×××:植えつけられた蠱惑の芽はいずれ。
───『死屍累々』
そんな言葉が相応しい凄惨な光景が、ここには広がっていた。
至る所に転がる惨たらしい斬殺死体。
濃厚な血の匂い。
もはや赤く染まっていない場所を見つける方が難しい。
わずか1分ほどの出来事。
24人もの人間の命が、このわずか1分という時間のなかで無慈悲に奪われてしまったのだ。
そのほとんどが命乞いすることすら許されず、ただ理不尽な死という現実を押し付けられた。
信じていた者に裏切られ、絶望の果てに息絶えていったのである。
そして今───。
この救いのない殺戮劇は佳境を迎えようとしていた。
「あなたで25人目───最後の一人です、由比ヶ浜さん」
「…………」
坂本の目に映る由比ヶ浜の表情は、恐怖と絶望に染まっていた。
特に仲の良かった───いや、最も絡みが多かった由比ヶ浜が最後になったのは偶然か、それとも必然だったのか。
坂本自身にも分からない。
だが、分からないだけで大した問題じゃない。
そこまでの興味もない。
最初から坂本にとっては、ここに居る全員がどうでもいい存在なのだから。
「さ、坂本……さん……」
吹けば消えそうな、由比ヶ浜の震える声。
「なんですか由比ヶ浜さん? 由比ヶ浜さんには大変お世話になりましたので、多少の願いを聞くくらいであればやぶさかではありません。あ、見逃してくれとかはさすがに無理ですからね。いくら由比ヶ浜さんとはいえ、もったいなさすぎです」
全身に鎧を纏っている坂本の顔は、由比ヶ浜から見えはしない。
ただ、その声は由比ヶ浜の恐怖心をより一層掻き立てた。
いつも通りの声だったからだ。
とても聞き慣れた坂本の子供のような声。
これ程の悪逆非道な殺戮をした後にも関わらず、坂本の声はまるで日常の一幕であるかのような、とても穏やかで乱れのない声だったのである。
由比ヶ浜は自らが助からないことを悟った。
だから最後に、最後にせめて聴きたい。
「どうして……こうなってしまったのでしょうか……」
何が間違っていたのか。
自分と坂本には本当にこの道しかなかったのか。
もしかしたら、もっと別の───
「あー、たぶんどの道こうなっていたと思います。わたしと由比ヶ浜さんは、生きる世界が違いすぎますので。時間の問題だったかと。……って、最後の質問が本当にこれでいいんですか?」
坂本は思う。
もし立場が逆であれば、殺されていたのはわたしだろうと。
もし時間が経過し、由比ヶ浜が自分より強くなるようなことがあれば、殺されていたのはわたしだろうと。
全ては些細なことの積み重ね。
何かが僅かに違えば、結果は大きく変わってしまう。
(こ、これが……バタフライエフェクト。……ん、なんか違う気が……)
そんなこの場にそぐわないことを考えながら、坂本は由比ヶ浜に近づいていく。
終わらせるために。
「そうですか……」
由比ヶ浜は絶望したように項垂れた。
「本当にこれでいいんですか? ……では、あの、お別れです、由比ヶ浜さん」
せめて一思いに殺そう。
坂本に残る人間の残滓がそう決断を下す。
そして、ゆっくりと漆黒の長剣を振りかぶり───
「ウワァァァァッ!!」
突然、由比ヶ浜が隠し持っていたナイフで襲いかかってきた。
最期の抵抗である。
だが、悲しいかな。
2人の実力はあまりに離れすぎている。
そもそも種族による能力の差が大きい。
その上で、坂本は24人もの人間を殺してかなりレベルアップしており、レベル差という面でも絶望的。
さらには、現在坂本はスキルを重複して発動させ己の能力値を強化している。
由比ヶ浜と坂本。
2人の実力差は正しく天と地ほどの差があった。
由比ヶ浜が決死の覚悟で挑もうとも、坂本にとってそれは子供がじゃれついてくるようなもの。
(……さようなら、由比ヶ浜さん)
坂本は心のなかで別れを告げ───由比ヶ浜の首を斬り飛ばした。
これにより、坂本はこの場に居た25人全てを殺し終えたのである。
「ふぅー。さすがに疲れたです……」
スキルを解除し、坂本が纏っていた鎧が消える。
持っていた剣も手放せば、どこへともなく消えていった。
坂本はこの惨憺たる場所の中心で、心地よい疲労感と大きなことを成し遂げたという達成感を感じていた。
───悲しみや罪悪感などではなく。
「はぁ〜、大事なプレゼンが終わったあとみたいですぅ。いぇーい。疲れたですー。こういうときはみんなでパァっと飲みに行きたいです。あ、ゆっくりしている時間はないんでした……早く逃げなければ────ん? ……あっ! そういえばっ!」
そこで坂本は思い出した。
ドロップアイテムの存在を。
金色の輝きを放つクリスタルにゆっくりと近づき、子供のようにドキドキしながら手を伸ばした。
そして───そこに現れたのは『鎧』だった。
いかにもな鉄製の鎧。
中世のヨーロッパを思わせる鎧。
坂本にはどう考えてもそれがレアであるとは思えず、微妙な顔でその鎧を注視する。
『鉄の鎧:鉄製の鎧』
「……うぅ、ハズレっぽいです……」
案の定であった。
残念な気持ちを隠せない坂本。
「いや……でも鎧は必要だったですし……。使えないものが出てくるよりは良かった……んですかね?」
とりあえず、という気持ちで坂本はスキルを発動させる。
───『ダークアーマー:素材指定』
自らの“所有物”であるドロップした鉄の鎧に、触手のような“闇”が幾重にもまとわりついていく。
そして、数秒後には完全に闇に包まれた鎧が溶けるように消えていった。
「はい、終わりです。では逃げると───」
