2-2 二つの親睦

 二人は、森の入口にたどり着いた。


「この辺まででいいか。ありがとう、リベリカルテスター。荷物運びを手伝ってくれて」


 エルドは、心の内で、家の前まで来るかと彼女に尋ねてみたいと思っていた。ただ、両親に遭遇するだろうから、ほんの少しためらっていた。


「森、広いでしょう。大変だと思うから、もう少し、家の前まで手伝う」


 心を読む魔法でも、彼女は持っているのだろうか。エルドは快諾する。


 リベリカルテスターとエルドは、再び荷物を抱え、森の中を歩き続ける。西日が木漏れ日となり、当たると少し熱かった。


「誰かが、こちらに近づいてくる気が」

「お客さんなんて来る予定ないのに。でも、この方向ってことは、もう出ていくのか。うちの親と会ったんだろうか。誰だろう?」


 何かを感じ取ったリベリカルテスターの顔は、険しくなっていた。まるで初めて会った時のように、何かを警戒しているようだ。


 エルドは、その気配の正体が、誰であるのか、ふっと思いついた。


「もしかして、オルティスの」


 エルドは、警戒しなくてもいい、という目配せをリベリカルテスターに送ったつもりだった。だが、リベリカルテスターはすぐにはそれをやめなかった。彼女は辺りをきょろきょろと見回す。そうしている間に、いつの間にか、二人の目の前に人が現れた。


「その通り」


 男性だった。銀色の長い髪を一つに束ねている。眼鏡をかけており、細い目をしていたので、瞳の色は分からない。笑みを浮かべた、殊に優しい顔の男性だ。


「ごめんね、お二人さん。驚かせてしまって」

 

 男性は、葉っぱを頭にかぶっている。お茶目な姿だ。エルドは、彼を見て安心しているようだ。


「ヴィルフリートさん、お久しぶりです」

「エルド。そんな風にかしこまらなくてもいいんだよ。私は、身分とかよく分からないと思っている性質たちだからね」


 あろうことか、オルティスの一番上の王子、ヴィルフリート・デ・オルティスがエルドの森へ足を運んでいたのだ。一体何をしていたのか。理解が追い付かず、リベリカルテスターは、その光景に言葉を詰まらせていた。


「君が、リベリカルテスターかい」

「……はい」

「すまないね、いつもうちの弟と、枢密院の者たちが」

「そんな、ヴィルフリート様には、関係のない事です」


 エルドは、そのやり取りに口を出せなかった。これが、国の上に立っている者たちの会話なのか、と畏怖の情を覚えた。普通の少女で、友達だと思っていたリベリカルテスターが、一気に雲の上の人間へと引き戻されている。


「大変口惜しいことに、私の立場では、君を助けることができない。でも、陰ながら応援しているよ」


 ヴィルフリートは、リベリカルテスターの頭を、ぽんぽんと叩いた。まるで妹にでも接するかのようだった。


「ありがとう、ございます」


 当然の如くオルティスの者に怯えるリベリカルテスターは、拍子抜けした。


 これほどに穏やかな声色で話すことのできる人間は、彼以外にこの世界に存在するのだろうか、いや、しないだろうと考えても過言ではない程に、王子ヴィルフリートの口調は、温和だった。


 まさか、こんな男が、あの王子の、兄だなんてと彼女はひどく驚いた。彼とは初対面であり、その緊張は溶けていないようだったが、強張った肩はすんと降りてしまった。


「いつもの放浪癖ですか?」

「そうそう、私の管轄となる北部をよく回っているんだけど、久しぶりにこの森に来たくなってしまってね。それで、あの白い花園を眺めてリフレッシュしていたんだ」

「あの場所、好きですよね」

「この森自体が隠された秘境だと思っているんだけれど、あの場所はやはり格別だねえ」


 王子だからといって、流されてしまった上の同意ではなく、リベリカルテスターもこっそりとそれに頷いた。


「ところで、私がどうして明らかに大きさの不釣り合いな茂みの中から出てきたか、疑問に思うことはないのかな」

「そうですねぇ」


 エルドは苦笑いを浮かべた。この王子がふらっとエルドの森へとほっつき歩いていたことは時々あったが、まるで幼い子供のように、彼が茂みのなかからひょっこり姿を現したことは、確かに疑問だ。


「真っ黒な毛並みの美しい猫さんが怪我をしていたのだけれど、手当てをしようと思ったらこの中に逃げられてしまってね。年甲斐もなく探していたんだよ」

「レスティア、人見知りだからなあ。それに、また怪我か……ほっとけないやつ」

「使い魔には好かれている自覚はあったんだけれど、あそこまで拒絶されるとは。良いパンチを繰り出してくれたさ」

「すごいじゃないか」


 ヴィルフリートとエルドは笑い合う。とても一国の王子と辺境の平民の会話とは思えない。近くに住んでいる、仲の良い友人同士の会話だ。


 リベリカルテスターは依然として呆気に取られていると、今度は小さなものが近づいてくる気配を感じ取った。そっと、足元を見下ろす。


「にゃあ」

「レスティア……さん」


 彼女はレスティアを抱き上げる。しゃーっと威嚇をされる。爪を出し、リベリカルテスターの手を傷つける。


「深い傷、ではないのね。でも、全身に受けている」


 傷口から、決して強い力ではないが、禍々しいものを感じ取った。リベリカルテスターはレスティアの気を害することのないよう、最低限の力で体を押さえてやる。そして、白い光を放つ。治癒の光だ。


