2 大きな都でのこと
都は、区画が整理され秩序だった場所であった。毎日多くの人々がせわしなく行きかい、賑わっていた。建物は大きいものから小さいものまで、数多くあった。特に、大きな建物は貴族たちの住居であり、とても豪華であった。都の中でさえも格差は大きいようで、貴族の有するその建物たちによって、さほど身分の高くない町人たちは、通るたびに目を奪われていた。璃月も例外ではなかった。
数年が経過した。璃月の背丈は高くなり、黒い髪を腰ほどの長さまで伸ばしていた。
今日も仕事の場所へ向かうべく、街中を颯爽と歩いているところである。彼女は白を基調とした清廉な着物に身を包んでいた。光に当たるとその花柄がきらきらと輝いた。その黒髪は、白い桜の花びらと共に、そよ風に靡いていた。すれ違えば皆、彼女の方に目をやった。彼女はそのあまたの視線の意味に気付いていないようであった。久暁と一緒にいたときから、彼女のそんな部分は変わっていなかった。
村にいた時の璃月は、まだまだ幼く、言葉や行動がおぼつかない部分が多かった。それに、世話焼きな久暁がいたからか、自立するための意思が幾分抑えられてしまっていたのかもしれない。貴族の男性の手助けがあったとはいえ、都へ独り立ちしたことは、彼女が成長する上でいい方向に働いたようだ。
彼女は自分の意志を、しっかりと持つようになっていたのである。もちろん、昔からの心優しさは忘れないままであった。常に正しく、真っ直ぐにあろうとした。
ただ、そうだからといって、何もかもが思い通りに行くわけでは無い。仕事というのは、村にいた時と変わらない仕事、天候の祈祷、傷の手当てや迷惑者の追い払いなどもあった。
また、人の気配を辿ることも出来たので、人探しなども行っていた。そのような仕事は気が楽であるし、自分の力が人の役に立っていることを嬉しく感じていた。
しかし、都に来てしばらく経ってから多くなった仕事が、犯罪人の取り締まりであった。そのような恐ろしい者たちと対峙するのはいつまで経っても慣れなかった。
璃月には不思議な力があるといえど、身体能力は人よりすぐれなかった。走ればすぐに息を切らし、腕っぷしも、女であることをかんがみても、たいそうひ弱だった。
昔、迷惑な子供たちにけしかけたような力では、やりきれなくなることもしばしば起こった。殺人を犯した者を捉える際に押さえつけられ、危機一髪のところで普段発揮したことのない様な力を放ったこともあった。殺人犯を壁に叩きつけ、大けがを負わせた。
一歩間違えれば、璃月が殺人を行ってしまうところだったと言えるかもしれない。
重大な犯罪を行った、ろくでもない輩であるから、そんな者がどんな仕打ちを受けようと、気にすることはない。彼女を雇った養父も、そう言ってくれた。
璃月自身も、そのような者たちにかける慈悲は無いと思っている。たびたび凶悪な犯罪人に重傷を負わせてしまうことを、いちいち気には留めなかった。ただ、自分がそのような者たちと同じような罪を犯してしまうかもしれない力を持っていることが、恐ろしく思えた。村にいた頃からの恐れが、より具体的なものとなって表れたのである。
また、思い通りにならなかったことの一つとして、この力に関する手がかりは一向に見当たらないことだ。
養父が璃月のために持ち込んだ教養の書をある限り全て当たっていった。怪異の力や神通力といった類のものに近いとようではあった。しかし、どれも正確には当てはまらず、どれも伝承に過ぎないものであった。結局、この力の正体は明確にならなかった。
養父を仲介に、仕事の対価として得た金や物品を、村に送ってもらっていた。それに合わせて、両親や久暁に手紙を書いたが、何故か一度も返事が来たことは無かった。村では紙は高級品だったから、あまりそういうことに使っていられないのだろうか、と璃月は少し諦めていた。
養父は璃月のことを気に入り、とても親切にしてくれていた。璃月も、村に初めて彼が来た時は萎縮したが、今となってはもう一人の父親のように信頼していた。璃月が行った仕事の報酬は、養父が受け取っていた。仕事の計らいをしているのだから、璃月は何の意義も唱えなかった。養父は仕事で得た人脈を辿り、みるみるうちに地位を上げていったと聞く。璃月は、養父が自分の仕事の手配以外に何をしているのかは、詳しく知らなかった。
