏した。


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