第9話 史上最強の人を斬れない剣士

今から語るのは、とある最強の剣士と1人の少年の物語である。



ーー時は江戸時代。


越前国。宇坂庄浄教寺村という村に


若き一人の女剣士がいた。


名をーーー


「やぁ小次郎先生。今日も凛々しいお姿で」


田植えをする老夫が、いつものように私に声をかける。


「滅相もない。私など、剣に取り憑かれ放浪するただの親不孝ですよ……それにしても、お日柄がとても良いですね」


老夫はにこりと顔をしわくちゃにして笑顔を浮かべる。


「そうですとも、そうですとも。おかげさまでよく稲が育つというもの」


「それは良かった」


私は日課として、山奥の小屋からこの村までいつも散歩をする。


村の人々はとても暖かく、このようにいつも笑顔で私に声をかけてくれる。


「先生ぃ」


田んぼのあぜ道から老婆が声をかける。


「ばば様でしたか。頼まれてたもの取ってきましたぞ」


私は腰巾着からきのこ、椎茸、いたどりなどの山菜を取り出し、老婆に手渡す。


「ありがとうねぇ。この歳になると、腰が痛くて痛くて、満足に山にも行けない」


老婆は残念そうに苦笑う。


「また何かあったら言ってくだされ」


私は笑顔で老婆にそう言った。


村の人々は魚の日干しや、米などを、厚意で恵んでくれたりする。


そんな心優しい村人のために私はどんな形であれ尽くしたいと思うのだ。


私は村の人々に日々の挨拶を交わし終えると、元来た道を引き返し、山へと向かう。


村人は、私をどこかの名家から隠居しに来た立派な者だと思っているが、私はただの剣士だ。


どこにも仕官はしていないただの浪人。


刀の腕には自信がある。天の下において、誰にも負ける気はしないほどに。


その腕を存分に生かし、誰かのもとで刀を振るおうとも思った。


だがそれよりも、自由に、好きな時に好きな場所で刀を振るいそしてやがては、数多の剣士が到達を願う剣の境地。


「明鏡止水」に辿り着きたいという思いが強いので仕官をするのは辞めた。


まぁ本当のところは、私が「女」であるせいで、剣士として迎えてくれるところが無かっただけなのだが……


今の世の中、刀を握る女子は私ぐらいだろう。


女が刀を握るなどあってはならないこと。それが常識だ。


故に私は、隠れて一人で刀を振るうため、こんな辺鄙な山奥のぼろ小屋で暮らしているわけなのだが。


私は今にも外れそうな横開きの扉を開ける。


すると……


「お前が、佐々木小次郎か」


齢 十一ほどであろうか。小さな男子がそこにはいた。


髪は白くぐしゃぐしゃに雑で、服も見るに堪えないほどにぼろい。


しかし、男子の瞳は芯があり真っ直ぐに私の瞳を覗き込む。


まるで、精錬された刃のようだ。


そして手には、小刀を持っている。


「いかにも。私が佐々木小次郎である」


「いざ!尋常に勝負!」


いきなり男子は小刀を鞘から抜き出し、突きを繰り出す。


私は突きを簡単にかわし、男子の小刀を握る腕を左手で優しく掴み、男子の腰に右手を添えて小屋の外に押し出す。


「うおっ!」


男子はこけそうになるのを必死に耐えるがあまり、千鳥足になる。


「ふふ」


私が微笑むと、男子は顔を真っ赤にして小刀を振り回し突撃してくる。


「笑うなぁ!」


可愛いな。


私は小刀を持つ男子の右手を手刀で叩き、小刀を落としつつ、こめかみのつぼを人差し指で抑える。


そして、そのまま素早く手刀を男子の首元に突きつける。


「取ったり」


「……おのれぇ」


男子は動けない。


「きさま!なぜ刀を抜かぬ!情けのつもりか!」


私は剣士として、全力で立ち向かって来る相手には私の全力を持って応えるが……


さすがに幼い子供にはな。


とは言っても今年で私もまだ齢十八だったはず。確か。


まだまだ世を知らぬ若造ではあるな。


男子は激しく憤っていたので、私は名言らしい甘言で諭してみる。


「いいか。そもそも私は既に刀を抜いている。『闘志』という無形の刃をな。ゆえにはなから手加減などしておらぬ」


男子にその言葉を聞かせてやると、彼は黙る。


そして


「佐々木小次郎……いや、小次郎殿」


「ん?」


「俺を弟子にして欲しい!」


は?