最近聞いたことで言えば、海外に使節団を派遣したことであろうか。
「海外」というのは、璃月には考え及ばないものであった。自分の住む都は、この国の中心地であるということも、都に来て初めて知ったことであった。それを知って驚くそばから、この国は海という大量の塩水で囲まれた島であることを学び、さらに驚いた。
そして、海の向こうにまた別に陸地があり、そこにこの国同様に、人が作り上げた国というものがあると知った。そこに送られる人々は、どんな気持ちなのだろう、と璃月は一人で想像を巡らせた。
また、もしかすると他の国であればこの力に関する情報が見つかるかもしれないという希望も見いだせた。
使節団が帰って来たら、彼らが持ち帰った、他の国からの書物や物品を見せてくれると、養父は言っていた。養父はもともと璃月の力に興味があって璃月を都へ呼んだのだから、その事に関して積極的であった。地位が高くなり、邸宅を開けることが多くなっても、それだけは欠かさず協力してくれた。
養父の邸宅はこの都でも上位三つには数えられるほどの広さを持った、豪華なものである。仕事がないときは、璃月は家にいるように命じられていた。せっかくの都だから、外に出てみたい気持ちもあった。
しかし養父は、頻繁に外に出て、何かがあると心配だからとの理由で、そう璃月に伝えていた。仕事柄、あまり素性を晒すことができないのは仕方のない事だと、璃月も理解していた。邸宅にいるときは、書物を読むことで過ごしていた。食事はしっかりと出されたため、村のみんなの分も味わって食べていた。村では食べることのできなかった魚などは大層美味であった。ただ、やはり一番おいしいのはお米であった。
お椀に入って出されていたが、璃月は使用人がいないのを見計らって、米を手の上に出して、握って食べていた。母や久暁がよく作ってくれていたものである。
璃月の部屋は、庭園に面していた。綺麗に植えられた見事な木々と花々が、四季ごとに違う表情を見せてくれた。そこにひょっこりと愛らしい野生の草花が顔を覗かせるのも、璃月は嬉しく思っていた。池に金魚や鯉がいて、そのゆらゆらと動く姿を見つめているのも好きだったし、木に訪れる小鳥のさえずりや、草花に集まる虫の姿も彼女にとっての大切な楽しみの一つだった。
近頃ますます多くなってきた、犯罪人の取り締まりの仕事に疲弊しながらも、そのような楽しみによって、何とか心を保っている。
ある日、使節団が帰国したという話を養父から聞いた。璃月は喜んだ。持ち帰ったものの調査が終わってから、見せてくれるとのことであった。璃月は、来るその日を楽しみに待った。
それなりの日が経った。いつも通りに任された仕事をこなしていく璃月であったが、未だに海外からの書物などを目にすることは出来なかった。せがむのも申し訳ないが、どうしても気になったので、仕事のやり取りをする合間に、それとなく養父に尋ねてみようと、璃月は考えていた。
璃月は、養父の書斎へ行き、いつものように、依頼の詳細を訊きに行く。
「失礼します。旦那様」
「おお、璃月」
「あの、仕事の件もございますが、その、少しだけ伺いたいことがありまして……」
「ふむ、そうか。お前がそのようなことを考えるのは珍しいね。ただ、後でその件には答えてあげるから、先に私の話を聞いてほしい。今日は重要な依頼があるんだ」
「……はい、どんなご用件でしょうか」
「ある者を殺せ」
寒くもないのに、璃月は鳥肌が立った。
「何も疑問を抱くことは無い、ただ命じられたことを果たせばいいだけだ。璃月、今までどんな依頼でもこなしてきたお前には、簡単なことだろう」
「で、でも、そんなこと」
「殺す」、だなんて、出来るわけがない。
「今まで、お前のその力を以て、罪人をひどく痛めつけたことなんて数えきれないほどあったろう。それを少し進めただけのことだ」
養父の顔が険しい。あまり刺激してはいけないと思いながら、その依頼を安直に聞き入れるのも、自分が自分でなくなってしまいそうで、できなかった。自分を押し殺しつつ、平静を装って問う。
「……どのような罪人ですか」
「人を蹴落とし図々しく居座っている輩だが。目の上のこぶというやつだ」
