3 懐かしきもの
そこは、跡形もなく変わり果てていた。
元々少なかった人影はなくなっていた。畑は荒廃し、雑草が不規則に並び実を結んでいた。
おかしい、村に仕送りをするように頼んでいたのに。私がいなくなって、祈祷ができなくても食べ物に困ることはないようにしてもらったはずなのに。
そうか、お父さんとお母さん、久暁に手紙を出しても帰って来なかったのは、届けてもらっていなかったからなのか。初めて、璃月は養父のことを憎く思った。
同時に、あっさりと都へ行き、何の疑いもなく養父を信じ切って、裕福な生活を過ごしていた自分の愚かさも憎んだ。
私がああしている間にも、この村の人たちは、以前より苦しい生活を送っていたのかと思うと、自分を痛めつけたくて仕方ない気持ちになった。
あまりに寂びれた村を一人で歩くことに耐えられなくなった璃月は涙目になり、ひどく焦りながら、自分の家がある方へ駆けて行った。
自分の家だけは、残っていた。
しかも、自分が都で暮らしていたあの邸宅とそっくりだ。外壁、柱、屋根の色、建物の外観と構造、全く同じというわけでは無いが、あの邸宅を思慕して造ったかのように似ていた。しかしなぜ、私の家だけ豪勢なのだろうかと、璃月は不思議に思った。
ああそうか、もしかして、村の住民も皆ここでくらしているのだろうか。仕送りは、私の家に向けて頼んでおいたから、それを頼る皆が結局ここに住むようになっただけであろうか。
だから人影がなかったのかと、ひとりでに思い至った。外から中に人がいるような様子がうかがえた。璃月は先ほど養父を疑ってしまったことを、少しばかり申し訳なく思った。
璃月は安心して、自分の家の戸を叩き、中へ入った。ただいま、と昔のように笑顔で言った。
「あら、璃月」
「おお、帰ってきたんだね」
都へ行くことが決まった日のように、良い話があると言わんばかりの表情で、両親は迎えてくれた。璃月はほっとした。
「聞いたわよ、あの方、亡くなられてしまったのね。とても残念だわ」
「それに、璃月、お前がやったんじゃないかという噂までされているそうだな……大変だったなぁ」
「そう……なの、だから、逃げてきたんだけど、でもここにも居られないようだったら、私、別の所に暮らそうと思ってるの……いい?」
「いやいや、そんなことをする必要はないよ」
「お願いしますね」
「……なあに?」
突然、今に多くの男たちが入ってきた。装備を見るに、どうやら兵士のようだ。一体、何をしようというのか。璃月は困惑した。両親は口を開いた。
「ごめんね、璃月。私たち、あなたがお金にしか見えなくなっちゃったの」
「私たちには、あの方さえいれば生活は安泰だ、むしろこんな素晴らしいものになる、そう信じるようになっていた。だから、璃月よりもあの方を失う方が怖かったんだ」
「だから璃月、あなたが私たちのことを大切に思っていてくれるなら、ここで捕まってちょうだい」
「璃月には懸賞金がかかっているんだってね、それを最後の仕送りにしてくれればいいよ」
璃月は立ちすくんだ。
嘘だ、こんな馬鹿なこと、起きるわけがない。親が子供を売るなんて、都ではそういう事例も見てきた。でも、自分の両親に限ってそんなこと、信じられない、信じたくない。養父に力任せに押さえつけられたのとは違う。見えない、重い何かが、璃月を動けなくした。
そして、ぱんっ、と発砲する音が聞こえた。
「痛っ……ッ」
銃弾は、少女の脚に埋め込まれた。
白い肌に開けられたその穴から、赤い血がどくどくと流れ出る。璃月はその痛みに耐えられず、傷口を押さえながらもがき苦しんだ。力を使ってすぐに直そうとしたが、痛みで集中できず、焦点がちらつく。右肩、左膝に次々と銃弾が撃ち込まれてゆく。