「それで?おまえはどこから来た?名を何と言う?」


私は男子に粥を作ってやる。


少年は粥に手をつけようとしたが、熱かったのかふーふー冷ましている。


「俺は豊後国から来た。名は武蔵。宮本武蔵だ」


武蔵、か。


「それでなぜ私の家にいたのだ?」


冷めたのか武蔵は粥をすすってから、答える。


「俺の父は名の知れた剣術家だった」


宮本……どこかで聞いたことのあるような。


「一年前に死んだ。父は言っていた。強くなりたいなら俺を倒した佐々木小次郎を頼れって」


「お前の父はもしや、宮本新免 無二か?」


武蔵は頷く。


新免 無二。三年前か、備前国あたりで刃を交えた相手だと思い出した。


刀に加え十手を使う見たことも無い流派の剣士だった。


結局、私が奴の十手と刀を弾き飛ばしたが、決着は着かずに双方の太刀は収められた。と記憶している。


「そうか……かなり手強い剣士だったな」


「俺は強くなりたい……誰よりも」


武蔵は拳を強く握りしめ、自らに語りかけるように呟いている。


その姿はまるで……昔の私だな。


なぜ、強くなりたいのかなどと問う必要は無い。


剣術家を親に持ち、今まで一人の剣士として育てられたのだろう。


この男子には「剣」しかない。ならば、誰よりも強く、我ら剣士の悲願「明鏡止水」に辿り着く。


それだけだ。


「にしても……私の居場所がよくわかったな」


豊後からここまでさぞ遠かろうに、こんな小さい男子がよく……


ん?武蔵がなぜか驚いたようにこちらを見ている。


「おまえ……知らないのか?おまえけっこう名を知られてるぞ」


「そうなのか?」


「『最強の弱者』『逃げ斬り小次郎』。腕はあるのに勝負の途中で逃げ出すことで名が広まってるぞ」


かなり不名誉な形で広まってるようだ。


まぁ自業自得なのだが。


「噂に噂を辿ってここまで来た」


「なるほどのぉ」


「なんでだよ。なんで真剣に勝負しないんだよ!」


武蔵の瞳がまた熱いものを物語る。


「だから、言っておろう。私は真剣に勝負していないわけでは無い。実は、死ぬほど私は負けず嫌いでね……負けた時の泣き顔を見られるのが嫌だから、負けると思った時はすぐさま逃げるのだよ。剣士として私はそこまで強くないのだ」