「それは迷惑……かもしれませんが……。町の方々に危害を加えている方なのでしょうか」
「余計な詮索はしないでもらおう」
「……できません。気は進みませんが、人を殺める際に人違いをすれば、もう二度と取り戻すことは出来ません。そもそも、私はそのようなことがしたくてここへ来たわけではありません。私は、この力について知りたくて……もっと、この力を多くの人のために役立てたくて、私の村の皆の生活を豊かにしたくて、ここへ出向いただけです!」
璃月は、思っていたことをすべて吐き出してしまった。
自分でも驚くくらいだった。都での生活は、決して嫌いでは無かった。この不思議な力を使った仕事をするうちに、その意義をますます強く、自身に問いかけるようになっていた。しかし今ここで、胸の内にあったぼんやりとしたわだかまりが、解き放たれたのである。
「旦那様、今まで私を庇護してくれたことには大変感謝しています。ですが、あなたただ一人だけために、この力を振るってきたのではありません」
空気が重くなった。養父は口を開いた。
「そうか、それならもういい」
「無礼な事とお詫びします。早急に出て行きます」
「私の可愛い璃月よ、その必要はない」
彼は今まで口にしたことのない言葉を発し、自分の懐から何かを取りだそうとした。
璃月は予感した。このままでは、危険だということを察知した。しかし、遅かった。不思議な力を発揮していない状態の彼女の体力は、常人のそれではなかった。限りなく弱い。
男は刃物を取り出し、それを突き立てて彼女にのしかかった。村で初めて出会ったあの時から、身体の大きい男であったが、地位が高くなってから食生活がより豪勢になったのか、ますます肥えていたのを、璃月は身をもって知った。
璃月は、その重さ、男の剣幕、刃物に怯えて身動き一つ取れなかった。あの力を使えばどうということは無いはずなのに、なぜだかできなかった。なぜ養父がこのように変貌してしまったのか、それだからといって、いきなり傷つけることもできなかった。身体の危機を覚えても、彼女の意思がそれを拒んだのである。こうなってしまっても、やはり自分がここで生活をしていられたのは彼のお陰であった。その事実はゆるぎない。
恐怖に打ちのめされる璃月の目には、涙が浮かんでいた。誰か、助けて、と言葉を発することもできない。そんな璃月を見下しながら、養父は静かに、それでいて強かに言った。
「璃月、先ほどお前が私に用件があるといったな。それを今、ここで答えてあげようか。使節団の持ち帰った物品のことだろう? お前の力についての書物、確かにあったぞ」
喜べる状況ではないが、はっとさせられた。そうか、やはり、この国の外には、あったのか。しかし、そんな事を知らされたところでもう、どうしようもなかった。
「私がお前をここへ呼んだのは、私自身、この不思議な力に興味を持ったからだ。異国との交流でそのことを知ったのだが、奇妙なことに、この国にはその概念がないらしい。怪異や神通力とも、似てはいるが本質は異なるものらしい」
「だから、何もわからなかったのですね……」
「お前が持つこの力は、究極的には『何でもできる』力となりうるらしい」
「そんな力……」
その事実は、璃月が小さなころから、心の奥で感じていたことであった。
璃月にとっては恐怖にすり替わったが、男にとってはそうでは無いようだ。まさに今、『何でもできる』力をもつ少女を押さえつけているのだから。そろそろ璃月の体力は限界に達する。自分を押さえつける男の重みと掴んでくる手の圧が感じられなくなってきた。
「そうだ。だから私は、今からこうする」
刃物を璃月の胸に突き立て、璃月が着ていたものを切り裂いた。声は出せないが、拒絶する彼女は泣き叫びそうになった。
「お前の力を、私のものにしてやる。これで、お前と同じ力をもってあの目障りな男を殺してやる!」
人を殺せ、という依頼の主は、養父自身であったようだ。
地位が上がった、とは聞いていたが、まさかそのために、自分が邪魔だと思う者を私に殺させようとしていたのか。
この力を奪うなど、そんなことができるのだろうか。使節団の持ち帰った物品を私に見せてくれなかったのは、このことを悟られることを恐れたのだろうか。私は、きっとそんなことなんて、思い及ばないだろうに。
