リベリカルテスター・アナザーワールド

戸間愁

序幕 リベリカルテスター

1 名もなき村の娘と少年

 とある時代の東の島国、名もなき山の小さな村に、璃月りつきという名の小さな娘がいた。


 澄んだ夜空のように真っ黒な髪をしており、それは、月光が射すが如くの艶を呈していた。その肌は白く、雪のようであった。大人しく、礼儀正しく、気立ての良い娘であった。


 両親はごく普通の農民で、璃月に兄弟姉妹はいなかった。貧しい生活であったが、ある時まではそれなりに幸せであった。


 そんな彼女は、生まれつき不思議な力を持っていた。


 彼女が祈りを込めると、天気はたちまち機嫌を変え、雨を降らせた。また怪我をした村民を直すこともできた。さらに、彼女自身は怪我をしても、念じるだけでその怪我はたちまちに治った。彼女の不思議な力は形を成し、物に直接干渉することもできた。しかし、璃月はめったなことでは最後の力を使わなかった。


 時々、近くの街から、璃月と同じ年頃の子供たちがこの村を訪れた。訪れた、というより荒らしにきた、と言う方が正しいかもしれない。この子どもたちは貴族の子供のようであった。


 璃月の住む村は貧しく、ほとんどの者が身分の低い者であったため、あまり良いようには思われていなかった。やっとの思いで実らせた作物を勝手に取って、飽きれば投げ捨てる。木を育てる山に勝手に入り、まだ小さい苗を盗み、大きいものに傷をつけたりして遊んでいた。


 璃月は迷惑な子供たちをあしらうべく、こっそりと最後の力を使っていた。村にふらっと訪れて悪さをしようとする子供たちに、ほんの軽く、その力を当てた。子供たちは罠に驚いた動物のように跳び上がって、逃げ出した。


 璃月がこの力を使いたがらないのは、危険を感じたからである。針の穴に糸を通すかのように、そっと加減を行わなかったら、あの子供たちはどうなってしまっていたのだろう。


 きっと、この力は、人が触れてはならないものだ。璃月は心のどこかでそう感じていた。


 しかし、そういう訳にもいかない。この不思議な力をありがたらない者がいるはずもない。現に、璃月の両親も含めた村人たちは、璃月にすがりきっている。それに、璃月自身も、この不思議な力を自分の拠り所としていたのは事実である。自分にはこの力で皆を支える義務がある、そう感じていた。一方で、自分の力を当てにしてばかりで、自分自身と、両親や他の村人を繋ぐ何かが欠けていることを、少し、寂しく感じることもあった。


 そんな璃月のそばに寄り添ったのは、久暁くぎょうという少年であった。なぜなら、かつては彼も、璃月同様の不思議な力を使うことができたからである。


 久暁は璃月より一回り年上であったため、二人は兄妹のような関係であった。とても仲が良く、どことなく容姿も似ていたため、血が繋がっているかのようでもあった。


 大きく違っていたのは、その瞳の色であった。璃月の瞳は、宝石のような、透き通り輝く可憐な紫色であった。久暁の瞳は、まるで朝焼けに浮かぶ太陽が放つ光のような、紅色であった。また、璃月の髪はさらりとしていたのに対して、久暁の髪は少しくせっ毛だった。どこに行くにも二人は一緒だ。


 もちろん璃月も、この上なく久暁を慕っていたが、久暁はそれどころではなかった。璃月が不思議な力によって朝早くから儀式を行う際には、璃月よりも早く起きて、彼女を起こし、彼女の髪と服を整え、朝食を食べさせ、儀式の場へ手を取って連れて行った。


 子供ながらに、久暁は璃月にそれ以上の思いがあったようだ。それは、単に近所の知り合いで、昔から仲が良かったというだけでは無い。久暁は、かつて璃月と似たような力を使うことができた。しかし、今は使うことができない。そうなってしまったのは、璃月が生まれてからのことである。璃月が生まれる前に、璃月の役目を果たしていたのは久暁であった。突然その仕事ができなくなった久暁は、ずいぶんと非難されたらしい。


 貧しく、生活の苦しい村であるから、祈祷が上手くいかず一度作物が不作になるだけで大問題であった。税の徴収に間に合わず仕方なく身を差し出すものも、それは嫌だと言って命を投げ出すものもいた。久暁は罪の意識にさいなまれた。責任を感じた彼の両親は、都へ働きに行ったきり、帰ってこなかった。そんな久暁に、璃月は手を差し伸べた。この村の子供は彼ら二人だけであった。


 璃月は、自分の不思議な力を両親や村人のために使いたかっただけではなく、久暁の失敗を打ち消し、立ち直らせてあげたいという思いも持っていた。


 璃月が差し伸べた手を、久暁はその嫉妬心から一度は跳ね除けた。でも、璃月は彼を救うことを諦めなかった。貧しいこの村だからこそ、助け合って生きていかなければならないことを、両親の姿を見てよく知っていたからである。