普通の人間であれば、多量の出血によるショック死を起こしている具合だ。しかし、彼女は意識を保っている。
「不思議な力ってすごいんだな」
新しく部屋に入ってきた、兵士の一人がぽつりと言った。
何とか傷を治そうとしていた璃月に近づいて行った。彼は璃月に手を延ばした。最後のとどめでも刺すつもりなのだろうか。懸賞金が掛けられているのだから、まず都へ連れていかなければならないはずだ。璃月は不審に思い兵士の顔を覗き込んだ。
「……璃月」
それは、懐かしい声の主だった。ただ、全く同じではなかった。以前より低くなっている、そんな気がする。彼は傷だらけの璃月をひょいと抱きかかえ、家を飛び出した。
「追って、必ず彼女を捕えなさい」
両親であったはずの者たちは、そう言い放った。兵士たちは、璃月とそれを抱える兵士を追いかけた。
璃月たちは山奥へ逃げ入った。まだ追っ手はやってくる。この兵士のお陰で、璃月は痛みを抑えられるほどには治癒した。そして、兵士たちを撒くように、大きな木に向かって力を放った。
「来ないで!」
木を倒し、兵士たちを足止めした。それを何度も繰り返した。そのうちに、追っての兵士の気配は感じなくなった。璃月を連れだした兵士は、近くの木の根元に優しく璃月を下ろしてあげた。璃月は、彼に礼を言った。
「ありがとう。久暁」
璃月は、笑みを浮かべる。
「それと……その、久しぶり」
「ああ、こちらこそ、久しぶりだね、璃月」
璃月は何となく、久暁の顔を見るのが恥ずかしかった。決して嫌だからではない。
むしろその逆だ。昔の彼は、どちらかと言うと男子にしては可愛らしい感じであったと、璃月はこっそり思っていた。
けれど今はそうではない。彼の綺麗な紅い瞳を見つめてみようと思うと、なんだか顔が火照った。都にいたとき、女性たちに大変人気のあった貴族の男性を見たことが何度かある。璃月は外出をしないことにまして、そういうことがよく分からなかったので、特にそのような男性たちを見に行くことは無かった。
ただ、璃月の依頼の合間に、偶然通りすがったような彼らの何人かから、声を掛けられたことがあったので、見たことがあっただけである。久暁であれば、彼らに比肩するのではないか、と璃月は邪推した。
「おーい、璃月? ぼーっとしてるの」
「……ぁ、ご、ごめん」
「疲れてたのかな、無理もないよね。この近くに小屋があったはずだから、使われていなさそうだったらそこで休もうか」
「うん、色々と、ありがとう」
「気にしないで、僕の好きでやっているだけだから。……ちょっと失礼」
「わっ!」
久暁は、璃月の膝と背中を丁寧に支えながら持ちあげた。足や肩の怪我を治癒させたとはいえ、まだ痛みの残る璃月の身体を気遣ってくれていた。
そのまま、歩き始めた。追っ手は撒いたが、ひとまず、休むことのできるあばら家を探すようである。璃月は、怪我の痛みではない部分なのに、じんじんとしていた。彼が、うっかり怪我の部分に触れてしまっているわけでもないのに、璃月はなぜだろうと考えていた。
小屋に着いた。近い時期に人が使った痕跡はなかったので、久暁と璃月はお邪魔させていただくことにした。
璃月の力で木くずに小さな炎を灯し、暗く何もない部屋の中に灯りを作り出した。幸い、夜でも寒い時期では無かったので、この着物だけで十分そうだ。久暁は兵士の装備を脱ぎ捨て、着物の姿に戻った。
「ふう、これでやっと落ち着けるね」
「うん」
見慣れた久暁の姿に、璃月はより一層安心した。
「食べ物は……明日になってから木の実でも拾ってやりすごそうか」
「そうする。お腹はすいたけど、探しに行くのはちょっと大変」
「別に探しに行ってもいいんだけどね。でも、それより、僕は今……君と一緒にいたい」
