閑話の8 誕生日
俺は自宅を愛している。世界すべての不条理を打ち消し、あらゆるものを包み込む安らぎの地。何があろうと物言わず、穏やかで粛々とした老婆のように俺の心を癒してくれる無二の存在を愛している。
いや、無二というのは少し違う。正確には無三である。俺の安らぎを数で数えるならば、必ず彼女を加えなければならない。
さて、今日は特別な日だ。一年に一度、それぞれに訪れる平等な記念日。ここまで言えばその正体はお分かりだろうが、俺と彼女にとっては特別を超えた特別である。
なんと、二人の誕生日が同じなのだ。
「誕生日おめでとう」
「こちらこそおめでとう」
「一年が過ぎるのは早いねえ」
「あっという間だったな」
「私たちも21歳か〜」
テーブルの上にはクリスマスと肩を並べるほどのターキー、セレブも大満足のシャンパン、そして巨大な白い箱。誕生パーティーとは楽しいものである。まして彼女と一緒なのだ、楽しいどころの騒ぎではない。このクールダンディの俺でなければ羽目を外して事故を起こしているところだ。
「成人して一年で大酒飲みとはね」
「そんなに飲んでないよ」
「弱いからな」
祝い事の席で飲むお酒とは美味しいものである。アルコールの回りも早い。というか彼女はもう酔っている。テンションが高いのはいつものことで、もっちりとしたにやけ顔もいつも通りなのだが、まあなんとなく分かるのだ。二割増し程度にゴキゲンであった。
「でも酔ってたほうが気持ちよく活動できて好きだな」
「活動っていうかただのちょっかいだろ」
「罪悪感のないイタズラほど楽しいものはないからね」
「シラフでも感じてないじゃん」
ちょっぴり迷惑に感じることもなくはないが、このお茶目さは彼女に欠けてはならない要素だろう。それにしたって反省だとか罪悪感だとかを持って欲しいものではあるが。
「ケーキとプレゼントどっちが先?」
「ケーキにしよ」
「おっけ」
さて、お楽しみタイムである。
誕生日といえば無論誕生ケーキ。この誕生会では、年ごとにケーキを買う役を変える。今年は彼女の番である。ケーキと一緒にプレゼントも用意するのだが、学生の切羽詰まったおサイフ事情を鑑みて、各自にケーキ代込みのやさしい予算付きである。なんと素晴らしい思いやりではないか。
「今年はちょっとお高めのケーキです」
「おお」
「驚いて腰抜かさないでね?」
嫌な予感がする。
「驚いて腰抜かさないで」。はてさて、これは単に期待を持たせるだけの言葉だろうか? ——否、である。今までの経験からすると、彼女がこういうセリフを吐く時は必ずトラップを仕込んでいる。彼女はある意味正直なのだ。完全に予測不能なイタズラは仕掛けない。「何かある」と踏んだ上で甘んじて受け、あたふたする俺の姿を見るのが楽しみなのだ。
唾を飲み込み、彼女の顔を一瞥してから俺は決意した。そして、机に置かれた箱を開けると……
「うお!?」
風船であった。
風船と聞いて「なんだしょぼいな」と思った諸君。甘い。もっと社会経験を積むべきだ。
風船といっても可愛らしい丸がちょこんとお座りしているわけではない。膨らんでいるのだ。物凄いスピードで膨らんでいるのだ。限界を超えてゴム膜を押し広げ、顔面の間近で炸裂せんとする爆弾。この恐怖がわかるだろうか? いやわからないだろう。わからないだろうが、どうかわかってほしい。めちゃ怖いのだ。
「うひゃあ」と情けない声を出して縮こまった俺。それを嘲笑うように、風船は破裂スレスレのところでしゅるーんとしぼみ、ふにゃりとへたり込んだ。
分かりやすく言うと、リアクションしただけ損であった。ついでに彼女は大笑いであった。
「おい」
「んー?」
「随分斬新なケーキだね」
「驚かないでって言ったでしょ?」
「軽くぎっくり腰だわ」
「しっかりしてよ21歳」
「節度を守れ21歳」
せめて爆裂してくれればこちらもスッキリしたのに。なんだか消化不良である。彼女と付き合い始めてから精神がコメディアン化している気がする。
「それはさておき」
「さておくな」
「本物のケーキはこちらっ」
どこから取り出したのか、再び大きな白箱を机に置くと、今度は自分の手で開けた。
中に入っていたのは、大粒のイチゴとふわふわの生クリームの乗った、豪勢なホールケーキであった。
「めちゃ美味そう」
「好きでしょ?」
「大好き」
「へっへっへ」
前も話しただろうか、俺はイチゴが好きである。イチゴの乗ったショートケーキはもっと好きである。流石に彼女は「解っている」ようで、見るからに超一流のケーキであった。ホールケーキを二人で、というのはカロリー的にピンチだが、これならペロリと平らげてしまえそうだ。
