Phase2 巡り合い
2-1 城下町の出会い
オルティスは、快晴だった。青空が澄み渡り、気持ちの良い風が吹き渡る。城下町では市場が開かれ、国の各所から、国民が集まっていた。普段は接することのない地域の人々との交流に、皆心を躍らせていた。
エルドも、オルティスの城下町を訪れる一人である。市場での生活物資の調達、森で集めた物の売り込みを行うためである。森で集めた木材や薬草を売ることは、もちろん、儲かるようなものではないのだが、一定の需要は見込めるため、家計を大きく支えていた。
また、決して裕福ではないけれど、雑貨を眺めることも、市場における楽しみの一つであった。エルドの母親は、可愛らしい刺しゅうのタペストリーや、へんてこな小さい置物を集めることを楽しみにしていた。そんなお茶目な母に、何を買って帰れば喜ぶだろうかと、いつもエルドは想像を巡らせていた。
そして、リベリカルテスターが森へやって来た際に備え、何か面白い品を見せてあげられないかということも、考え始めていた。あの時から、毎日とはいかないが、度々彼女は森に姿を現していた。かなりの口下手と見える彼女とは、そう簡単に会話が弾まない。一言二言交わし、森の空気を吸って、彼女は早々に帰ってしまう。
それでも別に構わないのだが、エルドは、彼女がどんなものが好きなのか、知りたいと思うようになり、色々と思索にふけっていた。
楽しんで頭をひねらせるエルドの耳に、近くの路地裏から、困っているような女性の声が飛び込んできた。
「あ、あの、やめてください……市場に関係ないところには、行きたくないんです」
「いいじゃねえか、お嬢ちゃん。おれたちは、市場よりももっと楽しいところ、知ってるんだぜ?」
真っ赤な髪の少女が、柄の悪い男二人組に絡まれていた。少女は、壁際に追い詰められ、身動きが取れないようである。よくある、ということで見過ごせることではないのだが、しばし人の多いところで見かける、いわゆるナンパというやつだ。
「ビビってる姿も可愛いなあ、このまま連れてっちゃうか?」
男の片割れが、少女の腕を無理やり掴んで、自分たちの方へ引き寄せる。
「は、放してください」
エルドは、助けに入った。
「何てことしてるんだ、やめろ!」
勇気ある行動だ。しかし、あまりに無謀だ。彼のお人好しにかけて、身体が勝手に動いたことを加味しても、愚かな行為だと蔑まれるかもしれない。
なぜなら、この男たちととて、エルドよりもよほどまともな魔法が使える可能性が高い。それほどに、エルドは魔法の才にかけていた。この二人組が、あのリベリカルテスターの足元にも及ばないにしても、もしもそれを使った攻撃、例えば、拳に魔力を込め、殴るようなことをすれば、かなりの重傷だ。
「何だよ兄ちゃん、この子の男か?」
「関係ねえ、邪魔する奴は、こうしてやる!」
案の定、片方の男がエルドを押さえつけ、もう片方の男が拳に魔力をまとわせ、エルドに殴りかかってきた。赤い髪の少女は、その光景から目を背けようと、思わず目をつむった。死ぬことはないだろうが、当分は動けなくなることをエルドが覚悟した、その時だった。
狭い路地裏の中に、局所的な突風が巻き起こる。
あっという間にエルドから二人の男が引き離され、押し飛ばされ、あっけなく壁に叩きつけられ、いとも哀れに気絶した。
エルドたちの方に歩み寄りながら、銀色の杖をかざす、リベリカルテスターの姿があった。
エルドと、赤い髪の少女は、彼女の姿を見てはっとさせられていた。エルドは、彼女がまたしても自分を助けてくれたこと、彼女に再び会えたことの喜びによって、目を大きく開けて口をぽかんと開けていた。赤い髪の少女は、初めて見るであろうそのリベリカルテスターの姿に、また、自分と変わりないような年齢の少女が、軽く二人組の男をいなした姿に、目を大きく開けて口をあんぐりと開けていた。
「ちょっとここで待っていて。この男たちを役所へ突き出してくるから」
リベリカルテスターは、エルドと、赤い髪の少女に向けて言った。エルドには、ほんの少し慣れた様子だったが、初対面となる赤い髪の少女の方を見る様子は、どことなく恥ずかしそうだった。
