閑話の終 将来

 俺は自宅を愛している。おかしを食べる時も、サークルの話をする時も、風邪をひいても、ハロウィンの日も、料理をしてもビザを食べてもファッションの話をしても誕生日の日も——とにかく、自宅が大好きだ。


 人は誰しも"天秤"というものを持っている。立ち並ぶ二つの存在を前にして、どちらを選ぶのか。どちらが必要なのか、どちらが好きなのか……人生における岐路において、天秤を傾けながら進んでいくのが人類だ。

「凡」の人類なら。


 俺はどちらかを選ぶというようなケチ臭い真似はしない。どちらも選ぶ。天秤の皿をもぎ取ってどちらも抱えて歩いて進む。


 さて、その二つとは一体何か。もはや言うまでもない。愛する自宅と、愛する彼女である。

 前置きが長くなったが結局何が言いたいのかと言うと、俺にもよくわからない。


「ヒマだねえ」

「ヒマだなあ」


 いつものように座布団に腰を下ろし、麗しの彼女と一緒にだらだらとしていた。

 今日はお酒もないし、お菓子はいつもながらない。挙げ句の果てには話題もない。

 こんなときは待機の一手に限る。頭の回転の速さなら彼女の方が数倍上だ。きっと素晴らしく面白い話を切り出してくれることだろう。


「そういえばさ」

「ん?」

「卒業後の計画とか立ててんの?」

「卒業後ぉ?」

「将来のビジョンみたいな」


 将来のビジョン。まさか彼女からそんなマジメな話題が出るとは思わなかった。せいぜい「アイスが食べたい」だの「法学部の村田っているじゃん」だの、俺の癒しと恋愛関係の成長以外にはなんの効果ももたらさないだろう話しかしないと思っていた。

 話しているだけで楽しいので話題のマジメさは割とどうでもいいのだが。


「うーむ」

「院には行くんだっけ?」

「いや俺は就職コース」

「どんな職に就きたいとか全然考えてなさそうだね」

「失礼だな」

「考えてるの?」

「考えてないです」


 考えていないのだ。学生としての日々を彼女との語らいに燃やしている俺にとって、就職先がどうのこうのなんて些事に過ぎない。


 いや、よくよく考えるとそれはマズいのではないか? 俺は大学三年生である。四年生になれば就活が始まる。学生の余命いくばくもない状態で考えなしというのは、あまりにもヤバいのではないだろうか。働くのは嫌だが、就職できず一人氷河期に取り残されるのはもっと嫌だ。


「顔色悪いよ」

「俺の将来ヤバいかもしんない」

「何かしらの職にはつけるよ」

「そういう楽観が昨今の就職問題を作り出したんだぞ!」

「こういう楽観が今のあなたを作り出したのです」


 反論できない。辛い。


「そっちはどうするんだよ」

「私は……就職かなあ」

「どんなところに?」

「どこかテキトーに」

「そういう楽観が昨今の……」

「いやあ大丈夫だよ」


 実際彼女に関しては心配ないだろう。どんな職に就こうと、よしんばベリー・ブラックな企業に捕まってしまったとしても、還元系漂白剤もびっくりの浄化力でホワイトに上塗りしてしまいそうだ。

 しかしそのナメた態度は矯正せねばなるまい。いざ俺の元から離れたときに作法ミスがあれば大変である。


「テキトーじゃ生きていけない世の中なんだぞ」

「私は生きていけるよ」

「その自信はどこからくるんだよ」

「だって養ってくれそうな人が隣にいるし〜」

「お前なあ……」


 ナチュラルなラヴコールに思わずたじろいでしまった。少し頰が熱い。

 俺を信頼してくれているのは嬉しい限りだが、「就職ヤバいかも」という話をしたばかりである。そんな男と添い遂げようと言うのか。俺が女性ならお断りである。就職への決意が固まった瞬間だった。


「俺たちがこのまま卒業したらさ」

「うん」

「そういうことになるの?」

「うん?」

「ほらさっき言ってたみたいにさ」

「んん?」


 狡猾! なんという策謀だろうか。

 自分から「養ってくれる」と嫁入り宣言した上で、俺の口からその旨を語らせようというのだ。流石に恥ずかしい。俺たちは成人ではあるが、同時に学生でもある。「結婚しよう」などと軽々しく言える立場ではないのだ。「大きくなったら結婚する」などと無邪気に言い放てる立場でもないのだ。いわばラバーズ・マージナルマンである。