 それに、久暁の悲しむ顔を見ているのは、璃月にとって、どことなく、心が痛んだ。璃月が心優しい性格であったのも確かだが、その感情は、あまりに心の深層にある意識のようで、よく分からなかった。


 そのうち、久暁は、自分の代わりに懸命に力を使い、拒んでも近づいてくる彼女の姿に、絆されてしまった。それからというものの、立場がすっかり逆転してしまった。仕事の失敗を非難され、両親を失い、荒んでいた彼の姿はもうなかった。


 彼は元来お人好しで、誰かのためになることがしたいがために、村のみんなを支える、祈祷の仕事をしていたのであった。その気持ちが、全て璃月に向いてしまった、ただそれだけのことである。


 璃月は不思議な力で村を守り、その璃月を久暁が支える。そのような生活が何年か続いた。


 ある時から、璃月の両親は村の神職たちと会合を行ったり、都へ出かけたりすることが多くなった。璃月が不思議な力によってあげた成果は、彼女が思っている以上のものであった。


 貧しい村の財産は、ほとんど璃月の両親のもとへ集まった。璃月が、そこまでしなくてもいいのにと思ってしまうほど、過剰であった。また、仕事を終えて家に帰っても、両親がいることはあまりなかった。寂しく感じた璃月は、久暁の家で寝泊まりをすることもあった。


 ある日、璃月はいつも通り祈りを行い、雨を降らせ、久暁と一緒に帰った。珍しく、早い時間なのに両親の姿があった。


「ただい……ま?」


 両親だけでなく、見知らぬ男性の姿もあった。その煌びやかな服装から、この村の者では無い。むくむくと肥えた大きな体をした、壮年の男性だ。まじまじと見たことはなかったが、間違いなく貴族だろう。


「あら、お帰り璃月」

「良い話があるんだ」


 「良い話」と言うのは、厚い待遇で都に働きに行けるということであった。


 もちろん行くのは璃月である。両親がしていた神職との会合や、都への出向は、その手続きであったのだろうか。どこから、璃月の力のことが漏れたのであろうか。


 璃月はこの力のことを、村以外には知られたくなかった。どうやら両親から神職に、神職が都へ出向いた際にその話をしたことで、広まったようだ。璃月にとって、都へ行くことは、あまり気が進まなかった。


 久暁の両親を初めとして、都に行ったきり帰ってきた者はいなかった。あちらでの生活が楽しくて戻ってこなかったのか、向こうで酷い扱いを受けて帰って来られなくなったのかは分からない。しかし、こんな貧しい村から来た者が良い扱いを受けるとは考えにくい。間違いなく後者だろう。しかし、今回に限ってそうではないようである。


「璃月、この方があなたの力の話を聞いて、あなたを雇いたいと申し出たのよ」

「向こうでの仕事の手配はもちろん、養父として住居や生活費を全て保証してくれるみたいでね、それに、この力についての手がかりも探してくれるそうだよ」


 都で仕事をして、お金を多く稼ぐことができたならば、貧しい村の生活を立て直すこと、村の皆を救うことができるかもしれないところに、大きな魅力に感じた。


 しかし璃月は、父が話した最後の条件に、特に強く惹かれた。自分の力のことが分かれば、久暁ももう一度、力を取り戻すことができるかもしれない。そうなれば、一緒に務めを果たすことができるかもしれない。


 璃月は、都へ向かうことを決意した。早速明日には出発するとのことで、荷造りを始めた。


 一つだけ心残りなのは、久暁のことである。彼は、きっと寂しがるだろう。でも、彼はしっかりしているから、一人で生活していくことはできる。それに関して、私がいなくても大丈夫だろうと、璃月は思った。


 必ず、都でこの力について勉強をし、久暁への最高のお土産にしよう、そう考えていた。


 久暁は、いつもと違う様子の璃月の家が気になり、聞き耳を立てていた。璃月が、都へ働きに出ることを知った。久暁はとてつもなく寂しさを募らせた。ここまでは璃月の想像通りであった。


 ただ、久暁はそう感じただけでは無かった。


「僕も、都へ行けばいいだけの話だ」


 またしても、璃月が思った以上のことを考えていた。璃月の身の回りの世話に関してもそうなのだが、一度何かを決意した際の、彼の行動力は、並の人間には到底及ぶことのないものであった。


 朝が来た。空は爽やかに澄み切っている。昨日と違い、今日は仰々しい迎えがやってきていた。箱のようなものの中に入り、手伝いの男性たちが担ぎ、都へと連れていってくれるらしい。


 両親たちは笑顔で送り出してくれた。久暁ももちろん来ていた。本当に行くのか、と驚いたような顔をして言ったが、璃月が久暁のためを思ってのことだと説明をすると、力の抜けた笑みを浮かべた。久暁も、優しく彼女を送りだした。


「行ってきます。久暁、お父さん、お母さん、みんな。たくさん、お土産送ってあげるからね」

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