赤い髪の少女は、にっこりと笑い、リベリカルテスターを見送った。そして、エルドに話しかけた。
「お兄さん、助けてくれて、ありがとうございます!」
「いや、っていうかオレ、何もできなかったし……」
エルドは力足らずの自分を、情けなく思った。
「でも、お兄さんが助けてくれたあの時間があったから、私はこの通り無事で、あの女の子がお兄さんを助ける時間も生まれた。みんなが助かって、すごいじゃないですか!」
「えへへ、まあ、そう言われれば、そうか」
エルドは、頬を指で搔きながら、つい浮かれてしまった。
「ええと、お兄さんも、城下町の市場に用事があったの?」
「もちろん。 お前も、だよな?」
「名前言ってませんでしたね。私はベアトリーチェって言います。 オルティスの、西の端っこにある村で牧場やってまーす」
ベアトリーチェというその赤い髪の少女は、めいっぱいの愛らしい笑みを振りまいて、エルドに自己紹介をした。大きな深緑の瞳がきらきらと輝いて、エルドの方を見ている。心なしか、彼女の頭に巻かれたうさぎの耳のようなリボンが、まるで生きているかのように、ぴょこぴょこと動いているように思えた。
「オレはエルド。オルティスの、北の端っこにある森で木とか草集めしてまーす、なんて」
ベアトリーチェのチャーミングな語り口を模して、自己紹介をしてみたエルドであった。二人はあはは、と明るく笑い合った。
「西端と北端……端っこ組ですね!」
「おお、いいなそれ!」
「端っこ組」だなんて、わけのわからない組織は存在しない。特になにかのかけ言葉というものでもないのに、笑いが絶えなかった。
意気投合した二人は、たわいもないことで、会話を弾ませた。お互いにこういうことが得意な性質であったのだ。
そこへ、こういうことがいかにも苦手そうな人物が、戻ってきた。
「待たせたわね。そちらのあなた、大丈夫?」
「うん、平気ですよ。あなたがすごい魔法で、悪い人たちをどかんとこらしめてくれたからね。ありがとう!」
「……そう」
リベリカルテスターは、安堵の表情を浮かべているようだ。彼女の表情の変化は乏しい方だが、その気持ちは不思議と伝わってくる。
「私はベアトリーチェって言います。さっきエルドさんにも言ったけど、オルティスの西の端の村で、牧場経営をやってます。小さいけど!」
えへへ、と随所でこぼしながら、リベリカルテスターにも自己紹介をするベアトリーチェ。
「あなたのお名前は?」
「…………え、ええ」
「どうしたの?」
「……その」
戸惑う彼女に、エルドは助け舟を出そうとした。
「ベアトリーチェ、こいつはリ……ぁ」
リベリカルテスターの存在は秘匿義務があるわけでもないから、そう言ったところで大きな問題があるわけでもない。ただ、初めてリベリカルテスターがその名を言った様子から、他人の口から言うべきことではないのだろうか、とエルドは感じた。いけないことをした、とエルドは頭を抱えたくなった。
「ふふ、リで始まる名前ってこと? じゃ、当ててあげるー」
「い、いや、ちが……違わない、けど」
口を滑らせたエルドのヒントから、ベアトリーチェは話をぐいぐいと広げる、かと思いきや、何かを察知したようで、そうはしなかった。
「……なーんて、いいよ! 無理しなくても。何か困ることがあるのかも? って思ったの。ごめんなさい」
「そういう訳じゃ……ない」
「でも、困らせてしまった、みたいだし……」
「いいの、あなたは悪くない、から」
彼女に謝るベアトリーチェのうさぎの耳が、気のせいか垂れ下がっているようだった。
「……私は、リベリカルテスター。今日は、市場の見回りをしていたの。人が増えると、厄介なこともそれだけ多くなるから。あなたと彼が巻き込まれたようにね」
赤髪の少女がしょんぼりとする様子を見かねたリベリカルテスターは、その名を答えた。
「リベリカルテスターって、確か」
「国を守る役目を与えられた……オルティス王家に使える魔法使い、国に伝わる情報で、何一つ間違いはないわ」
「へえ……あなた、リベリカルテスター……すっごい魔法使いってこと…………」