久暁は璃月の手を包み込むように、そっと握った。
久暁は寂しがりな少年であったが、これほどにしおらしく、一緒にいたいと言われてしまうと、璃月も変な気持ちになってしまう。取り乱さないように、璃月は呼吸を整え、落ち着いて答える。
「……村にいたとき、お父さんとお母さんがいなくて、私が夜一人で眠れない時、久暁はいつも、こうしてくれたよね」
彼の手は温かかった。璃月は、瞼の裏が熱くなった。紫色の瞳から、ほろほろと、涙がしたたり落ちる。
「……璃月、大丈夫? まだどこか痛むのかい」
「ご、ごめんね。痛いと悲しいとかで泣いてるわけじゃないの。その、長い間、誰かにこういうふうにしてもらったこと、なかったなぁ……って」
「そっか、じゃあもっとしてあげよっかな」
久暁は璃月の手を、ぎゅっと強く握った。もう離さないとばかりに。
「あの、私が都へ行っている間、久暁は何をしていたの?」
「実はね、璃月が出発した後、僕も都へ向かったんだ」
久暁は、何事もなかったかのように答える。
「そんな、一緒に行くことは出来なかったの?」
「だって、あの男性は君を雇いに来たんだから」
「ああ……そっか……えっと、じゃあ久暁は都のどこに住んでたの? 都で暮らすには結構なお金が必要じゃなかった?」
璃月は、久暁が無理をして都で肩身の狭い思いをし、酷い扱いを受けていなかったかひどく心配に思い、問いただす。
「貴族の給仕として働いていたから、君ほどいい暮らしは出来なかったけど、ちゃんと食べては行けたよ」
「そうなんだ、よかった! ……ところで、久暁は何のために都へ行ったの? もしかして、不思議な力に関する書物を探しに行ったの?」
「うん。僕、異国へ行く使節団について行って、ちょうどその力についての調査に当たったんだよ。すごいでしょ」
「ほ、ほんとに? でも、それってもしかして、私を雇った人のところじゃないの?」
「少し違うみたい。璃月を雇った人と同じ一族であっただけでね。でも、都の中では近いところにいたと思うよ」
「もしかして、ちょっとだけすれ違ったこともあるのかな?」
「ふふ、あるかもね」
二人は微笑み合った。こんなに暖かい空気に包まれたのは、お互いに久しぶりだった。
「不思議な力についてなんだけどね、他の者がその力を使えるようになる方法があるみたいだよ」
「……そ、そうなんだ」
璃月は少し、嫌なことを思いだした。
「どうしたの?」
「あの、そのことなんだけど……久暁も、私があの人を殺したって噂があるのは知ってるよね?」
「ああ、全く酷い濡れ衣だと思っている」
「あの人に刃物を突き立てられて、押さえつけられて、怖くて、助けも求められなかったけど……。その時、彼は私の力を自分の物にするって言ってたの」
璃月は思い出しただけでも震えあがっていた。心配した久暁は彼女の背中をさすった。
「あのまま、どうやって私の力を奪おうとしたんだろう……と思って」
「力を他の者に分け与える、全て与える方法は、異国で聞いてきた。力を形にして譲り渡すことが簡単らしいけど、でもそれはこの力についての認知がないこの国では、おそらくできない」
「うーん、私も、物を作ることは今のところできないなぁ。『何でもできる』力だって聞いてたのに」
「それ以外の方法だと、力を持つ者の身体の一部を取り入れることが多いと聞いたよ。できるだけ本人に負担の大きい部分からのほうが効用が強いようだから、あまりおすすめはできないのだけどね。最も簡単なのは血液らしいけど、心臓とかの方が効果は大きいみたい」
一体どこまでの事を学んできたのだろう。彼は、よく分からないことをすらすらと話す。
「そ、そんな事したら、死んじゃう……」
