6 彼女は、染まることを拒んだ、けれど、抗うことはできなかった
オルティスは、この世界で唯一残された国だった。世界中の人間は、ここに集約されていた。といっても、生まれつき金色、茶色の髪を持つような民族が大半を占めていた。そうでない民族は、滅んでしまっていた。オルティスの手によって。
人間が姿を消した土地は、魔物たちが住む場所となっていた。オルティスの領土は正確には定められておらず、壁で守られているわけでもなかった。魔物たちはしばしば、オルティスに迷い込み、目についた魔法使いたちを襲って帰っていった。
リベリカルテスターに与えられた役目は、国を、世界を、守ることだった。ひどく曖昧で、広範な役割である。
具体的には、オルティス国内における犯罪者、国内に出現、あるいは侵入した魔物や、オルティス王家に反発する者たちとの戦闘を行う。彼女は、それらを殺害することをしなかった。リベリカルテスターが戦闘不能とし、捕らえられた彼らの処遇は、彼女を管理するオルティスの枢密院が決定していた。
彼女はその任務のため、魔法の杖を与えられた。ヘレディウム・ロッドと言うらしい。一番上の王子が、リベリカルテスターのために作ったのだという。銀色の大きな杖で、彼女の背丈を超えるものであった。衣服と同質の力を以て構成されており、軽く丈夫であった。
彼女は今まで、杖を使うことなく魔法を振るっていたが、杖を手にすることで、その精度は飛躍的に向上した。
また、意外なことに、彼女はその組織に束縛されることはなかった。彼女は、オルティスの本拠地であるブラッドフォード城に居住していた。国内に異変があれば指令を受け、その場所へ早急に向かい、その事象を解消すればその後は自由を与えられていた。枢密院への反逆行為に当たるものを除けば、何をしても構わないようだった。
しかし、良い扱いを受けているとはとうてい言い難かった。
彼女はなぜか、夜にその任を請け負うことはなかった。その場合、リベリカルテスターが誕生する前に、国の警備にあたっていた魔法使いの兵団に、その役目を回していた。その兵団は、リベリカルテスターの存在に不服を抱いていたが、枢密院の指示には絶対であったため、それを表に出すことは無かった。
いくらこの少女が、オルティスの王族が信仰するという、黒の魔法使い、とやらの力を持つとはいえ、何もせずともその力が保たれているわけではないようだ。
魔力も、体力と同様、用いることがなければ劣化することが多い。一般的な魔力であれば、使用することで本人の感覚が鍛えられるとともに、その力自体が向上した。
けれど、彼女に継承された力は、その類ではない。
彼女を管理する枢密院の男たちもまた、魔法使いである。それも、国内外で名を挙げた実力者たち、または古くから続く名家の血統を持つ者たちの集いだった。彼らの魔法に対する見識と探究心は並々ならぬものであった。少女の持つ力に対しては尚更そうだった。日々、彼らは彼女に対して、その力をより強く引き出すための行為を図った。
彼らが信仰してやまない、黒の魔法使いの伝承によると『自らに関わる事象を害される』という手段が、その力の一つを高める方法として、最も手軽なものであった。
いわゆる、蠱毒というものを模した行為だった。
毎晩、少女は強制的に呼び戻された。少女は城の地下深く、牢に入れられた。枢密院の男たちが、日中の業務を秘書へと押し付け、こっそりと集めてきた選りすぐりの強力な魔物たちと共に閉じ込められることもあれば、兵団によって捕えられた、凶悪な罪人とともに放り込まれることもあった。
言うまでもなく、彼女はそれらによって蹂躙されるがままになっていた。
普通の魔法使いならば、もしくは、これを彼女へと行っている上級の魔法使いであっても、とっくに死んでしまうようなところを、彼女は生き延びていた。
彼女が持つ魔力には、損なわれた身体を急速に再生する力があった。外傷を受けて再生することを繰り返せば、それが早まるのであった。人の身体に例えるとするならば、一度病気にかかると、その病気に対する免疫力がつくのと同様であろう。
また、彼女の感じる苦痛が限界に達すると、無意識のうちに発揮できる以上の力を放つことがあった。
彼女の放つ魔力の色は、白だった。黒の魔法使いは、黒い魔力を放つというが、伝承通りではない。妙に思う者たちも少なくなかった。
黒の魔法使いの力を継承しているというのは、一番上の王子によると、間違いないという。魔力は、生まれ持った部分に左右される部分が大きいが、育った環境やそれにより形成された人格によって、また外部からの干渉により、後天的に変容することも珍しくはない。枢密院の魔法使いや、オルティス王家の側近の一族たちは、この王子のことを強く信頼していたため、リベリカルテスターへ手を加えることをやめなかった。