この力は、人に渡してはならないものであると思っていた。だから、この力を他の誰かに分け与える……もしくは、全てを与えるなんてこと、私は絶対にしないのに。
旦那様は、最初から、私を使ってこうするつもりだったのだろうか。いや、この力を受け渡すという情報は、異国とのやり取りがなければわからなかったはずだ。だから、私が来る前からそう考えていたというのは……でも、使節団の派遣について、私に嘘を教えていたのであれば合点はいく。
それを抜きにしても、私は結局、彼の道具であったという事実は変わらなかった。こんな風に、人生が終わることもあるのね。そう思った瞬間。
何かが床をついて倒れる音がした。
力の抜けたようでありながら、重いものが発する音だった。顕わになった璃月の肌の上に、水のようなものがこぼれ落ちた。
水ではない。血だ。
恐る恐る男の顔を見たとき、口から赤黒い塊を吐き出した。
死んでいる。
璃月が危機を感じていた刹那、何が起こったのか。璃月はゆっくりと自分の身体を養父の下から引きずり出した。そして、自分に向かって伸ばしてきたその腕が切り落とされている。手にしていた刃物は、別の物にすり替わっていた。倒れている彼の血が付いているようだ。
男から逃れた璃月であったが、これではまるで、璃月が養父を殺害したようではないか。
部屋の廊下を何者かが駆けていく音が聞こえた。養父を殺害した犯人か、見回りの者か、どちらかは分からなかった。しかし、彼女のすべきことは一つだ。
ここから離れなければならない。この事件が起こらずとも、あのような依頼を聞いた時点で、もう村に帰ってもよいと思っていた。力の使い方自体は上達したと思っていた。気配を隠し移動するすべも、やってみればできないことはないだろう。そう思い、璃月は邸宅を抜け出した。
璃月はあまり外に出ることが無かったから、町の者たちが、どのように過ごしているのかは、あまり知らなかった。今は、夜だというのに人々が大騒ぎし、何かを探すように、何かから逃げるように走る姿が見られた。
あの男が殺されたことが、この都に取って重大な事件になっていたのである。
いつの間にか、都を、国を統率する重要な地位についていたらしく、その中心人物が暗殺されたということで、大混乱を招いているようだ。あの男を信仰していたらしい者たちは、犯人を血眼になって探した。あの男を憎んでいたらしき者たちは、あまりの嬉しさに狂乱していた。男の殺され方が奇妙であったことに怯えた者たちは、一刻も早くこの都を出ようと駆け回っていた。
犯人には莫大な懸賞金が掛けられた。もちろんその犯人とは、長い黒髪で、白い肌、紫色の瞳をした、幼い娘とされていた。紛れもなく、璃月のことである。
ということは、あのとき、養父の部屋から駆け出した者が、璃月のことを犯人だと知らしめたのだろうか。さらに悪い事を想定すれば、その者が真犯人なのではないだろうか。
ひょっとしたら、養父のことを恨んでいた者が、彼を殺害し、璃月を犯人に仕立て上げて逃走した可能性もある。養父は、璃月の前では悪い者では無かったが、今になって、多くの者から恐れられ、妬まれて恨いたことも知った。彼が璃月に素性を明かさなかったのも、璃月からの信用を失うことを恐れてのことだったのかもしれない。
養父を妄信していた者たちは、恐ろしい武器を携え、憎い小娘をこの上なく無惨な方法で殺してやろうと集っていた。まさか、あんな娘が大きな男の腕を切り落として殺害するなど、鬼か畜生ではないかと思いこみ逃げ惑う町人たちのかわいそうな姿も数多く見られた。
璃月は複雑な思いを巡らせながら、都を何とか抜け出した。『何でもできる』力と彼は言っていたが……本当にそのようだ。気配を隠すというのは、今まで試みたことがなかった。
でも、成功した。こんな形での帰郷になるのは残念であった。だが、都を出れば自分があの男を殺したという噂はさほど広まっていないだろう。もし広まっていたら、姿を隠して別の場所で暮らそう。その時は、両親と、久暁も一緒に連れていこう。そう考えていた。顔を見せないように、旅の者たちに道を尋ねながら、故郷へ帰ってきた。
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