ベアトリーチェは、呆然としてぶつぶつと言葉をつぶやいていた。そして、急に力を取り戻したのか、威勢よく話を始める。
「すごいっ、かっこいいよっ。私と同じくらいの年の女の子だっていうのに」
「そ、そんな」
ベアトリーチェは目をきらきらと輝かせた。リベリカルテスターは、褒められることにたいそう不慣れであるようだった。ベアトリーチェからの称賛に慌ててはいるものの、けして嫌そうな顔ではなかった。彼女と出会い、ただただ、ペースを乱され困惑しているだけである。
「いつもあなたがこうして私たちを守ってくれていたんだね……ありがとう!」
「……いえ、こちらこそ」
ベアトリーチェは、誠に不思議な少女だ。先程出会ったばかりなのに、すっかりリベリカルテスターと打ち解けてしまった。彼女と一定の会話をするのに、数日かかったというのに、と、なんだかちょっと、悔しい気持ちになってしまったエルドであった。
路地裏での一件の処理を終えてから、三人で市場を渡り歩いた。エルドとベアトリーチェは、自分の家に持ち帰るためのものを見つけるたび、購入した。また、自分が持ってきたものを必要とする者がいれば、それを売り込んだ。ベアトリーチェは動物、魔物の毛や、編み物等の雑貨を携えてきていた。手先の器用さには自信があって、物を作ることは得意だという彼女の作った雑貨は、中々の評判であった。
リベリカルテスターは、騒動が起きるたびに、問題を起こした者を捕らえていた。その姿に、エルドとベアトリーチェだけが、称賛を送っていた。城下町の人間は、彼女の事を認知せず、そのようなことをしなかった。
犯人の処理のためにリベリカルテスターがいない間、ベアトリーチェはふと、エルドに投げかけた。
「エルドさん、もしかして、魔法、あんまり得意じゃない……ですか?」
「うっ、ばれてしまったか」
「ああ、ごめんなさい。その、感じ取れる魔力が」
なるほど、これが魔力感知、というやつか。エルドは理解したが、その感覚さえもよく分からなかった。人が近づいてくるときに、足音が聞こえてくる、踏み込んだ際に空気が動いた感覚、そんなようなものだと、両親から聞いている。彼らもけして、大した魔法が使えるわけではないが、エルドよりはマシだった。
「私、魔法自体は結構得意なんですよ」
「いいなあ。しょぼかっただろ? オレの」
「まあ……はい」
申し訳なさそうに、彼女のうさぎの耳が下を向く。そして、彼女は急いでエルドのフォローをする。
「でも、生まれ持った魔力が、ちょっと人より強かったり、多かったり、良い事ばかりじゃないんですよ」
ベアトリーチェは、西の遠方を見て、そう言った。よく通る大きな声で話す彼女が発したとは思えない、小さな声だった。
「あの、どうした……の」
リベリカルテスターが帰ってきた。
「ごめんなさい、なんか急に落ち込んじゃって。……あっ、気が付いたら夕方だし、市場もそろそろ閉まっちゃうし、何となく寂しくて、そんな気分になっちゃった、のかな」
「いや、気にすることないよ。ベアトリーチェ。悩みがあるんなら、口に出したほうが楽になれるもんだ」
エルドは、笑顔で言った。せっかくいい友達になれたのだから、その力になってやりたいと考えていたのだ。
「……私も、そう思う」
彼女は、エルドの後を追うように言った。
エルドもベアトリーチェも、市場での用事を十分に済ませ、帰ることになった。ベアトリーチェはオルティスの西端に住んでいるということで、北端に住んでいるエルドとは方向が異なり、城下町ではお別れになる。
「それじゃあ、またね! エルドさん、リベテスちゃん!」
聞き慣れたようで聞き慣れない呼び名が飛び込んで来る。
「り、リベテス!?」
「面白い名前じゃないか、じゃーな! ベアトリーチェ!」
エルドはその呼び方を好ましく思った。そして、大きくベアトリーチェに手を振り、別れを告げる。
「……またね、ベアトリーチェ」
リベリカルテスターも、手を振る。固いだけでなく、まだまだ小さな動きだ。そして、緊張しながら、彼女に向かって微笑んでいた。
ベアトリーチェは、遠くから見てもよく分かる程の、満面の笑顔で、姿が見えなくなるまで、二人に向かって手をぶんぶんと振っていた。