我ながら苦しい言い訳だ。


武蔵は全く納得いってないようで私を終始睨みつけていたが、無理矢理私は押し通して終わらせた。


「それで?なぜ私にいきなり飛びかかってきたのだ?」


「親父の言う通り、おまえが本当に強いのか確かめるためだ!」


なるほど。


そして、武蔵は私に逢いに来た真の意味を語る。


「おまえは強かった。はっきり言って親父に稽古をつけてもらったけど、親父よりもおまえは強いと感じた。だから……俺を弟子にしろ!」


弟子か。


宮本 武蔵。まだまだ未熟かつ荒削りではあるが、父親によほど叩き込まれたのだろう。


この歳で荒々しくも確かな強い芯を持った太刀筋であった。


剣士は動きや、呼吸、太刀筋、構えなどから、ある程度相手の実力や才能を計り知ることができる。


宮本 武蔵と立ち合い、感じた印象は


「怪物」。


輝かしい才能の塊そのものだと思った。


こいつを鍛えればいつかは私を超え、「明鏡止水」にすら辿り着いてしまうような気さえする。


今まで、数え切れないほどの剣士と仕合いをしてきたが、どの剣士にも無い。圧倒的「才能」を感じた。


見てみたい……


こいつがどこまで行くのかを。そのためなら私の培ってきた剣技すら託しても良いと思う。


そしてまた逆に、


才能の塊であるこいつと刀を交え続ければ、私も何か得れるものがあるかもしれぬ。


弟子など取ったことはないので勝手がわからぬが……面白い。


「良かろう。宮本 武蔵。今日からお主は私の弟子だ」


武蔵は表情をぴくりとも動かさずに感謝を述べる。


もう少し喜んでも良いものを。先程の可愛らしさはどこへ行ったのか。


それよりも……


「暑いの」


私は庭に出て間隔の空いた二本の細木に、愛刀「備前長光」をかける。


武蔵はその光景に驚くあまり目を見開く。


「剣士の誇りである刀を……物干し竿代わりにするとは……」


私はあまりに暑かったので、羽織と上着を脱いで愛刀にかけた。


私のさらしで巻かれた胸は露わになる。


それを見て武蔵はさらに驚いたのか口をあんぐりと開ける。


「おまえ…………女だったのか」


剣の名門「佐々木家」に生まれた時から、私は男として育てられた。


本当は女であることを隠して。


故に、私は女であることを捨て去った。今では裸を見られようが何とも思わない。


しかし、武蔵が放った次の一言が私を腹立たせる。


「胸ちっさ」


電光石火のごとく拳骨を武蔵の頭に食らわせてやった。


なぜかこの子供に言われると無性に腹が立った。


のち、この一件から武蔵は私の胸について何かを言うことは無かった。




私は、初めての弟子に言い表せぬ期待と希望を抱く反面


私が真剣勝負をしないのではなく



「できない」ことがいずれ武蔵に伝わるかもしれない不安の芽が芽生えていた。





ーーー三年後 小次郎二十一歳、武蔵十五歳


木刀の軋んだ音が静寂の山々に響き渡る。


「取ったり!」


武蔵が木刀を小次郎に振り下ろす。


「甘い!」


小次郎は武蔵の刃をかわし、武蔵の背後を取る。


「うらぁ!」


武蔵は尋常ならぬ速さで、刀を回転しながら横一閃。


しかし……


「ふふ」


「なっ!」


小次郎は……武蔵の刀の上に乗っていた。


武蔵は小次郎を払おうと刀を強く振り下ろす。


その時には、既に小次郎は武蔵の背後に再び回り込んでいた。


武蔵、気づくも時既に遅し。


「くっそ!」


「まだまだだね」


小次郎、武蔵の腹に一撃叩き込む。


「これで私の1095戦中1095勝だね」


武蔵は腹を抑えながら地面に拳を打ちつけ悔しがる。


私は縁側に腰掛け、すぐに立ち上がり素振りを始める武蔵を眺める。


……大きくなったな。


出会ったばかりの頃は、私の胸元ほどしかなかった背丈が、女子にしては五尺はある私と同じぐらいまで伸びた。


※5尺=約170cm


そして私も大きくなった。


胸が!


もう貧乳とは呼ばせんぞ!


武蔵もこの前、私の胸元を見てでかくなったなとつぶやいてたしな。


「なぁ……師匠」


私と暮らし始めてから三年も経って、私のことを師匠と呼ぶようになった武蔵。


「なんだ?」


「あんた……処女か?」


「ひゃい!?なななな何を言ってるのだゃばかものぉ!わわわわ私は…」


わ、私は両腕で胸を庇う。


「……処女なんだな」


滅茶苦茶に赤面する私の様子からそう判断する。


事実そうなのでもう白状しよう。


私は求婚されたことはあれども、男と体を重ねるどころか手を繋いだことも無い。


「……そうだが……悪いか!」


「いや、なんなら俺がもらってやろうかと思ってさ」


なにぃ!?