「高かっただろ」と聞くと、彼女はなぜかぴくりと震え、目を逸らしながら「そだね」と一言呟いた。
「じゃあサクッとプレゼント交換しますか」
「どっちからやる?」
「俺から渡すよ」
さて、お楽しみACT2である。プレゼント交換会だ。
俺が意気揚々と差し出したのは、彼女が少し前に読んでいた雑誌でデカデカと紹介されていたブランド・バッグ。彼女の趣味嗜好を把握しきった俺のパーフェクト・チョイスであった。
「わっすごい! これ欲しかったの!」
「喜んでもらえて何より」
「大切に使うね」
どうだ。ざっとこんなものである。
見よ、彼女の幸せそうな笑顔を。年がら年中のほほんとした浮雲のような彼女が、こうもハッキリと喜びを表すのは珍しいことだ。やはり誕生日は良い。
「ではこれを……」
「でかくない?」
さて、彼女のプレゼントはどうか。机の上にはいつの間にやら超巨大な箱が置かれていた。これまたやばそうな雰囲気である。
恐る恐るオープン……中身は箱であった。再びオープン。箱であった。オープン。箱。オープン。箱。オープン。なんだこれは。
「箱多すぎるだろ」
「ハコリョーシカです」
「上手くないぞ」
なんともなんともである。なんだか気が抜けてしまった。
「どうせ最後の一つがビックリ箱になってるんでしょ」
「爆竹が入ってるよ」
「シャレにならねえ」
そんなことを言っていると最後の一つに辿り着いた。火薬の匂いはしない。野ネズミのように鼻をひくつかせる俺を見て、「冗談だよ」と彼女が諌めた。
なんだそうか、とちっこい箱を開けると、中からは銀色の細い鎖が出てきた。アクセサリーだろうか? それとも実用的な何か? 少なくとも、パッと見ただけではそれの持つ魅力は分からなかった。
「チェーン?」
「オー・ヘンリーって知らない?」
「聞いたことはある」
オー・ヘンリーは19世紀末の小説家である。オー・ヘンリー、そしてチェーンと来てすぐにピンと来た。現代でも語られる有名な物語に、自分の大切なものを売ったお金でパートナーに贈り物を買った夫婦の話がある。たしか妻が買ったものが懐中時計のチェーンであった。
しかしこんなものを贈ってくれるとは、彼女の洒落た感性には感服するばかりだ。夫婦の贈り物というのも良い。
そうして勝手に喜んでいたが、彼女の顔色は優れない。口をもごもごとさせて、目線は回遊中のクロマグロもかくやというほどに泳ぎ回っていた。
「そのう……実は」
「どした?」
「ケーキで予算オーバーしちゃって」
彼女が言うには、ケーキで俺を喜ばせようとする余り、金額度返しで美味しそうなケーキを探し求めてしまったそうだ。結果最高のショートケーキは手に入れたものの、満足なプレゼントを買うだけの予算が残らず、咄嗟に自分のアクセサリ・チェーンを持ってきたとのことだった。
「オシャレっぽいもので誤魔化そうとしたんだ」
「なるほどね」
「ごめん」
申し訳なさそうに頭を下げる彼女に、俺は首を傾げた。そうまで反省することではないだろう。むしろ今まで仕掛けられたイタズラの方を謝罪してほしいものである。
というか、オー・ヘンリーの物語も相まって「健気だなあ」という感想しか出てこない。プレゼントなど結局は気持ちなのだから、それが最大限に伝わっただけで大成功なのだ。ケーキも美味しそうで文句なしである。
「このチェーン気に入ったしいいよ」
「え?」
「ネックレスとして使えばいいかな」
オシャレに疎い俺がチェーンをアクセサリにするのは少々ハードルが高いが、まあなんとでもなるだろう。チェーンというのは中々に汎用性が高い。
「いっそインテリアにでもするか?」
「ありがとね」
「うん?」
「そういう優しさが好きだよ」
彼女はすっかりいつものマイペースな笑顔に戻り、俺の手を触りながらそう言った。
「いきなりなんだよ」
「あー照れてる」
「照れてない」
「素直じゃないなあ」
「今までのしおらしさはどうしたんだ」
「レアバージョンの私だよ」
「じゃあ俺は幸運ってわけか」
「その通り」
もう少しあんな彼女を見ていたかった気もするが、やはりこうでなくては。彼女にはお茶目な笑顔が似合う。そんな彼女を愛しているのだ。
「じゃあケーキ食べよっか!」
「よしきた!」
「シャンパンも二本目いっちゃおう!」
「うおお楽しむぞ!」
閑話終わり。最高の夜を明かしたら、また次の語らいに想いを馳せる。
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