「さて、オレも帰るか。お前はどうする? リベテスさん」
にっと笑いながら、エルドは早速、その呼び名を使った。
「私も、森までついていく。……エルド」
「えっ、いいのか!? いや、嬉しいけど。その、いいのか? 町の警備とか」
「いいの。定められた時間までに城にさえ戻れば。夕刻からの警備は、私ではなく、国の兵団が行っているの」
「ふうん、そうなんだ……何でだろうなあ。戦争が終わってからは、兵団はほとんど動かなくなってるって聞いたけど」
エルドは、何も考えず、リベリカルテスターが夜には務めを果たさなくてよいことを、疑問に思った。
「……」
「いや、いいんだ。別に、知ってることを全部教えろとか思ってるわけじゃないから、全然」
「それなら、いいけど……」
リベリカルテスターにとっては、最も聞かれたくないことだ。でも、エルドはうまく避けてくれたようだ。意図してか、意図せずかは、相変わらずだが。
「でも、もう少し……お前がどんなやつで、どんな風に過ごしてるのか、とか。知りたいけどな」
エルドは眉を下げて、どうせかなわないことだと思いながら、そうこぼした。リベリカルテスターは、その言葉を聞き逃さなかった。けれど、彼女も、かなわないことだと思っていた。
リベリカルテスターには、気がかりなことがあった。
ベアトリーチェから感じる魔力、なんだか妙な感じがする。とても彼女やエルドの前では言えないけれど、魔物のそれに近い。あの子は一体。
でも、とてもいい子だった。明るくて、小さくて、可愛いらしくて。太陽のような娘。きっと、何かの間違いだろう。そう信じることにする。
友人と言える二人目の存在ができたことは、とても嬉しい。でも、彼女について、どうしても何かが引っかかってしまう。ベアトリーチェがエルドと楽しそうに話す姿は、見ているこちらも幸せな気分になった。けど、自分は、あんな風になれない。羨ましかったのだ。
エルドとリベリカルテスターは、エルドの暮らす北端の辺境の森に向かい、歩いているところだった。リベリカルテスターは、エルドの荷物を半分持ち、歩いていた。エルドは、女の子にそんなことをさせるのはどうなのか、と一度は断ったが、あなたの力では限界があるでしょう、この荷物をどうにかする魔法が使えそうにはとても見えない、と見透かされていた。
リベリカルテスターもやはり、ベアトリーチェのように他人の魔力を感知することに優れているのだろうかと、エルドは悔しく思った。悔しく思ったところで、どうにもならないけれど、思うだけなら自由だ。
森が見え、近づいてきたところで、エルドはあることに気づいた。
「そういえば今日、初めて『エルド』って呼んでくれたよな」
リベリカルテスターは、不意の指摘にぎょっとしたようで、顔を背けた。またしても、顔を真っ赤にしていた。それを、エルドに見せないよう、必死だった。
「だって、あの子も、ベアトリーチェも、呼んでいたじゃない。だから、私が呼んだって、別に何も、おかしくないじゃない」
あたふたと、言葉を続けるリベリカルテスターであった。何を隠すことがあるのかと、エルドはいぶかしみながら、その様子を楽しんだ。
「初めて会った時、あなたが教えてくれたでしょう」
「覚えてて、くれたのか」
エルドは、とてつもなく嬉しさがこみあげてくるのが分かった。
「覚えているわよ。その位。会話の内容は、大体覚えている……というか、そんなにたくさん話していないんだから」
「そうだな!」
「そうよ……でも」
リベリカルテスターは、一息ついて、自らの思いを打ち明けた。
「あなたとの会話を、全て覚えられなくなる位……もっと多くの話をしてほしい」
彼女が自分のしたいことを言うなんて、初めてだった。今まではエルドが一方的に話してしまっていたが、今回は違った。
「わかった。じゃあ、そうしようか。これからも、たくさん話そうな」
リベリカルテスターは、彼の素直な笑顔に、口元を緩めていた。
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