「童貞のくせに生意気なぁぁ!」


この日、久々に武蔵に拳骨を食らわせた。



こんな日常がずっと続けばいい……切にそう願う。気づけばそんな私がいた。




「どこ行くんだ?」


「村に山菜を届けに」


武蔵が来てからは、朝から修業の量が増えたため散歩も少なくなっていたが


今日は久々に山菜を届けに下りることにした。


「あー……暇だし俺も行くわー」



山道を下り村へと向かう。


武蔵の横顔はこの数年間で随分と精悍な美丈夫の顔立ちになっていた。


身体つきも筋肉がついて立派なものになっている。


そんな弟子を頼もしく思っていると


村が見えてくる。しかし、いつもの村の様子とは微かに違う。


田んぼで作業をする農夫達がいないのだ。


今は春。農作業が増えて忙しい時期だと言うのに。


「急ぐぞ」


若干な胸騒ぎが私を駆り立てる。


村に近づくと甲高い悲鳴が聞こえてきた。


私たちは家の陰に隠れながら悲鳴の元に近づく。


すると、村人たちが薄汚い服を来た数人の刀を持った男たちに囲まれている。


家内に隠れていた子供たちや女性が引きずり出され、集められる。


「野盗か」


「どうする。師匠」


「もちろん助ける。武蔵、屑どもの気を引け。その間に私が斬る」


「了解」


武蔵は物陰から、野盗の前に現れる。


「やぁやぁ皆さん。こりゃあなんかの祭りですかい?」


野盗の頭領と思われる大男が怒声を発する。


「なんだてめぇはぁ!舐めてんのか!」


「いえいえ!そんなことは……」


野盗の数は……二、三……全部で八。


武蔵と盗賊がやりとりをしてる間、気配を消して私は村人を見張ってる野盗を三人峰打ちで倒す。


「なんだ!」


残りの野盗がそれに気づいて、こちらに振り返ったところを


武蔵が……頭領、そして残りの野盗たちを走り斬りする。


「うぐぁ!」


血飛沫が舞い、村人たちが悲鳴をあげる。


これで残りの野盗はもういないな。


村人に犠牲は無いようで、安堵しかけた時


「動くな!」


峰打ちが浅かったか……


気があった野盗の一人が、若い村娘の首元に刀を突きつけ、人質としている。


くそ…………とんだ大失態だ……


私の甘さが招いた結果だ。


ここまで腕が鈍っているとはッ!


私も武蔵も人質を取られた以上、そう簡単に動けない。


どうする……


武蔵が刀を再び構えようとすると


「動くなって言ってんだろぉ!」


血迷っている。


冷静を保てない野盗は、一瞬、武蔵に刀を突き向ける。


その隙に、村娘が野盗の手に噛みつく。


不味い!