「そう、だから、この国でそれらの方法を取るのは、難しい」
「そっか……残念、せっかく、久暁に私の力を分けてあげたかったのに」
「何も、今あげた二つがよく行われているだけで、他にも方法はあるよ」
璃月は再び安心した。その顔を見て、久暁も安心した。彼は言葉を続ける。
「その不思議な力について知りたかったのもあるし、それについては多くの知識を得られて、とても満足している」
「そうだね、私も異国に行ってみたかったなぁ」
「……もうすぐ、連れて行ってあげるよ」
「ほ、ほんとに?」
璃月は目を輝かせた。彼女自身、異国への興味が大きかったからだ。それに……この国に、あまり良い思い出がない。滅びてもよい、なんて事はゆめゆめ思わない。何事もなく、平穏に生活している人たちは、それでいい。顔も分からない人たちであっても、幸せに、何事もなく一生を全うしたのであれば、それは素晴らしいことだと考えていた。
この国を憎く思うというよりは、あの男が支配したこの国から離れたい、ただそれだけである。
どこか遠くの地で、新たな人生を歩みたい。愛する者と一緒に。璃月は、そう夢見ていた。
「簡単ではないかもしれないけど……そういう町に行けば、行けると思うよ。異国へ」
「もし本当に行くことができたら、嬉しいな」
少しばかりの願いを語り合い、少し間が空いたところで久暁が再び口を開いた。
「僕も都へ向かったこと、一番の理由は……できるだけ、璃月のそばにいたかったから、だと思っている」
久暁は、不意に璃月の肩を持ち、顔をこちらに向けさせた。そういえば、璃月から見た久暁は、昔の兄のような存在とは違うものに見えたのかもしれない。
久暁から見た璃月は、どのようであったのだろうか。
「こんな状況で言うことではないのは重々承知している。けど、今を逃せばもう、言えなくなってしまいそうだから……」
璃月は唾を呑んで、何となく見つめられなかった彼の顔に目を向けた。
「僕は、璃月のことが好きだ」
「私も、久暁のこと、好きだよ。ずっと昔から」
久暁は戸惑わなかった。
「今、僕は昔と変わらない気持ちで君を好きなわけではないよ」
彼は真剣な面持ちだった。
「璃月、君のことを……一人の女性として、好きなんだ」
璃月は戸惑った。『一人の女性として好き』という意味が、すぐには理解できなかった。でも、嫌な気持ちはしない。
「……僕が言いたかっただけ。そろそろ、寝よう」
久暁は顔を背けて寝ころんだ。璃月は考え込んだ。久暁のことは、確かに好きだ。どうして、好きなのだろう。璃月が喜んでいる時は、まるで自分のことであるかのように喜び、璃月が悲しんでいるときはそれを分かち合うかのようにたくさん涙を流してくれた。
彼の言葉、仕草を、幼いころからの記憶を丁寧になぞって思い返してみた。
「久暁」
璃月は、彼がしてくれたのとは少し違うけれど、彼の方へぎゅっと身を寄せた。伝えたいことを、直に伝えられるように。
「私も……久暁のこと、好き」
璃月は、再会した久暁に対し抱いていた仄かな想いの正体に、気付いたのだ。
二人のいる小屋は小さく、脆く、風や雨にあおられればすぐにも崩れてしまいそうなものであった。けれども、彼らはそうは思わなかった。隙間から漏れ入る夜の冷たい空気は、互いの体温を引き立ててくれた。
誰もが寝静まる時間であり、何も見えないほどに辺りは真っ暗であった。しかし、澄み切った夜空に浮かぶ星々と、白い月は、彼らのいる場所を、今だけは優しく照らしているようであった。
明日は港町へ向かう。この国にはもう、璃月の居場所は無かったのだ。約束は、思いのほかすぐに叶うのであった。
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