「これで大丈夫」

「にゃーう」


 彼女は、返事をしたかのようだった。不愛想なトーンだった。リベリカルテスターは、レスティアをゆっくりと降ろしてやった。レスティアは、自身の怪我を治してくれたことを理解したのか、リベリカルテスターにすり寄った。のどをごろごろと鳴らしている。


 少女はしゃがんで、彼女の耳の付け根を優しく撫でた。ふわふわとして、とても心地の良い感触である。


「リベリカルテスター、流石じゃないか」


 猫と少女のやりとりに気づいた王子は、少女を褒めたたえた。


「いえ、医療を専門とする方たちには及びません。先ほどの怪我は、呪いの類のようでした。どうしてこんな場所で」

「ふむ、最近は辺境に現れる魔物の数が増加しているようだし、その飛び火かもしれない」

「そう……なんですか」

「私の放浪癖をただの放浪癖とは思ってはいけないよ。これでも君同様にパトロールを行っているつもりなんだから」


 ヴィルフリートは、自身気に言った。そんな彼を見つけるや否や、レスティアは攻撃態勢に入った。


「おっと、ごめんね。本当に嫌われているみたいで、残念だ。申し訳ないから、この辺りでお暇するよ」

「そうですか、名残惜しいですけど、また来てくださいね」

「ああ、そう遠くないうちに会えると思うよ。エルド、リベリカルテスター」


 王子ヴィルフリートはエルドとリベリカルテスターに別れを告げる。王子の姿が見えなくなると、二人は荷物を持ち上げ、エルドの家に向かって歩き出した。


「レスティア、お前も一緒に行くか?」


 レスティアは、甘ったるい声で返事をし、その二人の間に入り、一緒に歩き始めた。そして、しばらく歩き、リベリカルテスターがエルドへ、ずっと不思議に思っていたことをたずねる。


「エルド、あんな人と普通に話せてしまうの」

「あの人は王族でもちょっと違う人だからなあ。王様や王妃様、他の兄弟は、いかにも王族って感じでかなり近づきがたい雰囲気があるけど。ヴィルフリートさんは、何と言うか、言っちゃ失礼かもしれないが……垢抜けないところが」


 辺境の地に暮らす彼とはいえ、オルティスの国民の一人だ。国を統治する王族に対する敬意は欠いていないことがよく分かる。しかし先ほど遭遇した王子の話をする彼は、やはり、気の置けない友人へ向ける表情をしている。


「エルドは、ヴィルフリート様以外の王族を見たことはあるの」

「遠目なら何回かあるかな。『オルティス・ナイト・フェスティバル』なんかでは、思いっきりパレードに出てるよ」

「……そう」

「あれ、この国に住んでてこの祭りにピンと来ない感じか」

「いえ、聞いたことはある。だって夜には出られないから、見たことがないだけ」

「そっかー。お前と一緒に行ってみたかったけど、そりゃ無理か。仕方ない」


 リベリカルテスターは、ぎょっとした。私なんかと、一緒に行きたい、だなんて。

 

「ベアトリーチェなら、きっと一緒に行ってくれるでしょうね。楽しく過ごせそう」

「おっ、そうだな。じゃあ今年はベアトリーチェと一緒に行って、お前のための土産でも買おうか」

「うん、お願い」


 寂しいという気持ちを、リベリカルテスターは感じた。まだ、何も決まっていないというのに、おかしなことだと自戒した。




 エルドの家の前へたどり着いた。二人は玄関の近くに、荷物を降ろす。日は沈みかけている。エルドは、そろそろリベリカルテスターが戻らなければならない時間だと気づいた。


「結局ここまで来てもらって、ありがとな」

「このくらい平気。レスティアさんとも仲良くなれたし、何の問題もない」

「はは、すごいな。こいつをあっさり手懐けるとは。気が合うんだろうか」

「そんな感じはする、かも」

「見た目も似てるしな」


 エルドはにっこりと笑いながら、リベリカルテスターとレスティアの顔を見比べた。澄んだ夜空のように真っ黒な髪と毛、淑やかに透き通る紫色の瞳。そう言われて、彼女たちもお互いの顔を見合わせる。


「人と猫だけれど、どこかで血が繋がっていたとしたら、面白いわね」


 リベリカルテスターは微笑んだ。レスティアは、その言葉に耳をぴくぴくさせ、首をかしげていた。


 レスティアを交えた、暖かなお喋りを終え、リベリカルテスターは今度こそ、今日の別れを告げる。


「エルド、ありがとう。市場での事、この森へ帰ってくるまでの事、楽しかった」

「オレも。また城下町でも、この森でも、声かけてくれ」

「……うん」


 少女は、エルドを真っすぐに見つめる。リベリカルテスターの頬は緩んでいた。最初に会った時に比べ、随分と表情が柔らかくなったようだ。しかし、一般的な人と比べると、まだまだのっぺりとした表情の部類ではある。


 リベリカルテスターは森を後にした。エルドとレスティアは彼女の姿が見えなくなるまで、その姿を追っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る