「痛てぇ!」


野盗の腕から娘が抜け出て逃げようとする。


しかし


「てんめぇぇ!」


「待てッ!」


必死に野盗から逃れようとする村娘の背に、野盗の刀が突き刺さり、貫く。


武蔵が走り込み、野盗を斬り裂く。


結果的に、村人に犠牲を出してしまうことになった。



私の……せいだ……





野盗から村を「最小の犠牲」で守ったことに対し、村の人々は礼をしたものの、みな暗い表情で足元を見つめていた。


村娘の家族は、行き場の無い怒りをぶつけるかのように、私や武蔵を赤く充血した目で睨みつけていた。


その表情が、私の頭から離れない。


「師匠」


「……なんだ」


私は出来ればいつものように振る舞おうとしたが、とても難解なことだった。


「なぜ斬らなかった」


武蔵は終始納得のいかない表情だった。


こんな問い掛けをしてくることはわかっていた。


「野盗は野盗でも、一人の人だ。私はこの刀で誰かの命を奪うために振るっているのではない。故に私は峰打ちを選んだ」


またも苦しい言い訳だ。


守るべきものにも順番があるだろうに……


「甘いな。その結果がこれだ…野盗は野盗だ。あの時何よりも守るべきは村人だった。だが、あんたは欲張った」


それは違う……違うんだよ、武蔵。


武蔵は怒りが滲み出たような厳しい表情で言葉を紡ぐ。


「あんたが剣士との真剣勝負を避けてきた理由がようやくわかった………全てを守れるほどこの世界は甘くはない」


私も知ってるはずだ。そんなことは……なのに。


武蔵は私の横を通り過ぎ先へ歩を進める。


すれ違いざまに武蔵は、最も胸の内の奥にあるものを私にぶつけた。



「俺が欲しかった強さは……こんなものじゃない」



翌朝、武蔵は私の元から去った。





ーーー五年後 小次郎 二十六歳、武蔵 二十歳


嵐が猛猛しく天を動かし雷雨が降り注ぐ、舟島。


この島は決戦の地である。


後世に語り継がれる二人の剣豪の名勝負の。


そうのちの「巌流島の戦い」である。


風が吹き荒れ波が激しく岩を打つ中、一人の剣士が堂々と仁王立ちしている。


その姿は凛々しく、顔は美しく整い、青紫の束ねられた長髪が風になびいている。


腰には「物干し竿」と称される長刀が差されている。


その女剣士は荒れ狂う海原を静かに見つめる。


「……来たな」


女剣士は微笑む。


激しく波打つ海原を、一艘の小舟が突き進む。


小舟は岩礁に乗り上げ、また剣士が一人、島に上陸する。


白髪に精悍な顔立ちの美丈夫。


腰には二本の刀を差している。


「全く……久々に便りを寄越したと思えば、こんなものを送り付けおって」


女剣士は果たし状を白髪の剣士に投げつける。


「来て頂き感謝します……師匠、いや佐々木小次郎 殿」


「なぁに。可愛い弟子の頼みだ、来るよ。宮本武蔵 殿」


武蔵の表情には全く変化が見られない。


彼は二本の刀を鞘から抜きくるりと回し、脱力したかのように刀先を地に向ける。


構えのように見えない構えだ。


それに応え、小次郎も刀を鞘から抜き、横に水平に構える。


しばし、二人の間に静かな間ができる。


嵐が吹き荒れているのも忘れるぐらいの静寂がそこにはあった。


二人の双眸が、見つめ合う。


そしてーーー


遠くの海原に、一縷の雷が落ちる。


伝説の死闘が幕開けたのはそれと同時だった。


二人は同時に駆け出し、刃を重ねる。


小次郎の長刀を、武蔵の双刀が防ぐ。


「……ほう。どうやら私の知っているお前とは大きく異なるようだ」


「……俺はあんたを超えた。人を斬り続けることで」


刃が重なる。


何度も……何度も…何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


もはや二人の真剣による剣戟は、人では捉えきれない領域へと昇華している。


そして、剣士の真剣勝負ということはすなわち


「どちらか片方が死ぬまで終わらない」。


武蔵の荒々しい双刀が、小次郎の命をあらゆる角度から断ち切ろうと迫る。


小次郎は迫り来る波を受け流すように、小次郎の双刀を長刀で易しく逸らす。


「なるほど……」


武蔵の剣は、初めて出会ったあの頃に原型は完成してたというわけか。


強くなったな……


武蔵の剣は、「万能」と言うに相応しかった。


嵐のような双刀の斬撃を打ち破る隙が一分一厘たりとも見当たらない。


伊藤一刀斎の一刀流、柳生宗矩の柳生新陰流、東郷重位の示現流、吉岡重賢の吉岡流。


どれも知っている。


私が一度手合わせしたことのある名だたる剣豪たちの技。


武蔵はその技の全てを完全に自分の技としていた。


その他にも私の知らない型や技も織り交ぜられた万能の剣が、私を斬り刻まんとする。


戦ったんだね……


私を倒すため私を超えるため、彼はきっと数え切れんほどの真剣勝負をしてきたのだろう。


思えば、彼は毎度刃を交えるために「進化」をしていた。


見たこともないだろう技で彼から一本取ると、翌日の仕合いではその技を使いこなしていた。


まさに天才。神が彼を祝福しているとしか思えない才能。


ただそれでも……



私には届かない。


「……君では私には勝てないよ。武蔵」


視える。


武蔵の刃が止まっているかのように。


なるほど。


私は次の武蔵の双刀の軌道を、視る。


狙いは私の右側半身。


左の太刀は胴、右の短刀は首元、が狙い。


武蔵の初動と呼吸を深く深く観察し、先を読む。


防ぐのでなく、逸らす。


武蔵の双刀を撫でて軌道を逸らす。


そして、がら空きの武蔵の胴に刀を振り下ろそうとする。


これで終い。とはならないだろうな、武蔵。


武蔵は超人的な動きで、振り下ろされる長刀を防ぐべく、二本の刀を胸元に即座に引き付け、十字を形作るように構える。


しかし、それでも遅い。


これが私の絶対不可避の一撃。


武蔵にも見せたことの無い……秘剣。


武蔵からすれば私の壱ノ太刀を防ぐつもりなのだろうが……それはもう終わってる。


武蔵の双刀が、私の壱ノ太刀が届く前に


弾かれた。


「……なんだ?」


武蔵は訳がわからないといった様子で混乱が表情に表れ、無表情だった顔がついに崩れた。


そして、私の弐ノ太刀が武蔵に届こうとする。


「取ったり」


これで終い……のはずだった。


私の脳裏に、武蔵との三年間が走馬灯のように巡る。


なんだ……これは……


ようやく斬ることができる。そう思った。


ようやく甘さを捨てられる。呪いを断ち切れる。


そうすれば私はさらに強くなれる!


そう思ってたのに……


剣士としての悦びではなく、一人の人としての幸せを無意識に私は優先していた。


思えば、誰かと剣を交え研鑽し合う仕合いが楽しくて楽しくて仕方なかった。


だけど……武蔵との「死合い」には何の悦びも感じることは無い。


その一瞬の迷いが、私の刃を止める。


武蔵は、その刹那の隙を逃さない。



気づけば、私は地面に向かって背か近づいていた。



私は、武蔵に斬られたのだ。



血飛沫が目の前で舞う。


まさか、誰かに斬られて自分の血を見ることになるとはね……


私は笑顔で武蔵の顔を見つめるように努めて散る。



ここに、佐々木小次郎は敗北した。



結局、「人を斬れない」剣士の末路はこんなものだろう。


これが、「巌流島の戦い」の真実。


最後に私が覚えているのは、天に届くかという程の大声で泣く武蔵の姿だった。


その涙は、私への失望か、はたまた私の死を悲しむものなのか。


今となってはわからない。



ただ一つ確かなことは……私は武蔵を斬ることができなかったということだ。

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