「だからその……結婚する気とかあるのって話!」

「え〜? 何さいきなり〜」

「ここまで来てしらばっくれるのは狡いぞ」

「うへへへ」


 蕩けたような顔でニタニタ笑いを浮かべながら、身体を揺らして感情を表している。可愛らしいが、同時にヤキモキした。

 と、その時。彼女は一連の動作をピタリと止め、満足げに言った。


「そのうちそうなると嬉しいな」

「マジ?」

「うん」

「つまり婚約じゃん」

「そうなるね」


 驚きである。なんというか、進展しすぎではなかろうか。


「…………」

「照れてる?」

「そりゃ照れるよ」

「カワイイなあ」


 いかん。脳機能の低下が身に染みる。やはり愛とは恐ろしいものである。冷静かつ聡明な俺の頭さえもご覧の通り麻痺してしまう。世界に愛が溢れればそりゃあ戦争も無くなるだろう。愛は強し。愛を操る彼女の強さは言うまでもなし。


「付き合い始めた頃よく言ってたよね」

「何を?」

「愛してるとか好きとか軽々しく言うもんじゃないって」

「そんなこともあったけか」

「今考えたらさあ」


 上機嫌に俺の肩に腕を回す。そんな彼女の笑顔は、キューケンホフ公園のチューリップもかくやという満開っぷりであった。


「そういうこと軽く言えちゃうのが私たちだよね」

「なんだそりゃ」

「だから軽く言えるようにならなくちゃね」


 そう言った後、彼女は試しに、と前置きをしてから「大好き」と言い放った。胸の鼓動が跳ね上がって不整脈を起こしかけた。

 彼女はそんな俺を見てけらけらと心底楽しそうに笑い、真っ赤になった頬をぺちぺちと弄んだ。


「シャキッとしてよね旦那さま」

「精一杯努力するよ」

「よろしい」

「嫁に尽くしてこその旦那だからな」

「いいねえ」


 さて、学生のうちに婚約者を手に入れるという勝者のムーブをかましてしまったわけだが、ここで問題がある。いつ結婚するかだ。流石に稼ぎのない状態で籍を入れるのはマズい。ご祝儀で生活を凌ぐのは流石に情けないし、どうせなら今まで通りのんびりと何も考えず過ごしたいものである。

 ということで、一つ案を思いついた。


「大学卒業したらでも在籍中でもいいんだけどさ」

「うん」

「うちに住まない?」

「へ? ここに?」

「ちょっと狭いかもしれないけど」


 そう、同棲である。大学生同士の同居というのは少々、いやかなり危険なものだが、俺と彼女の信頼関係の元ならへっちゃらである。たぶん。


「いいねそれ」

「あっ乗ってくれるんだ」

「だって結婚の練習みたいなものでしょ?」

「まあそうだな」

「いいじゃん! 明日からやろっ」

「明日ァ!?」

「だめ?」

「だめだろ」


 流石に気が早すぎる。しかし、彼女がノリノリなのは喜ばしいことだ。恋人との相性は同棲、および結婚において超重要。こうも絶妙にマッチしたコンビがいるだろうか? いや、ない。これを超えるものはメルヘンやファンタジーでなければありえないだろう。


「他にも計画立てなきゃね」

「まず俺の就職だな」

「もしコケたら私が養ってあげるよ」

「いやそれはちょっと……」

「持ちつ持たれつ! WIN-WINで行こうよ」

「それそこで使う言葉じゃないと思うぞ」

「えっそうなの?」

「たぶん」

「まあともかく心配無用だよ」

「根拠のない自信だなあ」


 語らいは続き、二人の愛も続く。未来に続く道には、きっといくつも落とし穴やら亀裂やらなんやらかんやらが溢れていることだろう。しかし、彼女の言うように心配無用だ。俺たちには愛がある。そして美しい家がある。マイホーム・アワーラヴ。全て上手く行くはずだ。たとえ上手くいかなくても、俺たちは幸せだろう。


 閑話は続く。遥か先まで続く。

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