その時、タッタッタッ、と足音が聴こえてくる。
坂本はすぐにそれがユリたちのものであると分かった。
あの人数ではさすがに分が悪い。
ユリたちはここに居た者たちとは格が違うのだから。
それに、坂本は疲労困憊だった。
だから走りだす。
逃げるために。
「これで、本当に人間とはお別れ───ぷぎゃっ」
死体の一つに躓き、坂本は盛大に転んでしまう。
そして、コロコロコロ───っと、坂本の首が転がった。
「うぎゃー! まずいですっまずいですっ! 胴体さんこっちですっ! 早く拾って下さいっ! お願いします急いで下さいっ!」
ゆらゆらと首のない坂本の胴体は起き上がる。
そして手探りで坂本の首を探し始めた。
「違いますっ違いますっ! そっちじゃないです! あ、そうそうそっち……違いますっ! こっちですよっこっち!」
何とか坂本の胴体は首を見つける。
そしてそのまま首を脇に抱え走り出した。
こうして、坂本は人間の元を離れたのである。
───『リノ デュラハン Lv.14』
++++++++++
坂本と入れ違いにユリたちが到着する。
そして、1階の惨状を目の当たりにした。
これによりユリたちは、二度目の疑心暗鬼に見舞われることとなる。
そんなとき、隠れていた3人の人間が恐る恐る姿を現した。
実は、坂本の凶刃を逃れた者は存在していたのだ。
たまたま2階に居た者が2人。
異変をいち早く察知し、1階のトイレに隠れていた者が1人。
坂本の感知系スキルが優れていなかったがゆえに、運良く生き残ることができたのだ。
しかし───ユリにはそれが真実であると確信できなかった。
何も知らないユリからすれば、この3人のなかにこの惨状を作り上げた犯人がいないと断言することができなかったのである。
この拭えない疑心は、以前にも2階のフロアに居た人間が全て腐敗した変死体で見つかるという怪事件があったゆえだ。
魔物が侵入することは困難と思われる状況で起きたその事件。
それに続いて起きたこの惨劇。
『犯人は人間なのかもしれない』
ユリのその疑心はますます強くなった。
精神系のスキルに特化しているユリには、嘘を見抜くスキルがある。
しかし、今のユリにはそれすらも信用できなくなっていた。
嘘を見抜くスキルがあるのであれば、嘘を突き通すスキルもあると考えるのが自然だからだ。
いくら考えても、やはりユリにはその疑心を排除することができない。
それでも、ここを統括するユリは選択しなくてはならない。
なぜなら、人間を殺す人間がここにいるかもしれないという不安要素を、渋谷の安全地帯に持ち込むなんてことは絶対にあってはならないからだ。
いくら魔物が侵入できないとしても、内部にそんな不安を抱えていては安全地帯とは呼べない。
人間にとっての敵は、魔物だけではないのだ。
だからユリは選ぶ。
この生き残りの3人を殺すという選択を。
当然反対の意見が飛び交ったが、ユリの中ではすでに結論はでていた。
なのでユリはスキルを使用し、無理やり従わせた。
身の潔白を証明する手段がない以上、ユリにこれ以上に良い選択肢は思いつかない。
この選択は、あらゆる選択肢を天秤にかけた結果なのである。
それからユリはサキに魔法で3人を拘束するよう指示し、それ以外の者はこの場から離れさせた。
手を汚すのは自分だけでいい。
ユリの強い責任感とせめてもの優しさが、その行動には現れていた。
サキはユリに言われるがままに3人を拘束する。
これまで、自らの姉が間違えたことはない。
だからサキにとってこれは極自然なこと。
どんなに残酷でサキにとって理解できないようなことであっても、それは自分が姉ほどの知能をもってないから見えないだけ。
いつだってそうだった。
ゆえにサキがユリに逆らうなんて選択肢はない。
拘束された3人は最後まで命乞いを続けた。
それでもユリの意思は変わることなく、振り上げられた剣は無情に振り下ろされる。
こうして、ユリは初めての殺人を犯した。
近くでその光景を目の当たりにしたサキは、耐えきれずに嘔吐した。
当のユリはというと、全く別の感情と欲望に支配されていた。
それは、殺人を犯すことで予期せず手に入ったとある事実によるものだ。
日本で育ち、人並みの倫理感を備えているはずの自分があまりに呆気なく人を殺せたことに違和感はあったが、そんなことがどうでもよくなるほどの重大事実。
それは───人間を殺して獲られる経験値があまりにも膨大であったということだ。
今まで魔物を殺して獲ていた経験値が馬鹿らしくなるほどの膨大な経験値。
鳴り止まない己のレベルアップを告げる声。
これにより、ユリは自らの思想を一層強めることとなる。
『今、人間は選別されている』
狂気を孕んだこの思想を。
ユリは笑っていた。
自然と笑みがこぼれていた。
耳元まで裂けたようなその歪な笑みを、吐き気を催し目を背けていたサキが見なかったことは果たして幸運か。
それとも───。
【後書き】
坂本のキャラ、かなり良くないですか?
見た目は幼女、中身は大人。
しかもデュラハン。
幼女デュラハン。
可愛らしい見た目に反して人間を容赦なく虐殺してしまうギャップも、私としてはグッドポイントです。
……最後の点は、あまり共感を得られないかもですが。
この物語も徐々に展開してまいりました。
ここまで読んで下さった読者様には感謝の言葉もありません。
次回からは再び優奈視点に戻ります。
お楽しみに……してもらえたら嬉しいです。
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