リベリカルテスターが不意に発する魔力に当てられた魔物や罪人は、あっけなく吹き飛ばされた。そして硬い石の壁に全身を打ち付け、気絶することもあった。しかし、力を放った本人も、意識が朦朧としていた。身体の再生能力の増加と同様に、これを繰り返すことで、攻撃を行うための魔力も鍛えられ、質が向上するのだという。
「お前は、身も心も、我々のものだ」
夜を迎えるたび、この言葉を何度も、何度も耳に刻み付けられた。自分たちに対して隷属する道しかない、ひとりぼっちの少女を取り囲み、枢密院の者たちから、その言葉に一寸も違わぬ扱いを受けていた。
彼女は、世界で滅ぼされたはずの種族の人間だ。彼女の有する魔力だけでなく、その存在自体を物珍しく思うものは数多くいた。誰もが聞き飽きてしまうような、よくある話で、異なる種族、というだけで無意味な差別を行い、それをこの上ない娯楽とする者たちにとって、彼女は絶好の標的だった。
真っ黒な長い髪をばらばらとちらつかせ、白い肌を細かな傷だらけにし、泣き叫ぶ彼女の姿を面白がる者たちの笑い声で、毎晩、城の地下は一杯になっていた。彼女を手ひどく扱うことにより、統治され切ったオルティスでは閉じ込められてしまうような、自らの抑圧された欲求を解放し、快楽にふける者たちの醜悪な姿が、そこにあふれかえっていた。
けれど、彼女は逃げることは出来なかったし、逃げようともしなかった。何度も自分に言い聞かせてきた。
もう、居場所などないのだ。
今は無き遠いあの地、あの時、もしかしたら、これ同等、いや、それ以上のことをされたのかもしれない。だから、今は、決して幸せではないし、むしろ、その逆の状況にあるけれども、それを思えばまだ耐え忍ぼうと思えるのであった。
あのとき、あの人が助けてくれなかったら。そうだ、あの人は、もういないのだ。これからも、ずっと、そんな人など、存在しないのだ。
朝になった。彼女は目覚める。いつの間にか、簡素な牢の中で横たわっている。毎夜、行為のどこかで意識を断った後、ここへ運ばれることになっているそうだ。
いつものことだった。自分の身体に目をやると、変わらずあの奇矯な白い衣装を纏っていた。まだ任務の連絡はなかった。シャワーを浴びたいと思い、浴場へ向かった。
この衣装の扱いは煩雑だった。この城の外で自らこれを外すことはできなかったし、それができる者もおそらく存在しなかった。城の中であればそれはかなった。衣装の着脱の魔法を行う魔法使いを呼べば、可能だった。
最初にこの衣装を取り付けられたときの凄まじい痛みは、もうなくなった。一度取り付けてしまえばこの衣装の魔力が身体になじみ、あれほどの拒絶反応を起こすことは無くなるそうだ。けれど、完全に無痛とはいかなかった。多少の苦しさはあった。
それに、どこの誰だかは分からない、仮面を付けた術者に自分の姿をさらすのもあまりいい気分ではなかった。でも、耐えられる程度だった。毎晩受ける仕打ちに比べれば、任務における痛々しい怪我でさえもかすり傷に思えるほどだった。
シャワーを浴びることは、彼女にとって数少ない至福の時間だった。冷たい水しか流れなかったが、物質的な身体の汚れと共に、自分の肉体にこびりついた何かを洗い落としてくれるような、そんな錯覚を与えてくれたのだ。
所詮は錯覚だということに気付くと、少女は俯きながら咽び泣いた。最初は立っていたけれど、足の力が抜けて、ぺたんと座り込んだ。けれど、降り注ぐ水はその涙を覆い隠してくれた。小さく薄汚れた鏡に映る、自分の見苦しい泣き顔を見なくて済んだ。跳ね返った水がその鏡を見えないようにし、曇った紫色の瞳に目を合わせる必要がなくなった。それも含めて、シャワーを浴びることを好んでいたのだ。
浴場から出ると、再び魔法により白い衣装を取り付けた。やはり心地は良くなかった。そして丁度、出向の命が下ったようだ。
オルティスの末端、町を離れた郊外の森で、竜の形をした魔物が現れたとのこと。この森自体は主要な地ではないが、この魔物をこのまま放っておけば市街地に移動し、多大な被害を及ぼす可能性があるという。少女は杖を携え、その地へ向かうのであった。
とある時代の西洋の地、名もなき平原にぽつりと存在する森を、近くの崖の上から見つめる者がいた。それは、澄んだ夜空のように真っ黒な髪をしており、それは、昼であるにもかかわらず、月光が射すが如くの艶を呈していた。その肌は白く、雪のようであった。紫色の瞳は、憂いを含みながらも、淑やかに透き通っていた。
その身に纏う衣は、純白であった。その肌にたいそう適うものであった。衣と髪は風に棚引き、それぞれを引き立て合っていた。
――彼女は、リベリカルテスターという、魔法使いである。
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